第三十三話 追跡
レオとラミロは、特別観戦用の脱出口から、脱出用モーターバードに乗ってビアンカ号を目指し飛び出した。
後ろを振り返るが、ソウシン国の国王の隣に控えていたあの臣下が追いかけてくる気配ない。
「思ったよりも簡単に渡してくれな。なんか拍子抜けっつうか」
すぐ隣を翔ける黒ずくめのレオに向かってそう言った。
ビアンカ号は島の南端の際まできており、ルイスは打ち合わせの通りに目をつけられたレオとラミロがイリオン島から無事母船に戻れるよう、揺動作戦として島に向けて次々と砲弾を発射していた。
無論、上空に停空している観戦用飛行船に直撃させるつもりなどさらさらない。
が、状況は大きく変わり始めていた。
レオの読み通り、アポロン号がこの島へと翔けつけ、リンベル王国の大型巡視船に向けて雷撃をおみまいしたことで、リンベル王国の怒りを買ってしまったらしい。
二隻の軍用飛行船はアポロン号とビアンカ号に砲撃を開始し始めたのだ。
「馬鹿言ってんじゃねえ。これ以上この島に長居すりゃあ、ビアンカ号本体も無事じゃ済まねえ」
じっと目を細め、レオは遠くに見えているビアンカ号の船体を見つめた。
「確かに……。早いとこずらかろう」
二人がそんなことを言い合っているとき、レオのベルトに備えつけられている小麦の粒程の小さなランプが青く点滅し始める。
「……なんだこりゃ」
これは、この前 ”死の雨雲 ” で痛い目を見たラミロが、二人のベルトにこっそり備え付けていた機能だった。
「無線機だよ。レオが嫌がると思って黙ってたけど」
呆れた目でラミロを見睨みながら、レオはベルトに手をやる。
「ここ、ボタンがついてる。ボタンを押してる間だけ通信できるようにしてあるから」
全く謝る気はないラミロは、しれっとした様子でベルトのボタンを指差してみせる。
レオが仕方なくそのボタンを押した途端、レオが何か言葉を発するよりも先に、
『もしもし、船長ですか?? 一体どうしてすぐに呼び出しに応じないんです!? さっきからずっと呼び出してるってのに』
という、不機嫌なルイスの声が響いた。
「悪ぃ。今しがたこの機能に気付いた」
レオはぶっきら棒にそう答え、チラッと嫌味を込めてラミロを一瞥する。
『お二人には申し訳ないですけど、そろそろこちらも限界です。砲弾の数も残り少なくなってきてますし、あちらさんも反撃をしてきてますし。ってことで、お二人が戻る前ですけど、先に島を脱出します。お二人は死にもの狂いで追っかけてきてください』
「な!?」
「え!?」
さらっとそんなことを口にするスイスに、レオとラミロは思わず声をあげた。
『では、そういうことですので、一旦通信終わります。また後程』
そしてプツンと通信が切れてしまった。
「死にもの狂いで追っかけて来いだと!?」
レオが吠える。
前方のビアンカ号を見ると、本当にこちらに背を向けて島からの脱出ルートに入りかかっていた。
恐ろしや、船長代理ルイス・カミュ。彼こそが有言実行の男である。
一方のアポロン号は、反撃を開始したリンベル王国側に一切の手加減はしないつもりらしい。
威嚇攻撃だけに止まらず、今度は砲弾を躊躇なく軍事用飛行船に向けて放ち始めた。
そのうちの数発が、雷撃により電気系統がすっかり麻痺してしまっている大型巡視船の後部に見事命中してしまった。
みるみるうちに船体が傾き、イリオン島へと墜落の経過を辿っている。
脱出口からは虫のように次々と脱出用モーターバードが飛び出し、船体の墜落に巻き込まれぬよう、そこから逃れようとしている。
「エリーの奴、本気みてぇだな」
そうさせたの誰でもない、レオ自身だというのに。
「……船長。後ろ」
ラミロが目配せし、レオはふとサイトミラーを確認した。
後方に追手が三機。
真っ赤なドラゴンさながらの目立った一機と、高速で左右上下動き回りながら翔けてくるコウモリさながらの小ぶりな灰色の一機。
それから、真っ黒な鴉さながらの一機。
「ちっ、追って来やがったか」
二人とも、あの真っ赤な趣味の悪いモーターバードには見覚えがあった。さっきのレースで暴走していた一機に違いなかったからだ。
二人はスピードメーターに目をやる。
スピードはこの脱出用モーターバードの最高スピードの八段階に設定されている。
あくまでもこの借り物のモーターバードは、脱出用に設計されたものであって、レースや戦闘用の物ではない。
となると、追手のモーターバードの方がスピードでは遥かに二人の乗る物を凌いでいるということになる。
ぐんぐん差を縮めてくる後ろの三機が近づくにつれ、ラミロはますますうんざりするのだった。
「冗談だろ……。後ろの奴ら、ソウシン国の軍航学校の服を着てるぞ」
しかも三機とも、こちらに攻撃を仕掛けてくる気満々の様子だ。
コウモり型のモーターバードでは、操縦席に女子生徒が立ち上がり、武器のようなものを既に構えており、鴉型のモーターバードも、前方についた武器と思われる筒口をしっかりとこちらに向けている。
真っ赤なドラゴン型のモーターバードに限っては、今にも炎を吹き付けてきそうな勢いだ。二人とも、このモーターバードについてはレース中の火炎放射の様子は目にしていたのだった。
「生憎、この脱出用モーターバードじゃ、十分なスピードも出ねえし、弾も打てねえな」
この切羽詰まった状況というのに、レオはあっけらかんとそう言った。
無線機の呼び出しボタンを押しながら、そんなレオの隣を翔けながらラミロが少し焦っていた。
『はい? 何か御用ですか?』
ルイスのいつもと変わらないゆったりとした返事が無線機から聞こえ、思わず気が抜けそうになるのを、ラミロはなんとか苦笑いでもって堪える。
「あのー、ルイス先生? 申し訳ないんですけど、軽くピンチです。そっちから戦闘用モーターバードを数機援護に回してくれませんか?」
そんな折も、レオは黙ったまま何やら考え込んでいる。
『了解。すぐ向かわせますから、死なずに生き延びててくださいね』
縁起でもないことを言って無線機の向こうでクスッという笑いとともに無線機を切ったルイス。
「マジで死なずにビアンカ号に戻れんのかな……」
迫りくる後方からの追手をサイドミラーゴごしに見つめ、ラミロは溜息をついてそう呟くのだった。
島の北端へと砲弾から逃れてきた人々が詰めかけてきているこの場所は、旧工場設跡である。
この島イリオン島は、数十年前まではリンベル女王の祖母が造らせたモーターバードの大量生産用の工場が稼働していたが、今はその工場も別の島へと移され、
航空学校対抗レース開催地として選ばれるまではひっそりとした場所だった。
だが、レース開催地と決まってすぐ、リンベル女王が島の南端に万全のセキュリティーの筈だったあの、巨大なホテルを急ピッチで建設したのだった。
完璧に整備されたレースコースに、リンベル女王らしい贅沢な観戦用飛行船の数々。
それから、世界的にも人気の高いモーターバードレーサーであるアレン・パーカーを特別ゲストとして招いた上、レースの解説者はあの人気絶頂のビーブス。
何もかもが完璧なレースとなる筈だった……。
ところが、この平和で静かか美しい雪のレース地は、今や恐ろしい戦場と化していた。
観戦客やレース関係者は恐怖し、逃げ惑い、島の南端には悪名高い空賊船が二隻も占拠していた。
それ対抗する為、リンベル女王が指示した軍事用飛行船二隻が反撃するが、既に大型巡視船はイリオン島の地の上で炎に巻かれていた。
森はレースの名残で燃え続け、イリオン島の中心から南にかけは既に火の海である。
「無事で良かった!!」
トニーが大声で叫んだ。
今は使われていない工場跡は、すでに逃れてきた人々で溢れている。
そんな中で、奇跡的に仲間の姿を発見することができたフラン達整備班のメンバーは、人ごみを掻き分けて仲間に走り寄った。
「よく無事で戻ったな」
「すげえ心配してたんだぜ」
双子は、ゾイとラビの顔を見つめた。ラビの顔は煤だらけで、リリーの救出がひどく困難だったことを物語っている。
「心配かけてすまなかった。リリーはシェリアンが付き添って、救急班のところへ向かった」
リリーの無事を報告し、ゾイは整備班のメンバーの肩を叩いて回った。
「あのう……。ハルはどこへ?」
ここに肝心のハルの姿がないことに気付き、フランはひどく心配そうな声で訊ねた。
そんなフランを見た後、ゾイとラビが互いに顔を見合わせて口を噤むのだった。
「どういうことだい?」
そこへ、トニーが追い打ちをかけた。
「……大丈夫、ハルは無事だ」
困ったようにそう答えて、ゾイは言いにくそうにいつもよりも髪が乱れてしまっている自らの頭の上にに手を置いた。
「リリー・グリムソンを森から救出した後、僕らは大型巡視船の墜落現場の真下にいた。もう少しで巻き添えを食らうところで、なんとか逃げ遂せたところで、
奴とバッタリだ」
口籠るゾイの代わりに、ラビは淡々と先程の出来事を語り出した。
「奴?」
「奴って誰だよ」
双子が首を傾げると、
「アレン・パーカー。キザ男に決まってるだろう」
不機嫌に腕組みし、ラビはそう答えたのだった。
「さあ、僕達も整備班の皆と合流しないとね。皆きっと心配しているだろうから」
ハルがそう言って、島の北端を指さし、ゾイもラビも賛同の意味を込めて頷いたちょうどその時だった。
「ハル・シュトーレン君、君に用がある!」
突如姿を表した白鳥そっくりのモーターバードに見覚えがあった。
「アレン・パーカーさん!?」
驚いて思わずハルが声をあげる。
「こんなところで何をしているんです!?」
ゾイがアレンに質問を投げかけた。
「今回はただのゲストの筈なのに、どうして自分のモーターバードに乗っているかって?」
その質問の意図に気付いたアレンが、ゾイの質問を正確に言い直してみせた。
「どのみち、レース後のパフォーマンスか何かを予定していたんじゃないのか?」
鼻であしらうように、ラビがアレンを挟むように反対側に機体を並ばせてそう口出ししした。
「流石がはレーサー一家のエフェクト家の次男。よくわかっているね」
防寒用マスクの上からでもわかる、キザな笑みを浮かべアレンはラビに向けてウィンクを飛ばす。
それを見て背中に一瞬悪寒を走らせたラビは、身震いしてそれを見なかったことにすることにした。
どうやら同じレーサーというよしみで、アレンはラビの家系をよく見知っているらしい。
「君の飛行技術はなかなかのものだ。君もきっとご両親や兄さんのように、いいレーサーになる素質がある」
ぐっと親指を立てたこの男に、ラビは思わずため息をつくのだった。
「というよりも、アレンさん。ハルに何か用があったんじゃなかったんですか?」
話の方向が随分それてしまったことを懸念して、ゾイが修正をかける。
「ああ、そうだった。大事な話だ。心して聞いてくれ」
操縦中にも関わらず、アレンは両手を離して胸の前で手を打ってみせた。
「オレを含め、ハル・シュトーレン君とそのチームの余力のある者にヘルシオン国王陛下から指令が下った」
ぎょっとして、ハルもゾイもラビを彼をの顔を見つめた。
今、国王陛下から指令が下ったとかなんとか彼の口から飛び出した気がしたのは気のせいか? と一瞬耳を疑った程である。
「 ”空賊船を追跡せよ” とのことだ」
俄かには信じられない話だった。ヘルシオン王国の国王が、とてもじゃないがそんな重要な任を航空学校生ごときに任せるとは思えなかったせいだ。
「国王陛下が……? 僕らよりももっと任務に慣れた優秀な人間が他にいるだろう。どうして僕らなんだ?」
ゾイが疑問符を浮かべてアレンに訊ねる。
「生憎、陛下は先程やっとのことで飛行船から脱出し、島の北端で救援をお待ちだ。護衛は数人お連れのようだが、その数は限られていてそれ専門に動ける者が
傍にいないということだ」
事の成り行きを話し、アレンはまじまじとハル達の機体を見た。
結局は、この緊急事態で明らかに人手不足だということのようだ。
「……が、見たところ、ゾイ君の機体もラビ君の機体も損傷が激しいようだな。ちょっとこの任をやり遂げるには無理があるか……」
二人とも、それに対して何も反論することはしなかった。
自分達自身も、もうそろそろ自分達のモーターバードに限界が近づいていることに気付いていたからだ。
「それに比べて、ハル君の機体は目立った外傷もないし、任務を引き受けてくれるって受け取っていいのかな?」
確かに、少しばかり煤で汚れてはいるが、エアリエルは万全の状態と言えた。
ゾイとラビの後ろを静かに翔けていたシェリアンが、何やら心配そうにハルの方を見つめている。
「いくらハルでも、その任務はまだ航空学校生のハルにとって荷が重すぎるのでは? 僕の知る限り、あの空賊船は悪名高い ”黒い悪魔 ” 率いるビアンカ号です。あっちのは、数年前まで巷を騒がせていたアポロン号でしょう? ハルが無事に任務を達成できるという保障はどこにもない」
ゾイが危惧しているのはただ一つ、大切な友人の命が万が一にも失われることがあるかもしれない、ということだ。
「何か勘違いしてるんじゃないか? はっきり言おう。俺だってこんなことやりたくてやってる訳じゃない。俺は生粋のレーサーであって、こんな荷の重すぎる任務なんて真っ平ご免と言いたいさ。でもね、これはヘルシン国王からの命令であって、俺達に拒否権なんて物はどこにもない。今は人手が足りず、国王が使える人材と見込んで俺達に命令を下した。それだけのことだ」
防寒マスクをずらし、アレンは真剣な顔つきでハル達を見やった。
いつもの冗談めかした軽さは微塵も感じられない。
「かと言って、俺だってこんなに若くして死にたくはないからな。こう見えても引き際はよく分かっているつもりだ」
その言葉を聞いて、ゾイはしばし黙り込むのだった。
「あのさ。僕、任務を引き受けるよ」
「ハル! だが、ジェットエンジンの燃料はさっきの救出時にほとんど尽きてしまっているだろう!?」
ふいにハルがそう答えたのに対し、ゾイが慌ててそれを覆そうと試みる。
「うん。でも、通常エンジン用の燃料ならまだ十分残ってる。問題ないよ」
防寒マスクをずらし、ハルはにっこりと笑ってみせる。
「大丈夫、引き際の分かるアレンさんも一緒だし、じいちゃんの造ったエアリエルも一緒だしね」
再び防寒マスクを元の場所に戻すと、ハルはそっとエアリエルのボディーを撫でた。
「ごめん、ゾイたちは先に皆のところへ行って、心配しないでって伝えておいてくれる?」
返事ができないままゾイはそんなハルを見返した。
「それから、シェリアン。最後までリリーを救護班の元まで送ってあげられなくてごめんね」
「そんなことないですわ。十分助けていただきましたもの」
シェリアンは首を横に振った。
「ハル君、ちょっと急がないといけないみたいだ」
アレンが後方の空を指差し言った。
空賊船が島に背を向けて逃走を始めていた。
「今から追いかけないと、見失ってしまう」
そう言って、アレンはモーターバードのハンドルレバーを大きく切って旋回を始める。
「わかった、すぐ出発しよう」
同じく、ハルも旋回を始めた。
「ハル!」
危険な任務に向けて出立しようとしているハルに向けて、ラビが後方から叫んだ。
今まで、ラビがそんな大声で人の名を呼んだことは一度だってなかったから、ハルはゴーグルごしに目を見開いて彼を振り返った。
「必ず無事で戻って来い」
ハルは、返答の代わりに突き出した左手の親指をぴんと伸ばし、”了解 ”と合図を送るのだった。