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「それで、……どのような冒険をしてきたのですか」


 彼女の変わらない優しい口調が、ずいぶんと物々しく思えて、その手が肉と骨をすり抜け心臓に届くんじゃないかと、ぞわりとした寒気が背筋をなぞった。


「フェルスも冒険者になってみる?」


 気付けば無責任にも口走っていた。


 フェルスは顔を上げて「え、」と困惑した表情を見せてくれた。こんな顔もするんだな、なんて得意気になって、「俺が教えてあげるから」調子の良いことを重ねて言った。


 フェルスは丸くした眼を伏せて口元をほころばせると、小さく首を横に振った。


「私には、もったいないことです」


 また顔を胸に埋めて隠した彼女は、聞こえるように寝息を立ててしまった。


/


 俺は夢を見た。フェルスが冒険者になって、パーティーを組み共に行動するという夢を。


 魔物を倒し、依頼をこなして、迷宮を探索し、遠くの山を越えて、新たな街や国を巡り、海を渡って、新たな大陸の土を踏む。


 

 フェルスに色々な知識を語って聞かせた男達も、彼女をここじゃないどこかへ連れ出そうとしていたのだろうか。


 いつかは誰か知らない男に連れ出されて、そんな夢から現実へ、俺の手の届かない場所へと行ってしまうのかもしれない。


 そう思うと、無性に腹立たしかった。


 そうしてまた、その苛立ちと焦りが、フェルスに知識をもたらした男たちへの嫉妬なのだということに自覚的であった。


 嫉妬に狂ってしまうくらいなら、いっそのこと、俺がフェルスを冒険へと連れ出してしまえばいい。


 彼女に張り付いた継ぎ接ぎだらけの知識の一枚一枚を丁寧に剥がし、俺だけの彼女になったのなら、この感情もきれいさっぱり消えてなくなるかもしれない。


 そんなことを思いながら、深い深い眠りへと誘われていった。


/


 二週間後、初日ぶりの急な雨に降られながら娼館へ行くと、フェルスがすでに指名されていた。


 こんなことは初めてでだった。この頃は女を抱くというより、フェルスを少しの間でも独占することが主だっただけに、何かとてつもない訃報(ふほう)に見舞われた気にさえなった。


 仕方がないので帰ろうとすると、「待ちな」店主の婆が皺枯れた声を飛ばしてきた。普段は金のことにしか目がないというのに、どういう了見だろうか。


 立ち止まり振り返る俺に、婆は投げやりに言った。


「アリシャが空いてるよ」


 それは待ち望んでいた子の名前だった。


 今の今まで忘れていて、否、忘れようとしていて。しかしてどこか、頭の隅にいつもその名の影を残していたのも事実であった。


 俺は、どうすればいいのだろうか。


 フェルスという女がいながら、他の女に目移りして、ましてそれを抱こうとするのは少し気が咎める。


 かと言って、ここは娼館である。俺は客で、建前上は女を抱きに来ているのだ。(みさお)を立てた婚約者がいるわけでもあるまいし、一娼婦を気にする必要がないといえば、それまでの話だ。


 それにアリシャは俺の好みど真ん中であり、彼女の指名は常に奪い合いの様相を呈していた。今日を逃せば次があるのはいつになるか分からない。元々が彼女を目当てに通ってきたという経緯もある。


 アリシャが魅力的でなければ、こうも悩むことなどなかったのに……。


 ——でも。


 袖を引く思いはただ一つ。次にフェルスを指名した時、どんな顔をして会えばいいのか。


 しかし、その程度の杞憂では、すでに足が生えて走り出そうとしている心を止めることなどできるわけがなかった。


「どうするんだい」とでも言いたげな婆の眼力に押し切られるように、逡巡を脇にどけて出した答えは「じゃあ、それで」なんていう曖昧なものだった。


 二階に上って5番と書かれた部屋の戸を引く。アリシャは窓辺に座って雨の滴る空を眺めていた。その横顔があまりにも美しくて、呼吸さえ煩わしいと凍ったように見惚れていた。


 立ち尽くす俺に気付いたアリシャはゆっくりと立ち上がりやってきて、


「待ってたよ」


 花が咲いたように笑い、手を取られる。その手の熱が霜の降りた体を温めて、そのまま溶けてしまうんじゃないかと心が逸った。溶けるならせめて、一緒に!


 いつ靴を脱いだのかも思い出せないまま、引かれた手に導かれるまま。


「愛してる」


 彼女の囁きに、今度こそ、俺は夜に溶け入った。



 浮気者と誹られるかもしれないが、一つ、言わせてもらえるなら、アリシャはすごかった。期待を簡単に、はるかに上回る技量とセンス、これでもかと惹き付けられる魅力がありながら俺を男として見る彼女は、一人で酒池肉林を体現しているようであった。


 そうしてまた、アリシャはフェルスと何もかもが違っていた。



「私ね、自分のお店を持ちたいの」


 アリシャは今にも眠ってしまいそうな声でそう言った。


 あと数年もすれば、彼女の娼婦としての価値は目減りしていく。それでも娼婦を続けようとすれば、いずれ、嫌というほどの凄惨な人生を迎える。実際、そうなった人達を何人も見てきた、とアリシャは紅の薄れた唇で語った。


「覆水盆に返らずってさ。それなら、少しくらい盆を大きくしたいじゃん」


 娼婦としての適齢期を過ぎた者たちが、それ以外で生きていけるようにする。例えば飲食店であったり、芸事であったり、あるいは娼婦としての技の講習だったり。将来の選択肢が増えて憂いが無くなるなら、今に集中して金を稼ぎ、やりたいこと、なりたいものを目指せるはずだ。


 アリシャは、その可能性を少しでも広げたいのだと、言葉を尽くして語っていた。


「冒険者もさ、娼婦みたいなもんでしょ」


 暴論である。けれど、否定するには似通っている部分が多いのもたしかだ。


 冒険者も歳を取るにつれて体は動かなくなるし、傷も増える。魔物に殺されるし、迷宮から出られなくなって死ぬし、あるいはそれまでの無理が祟って病気で亡くなる。だからこそ、そうなる前に退職する者がほとんどだ。


 娼婦と違いがあるとすれば、再就職先が多岐にわたることだろう。冒険者ギルドの職員になる者いれば、培った技能を教える教導官、宿屋や酒場や武器防具店などなど、あらゆるところに前職は冒険者でしたという人達がいる。


 そう思うと、彼女の目指すものが具体的な輪郭を帯びて、俺の目にも見えてくるようだった。


「だから、私の夢のために利用されてよ」


 誇らしげに言って、不敵に笑う彼女に、不思議と悪い気は起こらない。むしろ許せてしまうのが、アリシャという人間の本質に違いなかった。

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