第三十話 砲撃のさなか
「一体何事だ」
ヘルシオン国王は、国王級の来賓用に用意された特別観戦用飛行船の埃一つ見当たらない美しい窓から、爆破され破壊されたホテルの残骸を目にし、椅子から立ち上がった。
国王達に提供された焼菓子と暖かいコーヒーからは湯気が立ち上り、部屋の中にいい匂いが立ち込めている。
ここは、豪華な飛行船の二階である。
今の今まで、五大国の国王がゆったりとお茶を楽しみながら航空学校対抗レースの観戦をしている最中だったのだ。
「今、詳細を調べさせておりますわ」
リンベル女王は、美しい真っ赤なドレスを翻し、緊急連絡用の小型の通信機を従者から受け取ると、
「一体どういうことです!?」
と、それに向けて険しい顔で問いかけていた。
通信機の相手は、おそらく警備を任せられている者だろう。
通信機からの説明を耳にするうち、リンベル女王の顔はみるみる蒼くなっていくのだった。
「……ええ、兎に角、今は賓客である国王たちの安全が第一です。すぐにセロン島への避難誘導を開始し、必要であれば近くにいる巡視船や軍事用飛行船も
招集させなさい」
通信を切ったリンベル女王は、ひどく思いつめた表情で、大きな溜息とともに周囲を見回した。
つまり、各国の国王達の顔を、である。
「一体何があったのですかな……???」
適切な温度に空調を整えられているこの快適な空間の中で、なぜか脂汗を額に滲ませているブセラ国王が、不安そうにリンベル女王を見た。
以前よりも更にげっそりと痩せてしまった苦労性のファンブリッド国王は、オロオロと部屋の中を不必要に歩き回っており、一方、全く変わらない姿勢のまま能面のように無表情なソウシン国の国王ヨウ・メイはじっと窓の外を見つめ、何の反応も示さないでいる。
ヨウ・メイのすぐ傍には、あのチャン・ルイが人形のように静止したまま直立している。
そしてヘルシオン国王は、そんな国王達の様子を観察しならがも、今ここにおかれた現状把握に思考を走らせるのだった。
「皆様。大変申し上げにくいのですけれど……。万全のセキュリティー対策をしていたこの島に、何者かが侵入し、たった今ホテルを破壊したと連絡が入りました……」
リンベル女王がそう言い終わると同時に、真っ青になったファンブリッド国王がヘナヘナとその場に屈み込み、連れていた従者が慌ててそれを助け起こしに向かうのだった。
「一体、その者達は、何が狙いなのです!?」
ブセラ国王は二重あごを震わせながら拳を握りしめた。
「侵入者の狙いは分かってはいません……。それに、今現在もその者はこの島の中を逃走中だということですわ。今、全力をあげて追跡中と連絡を受けております」
顔がすっかり強張っているリンベル女王の顔からは、厚化粧の白粉が今にも剥がれ落ちそうだ。
ヘルシオン国王は黙ってそのやり取りを観察している。
「万全のセキュリティーと? よくもそのような戯言を。万全ならば、鼠が入り込む隙などない筈だ」
外の景色を見つめたまま、ヨウ・メイはリンベル女王を嘲笑うかのようにそう呟いた。
この日の為に、随分な時間と資金を注ぎ込んできたリンベル女王は、そんなヨウ・メイの言葉にかっとなるが、事実こうなってしまっては何も反論する術を持たなかった。
「……今は、皆様の安全を第一に考え、この島の傍の小島、セロン島へとこの船で避難致します。皆様、ご理解いただけまして?」
ブセラ国王、ファンブリッド国王、そしてヘルシオン国王は静かに頷いた。
美しく磨き上げられた巨大な飛行船の窓から、既に翔けつけたリンベル王国の軍用飛行船の姿が現れ始めていた。
「窓の外を御覧あそばせ。軍用飛行船を招集しております。この警備網の中、侵入者が逃げ切れる筈はございませんわ」
国王達が、それならば、と取り合えずは冷静さを取り戻したところで、
『ヒュルルルルルルルルルルル』
と窓の外で不気味な音が響き、すぐに巨大な爆音が地を揺らしたのだった。
「ひいいいいいいっ」
ファンブリッド国王は、蒼い顔をますます真っ青にして、再び床で丸くなった。傍にいた従者さえも、顔を真っ青にしている。
「な、なんだ!?」
ブセラ国王は窓の外を目を丸くし茫然として見つめた。
砲弾だった。次から次へと島に向けて無作為に飛んでくる砲弾は、いつの間にかイリオン島の傍までやってきている空賊船と思われる船から発射されたもののようだ。
ヘルシオン国王はその空賊船をじっと目を凝らして見つめる。
「陛下、あれは空賊船ビアンカ号です」
静かに傍に控えていたホーネットが、ヘルシオン国王にこっそり耳打ちする。
「……なぜこんな島に?」
空賊船ビアンカ号の船長といえば、賊の中でも特に悪名高いとして有名な危険極まりない男だと噂に聞いていた。
その男が率いる空賊船が、各国の重要人物が多々集まるこの島に姿を現したとなると、大変なことだ。
『バリバリバリバリバリバリ』
そして今度は激しい電激の音が窓の外に加わり、国王達は思わず声を失った。
今、目の前のリンベル王国の軍用飛行船が謎の光線により攻撃を受けていたのだ。
なんと、この島の傍までやって来ていた空賊船は一隻だけではなかった……。
通常、空賊同士が手を組むなど有り得ないことだったが、どういう訳か太陽をシンボルとした真新しい空賊船がリンベル王国の軍用飛行船を攻撃してきている。
「あのシンボルマーク……」
ヘルシオン国王には思い当たる節があった。サンダース・ボルマン空軍大将から受けた方向の中に、太陽をシンボルマークとした女空賊の一味の話があったからだ。
後にホーネットによって調べさせたところ、その空賊は数年前に頭替えをしたばかりの空賊の一味で、船は ”アポロン号” という最新式のものだということ。
しかもこの空賊が、盗まれた日誌と深く関わっていることが確かだった。
「こ、これでは飛行船ごと避難するのは無理ではありませんかな!? 下手に動いては、砲弾が直撃しかねない!」
すっかり慌てたブセラ国王は、声を震わせて窓の外を指差す。
「と、兎に角、軍の者に連絡し、脱出用モーターバードの援護に向かわせます……!」
小型の無線機を取り出すリンベル女王を後目に、ソウシン国国王、ヨウ・メイが紺生地に金の刺繍の施された旗袍を翻し、座席をすっくと立ち上がった。
「ヨウ・メイ陛下、どちらに……?」
さっきよりもひどく脂汗を噴き出しているブセラ国王は、ヨウ・メイに問いかけた。
「こんなところに留まる程、余は間抜けではない。余は余で好きにさせて貰う」
振り返りもせず、さっさと観戦用の特別室から臣下一人を連れて退出していってしまう国王に、誰も声をかけることはしなかった。
ハル、ゾイ、ラビの乗ったモーターバードは、スタート地点へと舞い戻ってきていた。
上空では、
『皆様、大変残念な結果となりましたが、航空学校対抗レースは一時中断が決定致しました。長年モーターバードレースの解説を務めてまいりましたわたくしですが、このような事態は全く初めての経験で戸惑っております。今は、レース関係者、並びに観戦客の皆様が無事と安全を祈り、レースの解説を終了をさせていただきます。皆様、わたくしビーブスの解説を長らくお聞きくださったこと、感謝致します。それでは、次のレースでお会いしましょう……! さようなら』
と、解説者ビーブスがレースの解説を終了する旨を懸命に人々に伝えている。
ホテルのあった場所からは、瓦礫の周囲に粉塵があがっている。
この規模の爆発だ。怪我人や死傷者も多数出ているに違いない。
「一体何がったんだ!?」
ゾイは、混乱のさなか、スタート地点で待機していた整備班に向けて問いかけた。
「ゾイ・ボルマン君! 僕たちも詳しいことは知らされていない。だけど、さっき入った島内放送によると、何者かの手によってホテルが爆破されたって……。
リンベル王国の軍から避難指示が出ているよ。僕らもここから避難しないと」
と、トニー・ハンスキーが答えた。
そしてそのとき、ハルとラビがモーターバーの操縦席から降りようとしていると、見覚えのある少女の姿が目に入ってきた。
リンベル王国の代表のシェリアンである。
彼女は金の長い髪を振り乱し、近くを通りがかった救急班の男性の手を掴んで何やら訴えていた。
「どうしたんだろう……? そう言えば、同じチームのリリーは無事だったのかな?」
レースの途中、テイ・ファンの攻撃により大破したリリーのモーターバードのことを思い出し、ハルは心配そうにシェリアンの様子を見ていた。
「ねえ、お願いですわ。もう少し人手を増やして捜索してみて。まだコースの途中に怪我をしたままリリーが取り残されていますのよ!?」
「しかし、急勾配のコースは既に捜索し終え、航空機の残骸も見つかっています。それに、この騒ぎではこれ以上人手を割くことはできませんので……」
救急班の男性は困った表情で、掴まれた手を振りほどこうとしている。
「あなた、それでも救急班の人間ですの!?」
シェリアンは涙を浮かべ、男性に縋るような目向けるが、男性は迷惑そうに彼女を一瞥した。
と、突如、
『ヒュルルルルルルルルルルル』
という不気味な音が響き、巨大な爆音が地を揺らした。
空から落ちてきた ”何か” は、レースコースを僅かに外れたここからは三〇〇カリア程の場所へと落ちた。
驚き、誰もがそれを勢いよく振り返る。
「な、なに……?」
フランが不安そうな表情を浮かべ、メンバーの顔を見回した。
それを皮切りに、次々に空から ”何か” が落下し、イリオン島を揺らす。
気付けば、上空にはいつの間に翔けつけてきたのか、リンベル王国の大型巡視船一隻と、軍用飛行船二隻が飛行している。
「空賊の襲撃だ!!」
空を指差したチーム岩鳥の整備班の生徒達が叫んだ。
「逃げろ!!!」
地上に待機していたレース関係者は一様にその場から翔け始めた。
”何か” とは、空賊船から放たれた砲弾だったのだ。
「今はそれどころじゃない! 離してくれ!」
救急班の男性は、シェリアンの手を乱暴に振りほどいた。
「そんな……!」
その場にぽつんと取り残されたシェリアンは、悔しそうに唇を噛みしめた。
上空からは次々に放たれた砲弾が飛び交い、観戦用飛行船や警備用のモーターバード、モータービートルはパニックに陥っていた。
「シェリアン、リリーの捜索を手伝うよ」
俯いたシェリアンの前にひょっこり顔を出したのは、ハルだった。
「おい、お前一体何言って……!」
ぎょっとしてラビが声をあげるが、そんなラビの肩に手を置き、それをゾイが静止した。
「ああ。僕らは君たちのチームに助けられた。今度は僕らが君たちを助ける番だ」
そう言って、ゾイはシェリアンに手を差し出した。
「……助けてくださるの……?」
目を見開き、シェリアンは二人の顔を凝視している。
「あったり前だよ。さあ、早く行こう!」
ハルは、エアリエルの操縦席に飛び乗った。
「ラビのモーターバードはもう限界が近い。整備班のメンバーとラビは先に避難していてくれ。僕らもリリーを見つけ次第、すぐに避難する」
自らのモーターバードの操縦席に座りながら、ゾイはしかめっ面のラビと、戸惑った様子の整備班のメンバーにそう声をかけた。
「おーい!! ここは危険だ!! 島の北端なら砲撃も届かない。早くここから避難するんだ!!」
リンベル王国の軍人と見られる男が、こちらに向かって手を振っている。
気付けば未だここに残っているのは、チーム風鳥のメンバーとシェリアンだけになっていた。
「おい、この砲撃の中でまじで行くのかよ!?」
「死ぬかもしれないぞ??」
ニコとマルコは顔色を失ってハルとゾイに問いかけた。
『バリバリバリバリバリバリ』
上空で激しい電激の音が響き、リンベル王国の大型巡視船が見たこともない光線に当てられていた。
さっきまでは確かに一隻の空賊船の姿しかなかった筈が、いつの間にやら太陽のシンボールマークが描かれたもう一隻の空賊船の姿が現れていた。
「空賊船が二隻……。大変だ」
眼鏡をずり下がらせながら、フランが声を震わせて言った。
「おい!! 聞いているのか!! そこは危険だ、早くこっちへ来なさい!! あっちに避難用のモータービートルが待機している」
軍人は、手招きして避難を誘導している。
「きっとなんとかなるよ。皆は先に避難していてね。じゃ、また後で!!」
そう言って、ハルの機体はふわりと上空へと舞いあがった。
「すぐに戻る!!」
その後を追うようにシェリアンとともにゾイの機体も上空へと飛び立った。
「二人とも、無事で……!!」
心配そうにそんな三機を見つめるフランの隣で、ラビが「ちっ」と舌打ちをする。
「……くそっ、仕方ない」
そう言って、何かを決心したように、ラビは自らのモーターバードの操縦席に飛び乗った。
メンバーが声をかける暇もなく、ラビはそのまま真っ直ぐに三機の後を追ってモーターバードを飛び立たせるのだった。
「おい!! 君たち!! 危険だ!! 戻って来るんだ!!」
リンベル王国の軍人は、砲弾飛び交う空へ向かって叫んでいた。