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フェルスは体を売るだけの物を知らない娼婦でもなければ、遊戯や芸術や学問に精通した芸者というわけでもなかった。
自身と交わった人々の知識の一片を破り、それらの切れ端を継ぎ接いだ、言うならば彼女のパッチワークみたいな女だった。
彼女は行為の後に決まって俺の腕を枕に、頭を胸に寄せて、「魔法と魔術の違い」を語った夜みたいに、様々なことを語って聞かせた。
国の官吏からバレずに脱税する方法を語るその口で、魔物の生態を語る。おいしいパンの作り方を述べながら、効率的な兵の運用方法を話した。
政治、経済、兵法、宗教、芸術、魔法、武術。子供じみた冒険譚から人生の哲学まで。フェルスの語る知識はどれも核心的でいて、それ以上の裾野を持たない浅いものばかりであったが、そのまとまりのなさは、やけに示唆的な気がしてならなかった。
まるで、夜を重ねるごとに堆積していく男たちの知識の一枚一枚が、フェルスの艶やかな柔肌へと張り付き、ツギハギで出来た得体のしれない化け物へと変貌していくようでもある。
完全な変態へと至っていない彼女の素肌の一片は、無意識のうちに吸い寄せられていくほど魅力的で、張り付いている男たちを丁寧に剥がし、その輪郭を自分だけのもので形作れたのなら、どれほどの幸福だろうかという気にさえさせられた。
ただ、彼女を覆う男たちもまた剥がされまいと必死なようで、俺ごときが太刀打ちできないこともたしかであった。
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実際、彼女は、ある夜にこんなことを言っていた。
「遊び疲れた子供たちみたいで可愛いんですよ。瞼なんてもうほとんど閉じているのに、自分の好きなこととか、得意なこととか、夢中になっていることとか。眠る直前まで、たくさん語ってくれるんです。それが好き」
彼らの一人一人が、人生の中から選抜された一番得意で詳しくて面白いと思える話をする。フェルスがそれらを大事そうに抱えているのを見て、きっと、満足するのだろう。
「あの人たちの言葉で、私は、そのお話の世界を冒険できるのです」
そうしてまた、彼女にもたらされた知識や物語が並々ならぬ存在感を放っていたのは、そうと錯覚してしまえるほどの、彼女自身が同様の経験をしてきたからに他ならなかったのだ。
そこに彼女の娼婦としての矜持のようなものすら垣間見えて。
羨ましい、とそう思った。
俺も何か、とそう思って、しかし教えられるものがほとんど何もない。
魔物も迷宮も魔法も剣術も斥候等の技術のどれもが聞きかじった程度に中途半端で、例えこれまでに得た冒険者人生の全てを賭けても、彼女の前ではどれも見劣りしてしまう。
それでも何かと捻り出したものは、小さい頃に父親から仕込まれた護身術だった。
フェルスに教えて、教えながら、後悔している自分がいた。
胃の辺りから込み上げてくる泥のような屈辱に顔を歪めていると、
「ありがとうございます」
そう言って微笑むフェルスから憐みを感じたのも、俺が卑屈だからに違いない。
「レムナントさんは魔大陸に行ったことはありますか」
俺は小さく首を振った。
夜闇の影に溶けて形を失うような布団の中で、彼女の言葉だけが、たしかな質量を宿していた。
「見たこともない木々や植物が整然と居並び、肌を焦がすほどの瘴気が精神さえ狂わし、強大な魔物たちが目につく命の全てに牙を剥いて、世界樹よりも高い山脈の向こうには、大陸を統べる魔王が、自身を打倒しうる勇者を待っているんです」
フェルスの語り口が、大航海の末に辿り着いた、魔物の蔓延る未踏の大地へと導き、ただの娼館の狭い一室を変貌させてしまうようだった。
彼女はそれからしばらくの間、嬉々として冒険の続きを語った。
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「なんで冒険者になられたのですか」
何度かフェルスに訊ねられたことがあった。俺は、家督を継げなかったからとか、手に職がなかったからとか、もっともらしいことを言って話題を避けていた。フェルスがその返答に納得した様子はなかった。
とうとう根負けして、「笑うなよ」と前置きしながら俺は彼女に話をした。
「こんな俺でも、物語に出てくる英雄みたいになれるんだって、証明したかったんだ」
フェルスの手はいつものように俺の胸に当てられて熱を伝え、顔は潜って、表情の機微を隠していた。それを肯定しているのだと信じたくて、つい、喋りすぎてしまった。
「農家の子は農家、みたいな、生まれで決まる人生を。俺は否定したい」
腹の奥底に押さえつけていた溶岩のような言葉は、火山が噴火するみたいに、吐き出さずにはいられなかった。
農家に生まれ、物心ついた頃から鍬を持って畑を耕す。その村で育ち、その村で結婚して、子どもを作って、その子供にも鍬を持たせる。そんな、決まりきった普遍の未来を、否定したいのだ。冒険者になって、剣を習い、魔法を習い、魔物の生態を学び、迷宮の情報を集めて探索し、世話になっているギルドからの依頼をこなす。そうやって、いつか力と地位と名誉を持てば、きっと、どんな運命も選び取れるのだと。
次々と出てくる言葉の熱に舌を焦がされそうで、怖かった。そんな風に思っていたのかという驚きがあったことに驚いた。
表情の見えないフェルスの纏う空気に、ピンと糸を張ったような緊張を感じてようやく、平静を取り戻した。
吐いた言葉を飲み込むことはできないのだ。
せめてと口を閉ざすと、墓穴に埋められた死体になった気分だった。
フェルスは顔を見せないまま、まるで俺の心に直接語りかけるように、口を開いた。




