第三十一話 冷帝vs黒い悪魔
「陛下、コチラへ」
チャン・ルイは自らの主を脱出口へと誘った。
幸い、まだ他の乗客はここへ流れ込んではいない。
だが、直にリンベル王国の軍関係者が、国王達の救助に現れるだろう。
緊急脱出用扉の向こうには、こうした時に備えて脱出用のモーターバードが何機も並んでいた。
「既に部下に連絡をつけ、護衛に向かわせておりマス。脱出のご準備ヲ」
チャン・ルイは鋼鉄の扉を開き、国王ヨウ・メイが中へ進みやすいよう扉を手で押さえた。
「どうもこの気候は余の肌には合わぬ」
暖房の効いていないこの脱出口の近くで、ヨウ・メイは不快そうに肩を竦める。
慌ててチャン・ルイが手にかけていた防寒用の上着を主に手渡すと、それを無言で受け取り袖に腕を通した。
「ソウシン国国王、ヨウ・メイ陛下だな?」
急にその背後から何者かがヨウ・メイを羽交い絞めにし、そいつがそう訊ねた。
「何者ダ!?」
素早くチャン・ルイがそれに飛びかかろうとするが、
「動くな」
と、チャン・ルイの背後から現れたもう一人によって、背中に銃口をつきつけられ、チャン・ルイはそのままの姿勢で固まった。
ヨウ・メイを羽交い絞めにしている男は全身黒ずくめの怪しげな男で、首にはナイフを宛がっている。
「……賊か。何が望みか申してみよ」
まるで怯んだ様子もなく、ヨウ・メイはそう黒ずくめの男に言った。
「オリビアの日誌」
男は、そう一言呟いた。
「笑止。貴様、余にこのような真似をしてただで済むと?」
ヨウ・メイは羽交い絞めにされた姿勢のまま、男に向けてそう問いかけた。
「はっ、生憎俺には怖いものなんてねぇんだよ。それに、アンタを恨んで殺したがってる奴なんてその辺に山程転がってる。別にここでアンタを殺したところで、
俺は有難がられても、困る要素なんて一つも見当たらねぇな」
男は、笑いを込めた声でそう答えた。
「陛下カラ離れロ、この賊が……!」
チャン・ルイが急に身体を反らし、背中に銃口を突き付けていたもう一人の黒ずくめの男の足を自らの足で払いのけた。
「うぉ!?」
男がバランスを崩し、床に片手をついたところで、チャン・ルイの回し蹴りが炸裂する。
『ピシイイイイイイイ』
咄嗟に男がもう片方の腕の甲でそれを受け止めるが、チャン・ルイの攻撃はそれでも留まらない。
次々に拳を繰り出し、態勢を崩した男に攻撃を仕掛ける。
「っとととと!! あぶねえな!!」
男は慌てて持っていた銃を連続で放ち、その弾の一発がチャン・ルイの頬を掠めたところで、一時その攻撃の手が止んだ。
「余にそのような強気な口を叩けるとは。そなた、怖いものがないと言ったな?」
ヨウ・メイは口元を歪ませ、背後の男にそう投げかけ、次にこう続けた。
「面白い。チャン・ルイ、この男に日誌を渡してやれ」
それは驚くべきセリフだった。
「へ、陛下、シカシ……!」
目を丸くし、チャン・ルイはヨウ・メイを見返した。
「聞こえなかったか、チャン・ルイ。余は、この男に日誌を渡せと申したのだ」
有無を言わせぬ強い命令口調で、ヨウ・メイははっきりとそう言ったのだ。
主の命令となれば、仕方がない。チャン・ルイは懐にしまっていた包みを取り出した。
丁寧に布に何重にも巻かれたそれを、彼は銃を手にしたもう一人の男に差し出した。
男はそれを受け取ると、黙ってワンショルダーのバッグにそれを詰め込むのだった。
それを見届けた瞬間、羽交い絞めにしていた男は、ヨウ・メイを突き飛ばすような恰好でそこから離れた。
「動くなよ」
と、男達は銃口をチャン・ルイとヨウ・メイに向けたままゆっくりと後ずさる。
二人が動く気配を見せないことを感じ取った後、男達は背を向けて走り出した。
そして、脱出用モーターバードの操縦席へと飛び乗り、勢いよく飛行船から飛び立っていくのだった。
「陛下、いいのデスカ……?」
チャン・ルイがそう訊ね、ヨウ・メイの表情を見るが、その無表情からは何も読み取れはしない。
「ちょうど良い。あの賊を泳がせ、ゴッド・ウィングの在り処を探させる。あいつらを決して見失うな」
そう、ヨウ・メイは新たに命令を下すのだった。
「御意」
携帯用無線機にて、チャン・ルイはすぐさま弟を呼び出す。
「……フェイか。今、特別観戦用飛行船の脱出口から二機の脱出用モーターバードが出てイッタ。奴らの追跡をセヨ。どんなことをしても、決して見失うナ。これは、陛下のご命令ダ」
『了解。追跡を開始する』
オリビアの日誌は、こうしてソウシン国の国王の手から賊の手へと渡ったのである。