第17話 ルイの心象界――前編――
私が目を開けたとき、世界が白く滲んでいた。
さっきまで、厩舎の灯の下にいたはずだ。
落ち着け。もう一度、何があったのか思い出すんだ。
★ ★ ★ ★
あれは、夜勤の報告を終えた直後だ。ルイが「これで今日も終わりだな」と笑った――その瞬間。
言葉の続きを待つ間に、ルイの体がふっと止まった。
まばたきも呼吸もあるのに、焦点だけが遠くを見たまま動かない。
慌てて主任を呼ぶと、札が光り、文字が浮かんだ。
〈記録塔修復:運転士心象記録 自動再生〉
主任の声が通信越しに聞こえた。
「……塔の修復に伴って、保留されていた記録が同期を始めたな。かつての塔崩壊事故のとき、帰らなかった第九便がらみで、ルイの記憶ログだけが塔とつながらずに止まっていた。今、塔が完全に動いたせいで、その記録が再生を始めている」
「つまり、今のルイは……」
「自分の記録の中に引きずり込まれてる。下手に呼び戻すな。ガイドが入るしかない」
★ ★ ★ ★
――だから、私はここにいる。
ルイの“中の過去”に。
光の中を、私は落ちていた。
風はないのに、身体がどんどん沈んでいく感覚だけがある。
周囲は真っ白で、方向も距離も分からない。
――ここが、ルイの心象世界。
主任の言葉が、もう一度頭の奥で反響する。
『自分の記録の中に引きずり込まれてる。ガイドが入るしかない』
その“ガイド”が、私。
胸ポケットの定期券がかすかに光っていた。
光は糸のように伸び、私の周囲をゆらゆらと包む。
その先に、何かが見える。
石畳の街路。
馬車の影。
――そして、若いルイ。
今よりずっと幼い。十代半ばくらいだろうか。
制服はくたびれて、肩口にほつれがある。
でも、目だけは今のルイと同じだった。まっすぐで、少しだけ寂しい。
「……やっぱり、ルイの記憶なんだ」
私は足を踏み出す。
地面は柔らかく、まるで夢の中を歩いているみたいだ。
ルイの影は、古い車庫のほうへ向かっている。
霊体馬の蹄音が、遠くで響いた。
――これが、彼の“最初の仕事”。
声にはならなかったけれど、そんな確信が胸に浮かぶ。
記録の中で、彼はひとりだった。
仲間の姿も、主任の声もない。
「行くよ」
私は光の糸を握りしめ、ルイの後ろを追う。
霊体馬が動くたびに、世界が薄く揺れる。
時間そのものが、呼吸みたいに伸び縮みしている。
ルイの小さな背中が、御者台に立っていた。
風を受けながら、何かを探すように遠くを見ていた。
その表情が――今の彼よりもずっと幼くて、痛々しい。
私は息をのむ。
その目の先に、崩れかけた線路があった。
光の車輪が、その縁で止まる。
「危ない……!」
思わず声を上げたけれど、ルイには届かない。
彼は手綱を引き、車体を支えようとして――
轟音が響いた。
光の破片が飛び散り、車体が大きく傾く。
私は反射的に駆け出した。
足元の地面が波打つ。それでも走る。
――届いて。
伸ばした手の先、ルイの姿が光に飲まれていく。




