幽霊音波
「えっ、上田さんって幽霊信じてるんですか、マジで?」
驚きと呆れをぴったり半分ずつ混ぜた声が後部座席から届いた。
夏に雇う臨時バントの声はいつも大きい。
暑さのせいか、若さのせいか。いずれにしろ耳には優しくない。
「何でも屋がそんなんで大丈夫なんすか。
今回みたいな仕事の時にヤバいじゃないっすか」
「ヤバくてもやるのが仕事なんだよ。
それに幽霊は怖いが他のものだってたいがい怖いだろ。
虫も怖いし蛇も怖い、ヤクザ、半グレ、警察、大家。
家出少女にストーカー、地震、雷、火事、親父。
怖くないもの探す方が難しい」
「にしたって幽霊はないっしょ。今は令和っすよ」
いかにも令和の若者らしい、どこまでも軽い調子で木下が笑う。
「昭和だろうが令和だろうがいるものはいる」
「昭和の発想こわっ(笑)、上田さん、ちっとはニュースとか見た方がいいっすよ」
「ニュース?新聞の一面で幽霊の絶滅を見た記憶はないんだがな」
「あーっと、これこれ。結構最近話題になってたやつだけど知りません?」
運転中のドライバーにスマホを突き出して見せるなと注意するか上田は迷ってやめた。
どうせ今回だけの付き合いだ。
以前雇った浜田とかいうクソガキのように従業員教育を理由にムカついたので帰りますと言われたのではたまらない。
それに幸い木下が見せてきたニュースは上田にとって既知のものだったので余所見運転は一瞬ですんだ。
「あぁ、そのニュースか」
「は?知ってたんすか。じゃあ何で幽霊なんて信じてんの」
幽霊の正体は超低周波音が原因?
記事はそんなタイトルで始まっていた。
細部の内容は忘れたが大雑把な流れとしては海外の研究チームが幽霊が出ると言われている施設を科学的に調査した結果
そこでは配管や空調システムの振動による超低周波音が観測された。
試しにこの音を止めてみたところ心霊体験を主張する声は激減。
人々を不安にさせてきた幽霊は知覚不能な音波が脳に幻覚を見せていたに過ぎなかったのだという流れだったはずだ。
「一応言っておくが研究チームは幽霊の正体は超低周波音だと断定はしてないぞ。
あくまで検証結果の一つを論文として発表しただけ。
日本のニュースサイトじゃアクセス稼ぎのために断定口調にしてるとこが多かったけどな」
「でもそれは厳密な立証にはなってないってだけで8割正解でしょ」
残り2割は何だよと上田は内心で突っ込む。
履歴書に書かれていた木下の学歴は日本では一流と称されてる大学の2年生のはずだがそれでもこうなのか。
「科学的って言葉を聞くと無条件にそれが正しいと思い込んでしまうけどな、世界はそんな単純ではないぞ」
「はーっ、意味わかんね。じゃあ逆に上田さんは幽霊がいる証拠持ってるんすか」
むっ、と上田は黙り込む。
反論が出来ない、というわけではない。反論した結果どうなるかについて考えてしまったのだ。
今日の仕事を無難にすませるつもりならここで引き下がった方がいい。
他人を論破して喜ぶのは馬鹿のすること、互いに信じたいことだけ信じてすれ違って生きればいい。
そう思う。そうするべきだと思うのだが。
黙り込んだ雇い主を見て勝ち誇る木下の顔があまりにも嬉しそうで上田は馬鹿になることにした。
「証拠ってわけじゃないがね。科学があんがいアテにならないって話は知ってる」
「へぇ、怪談ってやつですか」
「調査だよ。お前さんが今見せた実験にちょっと縁があるんだ」
「えっ、上田さんってカナダにいたんすか」
おいおい本当にこいつ大丈夫か。
「馬鹿、こういう研究ってのはたいてい世界中で同時並行的に行われてるもんなんだよ。
だから当然、日本でも超低周波音と心霊現象の相関性について調べてる学者がいる。
俺は何でも屋としてその先生に調査を依頼されたんだ」
「ようは心霊スポットめぐりして超低周波音が流れてるかどうか調べたってことっすよね」
木下の問いを上田は否定する。
「いいや。その先生はもう少し面白いことを考えた。
心霊現象の正体が心霊スポットに流れる超低周波音だったとしよう。
その仮説が正しいのならばもし何でもない場所に超低周波音を流しても心霊現象が起きなければいけない」
「それってつまり……」
「そうだ。そいつは音波を使って幽霊を作り出そうとしたのさ」
理事長の娘婿だった大学教授はかねてより予定されていたゼミ合宿用の施設を
心霊現象とは無縁どころか中世以降に人が居住した形跡のない森に建設させた。
関係者には固く口止めした上で超低周波音発生装置と一緒にな。
その上で最初の1年は装置を稼働させずに経過を確認。
それから1年後に装置を稼働させて学生たちに聞き取り調査を行った。
「1年後、見事に心霊現象に遭遇したという体験談が急増したよ」
「……は?」と木下が間抜けな声を上げた。
「どうかしたか?」
「いや、どうかしてるのは上田さんの方でしょ。
装置が稼働して心霊現象が発生したって、それじゃ幽霊はいないってことじゃないですか」
「木下君さぁ、将来は大学院行くつもりだって言ってたけどそれじゃあ研究生活苦労するぜ。
超低周波音発生装置が稼働していない時期は心霊現象が発生していなかった。
超低周波音発生装置を稼働させたら心霊現象が発生した。
だから心霊現象の正体は超低周波音発生である、「とはならない」んだよ」
「えっ、何で!?」
「因果関係自体は成立してるが別の要因がいくらでも考えられるからさ。
何といっても最初の1年は合宿施設はピカピカの新築なんだ。
そんなところで「10年前の合宿中に自殺した学生の怨霊」なんて登場しようがないだろう?
それが時間の経過によって特定不可能なだけの事件と利用者が蓄積され
徐々に怪談が存在しうるだけの不安余地を生み出していったという仮説がまず作れる」
「そ、そんなの屁理屈っすよ」
「もちろんこの説が正しい保証はない。だが同様に超低周波音説も正しい保証はない。
複数の仮説が成立しうる状況で特定の仮説に有利な要素を過大評価し
不利な要素を過小評価するのは科学的思考とはいえないってことさ。
それに超低周波音説には致命的な弱点があった」
「弱点?」
「超低周波音発生装置を稼働停止させても心霊現象の報告は減らなかったのさ。
超低周波音説が正しいならば音波が止まれば心霊現象は消滅しなければいけない。
だがそうはならなかった。装置を稼働停止させても心霊現象の報告は増え続けた」
路面が悪路に入ったとこで車体が軽く跳ね上がる。
その衝撃に木下はビクっと体を震わせた。
それをバックミラー越しに笑ったことが幽霊否定論者のプライドを傷つけたのだろう。
数秒の沈黙の後、木下は猛然と反論を開始する。
「装置の稼働を止めても心霊現象の報告は増え続けたって言いましたけど
それの説明もいくらでも仮説が作れますよね。
怪談は自己増殖的な要素があるじゃないですか。
一度噂が流れたらそれをベースに次から次に新しい噂が作られていく。
元凶である音波による心霊現象が消えても一度それが起きた以上、伝播され続けても不思議はないでしょ」
「あぁ、その通りだね」
素直に同意されると思わなかったのか木下が驚いた顔を見せる。
「でもね、その仮説は成立しないんだよ」
「ど、どうして?」
強めに踏まれたブレーキで車が停止した。
目的地に到着したのだ。
「前提が間違っていたからだよ。
教授は理論に反する結果を訝しんで徹底的に施設と超低周波音発生装置を調査した。
そこで面白い事実が分かったんだ」
わざと一拍、沈黙を挟んで上田は告げた。
「超低周波音発生装置は「最初から正常に稼働していなかった」んだよ。
装置の一部に不具合があったが人間の耳では知覚できない音だから無音でもそれが分からなかったんだね」
後部座席を振り返ると木下の顔は青ざめていた。
「じゃ、じゃあどうして突然に心霊現象が起きたんすか」
「それを調べるために今回君を雇ったんじゃないか木下君。
深夜の森に佇む建物から真夜中に聞こてくる怨霊の声。
その正体を突き止めるという仕事にね。
俺は心霊現象の目撃情報が出始めた頃に失踪した学生の死体がここにあるんじゃないかと踏んでるがさてどうなるか。
ほら、震えていないで早くスコップを持ってくれよ。
すぐに日も暮れてしまう、今のうちに準備をすませておこう」
なおも動かぬ木下に上田は安心させるように笑いかけた。
「そんなに怯えてなくても平気だよ。
超低周波音発生装置は今も稼働を停止している。
音が幽霊を作り出すことはない」
ビュォォォォオ。
上田の意見に同意するように強い風が森を鳴らした。
手招きするように揺れる枝。その振動は人の耳に届かぬ低い音階を幽かに刻んでいた。




