第三話 レース開始
修理工場の片隅で、剥がしたスピッツバード世界大会のポスターを眺めながら、ハルは腕組みして考え込んでいた。
優勝者には二〇〇ビベルが賞金として与えられる。
ハル自身モーターバードの操縦は得意なものの一つで、これ以上のチャンスは無い。
けれど、それには大きな問題があった。
「参加資格。十六歳以上……か」
ハルは十三歳。考えたところで三つも年齢に達していないということになる。
(ここで諦めたら、じいちゃんの工場も、全部なくなってしまう。一か八かやってみるしかないか……!)
ハルは工場の隅にからロープで吊るされているものに目をやる。
そっと掛けられていた巨大な薄汚れた布を剥がすと、真っ白に輝く機体が現れた。
「やあ、エアリエル。君の力が必要なんだ」
翼を閉じたままの白いモーターバードは、まるで白く輝くツバメそっくりの姿だ。
ハルは愛おしそうに彼女の身体にそっと触れる。
亡くなった祖父がハルの為に作り上げた最高傑作の機体である。
「君と僕とで、じいちゃんの工場を守るんだ」
ハルはぎゅっと拳を握り、一世一代の大勝負に臨むことを強く決心したのだ。
時は、スピッツバード世界大会開催日当日。
スピッツバード港では、レースを一目見ようと詰め掛けた人々で溢れ返っていた。
街はお祭り騒ぎで、誰もが今か今かとスタートの瞬間を待ち望んでいる。
島の陸地は勿論、レースの行われるコースの外側にも、多くの飛行船が浮かび、お客が観覧席にぎっしりと座っているのが見える。
特に飛行船の観覧席は特等席とされ、そこにいる面子は金持ちや身分の高い者達ばかりだ。
『皆様、大変長らくお待たせしました!! いよいよ、スピッツバード世界大会のレースの幕が上がります!!』
島中に響き渡る程の声量で、どこからかレースの解説者の声が響く。どこかしら巨大なスピーカーがセッティングされているに違いない。
それを聞いた観客席から、どっと歓声の声や口笛の音が上がる。
『レースのルールは至って簡単! このスピッツバード島の周りに設置されたコースを、より速く五周して戻った者の勝ち! けれどコースアウト、もしくは飛行不能になると失格なのでご注意を! また、コースの途中に大小様々なサークルが設置されていて、ゴールまでに最低五十の輪を潜ることができない場合も失格となります!!』
レースの解説者は、地上に準備された大画面から興奮気味に説明をしている。
コースのすぐ近くを、撮影用のモータービートルが飛び回り、解説者もそこから中継をしているようだ。
解説者は早口で続ける。
『今日は、このレース会場に我ヘルシオン王国の国王陛下もお越しになられているとのこと!! わたくしビーブスが力の限りレースを皆様と国王陛下にお伝えしたいと思います!』
国王の訪問に明らかに民衆がざわめき立つ。
『では、ここで注目のレーサーをご紹介します!!』
大画面に大きく映し出されたのは色男。昨年の優勝者の顔である。
観客から女性陣の黄色い歓声が巻き起こる。
『我らヘルシオン王国が誇るアレン・パーカー!! 今年も見せてくれるでしょうか、美しき青き白鳥の舞いを!!』
ひしめき合うようにして並ぶ、スタートの合図を待つ機体達の先頭辺りで、青と白のモーターバードの操縦席から観客達に手を振るアレンの姿が画面を占領する。
『続いて、翔ける猛虎チャン・ルイ! 独特の黄色と黒の縞は機体は鳥というよりは虎のようです! こちらは昨年度の準優勝者。リベンジなるか!?』
不機嫌に撮影人を睨みつける威圧的且つ挑戦的な目に、観客席も思わず凍りついた。
『そして、注目のレーサー、ゾイ・ボルマン!! 白と黒の縦じまは、他のレーサーの視覚情報を麻痺させ、錯覚を引き起こすことを狙いとしているとのこと! 最年少十六歳IQ二〇〇の天才少年です。知能戦を得意とする彼は、一体どんなレースを見せてくれるのでしょうか!?』
歳の割に落ち着いた表情で片手を上げる少年が画面に映し出されている。
『まだまだ有力なレーサーがずらりと勢ぞろいしています。おや、あれはレース一の暴れ者ドリアン・ベッカーでは……? このレース、全く予想がつきません!!』
解説者の声を遠くに聞きながらハルはスタート地点の遙か後ろの方で待機していた。
これは、出場経験がまだ一度もない為、仕方のないことだった。
ハルの乗ったエアリエルは、他の機体に比べてやや小さい上、ハル自身も小さい為、いるのかいないのかもわからない程目立たない。
「飛ぶぞ、エアリエル」
首から下げていた大きすぎるゴーグルを嵌め、滑り止めのついたレース用の皮グローブの左手でそっとレバー握り締める。
スタートの直前に鳴る甲高い電子ホイッスルの音が鳴り響き、あれほど盛り上がりを見せていた観客席もしんと静まり返った。
レーサー達も、エンジンを吹かしながらスタートの合図をじっと静かに構えて待つ。
『ズドオオオオオオオオオン』
腹に響くような空砲の音が響き、一斉にモーターバードが動き始める。
先頭集団に続き、次々と鳥の群れのように飛び始めた機体達。
けれど、スタート直後に左右、前方の機体との接触によるクラッシュが続出。
あっという間に半数以上の機体が飛行不能によりリタイアを余儀なくされていく。
『いよいよレースの火蓋が上がりました!! お~~っと、スタート直後に次々に機体の接触事故が!! スタートが最初の関門とも言われていますが、これで半数以上の機体がリタイアとなっている模様です!!』
クラッシュの起こっているコースの上空を、撮影用のモーター・ビートルが飛び回る。
画面に映し出された悲惨な状況に、観客からどよめきが起こった。
『一方、先頭集団が踊り出ました!! 一機、二機、三機……! アレン・パーカー、チャン・ルイ、ゾイ・ボルマンのモーターバードです!! そして、僅かに遅れてドリアン・ベッカーの機体も三機の後を追います!!』
後方では、クラッシュした機体に巻き込まれ、新たな機体がクラッシュを引き起こしている。
ひどい場合は羽が折れ、海目掛けて真っ逆さまに落下していくものもある。
『アレン・パーカーの機体が、最初のサークルを何なく潜り抜けました! お見事!! 続いてチャン・ルイ! ゾイ・ボルマン! 順調な翔け出しです!!』
その頃……、
観戦用の飛行船にの裏デッキに、こっそりと忍び込んだ二人組の姿があった。
空賊船の船長レオと副船長ラミロである。
二人は、レースの観戦の為に無断で観戦用飛行船の裏デッキに乗り込んだのだ。
ここは非常用に使われるデッキで、普段、乗客は使用することができない。その為、静かな上誰の邪魔も入らないレース観戦の絶好のポイントであった。
「誰に賭ける?」
ラミロはビール瓶を片手に、デッキの柵に器用に腰掛けるレオに声を掛ける。
「そうだな……」
レオは双眼鏡でレースを眺めている。
「俺はあのキザなアレンって奴にしておこうかな」
ラミロは、レオよりも先に唾つけたとでも言いたげな顔で、アレン・パーカーの乗るモーターバードを指差した。
「けっ、王道じゃねぇか、つまんねぇ。それじゃあ俺は、敢えて……。おっ」
レオが突然声を上げる。
「なんなんだよ?」
「おもしれぇのが一機。俺はあいつに三〇ビベル賭けるぜ」
「は? どれだよ?」
ラミロはレオから双眼鏡を奪い取って覗き込んだ。が、ひと目みたところで、レオの言うモーターバードらしき機体は見当たらない。
「ほら、あのちびっこい白いやつだ」
「は? どこだよ……? おっ」
二人の目に、一機のモーターバードの姿がとまった。
ハルは、未だスタート地点に周辺にいた。
「さあ、僕らはここからだ!!」
目の前に次々と飛び掛かってくるクラッシュした機体の一部や本体を、操縦席に設置された右と左のレバーを右に左に巧みに操り、抜群のタイミングですり抜けてゆく。
それはまるで、青空の下を悠々と飛ぶツバメそのものだ。
けれど、先頭集団に夢中の観客達は小さな機体にまだ誰も気付いてはいない。
「そろそろここを抜け出さないと、先頭集団に追いつけなくなっちゃう」
ハルはダダダと足元のペダルスイッチを踏みつけ、エンジンを切り替える。
途端、ふわりと機体は音もなく直立に立ち上がり、真上に飛び上がった。
「な、なんだあれは!? あんな飛び方は見たこと無い!!」
一部の観客達が騒ぎ始めたことで、初めてハルの機体の存在に気付いたレース解説者は、後方を振り返り驚愕した。
翼を畳み、ぐんぐん高度を上げる真っ白なハルの機体に、一斉に中継映像が集中する。
「よ~し、この辺りから一気に追い上げるぞ!!」
ゴーグルでほとんど隠れてしまっているハルの表情だが、その口元は楽しそうに白い歯を覗かせている。一瞬、大画面の映像がハルの顔を捉えた。
『あのモーターバードは一体どうする気なのでしょうか!? おいっ、誰かあの機体と持ち主の情報を探してくれ!!』
解説者の慌てた声。
予想外の機体の出現に、報道陣があたふたと陸上を走り回っている。
くるりと宙で身体を滑らかに反転させ、エアリエルの翼を半分だけ開いたハルは、レバーを引き下げると同時に足元のペダルスイッチを切り替えた。
途端、落下速度で機体はクラッシュした機体達の上を飛び越え、ぐんぐん先頭集団に近付いてゆく。
『嘘だろ! すごい! すごいぞあの機体!! あの小ぶりなボディーで凄い追い上げです!! これは意外なレーサーの出現だ!! 一体あのモーターバードに乗っているのはどんな人物なのでしょうか!?』
小さな白い機体に、誰もが驚愕していた。
前大会の有力者同士の闘いになるだろうと予想されていたこのレースに、ハルの機体はまさかの出現だったのだ。
「いいぞ、エアリエル。この調子だ! もうすぐ前に追いつくぞ!!」
スピードを緩めないまま、一つ目のサークルが目の前に出現した。
『お~~っと、やばいぞ!? このスピードじゃサークルの淵に引っかかり兼ねない!! 一つ目のサークルは諦めた方がいいんじゃないか!? やばいぞ、やばいぞ!!』
誰もが手に汗握りながら、ハルの機体を遠くから見守っていた。
「いける!」
いつの間にやら、皆の視線はハルの機体に注がれていた。
誰もが輪の淵に直撃するかと思った瞬間、開いていた半分の翼が瞬間的に全て畳まれる。
『信じられない!! 潜った!! なんと、あのスピードでサークルを見事潜りぬけました!! なんという操縦技術だ!!』
上からも下からも、観客席からもの凄い歓声が沸き起こる。
誰もが、今や先頭集団からハルの操縦する機体に夢中になっていた。
「ひゅぅ! やったね、エアリエル!! さあ、追いついたぞ!!」
いつの間にか、ハルの機体はドリアン・ベッカーの機体を僅かに追い抜き、現在三位のゾイ・ボルマンの横に機体を並べていた。
ぎょっとした表情を浮かべ、髭面のドリアン・ベッカーが前方に突如として現れた小ぶりの真っ白い機体を見つめている。
『なんという展開だ!! 四位につけていたドリアン・ベッカーを追い越し、現在ゾイ・ボルマンと並んで三位につきました!! おっと、ここであの謎の機体の登録情報が入ってきました!!』
観客は謎のモーターバードの出現に胸を高鳴らせていた。
「レーサーは、なんと十六歳!! ゾイ・ボルマンと同世代です!! ハル・シュトーレン! 機体情報不明、更に過去の一切の大会記録は表示されていません……!」
ハルは年齢を偽って登録していた。
しかし、その偽りの年齢でさえ、死と隣合わせであるこのレース界では驚くべき若さなのだ。
「おい、小僧!! 俺の前をうろちょろすんじゃねぇ! 死にたくなきゃあ大人しく引っ込んでろ!!」
額に青筋を浮かべ、ドリアン・ベッカーが機体ごしに叫んだ。
そんな声を聞きながらも、ハルは今それどころではなかった。
「おっと」
次々と現れるサークルをうまく潜り抜けてはいくが、今問題なのはゾイの機体がすぐ脇を飛行していること。
即ち、彼の機体とハルの機体で、サークルを同時に取り合わなければならないことになる。
既にハルもゾイ・ボルマンも互いに三つ目のサークルを潜り損なっていたのだ。
(このままじゃ、輪の数不足で失格になっちゃうな……)
と、突如、ゾイが何を思ったのか、急に機体の速度を落とした。
ハルがこれで実質三位となり、ゾイが四位となった。
そのすぐ後ろを、青筋を浮かべたドリアンが飛行している。
「ゾイ・ボルマンが動いた!! 何か考えがあるようです!!」
ハルがふと、振り向いたとき、忽然とゾイの縦じまの機体は姿を消していた。
『ギュウウウウウウウン』
風の唸る音が聞こえ、ふと視界を前に戻すと、いつの間にかゾイの機体が先頭を翔けるアレン・パーカーの前に躍り出ていた。
「すごいや! エアリエル、見た?? 今、彼は僕らの下を通り抜けてったよ。あれは……、蒸気エンジンだ!!」
そう言った直後、ゾイの機体のお尻部分から、蒸気がぶわりと噴射し、霧のように後ろを翔ける機体の視界の一切を遮ってしまった。
「ちいっ」
いきなり視界を蒸気で遮られたチャンは、ゴーグルの下でじっと目を細め、舌打ちをした。
「あの子、なかなかやるなあ~~」
そう言って、アレンはさも面白そうにヒュッと口笛を吹いた。
「くそう! やりあがったな、クソがき!! 何も見えねぇ!」
一方で、ドリアンは小憎らし気に拳で自らの機体を叩く。
視界を奪われること程、飛行中の命取りになるものは無い。
余裕があるのか、アレンはそれでもへらへらと笑う。
『ガガガガガ』
何かこすれるような音が響く。
ドリアンの翼部分がサークルの端を掠めたのだ。
「うがっ、クソが!! やっちまっった!!」
「おじさん、煙出てる!!」
すぐ前方を翔けるハルが、思わずドリアンに声をかけた。
「黙ってろ、チビ!!」
直後、ドリアンの速度が徐々に落ち始めた。
「ゾイ・ボルマンの吐き出した蒸気で、四機が錯乱しているようです!! あっ! どうやらドリアン・ベッカーの機体が、どこか損傷した模様!! 離脱してゆきます!!」
「おっ先~~~~」
すいっと翼を羽ばたかせると、華麗にアレンの青と白の機体が大きく右へ旋回してゆく。
それを追うように、チャンの虎模様の機体も旋回を始めた。
「さて、ぼくらはどうしようか?」
変わりゆく戦況に、ハルはエアリエルに語りかける。
そして、楽しげに白い歯を見せて笑った。
その頃、……
スピッツバード島に設置された観客席から、レースを観戦していた者の中に、ある人物がいた。
パン屋の主人である。
「お、おいっ! ありゃハルじゃないか!? 一体全体どうなってる!?」
ハルを知る街の人々が大画面に映し出された小ぶりの白い機体に、口をあんぐり開けて釘付けになっている。
誰もが、はっきりとハルだと確信し始めていた。
また、観戦用の飛行船の裏デッキでも、二人の男が酒を片手にハルのモーターバードを見ていた。
「おもしれぇ奴がいるじゃねぇの」
レオは、ぐいとビールを飲み干すと、再び双眼鏡に視線を戻した。
「えらく気に入ったみたいだね」
他人に珍しく興味を示しているレオに、ラミロは笑みを漏らした。
「誰だ? あのチビ。後で拉致してくっか? うちの船員に欲しいこった」
空になったビール瓶をごろんとデッキに転がすと、レオは悪戯な笑みを浮かべてラミロにそう溢した。
さらには、特別観覧席ではこんな人物までがハルに注目していた。
「あのハル・シュトーレンという少年は一体何者だ? 今すぐ身元の詳細を出して参れ」
「畏まりました、国王陛下」
国王の命を受け、傍に控えていた従者の一人が、深々と頭を下げて静かに観覧席を後にした。
ワインのグラスをそっととテーブルに置き、国王は自らの心を捉えた一機の白いモーターバードから視線を外せずにいたのだった。