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KUROKOGE - クロコゲ -  作者: 気球 咲
ChapterⅠ 風ノ章
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第四話|『透氷岸/トウヒガン』

 曇天が晴れるまでただじっと待つなんて、そんな待ち惚け、たぶんヒーローらしくないから。本当の意味でヒーローになるために、ここで立ち止まるなんてダサいことできるわけないんだ。生きたまま焼かれた理不尽な死のバッドエンド。――それでも俺は、燃え盛る炎の中から必死に手を伸ばして、救いを求めた。


 そして掴んだ二度目の人生。地獄から這い出て、今度こそ俺は、俺の物語を生きるんだって、生きたいって叫んだ。「黄泉人(よみびと)って最高だ」心からそう思っていた。


 でもそれだけじゃないんだって。黄泉人は、呪いを伴った救いでもあるという現実を知った。その正体は奇跡の復活なんかじゃなくて、死の再演、一方的で独善的な死のアンコールで。ならば独りよがりな救済とは、糖衣で包んだ劇薬でしかないんだ。


 新名マコトは、死んでもなお「働け」と生かされて。皆鳥先輩は、物語を終わらせるために自ら死を選んだのに、「もう一度」と生者の舞台に立たされている。

 絶対と言えるような正解が存在しない、混沌とした、矛盾だらけのこの世界。


 ――俺はヒーローとして、後悔のない引き金を引けるだろうか。




   第四話|『透氷岸/トウヒガン』




 思い馳せる先輩の面影。あの人は、いつも黒いセーラー服を着ていた。その黒い影は、さながら宇宙の踊り子。どこか浮世離れして見えて、夜を泳ぐクラゲのように、儚くて、きれいだった。――ゆらゆら揺れて、風に吹き飛ばされそうなほど軽くて、重い。俺は、出会った時から、先輩がまとう透明な重力に引かれていたんだ。


 それはたぶん、恋愛感情なんかじゃなくて。

 もっと(いびつ)で、不確かな、生きるよすがのようなもの。


「……、ね。起きて。ヒバナくん」


 優しい声で目を覚ます。

 ――俺は、信濃川のほとりに立っていた。目の前には、皆鳥先輩によく似た白装束の少女の瞳。いまならわかる。彼女の正体は、先輩のお姉さんなのだろう。


 太陽は落ちて、宵ノ口(よいのくち)。刺すような冷たい風のせいで、息がすこし苦しい。夢だったのか、それとも現実だったのかよく分からないけど、さっき校庭で戦ったあの鬼。たしか名前は、死火猿(しかざる)。もしあいつが本当に新潟深区の王なら、あいつさえ倒してしまえば、皆鳥先輩を救うことができるだろうか。……いや、それだけじゃダメだ。


 先輩の本懐は、続いてしまった物語を終わらせること。

 認めたくはないけどさ、皆鳥先輩はきっと、俺とは真逆の場所に居るんだ。――俺は一回目の人生で地獄を散々見させられたから、二回目の人生では「生きたい」って心の底から叫ぶことができた。だけど、あの人にとっては、家族を失う前の日常こそが生きたかった世界で、それ以降は永遠に終わらない「地獄」でしかないんだ。


 なら、俺にできることはなんだ?


 ひとり悩む俺の様子を見て、白装束の少女が笑う。

「あんたは、どうすればいいと思う?」そんな素直な言葉が、気づけばふと声になっていた。少女は先輩によく似た笑みを浮かべながら、そっと俺の手を握った。


「私が、じゃなくて。ヒバナくんがどうしたいか、でしょ?」


「あんたは皆鳥先輩のお姉さんなんだろ? だったら、他人の俺なんかより――」


「もっとシンプルに考えようぜ、ヒバナくん。私は君に、みなとを助けてあげて、と頼んだ。君はヒーローとして、その依頼を受けた。それだけでいいんじゃない?」


「ヒーローとして……」


「そんなセンチメンタル・ヒーローじゃ、少年マンガの主人公にはなれないよ、ヒバナくん。もっとグイグイさ、エゴを押し出していかないと」


 ほんとにさ、人の心ってころころ変わるよな。自分勝手にやりたいことをやろうって決めたのに、いまはこうして立ち止まって、ブレーキをかけてる。

 ――立ち止まってばかりじゃ、ただ時間が過ぎていくだけ。


 過ぎた時間は戻らないし、失った過去は取り戻せない。


「俺、行くよ。行って、先輩の手をつかむんだ。今度は俺が地獄の底から、皆鳥先輩の手を引くんだ。そうしないと、いつまでもあの人は地獄に囚われたままだから」


「ありがとう、ヒバナくん。……ね、みなとに会ったら伝えてあげて。傷だらけでも、未完成でもいいんだよ、って」


「うん、わかった。皆鳥先輩のお姉さん――あ、そうだ。名前は――」


 そう言いかけたところで、また風が吹いて、水面が揺れて。気づけば、もう、そこに少女の姿はなかった。いつの間にか、信濃川には幾千もの灯籠(とうろう)が、淡いオレンジ色をその身に灯して浮かんでいた。流れゆく先は、死者の領域、新潟深区だ。


 少女が立っていた場所に残された鳥居。

 その向こう側に咲く、ヒガンバナ。


「……、行こう」


 この逃避行に終止符を打つために、俺は鳥居をくぐった。


 *


 新潟空港の滑走路に降り積む雪は白く、月光を反射して、プリズムのように輝いている。――日本海、打ち寄せる白波。海のにおいと、波の音。灯籠流しの淡い光が、まるで漁火(いさりび)のように、水平線をなぞるように揺蕩(たゆた)う。


 月明かりの下、死火猿のもとに現れたのは皆鳥だった。


「かっかっか! 待っていたぞ、皆鳥羽十葉。覚悟はできたようだな?」


「……えぇ。契約通り、私のこの身と命をあなたに捧げる。その代わり、新潟深区を浄化して、この地に幽閉されたすべての人の魂を解放してあげて」


「無論、約束は守る。契約は絶対だからのぉ。――かっか! わしも、(つい)にニンゲンになれる。わしは、死を超えるのだァ!!」


 天を仰いで、月に吠える死火猿。

 沖から吹いてきた風によって、滑走路に降り積もった雪が舞い上がる。暗い海を、暗い空を、舞台を染め上げる白銀と黄金、雪月夜(ゆきづきよ)。風が吹いて、風が吹いて――。


 風が吹いて、今。

 ――皆鳥の瞳に、瞳のその奥に、揺らめく【赤】が火々(ひび)いた。


 風をまとって、火を宿して。その少年は舞台に上がる。


「まだ終わらせないからな。……、皆鳥先輩」


 少年の名は、黒咲ヒバナだ。


「かっかっか! 火葬の黄泉人、逃げたのではなかったのか?」


「逃げてねぇ。夢か現実かよくわかんないから、道に迷ってただけだよ。――なぁ、死火猿。新潟深区を浄化するためには、お前を倒せばいいんだよな?」


「ほぉゥ? このわしに勝てるとでも?」


「あぁ、次は絶対に負けない。ヒーローだから戦うんだ」


 自分でもわかってる。この「ヒーロー」って言葉が、甘美な呪いでしかないって、わかってるんだ。でも、憧れてしまったから。理屈とか正論とかじゃないんだ。言葉では説明できないような、こうなりたい、こうはなりたくないっていう感情。

 そんな生き方は、愚かだって、無様だって言われるかもしれない。


 ――それでいいんだ。

 そうやって生きて、辿り着いたその先で、あの頃は若かったとか、痛々しかったとか、そう言って笑い話にすればいい。じゃないと、息が詰まりそうだ。


 傷痕(ケロイド)さらして、この身を焦がせ。俺は反逆者(ヒーロー)だ。


「最高火力で行くぞ、死火猿――」


「来い、火葬の黄泉人ぉッ!!」


「ぜンぶッ、燃やし尽くしてやるよッ!!」


 火蓋を切って、加速する鼓動のリズム。内側からぐつぐつと業火が煮え滾る。――痛い、熱い、痛い、熱い――この痛覚、全部、全部、燃料にして、燃やし尽くせ。死にながら死に尽くせ。畢生(ひっせい)を焦がして、魂を剥き出しにして――解き放て。

 いま咲かせ徒花(あだばな)。この身を焦がす炎でさえ、喰らい尽くして開花する。


 ――畢竟(ひっきょう)、その先へ。

 全身の骨をヒーロースーツに、頭蓋骨をマスクに、あばら骨を翼にして怪化。降り注ぐ月光に照らされながら、黒焦げの天使は地獄の底からよみがえる。

 

「やめてっ! もうやめて、ヒバナくん。……、これは私が望んだ結末だから。私は終わらせたいの。終わらせるために、ここまで来たんだよ……」

 

 (かじか)んだ指先を、俺の背中にそっと当てる皆鳥先輩。

 できることなら先輩の願いも叶えてあげたい。でも――

 

 前に進むって、そう決めたんだ。


「ごめん、皆鳥先輩。俺はさ、簡単に生きろって言えるほど心がきれいな人間じゃないけど、だからって。この手が届く距離で死んでいく人を見殺しにするような、心が冷めた人間にはなりたくないんだよ。そんなヒーローにはなりたくないんだよッ!」


「ヒバナくん……」


「かっかっか!! まこと、ニンゲンとは面白い生き物よのォう! 死を願うこと、生を願うこと。どちらも生きとし生ける者の原罪。――ならばわしは、そのどちらも喰らって本懐を遂げようか!!」


 風を切って、死火猿が滑走路を駆け抜ける。

 宙を舞う、白雪――どっどど、どどうど、どどうど、どどう――月と雪、海と風が溶け合う世界、永遠の夜に瞬く一条の光。死火猿が振り下ろした斧の切っ先から、つんざくような轟音を響かせ、衝撃波が放たれる。


「っ……!!」散る、火花と閃光。

 ヒバナは猛る衝撃波のド真ん中を突っ走って、全身ズタズタに切り裂かれながら、その痛みさえも燃料にして、暴風の如く。そして稲妻のように、燃え盛る炎をまとった足で、死火猿の腹を蹴り刺して烈火の一撃――空気を震わせ、穿つ。


 ――血を吐きながら。死火猿は、豪快に笑う。


「かっかっかっ! 面白い!! だが、この程度ぉッ!!」


「こいつ、バケモンかよ……!!」


 赤子の手をひねるように、死火猿に片手で軽々と持ち上げられるヒバナの身躯。 

滑走路に設置された航空灯火(こうくうとうか)が、赤、青、緑と明滅を繰り返し、褪せる世界の夜を照らしながら、ネオンの光のように煌めく。


 遠く、遠くの水平線上で揺れる、灯籠流しの火。

()らば、火葬の黄泉人よ――」猿づらの鬼が告げる、幕引きのその刹那。


「こんなとこで……死んでたまるか……」


 黒焦げの少年の魂に宿る、命ノ火が揺れる――。


 ――

 

 (さい)の河原に咲くヒガンバナの赤。

 荼毘(だび)に付された少年の(こえ)は、風前の灯火に再び火を点けた。


 燃え盛る炎の赤。

 黒焦げになった少年の(むくろ)は、残酷に咲き誇る一輪の花になった。


 さすらう亡者が泥濘の中から手を伸ばして、嘆く。


「あァ……許さないィ……許さないィ……」


 無残な姿だ。(からだ)はボロボロに朽ちて、腐って、もはや人ではない。

 こんな惨めな奴が、かつて自分を苦しめていたあの鬼だというのか。


 少年は剣を取って、亡者の心臓を一突きした。


 ――幽明境(ゆうめいさかい)(こと)にして、少年よ。

 悲願と業火(かるま)をその魂に宿して、現世(うつしよ)の海を風と供に渡れ。


 そしていつか、いつの日にか、到彼岸(とうひがん)を果たせ。


 …………


 ……


 怪化。――第二形態・青天(せいてん)


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――!!!!」


 ヒバナの叫びが、新潟空港の滑走路に響き渡る。

 アザだらけだったかつての少年Aの物語は次のフェーズへ。何者にも成れない自分を呪って、アイデンティティに飢えて、人の手の温もりに依存して、拍手喝采の輝きに焦がれて。そんな日々を、血の(かて)にして、消えない傷にして燃やし尽くせ。


 鮮やかな群青色をまとって、開花。

 黒焦げの天使を覆うどす黒い骸のヒーロースーツは形を変え、色を変え――晴天のような【青】に染まって、変身。その背には、鋼鉄の翼が咲く。


 冷え冷えとした舞台風が吹いて、ヒバナの背中を押した。


「お前に勝って、皆鳥先輩を救うんだよッ!!」


「かっか! それでこそニンゲンだ!! わしを超えてみろ、火葬の黄泉人!!」


「喰らえッ、死火猿!!」


 死火猿の手を振りほどいて、ドクドクと激しく脈打つ心臓に拳を当てる。――そこに突き刺さっていた剣を引き抜いて、斬る。――死火猿の斧と、ヒバナの剣が火の粉を散らしながら競り合う。オーバーヒート超過して、フルスロットル限界突破。

 熱暴走して鳴り止まない魂のエンジン音。メラメラ焦がして、熱狂。


 台風の目になって、吹き飛ばせ、吹き飛ばせ。

 最大瞬間風速のハヤテで、さぁ、さぁ、ホムラよ爆ぜろ。


 全身全霊、この一瞬にすべてをかけて。


「はぁぁあああああああ!!!!」


 ヒバナの剣が、死火猿の斧を打ち砕く。衝撃が滑走路を駆け抜けて、アスファルトを切り裂く。――ひらひらと降る雪が、ただ静かに決着を見届けていた。


「良い仕合だった。見事だ、火葬の黄泉人……」死火猿がつぶやく。


 ――身も心もヒリヒリと焼けるように痛い。

 それでもヒバナは、歩いていく。皆鳥羽十葉のもとへ。


 *


 凍てついた時間の中で、私の名前を呼ぶ声がした。


「皆鳥先輩っ!!」


 黒咲ヒバナくん――

 私の後輩で、私と同じ黄泉人。


 そして。私とは違って、何よりも「生きたい」と願う人。そんな彼の真っすぐな瞳が眩しくて、羨ましくて、私も生き直していいんだって淡い夢を見てしまった。

 ――でも、私の心はずっと過去に取り残されたままで。

 どれだけ遠くにいても、新潟深区から逃げ出すことはできなかった。

 

 それは、深く、深く心臓に刻まれた呪いのようで。

 あぁやっぱり私は、地縛霊なんだって、思い知らされた。


 こんな私が人間になんて、なれるはずがなかった。


 ――終わりにしよう。

 風になって、この屋上から飛び降りて。


 そうしたら私は、私のことを赦せるだろうか。


「皆鳥先輩!! つかんで!!」


「――、……ヒバナくん?」


 気づけば、私の手は、彼の手に強く引かれていた。つかんだその手は温かく、火傷しそうなほどの熱を、私の指先から心臓へと流し込んでくる。


 なんで、なんで君は……っ!!

 君の方が何倍も、何十倍もつらい人生を送ってきたはずなのに、それでも誰かを助けたいって、ヒーローになりたいって。そう思える理由がわかんないよ……っ!


 一歩踏み出して、風になって、そうすればすべて終わる。なのに――


 ――


「なんでっ……!!」


「皆鳥先輩がいない未来よりも、いる未来を生きたい、ただそれだけのことなんだよ!! だから俺は身勝手な救済でも、それでも助けるって選択したんだ!!」


 つかんだこの手は絶対に離さない。


 皆鳥先輩が教えてくれたんだ。何気ない日常の温かさを、優しさを。

 ――失いたくない。だったら、今度は俺の番だ。あの人に託された言葉がここにある。皆鳥羽十葉が……いや、風間湊が否定してしまったあの言葉をもう一度。


 今、伝えよう。俺の声として。


「傷だらけでも、未完成でもいいんだよ、皆鳥先輩」


「その言葉……」


 ――


 女神ニケが舞い降りたその踊り場にお姉ちゃんが立っていた。でも、どれだけ手を伸ばしても、もう二度とその手をつかむことはできない。パパもママも、この「街」で一緒に生きた友達も、みんな、みんなもうここにはいないんだ。

 目眩く世界のスピードは速すぎて、追いつけないから――。


 膝をついて立ち止まってしまう。

 

「――ね、みなと?」


 そんな私の頭を、お姉ちゃんが撫でる。

 話したい、話したいのに、声が出ないのはどうして。


「……!!」


「大丈夫、聞こえてるよ。――だから私の声も聞いて? みなと、もう自由に生きていいんだよ。二度目の人生がたとえ奇跡じゃなかったとしても、それでもいいから。私はずっとここで待ってるから、いつか、皆鳥羽十葉の物語を聞かせて……約束ね」


「……、……っ!!」


 風が吹いて、消える過去の幻。

 

 私は、凍てつく夜の滑走路に立っていた。

 手を引かれて振り返る。そこには、ヒバナくんがいた。


 ――


「一緒に帰ろう、先輩」


 月明かりが、死の果てを生きる二人を照らす。

 呪いのような輪廻の生存者(サバイバー)だとしても、終わらない生き地獄すら晴れ舞台にして笑えるなら。きっとどんな悲劇だって、傷にして、飛んでいけるはずだ。


 皆鳥は悴んだ手で、ヒバナの手を握り直す。

 

「……ごめんね、ヒバナくん。私、君に迷惑かけてばっかだ」


「別にいいよ。俺が勝手にやったことだし」


「ありがとう、ここまで迎えに来てくれて。遠かったでしょ?」


「いや。はじめて新幹線に乗れたし、楽しかった」


「そっか……君はやっぱり良い子だね」


 ――そのときだった。

 ぐらっと大きく地面が揺れて、一瞬、眩い閃光に包まれる世界。その直後、大きな破裂音とともに夜空に咲いたのは、黄金色に煌めく打上花火だった。

 

 笛のような音を鳴らして打ち上がり、ぱっと咲く花火。それはまるで、凍りついた時間を一気に溶かすような、冬へと溢れ出した遠い季節の残響。次々と咲いて、暗い海の水面に、無数の色を落としていく。


 季節外れの開花。――空を見上げながら、死火猿が言う。


「不味いのぅ、とうとう奴らが動き出したか」


「どういうことだよ、死火猿。何か知ってるのか?」


「……火葬の黄泉人。わしに勝った御前に頼みたいことがある。……わしのこの心臓を要石(かなめいし)の代わりにして鎮めてくれ。この地の怒りを、この地の呪いをぉッ!!」


「お、おい! 死火猿!!」


「この心臓に刻まれた亡者の声が道標だ……!!」


 懐刀を取り出した死火猿は、その刃で己の胸を突き刺して、脈打つ心臓を引き抜いた。すると――その心臓は石のように硬くなり、(いかり)へと形を変える。

 そして、そのまま静かに事切れる死火猿。


「なんで……王を倒したら浄化できるんじゃなかったのかよ!!」

 

 錨を受け取ったヒバナの耳に、いくつもの声が囁く。

 ――透明な声だ。しかしそれは確かに、想いを宿していた。


 こっちこっちと呼んでいる。導いている。

 


 *


 

 2005年に発生した死界域・新潟深区は、生々しい痛みや悲しみの記憶、多くの犠牲者とともに、二十年が経った今も浄化されないまま、爪痕として新潟の地に刻まれていた。その内側で、明けない夜に惑う人々は、今日も帰る場所を探している。


 刻一刻と変化していく世界の(おり)――

 それらが流れゆく、凍りついた黄泉の港に咲く火ノ花。


 精霊船よ、水押(みよ)しで波を切って進め。


 ――


「……皆鳥先輩、こっちだ!!」


 俺たちは、新潟空港を出て、亡者の声が導く方へと走った。


 崩壊した街はバラバラの断片になって、宙に浮いて、川と海と空の境界線は渦のように廻転しながら溶け合う死界域の混沌。夜空に咲く打上花火の光が、音が、コマ送りするみたいに、目まぐるしく世界の絵を移し変えていく。


 路上には桜と紅葉の木々が重なるように立ち並び、乗り捨てられた車や、持ち主を失った衣服やカバンが、降り積もった雪の上に取り残されていた。

 中学校の校舎の垂れ幕には、平成17年と書かれている。


「ヒバナくん、あぶないっ!」


「――ッ、大丈夫。これくらい!」


 飛び出してきた逆禍名(さかな)に向かって、火の球を放つ。この程度の相手なら、もう変身しなくても勝てるようになったけど、これじゃあ数が多すぎてキリがないな。

 進む道の先には、死界域を彷徨う人ならざる者――全身に鱗が生えた、ドロドロとした化け物・サカナが人波のように蠢いている。


 ――風よ、吹いて。

 いきなり俺の手をつかんで走り出す皆鳥先輩。


「しっかりつかまっててね。……さぁいくよ、重力クラゲ――」


「ちょ、ちょっと皆鳥先輩っ!」


 召喚されたミズクラゲが泡のように大きく膨らんで、俺たちを包む。――次の瞬間、ふわぁっと体が浮かび上がって、俺と皆鳥先輩はふたりで空へと落下。


 ――花火がぱっと咲いて、光り輝く世界の空を夜間飛行。

 下を見れば、さっきまでいた新潟空港の滑走路が遠くに見えた。


「ヒバナくん、道案内お願い。こっちであってる?」


「うん。声はずっと向こう側から聞こえてる」


 死火猿から渡された錨を手に取れば、亡者が耳元で囁く。こっちこっちと、透明な声に誘われて。俺たちは風になって、凍てついた冬の空を泳いでいく。

 雪と霧によってぼやけていく景色の中――

 風力発電のタービンが岸に沿って建ち並んでいた。


 声に導かれるまま飛んだその先、広大な日本海の水面に現れたのは、遠く、遠く、海の彼方まで連なる幾千もの鳥居。

 ――ゆっくりと、波の上に降り立つ。そこには透明な道が続いていた。


「ヒバナくん、いこう」


 ふたり手を取って、鳥居をくぐって、波の上を走る。

 鳴り止まない花火の音。海面に反射する光、きらきらと星が瞬くように。


 水平線上に揺れる灯籠の火。ごうごうと轟く、海鳴り。


「皆鳥先輩、なんか甘いにおいがしない?」


「……懐かしい。ぽっぽ焼きのにおいだ」


 気がつけば、俺たちは赤提灯に照らされていた。道沿いに並ぶお祭りの屋台、甘い焼き菓子のにおいと、どこからか聞こえてくる太鼓の音。

 人の影のようなものが無数に揺らめいて――ある影は、わたあめを手に持って。ある影は、金魚すくいを。ある影は、キャラクターの仮面をかぶって。


 サカナとはまた違う。

 これはまるで、人そのものの生き写しだ。


 影に近づこうとすると、皆鳥先輩がそっと俺の手を引いて言う。


「だめ、ヒバナくん。――たぶん、この人たちはあちら側の……」


「そっか。ここは、死界域の中だから」


「……、声は?」


「この先から聞こえるよ。だんだん、大きくなってる気がする」


 ――そこへ。

 進む道の先から、一人の男が俺たちの方へと歩いてくる。ボロボロのコートを着た坊主頭の男だ。気味の悪い笑みを浮かべながら、じめっとした視線を向けてくる。


「おぉ、珍しいですねぇ。こんなところに、生きている人間がいるとは……その上、なるほどぉ、同種ですか、あなたたち。私と同じ心臓の音が聴こえます」


「何者だよ、お前」


「……ふん。まぁ少々面倒ですが、目的のモノは手に入れることができたのでいいでしょう。さっさと終わらせて帰るとしましょうか」


 こいつ、ヤバい。本能的にそう察した瞬間――


「……狩れ、死刑執行人(エクスキューショナー)


 空気が鋭く震える。

 男の言葉を合図に、地面から這い出てくる――首の無い大男。そいつは、俺が構えるよりも速く、手に持っていた刀を振り下ろしてくる。


 絶体絶命、だが――


 ――


「くそっ、間に合えッ!! 俱霊装(ぐれいそう)玄天(げんてん)!! 抜錨(ばつびょう)ォオオ!!」


 裏城が叫ぶ。

 そして、妖怪・玄天に喰わせて硬化した右腕で、大男をぶっ飛ばす裏城。――現れたのは彼だけではなかった。鴉の面をかぶった黒衣の女が、凛とした声でただ一言。


「――俱霊装・(ともえ)


 玉響(たまゆら)、空間が大きく揺れ動く。雲を切り裂いて地へと墜ちてきたのは一体の龍だ。蛇のような長い胴体に藍色の鱗をまとった龍が、イカヅチのように降り、大男を呑み込んでしまう。……地底へと沈んだ龍の通り道には、何も残っていなかった。

 水傘は、鴉の面を外してヒバナの肩をたたく。


「行って。後始末は、私たちがするから」


「水傘さん! なんでここに?」


「話はあとで、ね。新潟深区の浄化は君たち黄泉阿代(よみのあしろ)に任せたよ」


「はいっ!!」


 ヒバナと皆鳥は、さらに奥へと走っていく。

 その背中を見届けてから、水傘は再び鴉の面をかぶった。


 坊主頭の男がわざとらしい口調で言う。


「いやぁ、くわばらくわばら。これはこれは、怖ろしいですねぇ。フルイドと葬儀会のトップが一緒になって現れるとは」


「――国際テロ組織、ヒトリガの幹部。『刑死』の黄泉人、油場(あぶらば)青蝶(あおちょう)。新潟深区に潜伏していた理由はおそらく、要石の回収ね」


「さすがは水傘会長! ぜんぶお見通しで。では私はこれで……」


 逃げようとする油場の前に、裏城が立つ。


「おいおい、アンタ。この状況で逃げられるわけないでしょ?」


 しかし、油場の体はどろりと溶けて。

 ――最初からそこにはいなかったかのように、消えてしまう。


「なッ、逃げたァ!? いつの間に――」


「やれやれ。相変わらず騒がしいですね、裏城管理官」


「いやァ、水傘会長。さっきまでいたんですよ、あの油場がここに」


「知ってますよ。私も話していたんですから」


「まぁ、そりゃそうですよね。ていうか、大丈夫なんですか、水傘会長」


「はい?」


「あんなに力を使って……って、え? 水傘会長ッ!!」


 会話の途中に突然、音を立てて倒れる水傘。

 彼女の首元の血管は、黒く腫れ上がり、今にも破裂しそうだった。


「……黄泉阿代、あとは頼んだぞ」


 裏城はヒバナが走っていった方へ、そうつぶやいてから、水傘を背負って来た道を引き返す。――笛のような音を鳴らして、夜空に打ち上がる花火。

 揺らめく人の影たちも、みな、空を見上げていた。


 明けない夜と、彼岸の夢。お祭りの終わりも近いようだ。


 ――


 亡者の声を聞いて辿り着いた先、海原の真ん中には、ぽつんと祠が置かれていた。俺と皆鳥先輩は、最後の鳥居をくぐって祠へと歩いていく。

 観音開きの戸を開いて、中を見れば、そこには穴があった。


 底の見えないその深い穴を覗き込むと、ゆらゆらと水面が揺れていた。

 ――この穴の中には、水が入っているのだろうか。


 俺は、死火猿から渡された錨を、手に持って目をつぶった。


「どう、ヒバナくん? なにか聞こえる?」


「わかんない。……でも、なんとなくここに沈める気がする」


「――それじゃあ、終わらせよう。この新潟深区の物語を」


「終わらせて、解放して。皆鳥先輩は、新しい物語を始めるんだ」


「……、そうだね」


 錨を穴の中に落とす。


「これで終わりだ――ッ!!」


 水面が揺れる。


 ――


 いま、凍てついた時間が解けて、動き始める世界。

 星の軌跡(スタートレイル)が、何千、何万もの円を夜空に描く。季節は次から次へと巡り、とめどなく溢れ出した亡者の声が、囚われていた感情が、風になって波間へと流れゆく。


 その先には、きっと、澄んだ青空が待っているだろう。


「来て、ヒバナくん。浄化して晴れる前に、最後に花火を見にいこっ!」


 俺は皆鳥先輩に手を引かれて、打上花火が咲く街へと走り出した。

 彼岸の海を渡って、生きとし生ける者の世界へと帰る。


 物語は続いていく――

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