第7話 海辺の約束と揺れる灯
潮の匂いが、一瞬で馬車に流れこんだ。
「わ、まぶしい!」
ミナが目を細める。扉の向こうは青い海と白い砂浜。波がきらめき、カモメの声が空へ抜けていく。
「やっと南の配達か。暑いけど、これは歓迎だ」
ルイは手綱を軽くあおった。
「北のあとだから、余計に嬉しいね!」
「お前、暑いの苦手じゃなかったか」
「寒いよりマシ!」
「どっちも文句言うんだろ」
霊体馬が軽く嘶き、馬車は海沿いの石畳を滑る。潮風が窓から入り、地平線までの青が広がった。
港のはずれに、古い灯台が一本。先端の灯は消え、昼間でも分かるほど寂しく沈んでいる。
「……あれが今回の目的地?」
ミナが扉の外をのぞき込む。
「そう。“灯台の光を動かせ”って依頼だ」
「動かせって、どういう意味?」
「魔具としての灯を再起動、だろう。人からの依頼じゃないなら、灯そのものが呼んでる」
「灯が呼ぶ……ロマンチック」
「仕事的には、面倒の極み」
馬車の扉は半開きのまま。外の風が誘うように吹き、視界がきらりと歪む――次の瞬間、扉の先は灯台内部へ接続された。
「また、心の中に繋がったね」
「灯り自体が“記憶の核”ってタイプだ」
石の階段がうっすらと光り、上へ伸びる。途中に古びたランタンがひとつ、宙に浮いていた。
「これ……まだ光ってる」
ミナが扉の境目から身を寄せる。小さな明かりが呼吸みたいに明滅していた。
「魔力反応。完全には消えてないな」
ランタンの光がふっと強まり、空間に幻影が揺れる。
白い灯台の上、若い船乗りが笑っている。そばに、髪の長い娘。
『この灯が見えたら、帰ってくる。約束だ』
娘はうなずき、ランタンを受け取る。光が風に包まれ、映像はほどけた。
「……帰ってくる、か」
ミナの吐息が小さく混ざる。
「この灯、まだその約束を守ろうとしてる」
「嵐で船ごと消えた……か」
「だから光が止まってる。“迎える相手”がいないと動かない仕組みだ」
「仕組みって言うと冷たい」
「でも事実」
「分かってるけど、私は“想い”の方が好き」
ミナがランタンへ指先を差し出す。半開きの扉の境目越しに、光が絡みついた。
「まだ生きてる。ねえルイ、この灯、もう一度ちゃんと動かそう」
「お前、すぐ情に入る」
「だって、仕事でしょ?」
「正論を正面から投げるな……」
ルイは息を整え、手綱を握り直す。
「上まで持っていく。光は高いほうが届くだろ」
「じゃあ、私もテンション上げる!」
「上がるのは灯だけでいい」
霊体馬が蹄を鳴らし、周囲の空気がゆっくり光を帯びる。
階段がかすかに震え、扉の向こうでランタンの光が――動き始めた。
灯台内部で風が巻き、壁面を滑るように光が走る。宙のランタンが小さく震えた。
ルイは目で合図を送る。
「行くぞ」
「うん!」
霊体馬が一歩進むたび、馬車の縁に淡い輝き。扉の先――塔の中心に細い光柱が立ち上がる。
ミナが両手で光を包む。動きに呼応して、炎がふわりと膨らんだ。
「ねえルイ、光が――」
「上がってるな」
階段上部から光の粒がこぼれ、海の方角へ流れていく。
ルイは海へ視線を送った。
「海面をなぞってる……帰り道みたいだ」
「約束の道、だよ」
ミナの声が少し弾む。
「詩人が出たな」
「ロマンは大切!」
「現実はもっと大事」
「うるさい、今いいとこ!」
海の彼方で影が動く。輪郭が宿る――白い帆船。風を受け、光の道を滑るように近づいてくる。
「船だ! 戻ってきた!」
ルイは息をのみ、灯台の真下で船影が光に溶けるのを見送った。
ランタンの炎が一度だけ大きく膨らみ、柔らかな音を残して静まる。残ったのは、穏やかに揺れる光だけ。
「……これで、本当に帰れたんだね」
ミナが胸の前で手を重ねる。潮風が頬をかすめ、ルイは小さく息を吐いた。
「待つほうも、迎えるほうも、どっちも勇気がいる」
「珍しくいいこと言う!」
「自覚してるから、褒めなくていいぞ」
「照れてるー!」
「違う」
ミナがランタンを扉の外へ掲げる。小さな光が風に溶け、海の上でひときわ強く輝いた。
「依頼完了、っと」
ルイは手綱を引く。霊体馬が嘶き、御者台の下で板ばねが軽く鳴った。
「次はどんな配達かな」
「どうせまた面倒なやつ」
「そう言うわりに、いつも楽しそうだけど?」
ルイは苦笑し、手綱を指先で軽く弾いた。
潮風がふたりの間を抜けていく。
「お前が騒がしいからな」
「それ、褒めてる?」
「うるさくても静かでも、退屈はしない」
「……それ、微妙に嬉しいやつ!」
馬車がゆっくり向きを変える。扉の先に光の渦。潮風が最後に二人の頬を撫でた。
灯台の頂で、灯がふたたびともる。白い光は海面を滑り、遠い水平線まで伸びていった。




