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お父さんありがとう

作者: 香月 深青
掲載日:2026/06/13

仕事が忙しくて、父は普段ほとんど家にいなかった。


 私が朝起きる頃には、もう会社へ行っている。


 夜はいつ帰ってきたのかもわからない。


 土日も仕事か、疲れて寝ていることが多かった。


 学校行事に来るのは、いつも母。


 塾の送り迎えも母。


 熱を出した時にそばにいてくれたのも、転んで泣いた時に手を繋いでくれたのも、全部母だった。


 だから私は、ずっと思っていた。


「うちって、母子家庭みたいだよね」


 何気なく言うと、母は少し困ったように笑った。


「パパのおかげで生活できてるのよ」


「パパだって、本当はサヤと一緒に過ごしたいのに頑張ってるの」


「ふーん」


 適当に返事をした。


 本当かな、と思った。


 私の中の父は、いつも遠かった。


 気づけば仕事へ行っていて、気づけば寝ている。


 ちゃんと顔を見た記憶さえ、あまりなかった。


 中学生になり、自転車通学が始まった。


 その日も、いつも通り家を出た。


 前日の雨で、道路にはまだ水たまりが残っている。


 少し冷たい風。


 重たい通学バッグ。


 眠い目をこすりながら、いつもの道を走っていた。


 舗装された道路が少しでこぼこしていて、水たまりを避けようとハンドルを切った瞬間だった。


 タイヤがぐらりと揺れる。


 身体がバランスを崩した。


 視界の端に車が見えた。


 次の瞬間、大きな音が響いた。


 気づけば、私は道路に倒れていた。


 意識はあった。


 でも、右足が焼けるみたいに痛い。


 息を吸うだけで涙が出そうになる。


 遠くで誰かの声が聞こえた。


「大丈夫!? 救急車呼んで!!」


 周りが騒がしくなる。


 ぼんやりした視界のまま、私は救急車に乗せられた。


 病院へ着くと、母が走ってきた。


 目に涙を浮かべたまま、ストレッチャーの横にしゃがみ込む。


「大丈夫!? サヤ、大丈夫!?」


 痛みをごまかすみたいに、私は小さく笑った。


「うん……ドジっちゃった……」


 そう答えた瞬間、不思議と安心した。


 張りつめていたものが切れたみたいに、震えと涙が一気に溢れてくる。


「良かった……本当に良かった……」


 母は何度もそう繰り返しながら、私の手を握っていた。


「事故って連絡もらって、びっくりしたよ」


 涙を拭きながら、母が小さく笑う。


「お父さんにも連絡しちゃったのよ」


 どうせ来ないだろうな、と思った。


 仕事中だろうし。


 検査の結果、右足の骨折だった。


 ギブスを巻かれ、そのまま少し入院することになる。


 母は着替えや荷物を取りに、一度家へ戻った。


「スマホ忘れずに持ってきてね」


 そう言って母を見送ったあと、私は少しうとうとしていた。


 その時だった。


 病室のドアが勢いよく開いた。


「サヤ!!」


 驚いて顔を上げる。


 父だった。


 汗でぐしゃぐしゃになった髪。


 乱れたスーツ。


 肩で息をしながら、病室の入口に立っている。


 急いで走ってきたのが、一目でわかった。


 私は、久しぶりに父の顔を真正面から見た気がした。


「無事か……?」


 息を切らしたまま、父が近づいてくる。


「うん……」


「良かった……本当に良かった……」


 父はその場に崩れるように椅子へ座り込んだ。


 額には汗が浮かび、目にはうっすら涙が滲んでいる。


「足は痛くないのか?」


「傷は残らないか?」


「女の子だからな……」


 父は私の足のギブスを見ながら、不安そうに何度も聞いた。


「仕事は?」


 そう聞くと、父はすぐに答えた。


「サヤが事故ったって、お母さんから連絡きて……飛んできた」


 少し震える声だった。


「サヤが怪我してるのに、仕事どころじゃない」


「心配した?」


 父は少し眉を寄せた。


「あたりまえだろう」


「お前たちに何かあったらって思ったら、心配しないわけないだろう」


 私は返事ができなかった。


 父の顔が見れなくて、そっと横を向く。


 気づけば涙が溢れていた。


 興味なんて、ないと思っていた。


 仕事ばかりで、私のことなんて見ていないと思っていた。


 でも違った。


 ちゃんと、愛されていた。


 その時、父のスマホが鳴った。


 ふと画面が目に入る。


 待ち受けは、笑っている私の写真だった。


 胸の奥が熱くなる。


 また涙が溢れそうになった。


「お父さん、ありがとう」


 声が少し震えた。


 父は少し驚いた顔をした。


「いつも仕事、頑張ってくれて……ありがとう」


 父は肩を震わせながら、下を向いたまま何度も頷いていた。


 窓の外では、夕焼けが静かに街を染めていた。


 その姿を見ながら、私は初めて思った。


 ――ちゃんと、愛されていたんだ。


 父の背中は、ずっと私たちを守ってくれていたのかもしれない。


お父さん、いつもありがとう

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― 新着の感想 ―
仕事に真っ直ぐだけど家族のこともちゃんと気にかけてる。 不器用だけど情の厚いお父さんなんでしょうね。 これからも頑張ってください(^-^)
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