第二話 とんでもない思いつき
このスカイ・グラウンドの社会では、上空に浮かぶ島から島への往来の為、多くの飛行船が空を行き交っている。
無論、その飛行船の中には、金品を強奪する等の悪行を働くものもあり……。
人はそれらの飛行船をこう呼んだ。
”空賊船” と。
さて、ここはその空賊船の一隻、ビアンカ号の甲板。
この船は、空賊の中でも得に悪名高い男が船長を務める船である。
誰もが空賊船ビアンカ号の名を聞いただけで縮み上がり、泣く子も黙るこの空賊船。
そんな船の甲板で、こんなたわいもないやり取りが交わされていた。
「またここでサボってたのか」
そう言って金髪を靡かせながら、甲板の出入り口から顔を覗かせたのは、この船の副船長、ラミロ。
「うっせ。気分転換してたと言ってくれねぇか」
気だるげに葉巻を吹かしながらラミロに視線を向けたこの男こそ、この船の船長、レオ。
日に焼けた褐色の肌が、だらしない黒の前開きのシャツから覗き、割れた腹筋が日光で僅かに反射している。若いとはいえ、かなりの数の死線を潜ってきたことがその鍛えられた肉体から読み取れる。
「みんな探してたぞ。もうすぐスピッツバード島に到着だとさ」
「ああ、すぐ行く」
レオは葉巻の灰を甲板からふるい落とし、小さく頷いた。
「久しぶりの陸地だ。みんな羽伸ばせるってウズウズしてるよ。船長のお前がいなきゃ、締まらないしな」
ラミロはふっと顔を緩ませ、レオに笑いかけた。
「まあな。俺はどっちかっつうと、我が家(ビアンカ号)の方が落ち着くんだがよ」
そう言って、レオは最後の一吸いを済ませ、短くなった葉巻をぽいと甲板から船の外へ放り投げた。
「そう言うなよ。スピッツバード島もそう悪かないぞ。なんてったって、今週末開催されるモーターバード世界大会のレース地だ」
ラミロはぐっと扉の外へ身体を乗り出し、甲板へ一歩進み出る。
レオとは打って変わって、副船長としては不釣り合いな白いシャツがハタハタと風ではためいた。
この白いシャツ姿だけを見たならば、きっと誰も彼をこの悪名高い空賊船ビアンカ号の副船長だなんて思いもしないことだろう。
「そりゃ楽しめそうだ。賭けようぜ、副船長」
「そうこなくっちゃ」
二人は、にかっと笑い、少しずつ近づいてくるスピッツバード島のシルエットを愉快気に見つめるのだった。
一方、ここはハルの修理工場のある丘の上である。
天然の緑の芝生に覆われ、ここからはスピッツバード島の中心街を全て見渡せるようになっている。
そして、ハルと祖父がいつも修理後の試乗に使っていた場所で、幼い頃からのハルの庭のようなところでもある。
広く、何もないので、操縦の練習にはもってこいの場所だったのだ。
この日、パン屋の主人から預かっていたモータービートルの修理を終えたハルは、いつものごとくこの丘の上で最終チェックを行っていた。
「さあ、頑張れポンコツ。エンジンを取り替えたんだ。お古のエンジンだけど、まだまだ数年は飛べる筈だよ」
昨晩修理を終えたばかりのパン屋の主人のモータービートルは、エンジンをかけたとたん、けたたましい羽音を鳴らし、サイドについている羽部分を勢いよくはためかせた。
「よし、エンジンの調子はいいみたいだね」
一人乗り用の操縦席に飛び乗り、ハルは両脇にシートベルトを手際よく引っ掛けた。
年代もののパン屋のモータービートルは、剥げかけた緑の塗装から、まるでコガネムシのようだ。
「よし! おじさんの店までひとっ飛びだ!」
首にぶらさげていたハルの頭に少しばかり大きすぎるゴーグルを嵌め、操縦用のレバーを力いっぱい引き寄せた。
途端、ぶわりと風が吹き上がり、モータービートルの身体が宙に浮いた。
周囲の芝生が円くざわめく。
「離陸も問題無し! よしよし、いい子いい子」
嬉しそうに機体を優しく一撫ですると、ハルは再びレバーを左右複雑に一気に動かす。
ビンビンと羽音を鳴らしながら、機体は想像以上に軽く丘を街の方へ向けて下ってゆく。
「上出来だよ!! さっきはお前をポンコツだなんて言ってごめんよ、お前はまだまだポンコツなんかじゃない、現役さ!!」
上機嫌でハルはさらにサイドレバーを引き上げ、高度を上げてくゆく。
ぐんぐん地上から遠ざかり、街の外れに辿り着く頃には時計台の鐘が遙か下に見える。
「あ! あれはマリアンだ!!」
時計台の下で鐘を鳴らす少女の姿を小さく見つけ、ハルは今度はレバーを引き下げ降下させた。
「マリアン!! おはよう!!」
「まあ、ハル!! おはよう」
驚いたように、そばかすの少女が時計台の窓から手を振る。
「今からパン屋のおじさんのところへ、こいつを届けに行くところなんだ!!」
「そう! 気をつけてね!!」
「うん! またね!!」
微笑みながら手を振るマリアンに大きく手を振り、今度は真っ直ぐパン屋へと方向転換した。
街の上はハルの操縦するのと同じようなモータービートルがあちこちを行き交う。
色や形は様々。その殆どが家庭用の物ばかりだ。
「街はすっかりスピッツバード世界大会一色だなあ……」
港の近くにあるパン屋の店に向かう途中、ハルは週末から始まるモーターバードの世界大会に向けて港で着々と準備が進められていることに気付く。
無人気球からは、”スピッツバード世界大会” の大きな垂れ幕が下がり、行き交う人々やモータビートルの運転中に視界に入るようにしてある。
「パン屋、パン屋っと……」
気にはなりつつも、ハルはパン屋の赤いレンガの建物を見つけ、旋回してからゆっくりとレバーを引き下げる。
足元に操縦席のすぐ脇のボタンを押すと、モータービートルのお尻部分から着地用の錆びた鉄の足が現れた。
足元のペダルを数回踏んでスイッチを切り替えるごとに、忙しなく羽ばたいていた羽の動きが徐々に速度を落としてゆく。
店の傍にふわりと舞い降りたモータービートルに、パン屋の主人が慌てて店から手を振りながら飛び出して来た。
「お前さんの操縦には、いつも惚れ惚れするよ!」
「こいつ、ちゃんと直ったよ。エンジンを取り替えておいたから、まだまだ飛べるよ」
エンジンを切ると、ゴーグルと両脇に通していたシートベルトを外し、軽やかにハルは機体から飛び降りた。
「流石だな。お前の手にかかりゃ、どんなポンコツだって魔法みたいに蘇るってなもんだ」
約束の代金をハルに手渡し、パン屋の主人は予め用意しておいた焼きたてパンを包んだ紙の袋も一緒に差し出す。
「これも持ってけ。まだ飯食ってないんだろう?」
「ありがとう」
へへっと笑い、ハルはそれをありがたく受け取る。
「そうだ、ハル……。昨日の事なんだが、大丈夫なのか?」
主人が心配そうな顔でぽりぽりと頭を掻いた。
「だ、大丈夫だよ! なんともないから」
祖父の借金のことをパン屋の主人に知られやしまいかと冷や冷やしながら慌てて苦笑いを作る。
「本当か? もし何か困ったことがあったら、遠慮せず言ってくれよ? 俺も随分お前のじいさんには世話になったんだ」
「心配いらないって。大丈夫だから!」
慌ててモータービートルのキーを主人に手渡すと、ハルはくるりと反転して駆け出す。
「ごめんおじさん! ぼく、今日は午後からもう一件仕事があるんだ! 急ぐからもう行くね!」
手を振って駆け出すが、再び借金のことがハルの頭を悩ませ始め、パン屋の主人の店が見えなくなったところで、走るのを止め、とぼとぼと歩き始める。
(はあ……、一八〇ビベルか……。そんな大金の充てなんて一体どこに……)
ぼんやりとレンガ造りの壁に貼られたポスターに目をやり、はあと溜め息をつく。
「参加者募集……か」
そう言って一旦そこから立ち去ったが、物凄い勢いで反転してまたもやポスターに釘付けになる。
「優勝賞金二〇〇ビベル!?」
ベリっと壁からポスターを引っぺがし、ハルは目をきらきらと輝かせる。
「これだ!!!!!」