第三十六話 選択権
空賊船に招かれたハルを最初に迎えたのは、長身のすらりとした綺麗な男だった。
ブロンドの髪は左にまとめて結われていて、片眼鏡からは穏やかな青い目が覗く。
「これはこれは、可愛らしいお客人ですね」
小柄な少年が白いモーターバードから降り立ったのを目にし、モデル顔負けのその男はすっかり驚いた様子で後方を振り返った。
後ろでは、先に捕えられたアレンが、後ろ手に縄でて首を括られたまま、三人の厳つい男達に囲まれていた。
「アレンさん!!」
アレンの無事を確認して、ほっとしたハルが思わず叫んだ。
当のアレンは言う通りにして逃げなかったハルに物言いたげな目を向けている。
「すみませんね、無理言って船の中にお招きしてしまって……。なんせ、うちの船長は一度言い出したら聞かない性質でして」
肩を竦め、男は申し訳なさそうにそう言った。空賊船にはまるでふさわしくないようなとても穏やかな物腰でだ。
「どうして謝るの? さっきまで僕らを攻撃してきたでしょ」
むっとしてハルは彼に突っ返した。
「そうですね、それもそうです。でもまあ許して下さい。わたしどもも追われる身ですから、そう悠長に構えてもいられないもので」
そう言った利口そうな男の後ろの扉が開き、
「うそ、まじか……。お久しぶりです、アレン先輩。」
という、間の抜けたような声がした。
「君は……。ラミロ・ホルスタインか!?」
声の主を見るなり、アレンが目を丸くして嘗ての彼の名を呼んだ。
「ほお。お前ら知り合いだったのか?」
さらに扉の後ろから現れたもう一人の人物が、低い声でそう訊ねた。
「えーっと。船長には言ってなかったっけ? ヘルシオン操縦士学校時代の先輩だよ。っつっても、もう昔の話だけどな」
扉の前で未だ驚きを隠せない様子でアレンを見つめるラミロは、そう後ろの男に説明した。
「初耳だな」
濡れた黒かみから水を滴らせて、鋭い鷹のような目で男はアレンに視線をやる。
船長と呼ばれたその男を見た途端、アレンは身を硬くした。一目見て、この男が一体何者であるかを瞬時に悟ったのだ。
”黒い悪魔 ”。その言葉がアレンの頭に過ぎる。
「……まさか、こんな所で再会するとはな。大貴族ホルスタイン家の嫡男で、当時は天才と謳われていたラミロ・ホルスタイン、君に」
アレンの皮肉を込めた言葉に、ラミロは思わずぷっと噴き出した。
「こう言いたいんだろ? 何不自由なく過ごしてきた貴族の金持ちの息子が落ちぶれたものだって」
「俺にはまるで理解できない。九年前の航空学校対抗レースの日、君は突如姿を消した。それが、まさか空賊に成り下がっていたなんて。君には将来が約束されていたのに」
そう反発したアレンだったが、まるでそれがラミロにとっては褒め言葉かのように、嬉しそうにこう返したのだった。
「生憎、俺自身は落ちぶれたなんて思ってないもんで。ホルスタイン家の操り人形だったあの頃から思えば、空賊船ビアンカ号の副船長の今は最高の身分だね」
黙ったままそう言ったラミロを見つめるアレンは、背後のもの凄い存在感を示す黒髪の男にそっと視線を移した。
濃いデニムの上に羽織っただけの黒シャツ。露出した胸板と腹筋ははっきりと割れているのがわかる。
よく見れば、あちこちに銃痕や切り傷が見当たり、相当な死線を潜り抜けてきた男というのが一目で理解できた。
「きたか、チビ助。想像してたよりもますます小せぇな」
割れた腹筋を掻きながら、男はそう言った。鋭い視線はハルに向けられている。
「あなた、一体誰なんですか?」
まるで怯んだ様子もなく、ハルは男に物怖じせず訊ねた。
「俺はこの空賊船ビアンカ号の船長レオだ。お前の名は?」
レオという名を聞いて、アレンは自らの予感が当たったことを知る。この男こそ、泣く子も黙る、あの ”黒い悪魔 ”と呼ばれる人物に違いなかったことに……。
「ハルです。見ての通り、僕は金目の物は何一つ持ってませんし、アレンさんも同じです。アレンさんを解放してくれませんか」
空賊船ビアンカ号の名を聞いても尚、物怖じした様子もないこの少年に、アレンは空いた口が塞がらなかった。
普通ならその名を聞いた途端、地面にひれ伏して命だけは助けてください、だのなんだの言って、命乞いしてもおかしくはない筈だ。
ひょっとして、ハルは空賊船ビアンカ号を知らないのか? ”黒い悪魔 ”の名を聞いたことがないのだろうか? とアレンは一瞬のうちに考えを巡らせた。
「へえ、この子面白いな。空賊船ビアンカ号の名を聞いても腰抜かさないなんて。ひょっとして知らないとか?」
面白そうに金髪を揺らしながらラミロが笑う。
「空賊船ビアンカ号は知っています。僕のじいちゃんは、毎日欠かさず新聞を見ていたし、よくじいちゃんからも空賊船のことは聞かされてたから」
レオが興味深げにじっと目を細めハルを見つめた。
「知ってんならなんでビビらねえ?」
「だって、僕らを殺す気ならとっくに殺していた筈だから。今こうしてアレンさんを捕まえて、僕をここに呼んだってことは、何か用があるんじゃない?」
大きな茶色い瞳をレオに向け、ハルはそう答えた。見た目にはどうやったって十三歳にさえ見えないこの小さな少年のどこにこんな度胸が潜んでいるのかが、アレンは不思議で
仕方がなかった。
「ご名答。気に入ったぜ、その気概。だが、尚のこと解放はしてやれねぇな」
腕組みし、そのまま近くの壁にもたれかかると、レオは口元を歪ませた。
「ハル、お前小せえがいくつだ?」
ハルは年齢を誤魔化したことで痛い目を見た経験がある。一瞬、戸惑うが、やはり正直に答えることに決めた。
「十三です」
側にいた船員達さえも、ハルの年齢を知ってひどく驚いている様子だ。それもそうだろう、あの操縦の腕だ、まさか十三歳だとは信じられる筈もない。嘗てのアレンがそうだった
ように。
「お前、十三!? どこであんな操縦法身に着けたんだ??」
すっかり仰天しているラミロが、思わず横から口を挟んだ。
「それに答えたら、僕らを解放してくれるの?」
真剣な眼差しで、ハルはレオとラミロの顔を交互に見つめた。
「いや、解放はしない。俺は遠回しな言い方は嫌いだ。だから俺の考えをここではっきり言ってやる」
レオは水の滴る黒髪を掻き上げ、ハルを真っ直ぐ見やってこう言った。
「操縦技術をどこで身に着けたかや、年齢なんてはっきり言ってどうでもいいんだよ。俺はスピッツバード島でのお前の操縦を見て、お前を仲間に引き込むことに決めていた。俺はお前のその腕が欲しい」
アレンを囲むようにして立っていた三人の厳つい男達も、モデル顔負けの綺麗な片眼鏡の男も、俄かには信じがたいレオの発言に、ぎょっとして彼を振り返った。
「船長、お言葉ですが、若干十三歳のこんな小さな子を引き入れるなんて、賛成できかねます」
驚いたことに、レオの発言に物申したのは、片眼鏡の綺麗な男だった。
「ルイス、悪いがその反論は却下させてもらう。そいつの腕は、この船に必要だとこの俺が判断した。文句あっか?」
威圧的な態度でルイスと呼ばれた男は意見を撥ね退けられ、彼は仕方なく肩を竦めそのまま口を閉ざした。こうなっては、てこでも意見を通すということは、ルイス自身、身を持ってよくわかっているからだ。
「ってな訳で、お前の返答を聞きたい。できればいい返事が聞きたいもんだが」
これは、ハルにとってはとんでもない申し出だった。空賊の一味に加わったとなれば、大好きな祖父や、いつも温かく見守ってくれていたスピッツバード島の町の人達。そして、特例措置でヘルシオン操縦士学校への入学を認めてくれたヘルシオン国王を始め、チーム風鳥の仲間達を裏切ることになる。
「せっかくの申し出だけど、僕は一味には加わりません」
きっぱりとそう言い切ったハルの返答を聞くなり、レオはアレンの傍に立っている男に目配せした。
直後、乱暴に跪かされたアレン頭髪を掴みあげ、アレンの首に突き付けられているものが目に飛び込んできたとき、ハルは大きな目を見開いた。
「わかってねぇな、ハル。俺が聞きたいのはそんな答えじゃねぇ。もっかい言い直してみな、返答によっちゃ、そこのキザ男の頭が吹っ飛ぶぜ」
アレンの首には、銀色に光る銃が首に食い込む程強く突き付けられていた。
状況を理解したアレンの額から、熱くもないのに妙な汗が滲む。
「奴の言うなりになるんじゃない。後できっと後悔することになる……!!」
アレンの必死な訴えを聞き、ハルは拳を握りしめた。
ますますアレンの首に強く食い込む銃口に、全く変わらぬ表情で冷ややかにこちらを見下ろす ”黒い悪魔 ”。彼は欲しい物はどんなことをしても手に入れる、そんな男だ。
「黙ってろ、キザ男。ガイ、そいつがただの脅しの道具じゃねぇってことを見せてやれ」
レオの合図で銃を持つ男が、筋肉に覆われた腕でアレンの頭を羽交い絞めにすると、もう片方の銃口を傍にあったアレンの愛機に向けて引き金を引いた。
耳をつんざくような音が響き、弾はアレンの機体の胴体を貫通していた。
「見たろ、弾はちゃんと入ってる。キザ男の頭がああなるぜ」
冷笑を浮かべ、レオはハルを見下ろしていた。
再びアレンに突き付けられた銃口を見て、ハルは震え上がった。自分の返答次第で、目の前の大切な戦友の命が失われるかもしれない。
「ダメだ。早まるな」
アレンの肩は緊張で上下に大きく揺れている。
「……あなたが言いたいことはよくわかったよ。でも、一つ僕にも意見を言わせてくれない?」
いよいよ肯定的な返答を口にするかと思われたが、ハルの口から出た言葉は意外なものだった。
「この状況で意見だと? 見上げた根性だ。いいぜ、言ってみろ」
すぐ隣で様子を見ていたラミロでさえも、ハルが一体何を言い出すやらと若干楽しみにしている様子だ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。はっきり言って、僕にだって選ぶ権利はある。僕は大好きな航空機で人を傷つけるなんてできっこないし、するつもりもないもの。
僕は壊したり奪ったりするのには向いてない。どっちかって言うと、直したり手助けするのが性に合ってる」
深呼吸の後、口早にそう話したハルを見つめたまま、少しの間沈黙が流れた。
「なるほど。お前の意見とやらは分かった」
じっとハルを見据え、レオは答えた。
「ガイ、そのキザ男を放してやれ」
レオの命令で、ガイはアレンの首に回していた腕を緩めた。その直後、アレンは咳き込みながら床に突っ伏した。
「船長?」
ハルから決していい返事がきたわけではないのに、急にアレンを解放したレオを不思議そうに小首を傾げて横目で見つめるラミロ。
「こいつの言うことも一理あると思ってな。確かに、強制して一味に加えることもできなくはねぇ。だが、それじゃあ楽しくねぇだろ?」
気まぐれな船長の言動に、ルイスは困ったように肩を竦めている。
「おい、チビ助。望み通りお前に選択権をやる。捕虜としてこの船で一生を長らえるか、もしくは一味に加わり自由気ままな空賊生活を謳歌するかをよ」
愉快そうにそう言い放つと、レオは鋭い目でハルを射抜いた。
「……ってことで、俺ぁ一休みするぜ。ルイス、後は任せた」
っと言って、さっきまでとは打って変わって大きな欠伸をすると、ぐっと背筋を伸ばした。
そのまま振り向きもせずにその場を立ち去っていく鷹のような男の後ろ姿を見つめ、アレンもハルも、少し肩の力を抜いた。
「じゃ、俺も部屋に戻るよ。……っとその前に。アレン先輩、ポケットのそれ、貰っても?」
ラミロは乗降口の簡易階段を下り、床に尻餅を着いたままのアレンのポケットを指差した。
「なんのことだ?」
咄嗟に惚けようとするが、ラミロは無遠慮にもアレンのポケットに手を突っ込んできた。
「お、おいっ」
「あったあった」
弄っていた手を止め、ラミロはにやっとした笑いを浮かべた。
「ヘルシオン国王の御遣いご苦労さん。それと、ようこそ空賊船ビアンカ号へ」
ラミロは手にした発信機をそっと胸ポケットにしまうと、アレンとハルに向けて歓迎の言葉を述べるのだった。