第15話 心の迷子たち――前編――
朝の厩舎って、なんか落ち着く。
草と紅茶がまざったみたいな匂いがして、霊体馬のたてがみがきらきら光ってる。
ルイはいつもどおり手綱の点検中。私は机の上の札を並べてた。
「久々に平和だな」
ルイが背を伸ばした。
「そう言うとトラブルが起きるよ」
笑いながら返した瞬間――机の端で、通信札がピッと鳴った。
「……ほらね?」
「言霊ってやつか」
ルイがため息をつく。私は札を手に取った。
淡い光がにじみ、中心から豆粒くらいの輝きがぽん、と跳ねた。
え、なにこれ。
次の瞬間、光は床に落ち、小さな猫の形になった。
「……かわいい」
「それ、記憶体だ」
ルイが少し身を乗り出す。
「固定が終わってない。つまり、迷子だ」
「迷子……!」
猫は尻尾を立て、こちらを見上げる。目が透きとおってる。
「大丈夫、怖くないよ」
そう言った途端、猫はくるりと向きを変えて――扉の外へ走った。
「あっ、待って!」
「追うな!」
ルイの声が背中に飛んでくる。けど、もう足は動いてた。
外に出た途端、風が顔に当たる。
猫は屋根の上を飛び移りながら、こっちを振り返ってくる。
「ちょ、早っ……!」
スカートの裾を押さえて、私は必死に走った。
「待ってってば! 危ないから!」
猫は振り向き、目を細める。
「完全に警戒されてるなあ……」
屋根の端を蹴った猫が、細い路地に飛び降りた。私もその後を追う。
路地の奥で猫が止まっていた。瞳が、人みたいに光って見えた。
「……迷子なんだね」
しゃがみ込んで、手を差し出す。
「帰りたい場所、ある?」
猫は首をかしげて、尻尾の先で地面をなぞった。
そこに浮かんだ文字は〈家〉。
「そっか、帰りたいんだ」
胸が少しあたたかくなった。
「大丈夫。ガイドがちゃんと送ってあげる」
猫は一度だけ鳴いた。音は出ないのに、確かに“にゃあ”って聞こえた気がした。
私は胸ポケットから札を取り出し、地面に当てた。
光の糸が走り、猫の足元に円が描かれる。
「記憶再送、ミニサイズ仕様――これで、帰れる」
猫が輪の中心でくるりと回り、光になって消えた。
ほっと息をつく。
「よかった……ちゃんと帰れたね」
背後から声がした。
「ガイドが迷子になってどうする」
「うわっ、ルイ!?」
振り返ると、腕を組んだルイが路地の入り口に立っていた。
「塔の監視札に“単独出動”の記録が残ってた。主任に怒られるぞ」
「だ、だって放っておけなかったんだもん!」
「理由が正しくても、無断行動はアウトだ」
「……反省します」
近づいてきたルイが、私の頭を軽く小突いた。
「次からは報告してから動け。ガイドが迷子じゃ洒落にならん」
「はい……」
視線を落としたら、ルイが少し笑ってた。
「でもまあ、ちゃんと帰してやったなら上出来だ」
「でしょ?」
「次は二人でな」
「うん!」
風がやわらかく吹いて、路地の奥に光の残り香が漂った。
私はそれを見つめながら、そっとつぶやいた。
「……おかえり」




