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第一話 その少年、ハル

 

物語の主人公はこの少年。


彼の名はハル・シュトーレン。


彼は、このスカイ・グラウンドの人工島の一つ、スピッツバード島の丘の上に暮らしている。

 

まだ十三歳のハルは、先週唯一の家族である祖父を亡くし、祖父が細々と経営していた小さな修理工場を、たった一人で守ろうと、懸命に働いていた。




あともう少し彼のことについて補足しよう。



ハルの祖父が残した修理工場は、スピッツバード島の丘の上に建っていて、街からは少しばかり離れている。


修理工場のすぐ裏手には、ハルと祖父が生活をしていた自宅もあって、急ぎの修理仕事なんかが入ったときには、いつだって工場に入って仕事に熱中できる訳だから、使い勝手はすこぶる良い。

 

さらに言えば、周囲は開けた小高い丘。


修理済みのモータービートルなんかを、メンテナンスで飛ばしたりするにも最適の場所だった。


まさに修理工場としては最高の立地条件だ。

 


修理工場は随分年季が入っており、工具はどれも古いものばかり。

 

それでも、ハルにとっては昔から街の人々に慕われ、愛されてきた祖父の自慢の工場だった。

 

現在は、従業員は一人。


十三歳になるハただ一人だけである。





「はあ……」

 

ハルは、遮熱用の古びた顔面保護マスクを外しながら溜息を洩らした。


「どうした、そんな溜息なんかついて」


祖父の代からのお得意さんでもある、街のパン屋の主人がハルの上から小太りの身体で覗き込んだ。


身に着けたいかにもパン屋らしい前掛けのエプロンには、あちこちに小麦粉がこびり付いている。


きっとついさっきまでパンの生地を作っていたのだろう。


エプロンを取り忘れてくることから、この主人がよっぽど忘れっぽいことが伺える。


「ぼく、今溜息なんてついた?」

 


パン屋の主人は丸っこい目をますます見開いてて、驚いた顔でハルを見つめる。


丸い顔が際立って丸く見える程に。


「あ、ああ」


パン屋の主人の、戸惑ったような返事と同時に、それと重なるようにして凄まじい鉄の音を響かせて、修理工場の立てつけの悪いドアが勢いよく開かれた。


驚いて振り向いた二人のすぐ後ろで、開け放たれたドアがゴトンと鈍い音を立てて固い土の床上に転がった。



「おい、じいさん!!」


そう言って、転がったドアを跨ぐようにして、小柄なスーツの男が修理工場の中に足を踏み入れてきた。


「なんだい、なんだい、こりゃ一体どうしたってんだ??」


あたふたとパン屋の主人は壊されたドアとハルを交互に見ている。


そんな様子もお構いなしに、この小柄な男は酷いがに股でふんぞり返って足を進み入れる。


その背後から、三人の黒ずくめの大男達が次々に修理工場の元ドアのあった場所から中を伺うように一人、また一人と足を踏み入れてくるのだった。


「お~~い、じいさん、どこに隠れやがった~~??」


ハルは、むっとして男に投げかける。


「あなた達、一体何なんですか!?」


「ああん!?」


ようやくハルの存在に気が付いたその男は、顔面をこれ以上にない位歪ませて、十三歳にしてはあまりに小柄なハルを、頭から足の先までじっと見下ろした。



「なんだお前。おい、チビ、じいさんはどうした」


「チビじゃありません! ぼくは孫のハルです。要件は何ですか? ぼくが伺います」


嵌めていた黒く油で汚れたゴム手袋を脱ぎながら、ハルは丸椅子から立ち上がった。


「はん、じいさんに孫がいたのか。こりゃ初耳だぜ!」


愉快そうに笑みを浮かべ、男は後ろの黒ずくめの男達に目配せする。


「一体どなたなんですか?」


「チビ、今すぐじいさん呼んできな。ガキには用はねえ」


男はそう言って、黒いスーツにはまるで不似合な程のオレンジと黄色の度派手なネクタイをわざとらしく締め直して見せた。


一息ついてから、ハルは口を開いた。



「祖父はいません」


「はあ? なんだと?」


間髪空けずに、男はハルににじり寄る。ハルが祖父を匿っているとでも思ったのだろう。


ところが……、


「祖父は先週亡くなりました」


「じいさんが死んだ!?」


至って真面目な表情のまま、ハルがそう言ったのを耳にした途端、男は顔を真っ赤にして近くに転がっている部品の入った瓶を蹴り飛ばした。


直後、瓶が粉砕するガラス特有の音が修理工場の中に響く。


「ええ。だから、今はぼくがここの修理工場長です」


ハルは、祖父の工場を荒らされることに不快な表情を浮かべ、じっと割れた瓶と散らばった部品に目をやった。


「そりゃあいい。おい、お前ら、このチビが工場長だとよ」


男は、図体のでかい黒ずくめの男達に向けて愉快そうに言った。


「ちょっと、あんた、人の修理工場に勝手に入って、そんな乱暴なこと」


一部始終を見ていたパン屋の主人が、あまりに横暴な男の態度に堪り兼ね、とうとう口を挟む。


「黙ってな、おっさん。てめぇにゃ関係のねえ話なんだからよ」


「関係ないって、あんたな……」


腕まくりして、今にも男に飛び掛かりそうなパン屋の主人の様子を見て、慌ててハルが静止をかける。


というのも、男の後ろに控えている三人の大男達が、それに合わせて臨戦態勢に入ったのを視界の端に捉えたからだ。


あんな男達三人を相手に、いくらパン生地相手に腕を鍛えたパン屋の主人といえど、ただで済む筈がない。


「おじさん、大丈夫だから今日はもう帰って。明日の午前中には必ず修理してお店に届けるから」


「いや。でも、ハル……」


ハルは強引にパン屋の主人の背を押し、修理工場から追い出してしまう。


パン屋の主人が渋々工場を後にしたことを確認すると、


「これで心置きなく話ができる」


と、男は嫌な笑みを浮かべた。



「で、用件とは?」


「金を返してもらいに来た」


ハルの問いに、男ははっきりとそう答えた。



「お金……?」


男が胸ポケットから書類のようなものを取り出し、小さなハルの手に渡す。

 

ハルは訝し気な様子でそれを受け取ると、そっとその書類に目を通すのだった。



「じいさんが数年前にオレから金を借りたときに作成した契約書だ」


「じ、じいちゃんが借金!?」


男の言葉にぎょっとして、ハルは目を丸くしながらもう一度契約書に視線を落とす。


「貸したのは一〇〇ビベル。利子と合わせて一八〇ビベルだ。来週がその返済期限日だ」


「一八〇ビベル!? 借りたお金のほとんど二倍じゃないか!!」


祖父が借金をしていたなどと、全く覚えのないハルは、驚きとショックでくしゃっと契約書の端を思わず握り締めた。


「さっきお前はじいさんの孫で工場長だと言ったな? それなら話は簡単

だ。じいさんが死んじまったんだ、代わりにお前が払え」


「そ、そんな……。うちにはこんな大金なんて……」


とんでもない事実と、無理難題なことをあっさりと言い切った男の顔を、ハルは愕然として見つめた。


「払えねえってのか?」


男は、急に真顔になって、ハルに詰め寄った。


「もし返せなかったら、どうなるんです……?」


とてもじゃないが、ハル自身にもこの工場にもそんな大金は払える訳がない。そう思ったハルは、一応男に最悪のパターンについて訊ねてみた。


「きったねえゴミ溜めみてぇな工場だが、立地場所は悪くねぇ。払えねえ場合は代わりにここを貰ってやってもいいぜ」


腕組みして、にやにやと男が笑みを浮かべる。


「この工場を!? 駄目です! 絶対そんなの!!」


ハルは真っ青になって叫ぶ。


「じゃなきゃ来週までにきっちり一八〇ビベル返済するこったな、ヒャハハ」


愉快そうに反り返って笑いながら、男はハルを見下ろした。



「わかりました……。来週までに返済すればいいんですね?」


男が予想外のハルの返答に笑いをぴたりと止める。


「けっ、返せるもんなら返してみやがれ。可愛くねえガキだ」


ふんっと鼻息をついて、男は不機嫌にくるりと反転した。



「いいか、来週までだぞ! 少しでも遅れたら、この場所はオレのものだと思え! 行くぞ」


ぞろぞろと大男達を引き連れて入り口から出ていく。




「……」


壊されたドアと、散らばったガラスの破片と部品達を、放心したまま見つめ、どさりとハルは丸椅子に腰を落とした。


「じいちゃん、いつの間に借金なんか……」


そう言って、作業机の前に圧しピンで刺された祖父とハルの思い出の写真に向かって呟くのだった。


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