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黒き城の昼餉


 街の門を抜けたところで、冒険者らしき三人組の姿が目に入った。

 剣を帯びた青年は鋭く、槍を持つ大男は堂々としている。杖を手にした女性は、静かに二人を見ていた。息の合った、典型的な冒険者の一行だった。


「最近、魔物の活性化がひどいらしいぜ」

「組合から注意報が出たくらいだしな」

「昨日なんか、街の近くにまで出たって話よ」


 耳にしたくない言葉だった。

 けれど、聞こえてしまえば心がざわつく。結那は気づかれぬよう足を速めた。


 ──しかし、悪い予感ほどよく当たる。案の定、声がかかった。


「嬢ちゃん、そっちは魔王領だ。危険だから立ち入らないほうがいい」


 心臓がひとつ跳ねた。

 それでも笑みを作り、できるだけ自然な調子で答える。


「は、はい。わかってます。ただ……少しだけ、魔物の調査を頼まれてまして」


 (……ごめんなさい。建前です)


 三人は思ったより親切で、森の様子を丁寧に教えてくれた。

 北側は特に危険で、昼でも魔物が出るということ。そして、動きの不自然な個体が増えているということ。


 結那は深く頭を下げながら、心の中で静かにメモを取った。


 (これで調査中って言い訳、完璧。誰にも怪しまれずに城に帰れる)


 そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた。

 三人に礼を告げ、街道を歩き出す。けれど、背中に残る視線はなぜか長く消えなかった。


 陽はまだ低く、森を渡る風が頬を撫でた。鳥の声が遠くで響く。

 足元の小石を蹴る音が、微かに弾んだ。


 そのたび、頭の片隅にあの城の姿が浮かぶ。

 ──魔王様は、今日もあの玉座にいるのだろうか。


「ただいま」と言える相手がいること。それが少し不思議で、少し嬉しかった。

 結那は歩みを早め、黒い尖塔を目指した。


 森の空気は、奥へ進むほど冷たく、静かになっていく。枝葉の隙間から覗く城の影が、今日はなぜか遠く感じた。


 そして、城門をくぐった瞬間──鼻をくすぐる香りに足が止まる。焦げた鉄と香草が混じったような、不思議な匂い。胸の奥がざわめいた。


 (……まさか、また何か実験?)


 嫌な予感を抱えたまま玉座の間を覗くと、案の定、中央で鍋がぐつぐつと音を立てていた。

 黒衣の裾を揺らしながら、魔王が木べらを手にしている。

 その周りでは、腕の太いオークと翼を小刻みに動かすハーピーが、真剣な顔で鍋を覗き込んでいた。


「……魔王様? 何をしてるんですか」


 声をかけると、魔王は振り向きもせずに言った。


「おお、戻ったか。今日はな、こやつらに美味なる料理を振る舞おうと思ってな」


 鍋の縁を擦る木べらの音が、広い空間に淡く響く。


「はあ……いきなりどうしたんですか」

「いや、そろそろ威厳を示す頃合いかと思ってだな。『食』で心を掴むというやつだ」

「それ、心じゃなくて胃袋ですよね……」


 つい口をついて出た言葉に、二体の魔物が同時に頷いた。

 いや、そこは否定してあげてほしい。


 すると、オークが低く唸るように呟いた。


「肉……もっと肉だ」


 続けて、ハーピーが翼を広げて声を張った。


「胃袋を掴むのは、心を掴むのと同じです!」

「……ほらな?」


 魔王は満足げに顎を上げた。

 どうしてそこで誇らしげになるのか、理解はできない。けれどその姿を見ていると、呆れながらも、少しだけ笑ってしまう。


 しかし、今回は笑っている場合ではなかった。


「そんなことより、本当に大変だったんですよ。ルメイルの森で、ノクス・ウルフに襲われて……」


 あの冷たい息づかいが、ふと蘇る。

 ほんの少しでも遅れていたら、ここには戻れなかったかもしれない。


「なぬ、ノクス・ウルフだと?」


 鍋の泡が止まり、魔王の声が低く響く。

 張り詰めた空気が玉座の間を包み──そして次の瞬間。


「……それは、どんな魔物だ?」


 その一言で、結那は思わず息を吐いた。

 本当にこの人、魔物の王なのだろうか。だが、横顔は先ほどよりも僅かに引き締まっていた。


「うむ、冗談めかしても仕方あるまい……あやつは我の支配下のはず。お主を襲うなど、本来ありえぬことだ」


 沈黙が落ちる。

 やがて、ハーピーが小さく羽音を立てた。


「魔王様。最近、森や山で魔物たちの生態に異変が起きていると、仲間の間でも噂が……」

「なに? なぜ今まで黙っていた」

「何度もお伝えしようとしました! でも魔王様が──『今は新しい決めポーズを考えている最中だ、後にせよ』とか、『玉座の座り心地を極めておるのだ、後だ』とか……!」


 高い天井に声が反響する。

 魔王は顎に手を当て、しばらく考えるような素振りを見せた。


「……うむ。あれは重要な研究だったのだがな」


 結那は言葉を失った。

 それが研究なら、世界はもっと平和になっているはずだ。


 オークもハーピーも、「まあ、魔王様だし」とでも言いたげな顔。誰も疑わない。その信じきった空気が、少し羨ましかった。


 ──本当に、この人は魔物の王なのだろうか。

 けれど、彼らが何の疑いもなく従う姿を見ていると、それもまた王のかたちなのかもしれないと思えてしまう。


 鍋の中からふわりと香草の香りが立ち昇る。焦げた匂いに混じる甘い香りが、不思議と胸の緊張を解いた。


 魔王は木べらを置き、ゆっくりと振り向く。


「──話はあとだ。まずは腹を満たせ。空腹ではまともな判断もできん」


 その言葉と同時に、鍋の中身が食卓へと運ばれた。


「いただきます!」


 声を合わせて手を合わせるや否や、オークが肉に手を伸ばした。器いっぱいに山盛りにし、豪快に食らいつく。


「肉……肉!」

「ちょっと! お肉ばっかりじゃなくて野菜も食べなさい!」

「鍋は肉を味わうためのものだ」

「違うわよ! 鍋は野菜を食べさせる口実なの!」


 鍋論争が延々と続く横で、結那はそっとスープをひと口。


 (……なにこれ、美味しい。悔しいけど、美味しい)


「ふふん、どうだ。我の料理の腕前は」


 得意げな魔王の顔。

 魔物たちは「美味しい!」「さすが魔王様!」と口々に褒め称え、広間は一気に賑やかになった。


「さて……もう少し肉を追加するか」

「魔王様、そうじゃなくて!」


 思わず立ち上がる。

 鍋の周囲の視線が一斉にこちらへ向いた。


「報告しなきゃいけないことがあるんですよ」


 オークとハーピーは口をもぐもぐさせたまま、目だけでこちらを見る。

 魔王は「仕方ないな」と言わんばかりに頷いた。


「実は……魔物の観察をしている最中に勇者一行に会ったんです」

「なぬ?」


 魔王の目が僅かに鋭く光り、空気が張り詰める。

 結那は慌てて両手を振った。


「違うんです! 戦ったわけじゃなくて! ただ……勇者一行の中で魔物研究をしている人に会って……ルークって言う方で」

「魔物研究者、だと?」


 魔王は首を傾げた。結那は簡単にその時の様子を説明する。

 真面目で、少し抜けていて、けれど魔物の話になると目を輝かせる人だったと。


「ふっ……勇者一行の中に、そんな小僧がいたか。筋金入り、というやつだな」


 魔王の口角が上がる。どこか楽しげだった。

 その反応には、少しだけ不安を覚える。


「それと、ルーディアの街から戻る途中でも、三人の冒険者に会って……その人たちも、魔物の異常行動について話していました」


 オークとハーピーが顔を見合わせる。

 魔王は静かに息を吐き、背もたれに体を預けた。


「うむ……まずは森を調べる必要があるな。お主、ゴルド、そしてリーネ。三人で行ってくるのだ」

「……え、私もですか?」

「決まっておろう。我が信頼する手駒のひとつだからだ」

「いやいや! 手駒扱いはやめてください! それに私、白石結那って名前がありますから!」

「ふむ、そうであったな」


 隣でオーク──ゴルドと、ハーピー──リーネが顔を見合わせた。「まあ、魔王様だから」とでも言いたげに。


 鍋の湯気が立ち込める。奇妙で穏やかな空気のまま、次の任務が決まってしまう。


 (やっぱりこの人、雑だよね。でも……やるしかないか)


「森では安全と効率を最優先にせよ。異常を見つけたら即座に報告だ」

「はい!」


 声を合わせて応じる。

 鍋の湯気の向こうで、世界の歯車が、そっと音を立てていた。

 結那がそれに気づくのは、もう少し先のことになる。


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