第二十五話 プランB
森のコースを抜けたリリーとマーサのモーターバードは、なんとかソウシン国のコウ・リンからの攻撃から逃れ、コースの合流地点へとやってきた。
先頭を翔けるゾイの1〇カリア程後方に滑り込んだ二機だったが、その後ろにソウシン国のもう一機、テイ・ファンの鴉そっくりのモーターバードが待ち受けていたのだ。
そのまま、コウ・リンのコウモリ型モーターバードはリリーとマーサのモーターバードの右後方に、そしてテイ・ファンの真っ黒い不気味なモーターバードは左後方に迫っていた。
「まずいわ、挟まれる!!」
リリーはサイドミラーに映ったソウシン国のモーターバードを何度も見る。
「今は逃げ切ることが先決ね、ここから先のサークルは見過ごしましょう」
二人は頷き合った。
ここからは急勾配の坂道が続くコースだった。
ここに設置されたサークルをクリアーしながら逃げ切るのは至難の技だ。
「この周回で五つもサークルミスするのは痛いけれど、仕方ないわ」
そう言って、二機が急勾配を全く無視して直線距離で飛行を開始しようとした瞬間にそれは起こった。
「!?」
突如、すぐ脇を翔けていたマーサの機体がリリーの視界から消えたのだ。
その直後、何かがバサバサと散っていくような、奇妙な音を聞き取り、リリアンは何気なくサイドミラーに視線をやった。
と、そこで目にしたのは、バラバラに切断されたマーサの薄桃色のモーターバードが後方に花弁のように散っていく瞬間であった。
リリーは、一体何が起こったのか状況がまるで呑み込めずに、目を見開きサイドミラーを凝視する。
「マーサ……!?」
さっきまですぐ隣を翔けてい筈のたマーサの機体が、見るも無残な状態へと変貌していたのだ。
まさに一瞬の出来事だった。
「おい!! 何ぼうっとしている!! 逃げろ!!」
突如、すぐ前方から大声で誰かが叫んでいるのを聞いて、リリーははっと我に返る。
右後方を振り向くと、コウモリのようなコウ・リンのモーターバードのカバーガラスは開け放たれ、彼女自身の手には既に武器が構えられていた。
そして、左後方には、不気味なテイ・ファンの鴉型モーターバードが何やらリリーのモーターバードに標準を合わせているようであった。
テイ・ファンのモーターバードの両サイドに埋め込まれた筒型の穴から、何かを発射するつもりのようだ。
「直進すると、奴らの餌食になるぞ!! 兎に角、動き回って標準を定めさせない方がいい!!」
前方から叫んでいたのは、ヘルシオンの代表、ゾイ・ボルマンであった。
「わ、わかったわ……! でも、マーサが……」
「今はレースに集中した方がいい。でないと、僕らも同じ道を辿ることになる」
話をする為一時的にカバーガラスを解除しているゾイは、防寒用マスクごしにそう話した。
「面倒なのは、コウ・リンの縦横無人、ランダムに動き回るモーターバードとその武器。動きが非常に読み辛い……。それに、テイ・ファンのモーターバードに前方約一五カリアあたりまで射程圏内と思われる武器が備わっているところだ」
驚いたことに、この少年は先頭を翔けながらも、後ろで起こった出来事を冷静に観察し、ここまで情報を整理していたのだ。
その間も、コウ・リンが操縦席に立ち上がり、ヌンチャクを勢いよく振りかざしている。
ゾイの目配せで、リリーは咄嗟にその攻撃を避けた。
ヌンチャクは空を切ってリリーのモーターバードに当たることはなかった。
「気をつけろ! テイ・ファンに標準を合わせさせるな。僕の読みだと、奴のモーターバードに備えられている武器は、特殊合金か何かで作られたワイヤーの一種だろう」
つまり、マーサの機体はテイ・ファンのモーターバードから発射された武器によって、大破させられたということになる。
「じゃあ、マーサは……」
リリーはその武器の威力にぞっとした。
人を容易に殺せる程のものだと瞬時に悟ったのだ。
そして同時に、マーサの命が失われたのではないかという恐怖に襲われる。
「避けろ!! 来るぞ!」
今度はテイ・ファンのモーターバードの筒口から、銀色に光る糸のような物が勢いよく発射された。
ぎりぎりのところでリリーの翼の端っこを僅かに掠めていった。
リリーはハンドルレバーを握る手が汗ばむのを感じた。
「心配するな、君のチームメイトはおそらく無事だ。武器が大破させたのは主に翼部分だった。操縦席に直接武器は当たってはいなかったから」
そう言って、IQ二〇〇の天才と謳われる少年は、カバーガラスを再び元の状態に戻した。
そうして、見事設置されたサークルを潜り抜けたのだった。
「ちいっ、ヘルシオンの邪魔が入った」
コウ・リンは無線機の向こうの相手に向けて愚痴を溢した。
『……四周目からは俺も参戦する』
『なんてことだ!! チーム氷鳥のマーサ・カルロッテ選手のモーターバードが、大破しました!!!』
ビーブスの悲痛な声が響く。
そして、両方の翼をバラバラに砕かれたマーサの薄桃色のモーターバードの無残な姿が大画面に映し出され、観客席のあちこちから悲鳴があがった。
「ひどすぎる……」
フランは茫然として呟いた。
少し前のこと、ファンブリッド王国のチーム光鳥の合体モーターバードを操縦していた二人が、救急班にの手によって運ばれてきたのを目にしたばかりだった。
ここからではよく見えなかったが、二人のうちどちらかは額から出血していたようで、雪面に転々と血の滴が落ちていた。
ひどい怪我でなければいいが……。
もう既に、これは航空学校対抗レースという名の戦争と化していた。
スピードや技術というよりは、敵チームを妨害し勝ち残った方が勝者となる、そんな単純で恐ろしい弱肉強食のレースだ。
レース中の妨害は合法とされ、特に規定がないのは、真っ当な勝負を望む者たちにとっては、大変辛く厳しいものであった。
現在、四周目を首位で翔けるゾイだったが、その僅か3カリア程後方をリンベル王国のリリーが続く形となっていた。
どういう経緯かはわからないが、ゾイはわざと少しペースを落とし、彼女に何やら指示を送っているようにも見える。
そんな二機のすぐ後ろをコウモリのように飛び回るモーターバードの操縦席の上で、ソウシン国のコウ・リンがヌンチャクを勢いよく振り回し、隙あらばテイ・ファンの鴉そっくりのモーターバードが破壊力抜群のワイヤーを筒穴から発射し、糸切りの容量で二機ののモーターバードの破壊を狙っているのだった。
『チーム風鳥のメンバーに告ぐ。反撃と防御の術を持たない僕のモーターバードでは、この状況でそう長くはもたない。僕が五周目に突入する瞬間、プランBに移行してくれ』
全員に手渡されていた携帯用無線機から、突如ゾイの声が響いた。
「了解」
ラビは、無線機に向かって返答すると、素早くとヘルメットを装着し、既にエンジンをまわして温めてある自らのモーターバードに飛び乗った。
急勾配のコースを抜ければ、あとは直線コース。
ゾイは間もなくここを通過するだろう。
プランB。
即ち、ゾイとラビの二人でサークルのミスなしで十三周を翔けきる、というプランAが続行困難な場合にのみ予め用意していた計画であった。
この計画はゾイとラビが同時飛行し、それぞれを助長し合いながらレースを有利に運ぶという内容のものだ。
予想よりも早い計画移行ではあったが、ラビにとっては不本意なものではなかった。
寧ろ、自身の力を世間に見せつける絶好のチャンスだと喜んだ位だ。
だが、その後再び無線機から流れたゾイの言葉に眉根を寄せるのだった。
『整備班、早急にラビの機体にありったけの潤滑油を小袋に分けて積み込んでくれ。』
「潤滑油? ゾイ先輩、そんなもの一体何に使うつもりです?」
フランの指示のもと、慌ただしく潤滑油をかき集め始めた整備班のメンバーを横目にラビが訊ねた。
『僕に一つ考えがある』
ゾイはそうとだけ答えた。
「あの……、もし良かったら、これも使って」
戸惑いがちに近づいてきた少年を見やったフランは、彼の手にぶら下がった潤滑油の入った透明ケースを見つけた。
「えっと、これは?」
フランが訊ねたとき、ふと彼の服がブセラ航空学校の防寒服だと気づいた。
真っ黒に日焼けする程の灼熱の島からやって来た彼らにとっては、この気候はあまりに過酷らしく、その手はカタカタと小刻みに震えている。
「うちのチームのサーリヤがソウシン国の奴にやられた。あとの二人が懸命に追ってはいるけど、もう半周以上の遅れをとっている。
きっと、もう追いつくことは難しいだろう……。でも、俺達の国じゃ、昔からこういう教えがある。”転んでも、ただでは起きるな” 」
ブセラ王国の少年は、意を決したようにフランを見つめていた。
「ありがたく、貰っておくことにするよ」
フランは少し驚いた顔をしていたが、大人しくそれを受け取っておくことにした。
そして受け取ったそれをゴム製の袋に流し込み、ラビの機体に潤滑油を積み込んでいるトニーに急いで投げ渡した。
「よし! 潤滑油はたっぷり積み込んでおいたぞ」
そうトニーは無線機でゾイに報告する。
『感謝する。あと三十秒でそっちを通過する。カウント開始」
双子が素早く準備していたタイムウォッチのスイッチを入れた。
ラビは、ハンドルレバーを握りしめ、エンジン全開で構える。
三、二、一……
タイマーの音と共にゾイの縦縞模様のモーターバードが勢いよくスタート地点のすぐ傍を通過し、ラビのモーターバードも完璧なタイミングで飛び去っていった。
それと同時に隣のリンベル王国最後のモーターバード、シェリアンの操縦するモーターバードと、数秒遅れでソウシン国チャン・フェイのモーターバードが飛び立っていった。
これはまた、波乱の予感である。
「ラビ、今から僕の計画を話す。この計画の成功には、君の力が必要だ」
五周目から加わったチームメイトに向けて、ゾイはモーターバードのカバーガラスをオープンして話した。
どうやら、ソウシン国による無線機盗聴を疑っているらしい。
「どういうことですか? 潤滑油なんてもの、一体何に使う気です?」
ゾイに合わせて、カバーガラスをオープンにしたラビは慌ててゴーグルと防寒用マスクを着用し、怪訝な顔でゾイを見た。
ゾイはサイドミラーを見やった。
僅か三カリア程後ろにリリーのモーターバード。
そして、同じように五周目から加わったシェリアンのモーターバードがその隣に寄り添うようにして翔けている。
その後はまるでハンターのように、ソウシン国の二機が自分達やリリー達のモーターバードを追ってきていた。
「いいか、このジグザグのコースを抜ければコースが二つにわかれる。森のコースと枯れ木のコースだ。そこで、僕らは二手に分かれて飛行しよう。君の操縦技術なら、森のコースを抜けられるだろう。僕はこのまま枯れ木のコースを進む」
「二手にわかれる!? それこそソウシン国の奴らの思うツボなんじゃないですか? プランBはそもそも、互いの飛行を助長し合う為の計画だった筈です」
ラビはゾイの考えに納得できず、反論する。
「ああ、君の言うことは正しい。けれど、君がここに加わったことで勝算ができた。君の操縦技術と潤滑油を併用するんだ」
小袋に分けて積み込んだ潤滑油に目をやり、ラビが首を傾げた。
「この潤滑油を、一体何に使うんです?」
そうラビが訊ねると、ゾイは親指を後ろのコウモリ型モーターバードに向けた。
ゴーグルと防寒用マスクに覆われていて、表情はまるで読み取れないが、ゾイはなぜか少し笑っているようにも見える。
こんな状況にも関わらずだ。
「森のコースへとコウ・リンを誘い込むんだ。そこで、おそらくはあっちは攻撃をしかけてくる。操縦席で危険極まりない武器を容赦なく振り回してくるだろう。そこを狙うんだ。潤滑油の入った袋を投げ込んでやれ。油で滑って武器がうまく扱えなくなる上に、滑りのよくなった操縦席の上でああしてバランスをとって立ち上がることもできなくなるだろうから」
ラビは思わず声をあげて笑った。
「なるほど、そういうことですか」
流石はゾイ。
この不利な状況でもさまざまな状況を過程し、いつも最良の手を打つ。
頭脳戦で彼の右に出る者はそうはいないだろう。
「ある意味、君にしかできない芸当だ」
ゾイはそう付け足した。
防寒マスクの中で、ラビは思わず笑みを漏らした。
今までどれ程努力を重ねても、決して追いつけはしないと思っていたあの天才ゾイ・ボルマンが、今、こうしてラビの操縦技術に絶対の信頼を置いていることに、喜びを感じない筈はない。
とは言え、あの木々生い茂る森の中を、あの高速に動き回るコウ・リンのモーターバードからの攻撃を避けつつ、ある程度潤滑油の入った袋をぶつけられる距離まで近づく
のは、至難の技だ。
「話は聞きましたわ。わたくしたちも助太刀します」
突如、後ろから声をかけてきたのは、リンベル王国のシェリアンだった。
「勘違いなさらないでね。今さっき、チームメイトのリリーからゾイ・ボルマンに先程助けてもらったと聞いたので、単にその借りをお返しをするだけですから」
ヘルメットに入りきらない金の長い髪を風に靡かせ、シェリアンはそう言ったのだった。
「わたくし達のモーターバーは、雪面を滑走するのを得意とします。あの格闘娘の気を少しの間こちらに引き付けるくらいならできますわ」
これは、願ってもない申し出だった。
ゾイがそれに対して無言で頷いた。
いよいよ、コースのわかれ目が目前に迫っている。
「僕は、テイ・ファンを枯れ木のコースに引き付けておく」
そう言って、ゾイはカバーガラスを元に戻した。
ペダルスイッチを切り替え、スピードを一段階落とすと、わざとテイ・ファンの攻撃があたりそうな場所へと躍り出たのである。
「コウ・リンは任せてください」
ラビもカバーガラスを閉めた後、ハンドルレバーを左に切って森のコースへと突入していく。
そして、リリーとシェリアンもその後に続くのであった。
狙い通り、テイ・ファンのモーターバードは枯れ木のコースへ、コウ・リンのモーターバードは森のコースへと進む。
本人達も、まだまんまと誘い込まれたとは気づいてはいないだろう。
テイ・ファンのモーターバードの筒からワイヤーをゾイの機体に向けて発射しようとした瞬間、ゾイは一気にスピードを最速の十段階へと切り換え、勢いよく回転を始めた。
縞模様を利用した、目の錯覚を誘う究極の飛行術だ。
「整備班に告ぐ!! 今から僕とラビでなるべく時間を稼ぐ。その間に、ハルのモーターバードに今から僕が言う整備を加えてくれ。それが出来次第、すぐに連絡を!!」
高速に回転する中で、ゾイは無線機でチームメイトに呼びかけた。
敵はコウ・リンとテイ・ファンだけではない。
忘れてはいけない、チャン・フェイという凶悪な存在を……。