第一話|『黄泉阿代/ヨミノアシロ』
これは、生きるよりも遠い、
死の果てを生きる者たちの物語である。
――
2015年、冬。ある廃火葬場で一人の遺体が見つかった。老朽化した古い火葬炉では火力が足りず、遺体の一部は黒焦げの状態で残っていたという。司法解剖の結果、遺体の身元は、近くの街に住む十六歳の少年Aだと判明した。
また、少年Aの『死因』は、睡眠薬を飲まされた上で生きたまま焼かれたことによる焼死だと明らかになった。――遺体発見から三日後、少年Aの父親が殺人の容疑で逮捕された。その後、少年Aの父親は有罪となり、死刑判決が下された。
その事件から、十年後……。
「あっ、裏城管理官! お疲れ様です!!」
東京都世田谷区の住宅街。立ち入り禁止のテープの下を潜りながら、一人の男が現場の警察官たちに手厚く迎えられる。死んだ目をした、何とも地味な風貌の男だ。
裏城/ウラシロ、と呼ばれたその男は、現場に集まった野次馬を一瞥することもなく、黒い革手袋を装着しながら住宅街の先へと歩いていく。路上には、人と人ならざる者の死体が無造作に転がっており、辺りには独特な甘いにおいが漂っていた。
「ひどい有り様だな……」裏城はひと言そう零すと、コートのポケットから深度計を取り出して針の先を目で追った。針は、数字の4をさしている。それは懐中時計によく似た、深度計と呼ばれる専用の機械。エリアの汚染度を計るためのものだ。
「深度4。これはマズいな。俺一人じゃぁ――」
言いかけた瞬間、ぷつんとテレビの電源を切るように、底の見えないような暗闇が裏城を呑み込む。どうやら、すでにここは檻の中。死者の領域が世界を染める。
民家、自動販売機、バス停、電柱、掲示板、信号機、すべての物体が溶けかけの蝋のように形を失い、色を失い、ドロドロと不快な鳴き声を上げていた。
「チっ、遅かったか」
低く構えて戦闘態勢に入る裏城。
――闇の向こう側から、何者かが近づいてくる気配があった。
それはまるで、街灯の明かりを求めて彷徨う虫のように。
ゆっくりと、確実に。こちらへ近づいてくる。
速くなる鼓動の音。数多の死線をくぐり抜けてきたベテランの裏城であっても、あちら側の世界では、ただ一つの命しか持たない人間に過ぎなかった。……人の一生は一度切り、善人も悪人もみな等しく、そのルールに従って生きている。
――だが、もしも。
死の果てを生きる者がいたとしたら。
「……、ん?」
暗闇の奥に浮かび上がる輪郭、それは明らかに人の形をしていた。妖怪でも、怪異でもない、人の形だ。時に人々は、死者の領域からこちら側の世界へと帰ることを『黄泉帰り』と呼ぶらしい。――裏城は、その人影の正体に覚えがあった。
ボロボロの服を身にまとった十代半ばの少年。痩せぎすで、破れた衣服の隙間からは、あざだらけの皮膚が見える。十年前、その残酷な事件内容から連日マスコミに取り上げられた〈少年A殺人事件〉。裏城は、公安部にいた頃、仲の良かった刑事部の同僚から、その事件の詳細を聞かされた事があった。
いまでも忘れることはない。あの時の怒りを、絶望を。
これまで幾つもの凶悪犯罪を目の前で見てきた裏城だが、彼の心が麻痺することはけっしてなかった。ただ、麻痺したふりを演じなければこの仕事は続けられない。だからそう、自分を自分で洗脳していただけ。痛くない、痛くない、と。
この手の届く範囲で、救える命があるならば。
「――ッ!!」
ふらふらと、虚ろな目でよろめく少年。
裏城は少年の手を取って、暗闇から逃げるように走った。
握ったその手には、たしかに、生者の熱があった。
第一話|『黄泉阿代/ヨミノアシロ』
長い、――あまりにも永い夢を――見ていた気がする。
燃え盛る炎の中から手を伸ばして、救いを求めた。誰でもいい、誰でもいいから、この声が聞こえてるなら、なぁ神様だっていい。「熱い」、「痛い」、「死にたくない」、呪いの言葉のように、何度も、何度も、何度も繰り返し――、叫んだ。
喉が焼けて、次に二つの肺が溶けて。黒焦げになっていく躰、せめて魂だけは亡くさないように。「いくな」、「消えるな」――此の聲、鉄の箱を貫いて、とどけ。と。
今際の際。霧の向こうに咲き誇る【赤】を見た。
其れは、ヒガンバナの赤。あァ。彼岸ノ花よ、なぜそうも美しいのか。美しくなければ、此の手、伸ばすことなどなかったのに。伸ばすことなど、なかったのに。もういいか……揺らぐ心、だってもう十分、悲しんだじゃないか。
みんな、みんな、君のことを邪魔だ、邪魔だと罵って、与えられる愛も無いというのに、暴力を振るわれるのが怖いからと「お父さん! お父さん!」媚びる人生。あんなクズに頭を垂れるくらいなら、地獄の鬼の足を舐めるほうがマシさ。
――、おいで。こっちにおいで。坊や。
「あァ。もういいんだね、もう、いいんだね」
それから。ただ、延々と続く黒よりも黒い深像/心臓の先へ。遥か彼方の宇宙よりも深い場所、生きるよりも何千、何万年と遠いカーテンの先へ、歩いていた。カーテンの先には淡い灯りが在って、それが「救いの終わり」なのだと悟った。
膝小僧に穴をあけて、その窪みに雨水を溜めて、その水の中、空の底、泳ぐ金魚の小さな命が数億、阿僧祇、不可説不可説転。荒唐無稽な夢、夢、夢の終わり。
「なに、己に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたら」
…………
……
目が覚めると、真っ白な天井があった。手と足の指先には、微かにびりびりとした痺れがあった。長いこと正座をしていたような、そんな感覚。痛くはない、むしろそれが「生きている」ことの証のように思えて、胸が不思議と熱くなる。
どういうわけか、俺は生きている。
ここが死後の世界では無いならばの話ではあるが。
「あ……あ、あぁ……」
声を出してみる。喉が、震える。
次に、目だけをそっと動かしてみる。どうやら、ここは病室のようだ。椅子に机、テレビ、木目調の壁。中央のベッドの上には、自分の身体が横たえられていた。一面のガラス窓から光が差し込み、その向こうに視線が吸い寄せられる。
そこには、どこまでも続くビル群と、隙間を縫うように走る道路。透き通るような青の空が、世界いっぱいに広がっていた。その青の中、ひときわ目立つ青の塔が、静かにそびえ立つ。何でもない、何も変わらない東京の街――、なのに。
その日常の景色が、理想郷よりも遠い場所にあるように思えた。
……視線を窓から天井へ戻そうとしたとき。
「おはよう。目が覚めたみたいだね」突然、視界の外側から話しかけられて、思わず肩がびくっと跳ねる。無意識に反応する身体、この経験はいつだって妙な恥ずかしさを覚えるものだ。加えて、びっくりしたぁ、なんて言おうものなら恥は倍増だ。
声の正体は何者だろうか。
思ったより、俺は落ち着いていた。
「ふふっ、すまない。驚かせてしまったようだね」
声の正体は、鴉の面で顔を隠した、背の低い女性だった。フードの付いた黒衣で身をまとい、漆黒の手袋で指先まで覆い隠すという、見事なまでの覆面っぷりだ。声は女性のものだったので、仮に、背の低い女性としておこう。女性の少し後ろには、同じ黒衣をまとった男が二人、控えるように立っていた。ただ、彼らは顔を隠してはいない。背に両手を回して立つその様から、女性の方が上の立場だと推測できる。
「……誰、ですか?」
はじめに出てきたのは何でもない疑問の言葉。
背の低い女性は、一歩近づくと。
「怯えなくていい。私の名前は水傘、君の味方だ」
そう答えて。
そっと手を差し出してきた。
――
一方、裏城は――。少年Aを保護してから数日が経った今もまだ、世田谷区に発生した『死界域/シカイイキ』の浄化作業を行っていた。生者の世界を呑み込み、浸食する禍事の奔流――死界域。それはまるで濃霧のように、じわじわと、遍くすべての空と地と海の輪郭を溶かしながら、此岸と彼岸の境界線を曖昧にしてしまう。
死界域の内側で夜が明けることはない。刻々と無を刻みながら、永遠に繰り返される夜と夜のループ。暗闇の奥底には、人ならざる者が「生」を求めて蠢く。
「裏城さんッ! これじゃあキリがないっすよ!!」
機動隊員の一人の言葉に、他の隊員も息を切らしながら頷く。ここ数日、ろくに食事も睡眠も取らないで戦い続けた彼らの足元には、人ならざる者の肉片や血が無数に飛び散っていた。「限界か……」頬に付いた血を手の甲で拭って、つぶやく裏城。
今回の死界域は、かなり深い。
(このままだと、またアイツから――)
嫌な予感はなぜか当たる。それを証明するかのように、裏城のコートの内ポケットに入ったスマホが、死者の領域には似合わない軽快な着信音を鳴らし始めた。
「はい、もしもし? あのォ、申し訳ないですが、いま仕事中なので。緊急の用でなければ、あとでかけ直してもらってもいいですかね?」
「――では、緊急の用です、裏城管理官。世田谷区の死界域の浄化、なかなか上手くいってないみたいですね。よければ、我々が力を貸しましょうか?」
電話の向こう側の相手――水傘は、淡々とした声色で提案する。いや、提案ではない。彼女の場合は、いつだって押し売りだ。裏城は、ストレスで白く染まりかけている髪をくしゃくしゃにかきながら、長い、それは長いため息をついた。
同じ理想を掲げる組織のリーダー同士、仲良く手を取り合うべきなのだろう。だが、どうにも馬が合わないのは何故か。とにかく、裏城は水傘のことが苦手だった。
「あのねぇ、何度も言ってるはずです、水傘会長。俺たち警察の正義は、誠実と信頼の上に成り立ってるんです。トップがお面で顔を隠した組織なんて……」
「この令和の時代に、相変わらず古臭い考えをお持ちですね、裏城管理官。それに何度も説明したつもりです、我々は、内閣直轄の公的な組織であると」
「はァ……だから厄介なんですよ……」
渋い顔をしながら、裏城は言葉を続ける。
「また例の能力者の力を使うつもりでしょ?」
「えぇ、ただし今回はすこし話が違います。なんとこの度、我々の組織にも実動部隊を新設することになりました。しかも、なんと! 霞が関のお墨付きですよ」
「会長、あなた分かってて言ってるでしょ。俺たち公務員が上の名前出されたら逆らえないってこと。ほんと……ズルい謳い文句を毎度持ってくるものだ」
「では、我々が力を貸すということで?」
「俺は何も答えませんよ。どうぞ、好きにしてください。水傘会長」
「相変わらず素直じゃないですね、裏城管理官。ではでは――」
電話を切った水傘は、運転手に指示を出す。
「向こうの許可が出ました。予定通り、現場に向かってください」
首都高速を走る、品川ナンバーのトヨタ・クラウン。その後部座席には、水傘と少年が並んで座っていた。少年は、渡されたスマホで、ここ十年間で起きた重要な出来事を片っ端から検索している。まるで、タイムスリップをしたような気分だ。
感染症による世界規模のパンデミック、新しい年号、地震、死界域汚染の深刻化、オリンピック、戦争、温暖化、AI問題、妖怪・怪異の移民問題、物価高、社会現象を巻き起こしたマンガやアニメ、流行りの音楽――世界は絶えず変化する。
そして少年は、あるニュース記事に辿り着く。
〈少年A殺人事件から今日で十年。あの悲惨な事件はなぜ、起きたのか?〉記事の中では、少年Aの当時の同級生たちへのインタビューが書き起こされていた。少年Aの印象について、真面目、やさしい、優等生、似たような言葉が繰り返される。
――あァ。もう、聞き飽きた。十分だ。
そんな言葉で救われるくらいの人間なら、大人しく成仏してただろうな。こっちはいま喉が渇いて、喉が渇いて仕方がないんだ。もし、この渇望が満たされるなら。
水傘は、拳を握りしめる少年を見て、仮面の奥で静かに笑った。
――
小学生の時、一度だけ父が旅行に連れて行ってくれたことがあった。その日の父は妙に機嫌が良くて、出発前のコンビニでメロンソーダを買ってくれたのを覚えている。行き先はとなりの街にある遊園地……そこで俺は、ヒーローに出会った。
舞台の上で怪人や怪獣と戦うヒーローの姿が、瞳を通してきらきらと輝いて見えた。マンガもアニメも見させてもらえなかった小学生の俺には、そのショーはあまりにも衝撃的で、刺激的で、思わず父に「俺もヒーローになりたい!」そう言った。
父はなにも答えなかったが、すこしだけ口角を上げて笑っていたような気がする。人生で初めて、本当に心の底から「なりたい」と思えるものを見つけた俺は、将来の夢について発表する授業で宣言したんだ。将来の夢は、正義のヒーローだって。
そしたら先生はこう言った。
「君は頭もよく、人の痛みや悲しみを理解できる人ですから。きっとなれると思いますよ。先生は君を応援しています」それが、初めて人に認められた瞬間だった。
――なれる訳がないのにな。
父にすら勝てないような人間が、なれるわけないじゃないか。
「ん? どうしたの?」
ふいに道の途中で立ち止まった俺を見て、水傘さんが首をかしげる。一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅街。足元のアスファルトには「止まれ」の文字が、白線で描かれていた。十一月の風は刺すように冷たく、燃え盛る炎でさえ吹き消してしまうだろう。
死界域の影響で太陽が出ているはずなのに――
進む先の空は、真夜中のように深く暗い。
「水傘さん。俺はいまから何をさせられるんですか?」
「それは、どういう意味だい?」
「はぐらかさないでください。俺が生きていた時代には、すでに存在していたはずです。――黄泉人、なんですよね、俺」
「なら、君が一番よくわかっているんじゃないかな」
「やっぱり、そうなんですね、その言い方。聞いたことがあります。黄泉人は自分の『死因』を異能に変えることができる能力者だって――だから、政府は黄泉人を兵器みたいに使って、それで、飼い殺すんだって!!」
「……、言いたいことは言えた?」
「なんなんですか。みんな、みんなそうやって俺をバカにして。俺が十六歳の子どもだからですか? 無知だから、簡単に言いくるめられると思って――」
「じゃあ、いまここで選んで? 君に与えられた二回目の人生、普通に生きていきたいなら、ここで右に曲がって真っすぐ進むこと。生活の支援はしてあげる、重要人物だからちょっと監視はするけど、我々から君に何かを強制することはない。ただ、もしこのまま私についてくるつもりなら――」
「なら?」
「君にはヒーローになってもらう」
そんな言い方……、ズルいじゃないか。この人は分かってて言ってるんだ。陰謀論を言い訳にした偽りの怒りも、ありのままの自分をさらけ出したいというこの喉の渇きも、俺の「虚飾」で塗り固められた上っ面も。ぜんぶ、ぜんぶ分かってて――。
ならさ、選ぶ道は一つしかないじゃないか。
その白線を越えて、舞台に上がって、化けの皮を剥いで。優等生の俺を喰らって、ぶっ壊してさぁ。本能のままやりたいことやっていいんだって。
――なぁ、そうなんだろう?
そうじゃないと割に合わないだろ。
人生は悲喜こもごも、山あり谷ありって言うけどさ、俺が生きてきた十六年は悲劇一色だったな。挙句の果てには生きたまま焼かれて、「何のために」、「誰のために」生きてきたのだろう、って。そんな虚しさを味わうためだけの感情なんて、俺の心には端っから必要なかった。なら、最初から空白のままでよかった。
――やっぱり、選ぶ道は一つしかない。
「俺は、自由に生きてみたい。自分勝手だ、わがままだ、って怒られるかもしれないけど。見たいもの、食べたいもの、やりたいこと、まだまだある。だから……」
生まれて初めて、本音で人と話した気がする。
そんな俺を見て水傘さんは、そっと手を差し出してきた。
病室では掴めなかったその手を。
「俺は、ヒーローになりたい!」
今度は、しっかりと掴んだ。
手袋に包まれた水傘さんの手――
そこから伝わる仄かな熱が、俺の心に火を灯す。
「君はさ、まだ十六歳の子どもなんだから、それでいいんだよ。やりたいことをやって、生きたいように生きて、必死に夢を追いかけて。たまに上手くいかなくて、失敗して、後悔して。今はまだ自分勝手でいい。――後始末は、私たちがするから」
「……、はいっ!」
「おぉー、いい返事だね。それじゃあ、行こっか」
――
生者の領域と死者の領域の境界線を抜けた先には、地獄のような光景が広がっていた。異様な姿、形をした人ならざる者らが、領域内に迷い込んだ者の命を喰らおうと嘆き叫ぶ。その声が不気味なサイレンのように響き渡り、惨憺たる混沌を奏でる。
――死界域のルールは至ってシンプルだ。
その領域を生み出した「王」が存在する。
その王を倒せば、死界域は消滅する。それだけ。
全天を覆い隠す、黒い影。其れは、果てしなき闇夜を背負い――宇宙の静寂と、深海の虚無を伴って、底の無い空の底から這い上がってくる。ドロドロに溶けた蛸のような頭巾を被った異形の老人。その背は、ゆうに七十メートルは超えるだろう。
王は、ゆっくりと侵攻を始める。
踏み潰された建物は、絵の具のように粘性の液体と化し、流れ出る。
燃え盛る炎の中から手を伸ばして、救いを求めた。誰でもいい、誰でもいいから、この声が聞こえてるなら、なぁ神様だっていい。「熱い」、「痛い」、「死にたくない」、呪いの言葉のように、何度も、何度も、何度も繰り返し――、叫んだ。
その声は俺のものか?
ならさ、もう苦しまなくてもいいって。
「もう地獄は飽き飽きだって――」
俺は、反逆者になるんだって、叫び返してやる。
感情が焼けるほどに熱い。この痛覚が怒り、悲しみ、恨みなら。全部、全部、燃料にして、この心を焼き尽くせ。死にながら死に尽くせ。畢生を焦がして、魂を剥き出しにして――解き放て。この身を焦がす炎でさえ、喰らい尽くして開花する。
その死に様は、きっと残酷しいだろう。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――!!!!」
叫ぶ、少年の躰を燃え盛る炎が呑み込む。皮膚が溶け、黒焦げになった骨が、まるで鎧のように、ヒーロースーツのように、形を変えていく。頭蓋骨はマスクに、そしてあばら骨は花が咲くように大きく広がり、天使の如く翼と化した。
変身した少年のその姿は、
さながら黒焦げになった天使のようだ――
「ぜンぶッ、燃やし尽くしてやるよッ!!」
抉れるほどの強い力で地面を蹴って、跳ぶ――空を飛んで、炎をまとったまま、少年は王の巨躯へと突っ込む。全身から触手を伸ばし、哭き声を上げる王。触手は暗闇を捻じ曲げながら襲うが、圧倒的な火力が少年を守る――次々と破壊される触手。
――夜空、赤い月、黒焦げの天使が舞う。
天使の鼓動に、ぐつぐつと煮えるような業火が宿る。
「少年A殺人事件の犯人のクソオヤジ。まじで胸糞。死んでほしい」
違う、そうじゃなくて。
「あいつ死刑だって。マジよかった、死んで当然」
違う、そうじゃなくって。
「教師は、周りにいた大人は何も気づかなかったのか」
そんなことを言ってほしいんじゃなくって。
ただ生きて、って。生きろって言って――この手を引いて、地獄から救い出してほしかった。ただそれだけの願いを、叶えてほしかった。誰でもいいから――
誰でもいいから。俺のそばにいてほしかった。
黒焦げの天使は炎をまとって、堕ちる――王の脳天を貫いて、その焼劇/衝撃で王のことごとくを燃やし尽くす。燃やして、燃やして、燃やして、跡形も無くなるまで徹底的に燃やし尽くして。火を以て、浄化する。夜空には一輪の火の花が咲く。
――やがて、世界は晴れ。
死界域が消滅したあとの空は、どこまでも突き抜けるように高く、透き通るような青色をしていた。汚染されていたエリアの住宅街は、形を、色を取り戻して。まるで何事も無かったかのような澄まし顔で、もとの日常へと、溶け込んでいた。
変身が解けた少年へと駆け寄り、その身を一番に抱き寄せたのは裏城だった。放心状態の少年。――裏城は、その「死」を湛えたような瞳を見て、息を呑んだ。
「くそっ。力を貸すって、こういうことかよッ!」
行き場のないやるせなさに拳を握りしめる裏城。
そんな彼の背中を軽く叩いて慰めの言葉をかけたのは――
「まぁまぁ、裏城管理官。そう自分を責めないでください」
鴉の面の女、水傘だった。
「なんで……、なんでなんですか。水傘会長」
「なんで、といきなり言われましても。私には言葉の意味がわかりませんね」
「この子にもあったはずでしょ!! 普通に生きる権利ってやつが!! 美味いもん食って、なにも難しいこと考えずにだらだらと過ごして、そういう普通の生き方をする権利があったはずです。この子はもう十分、地獄を見てきたんですから……」
「私は、あくまでも彼の意志を尊重したまでです」
「……けしかけたのはあんたでしょ」
小声でぼやく裏城――彼のその言葉が聞こえていたのか、いなかったのか、しかし水傘が答えることはなかった。控えていた黒衣の男が、少年を抱えて車に乗せる。
彼女らが去ったあと、裏城はひとり、静かに立ち尽くし。
皮肉なくらいに晴れ晴れとした空を見上げながら、タバコに火を点けた。
凍て空に紫煙が消えてゆく。
*
東京都台東区。上野駅から徒歩五分――
国立科学博物館の日本館、その地下二階に『葬儀会』の本部はあった。「会長室」と刻まれたプレートの部屋に招かれる少年。中央に鎮座する重そうな木製の机と椅子が、ずしんと存在感を放つ。「どうぞ、座って座って」と砕けた口調で言う水傘。
机の上には、湯気が立つお茶とドーナツ。
水傘は「ではでは」と、話を切り出す。
「まずは、君の名前を決めないとだね。いつまでも『少年』じゃあ味気ないだろう」
「名前? それなら前の――」
「あぁ、ごめんね。もうその名前は使えないんだ。前の君の名前、つまり戸籍は、死亡届がすでに受理されて抹消されているからね。だから新しい名前を考えよう!」
「えっ? 俺が考えていいの!?」
「名前は、ね。苗字はこっちで用意したからそれを使ってもらう。まぁ、いろいろと面倒な手続きが必要でさ。苗字だけは我慢してね、名前は君が決めていいから」
「わかった! で、その苗字って?」
「クロネコの『黒』に、花がサク、の『咲』って書いて……」
「くろ、さく……? ……くろさき?」
「そ、正解。黒に咲くで、『黒咲』です。君の苗字は今日から黒咲だっ!」
「やった! カッコいい!!」
「よしよし、気に入ってもらえてよかったよ」
目を輝かせながら笑う少年の表情は、彼の等身大を映し出すようだった。黄泉から帰ったばかりの彼は、本心を偽り、本音を隠し、無機質で完璧な鉄のベールで心を覆い隠していた。だが――今ここにいるのは、ただひとりの十六歳の少年。
――そのときだった。
ノックが三回鳴って、「お邪魔しまーす」という声とともに、ドアが開く。跳ねるような、軽やかな足取りで部屋に入ってきたのは、黒いセーラー服の少女だった。
「おっ! 君がうわさの少年くんかぁ。で、なんの話してたの?」
「いまちょうど、彼の新しい名前について話し合ってたところだ。黒咲くん、紹介するよ。彼女は――」
水傘の言葉を切って、少女は自ら名乗る。
「私、皆鳥羽十葉。今日からよろしくね、相棒」
「え? 相棒? 俺が?」
少年は、何のことかよく分かっていないが、少女が――皆鳥/ミナトリが差し出してきた手を、とりあえず握った。すると、皆鳥は嬉しそうな顔で、握ったその手をぶんぶんと縦に振った。そしてそのまま、彼女はふわっと少年のとなりに座った。
突如として降り注ぐ甘い香りに、思わず目を背ける少年。
そんな彼の様子を気にする素振りもなく、皆鳥は話を続ける。
「ね、まだ名前決まってないならさ。ヒバナ、ってどうかな?」
「ヒバナ……うん、カッケーかも。漢字は?」
「うーんと、そうだねぇ。ここはあえてカタカナはどう?」
「……、黒咲ヒバナ。すごくいい……っ! 俺、これがいい!!」
こうして。少年の二度目の人生――
彼は『黒咲ヒバナ』として、生き直すことになった。
「あらためて」
そう一拍置いてから、話し始める水傘。
「黒咲ヒバナくん、君は今日から我々の仲間だ。――君には、実動部隊『黄泉阿代』のメンバーとして活動してもらう。まぁ、大仰な言い方をしてしまったが、実はまだ新設したばかりの部隊でね。今のところ、メンバーは二人。黒咲くんと、君のとなりに座ってる皆鳥くん。皆鳥くんには教育係をお願いしているから――」
「なんでも聞いて、頼って。ぜひ、皆鳥先輩と呼んでくれたまえ。ははは」
「はい! よろしくお願いします、皆鳥先輩!!」
いま、永い夢から目覚めて、ヒバナの物語が始まる。
地獄を生きて、黒焦げになって、それでも手を伸ばした少年の物語――。
――
洗濯機がぐるぐる回る。丸い窓の向こう側――
色とりどりの衣服が、渦を作ってぐるぐると回る。
東京は夜。街角のコインランドリー。
「今年は暖冬だと思ってたけどさぁ、やっぱ冬はさっみぃなぁ……」
皆鳥先輩がつぶやく。
横並びのパイプ椅子に、俺と先輩。
皆鳥先輩はすごくきれいで、落ち着いた可愛さのある人だ。たぶん、学年問わず、ひそかに人気になるタイプのそんな人。年は俺よりひとつ上らしいけど――年齢以上に大人びて見える。……ストレートロングの深い茶髪、左目の下の泣きぼくろ。そして黒のセーラー服にスカート、黒タイツに黒のスニーカーと、全身黒コーデなのは水傘さんもそうだったけど――組織の中では、黒色が流行っているのだろうか。
気がついたらじっと先輩を見てしまっていたことをごまかすために、俺は、なにか話題はないか、話題はないかと、探して。水傘さんから聞いた話を思い出した。
「そういえば。――皆鳥先輩も黄泉人、なんだよな……?」
「水傘会長から聞いたの?」
「……、うん」
俺がそう答えると、
先輩はすこし悩んだ素振りをしてから話し出す。
「そうだね。黄泉から帰ってきたのはヒバナくんよりも一年くらい前のことだけど、私が死んだのはヒバナくんが死ぬよりもずっと前。……自殺したんだ、私」
――重い。重い、けど。そうだよなぁ。
死なんて、ふつうはバッドエンドばかりだ。
死の物語は往々にして、痛みを伴う。そういうものだ。
「ふふっ、困ってるね。ヒバナくん」
返事に迷っていると、皆鳥先輩が突然、俺の眼の奥を覗き込むように、ぐいっと顔を近づけてくる。「ぅひゃあ!」予想外の出来事に、素っ頓狂な声を上げる俺。
「もう、なんだよいきなり」
「いやぁ、ヒバナくん超困ってるなーって思って。……ね、違う話しよっか。好きな食べ物は? 好きな音楽は? 好きな季節は? 好きな数字は?」
「なに、それ。つまらない質問だな」
「そういうつまらないところからプロフィールを埋めていこうって話だよ。ヒバナくんはまだ理解できないかもだけど。存外、人間って、そういう些末なことを積み重ねることではじめて、人間らしい、ってなるの。だからこれは、ヒバナくんと私が人間になるための儀式、ね?」
「よくわかんないけど……わかった。好きな食べ物はカレーライスで――」
俺が答え始めた瞬間、ぐるぐると回っていた洗濯機が止まる。同時に、俺と先輩の会話も止まる。「また今度、つづき話そっか」そう言って笑う皆鳥先輩――。
いつの間にか、冬の夜の寒さは、どこかへ消えていた。




