第16話 記録塔の崩壊――後編――
白い光の中を、落ち続けていた。
重さの感覚がない。音も、風も、何も届かない。
ふと、地面を踏む感触が戻る。
目を開けると、足元には枕木が続いていた。
線路が、霧の中をどこまでも延びている。
「……記録層の底、か?」
声に、誰も答えなかった。
ただ霧が流れ、遠くから車輪が軋むような音が聞こえる。
瞬間、胸の奥が強くざわついた。
――あの日の音だ。第九便。
記録塔の最下層で起きた、唯一の“帰らなかった便”。
ルイは線路の上に立ち、ゆっくりと歩き出した。
霧の向こうに鉄橋が浮かび、その上で光の影が動く。
制服姿の仲間たちが見えた。御者台には若い頃の自分が立ち、笑い声と指示の声が入り混じって、幻のように霧の中へと反響している。
笑い声と指示の声が混ざり合い、幻のように反響していた。
「……やめろ。もう終わったはずだ」
ルイは拳を握る。
だが足は止まらず、幻の列車に近づいていく。
列車の車輪が火花を散らし、橋の上を駆け抜けようとしていた。
『流れが乱れてる! ルイ、速度を落とせ!』
『もう少しで安定層だ、抜けられる!』
次の瞬間、列車が光に包まれた。
轟音とともに橋が砕け、世界が白く染まっていく。
衝突の感覚が再び全身を駆け抜けた。
息が詰まり、足元の線路が崩れ落ちる。
その光の中に、暴走した霊体馬の影があった。
鎖がほどけ、赤い瞳がこちらを向いている。
怒りではなく、怯えたような目だった。
「……止めなきゃ、また同じことを繰り返す」
ルイは札を取り出したが、手が震えた。
光が乱れ、札の文字が滲む。
そこへ、かすかな声が届いた。
「ルイっ! 聞こえる!?」
ミナの声だ。
遠く、けれど確かに聞こえる。
「どこにいるの!? 返事して!」
「……ここだ。下層の内面界だ」
「もう! 一人で落ちないで!」
「落ちたくて落ちたわけじゃない」
「でも、今は繋がってる!」
ミナの声が強くなり、光が反応する。
霊体馬の暴走音と混ざり合い、世界が激しく揺れた。
「ミナ、扉を固定しろ。流れが逆転してる!」
「了解! “順番どおり”にね!」
その言葉に、ルイの口元がわずかに緩んだ。
いつかの言葉。――怖いときは順番どおりに。
ルイは床に札を叩きつけた。
魔力陣が広がり、暴走する馬を囲む。
光が反転し、鎖が再び形を取り戻した。
「……戻れ」
馬の瞳が青に変わり、暴れる足が止まる。
輝きが収束し、線路も、橋も、霧の中に溶けていった。
気がつくと、足元にはひとつの金属片が転がっていた。
――真鍮の鍵。
今度は冷たくない。確かに温もりがあった。
光が鍵を包み、世界の色が変わっていく。
霧が晴れ、重力が戻った。
崩れた記録塔の床が視界に広がる。
そこには、扉の向こうから必死に手を伸ばすミナの姿があった。
「ルイ! 早く!」
「……今、戻る!」
ルイは力いっぱい走り出した。
光の境界を跳び越え、ミナの手を掴む。
ルイたちの体が、同時に床へ転がり込む。
塔の揺れが収まり、霊体馬が低く嘶いた。
ミナが息を切らしながら笑う。
「戻った……!」
「ああ、ギリギリだったな」
ルイは掌を開き、真鍮の鍵を見つめる。
そこには、小さく刻まれていた。
〈第九便・再送完了〉
ミナがそれを見て、安堵の息をつく。
「今度は、ちゃんと帰ってきたね」
「ああ、やっとだ」
ルイは崩れた天井を見上げた。
そこから差し込む朝の光が、ふたりの肩を照らしていた。




