27.あまい、甘い
彼女が近づいてくると、それに伴って、気が狂うほどに甘い香りが理性を一つずつ壊していくのが分かる。
無意識に引き寄せられる身体。酷い目眩の中で、何かに縋りたいと思う歯止めがきかない自分に悪寒がする。
ふわりと揺れるローズレッドの長髪が、俺の唇に指を添えた彼女の髪が、微かに頬に触れた。その瞬間、唯一耐えていた冷静さが破壊されて、もうなにも抑えられなくなったのがわかった。
……これ以上、耐えられない。我慢なんて、できない。
「……もう、どうなっても知らないからね。」
たった一つの警告を落として、俺は目の前の白い果実に噛みついた。
甘い。噎せ返るほどの強い香りに、願うまま、彼女の肩を掴んでいる手に力が入る。
こんな量じゃ、足りない。全然、どこにも満たされない。
まだ、まだなにも満たせない。もっと、もっと、もっとのみこんでしまいたい。
もう抑えなんてきかない。まだ、まだたりない。
……自分が、芯から壊れていくのがわかる。なにも抗えなかった自分にひどく絶望していたはずなのに、それが段々薄れていった。
甘い果実にあてられて、忌まわしい快楽に落ちる。この餓えを満たすためだけの欲に、這い上がることもできず墜ちていく。
でも、まだ。まだ、なんにも足りない。もっと、まだ、まだ……。
やっと意識が引き戻されたのは、呼吸をするのを忘れて、酸素不足に身体が痛みを覚えたときだった。
彼女の肩口に頭を預け、なんとか呼吸する。それでも落ち着く様子が見られなくて、冷や汗が目に入って、余計に喉が締め付けられた。
不意に、背中に優しい感触がくる。アナリーが、汗ばんでいる俺の背を繰り返し優しく叩いて、呼吸を促してくれていた。
「大丈夫。一旦、落ち着きましょう。」
咳き込んで、呻き声や空嘔吐きを抑えて、やっと呼吸を整える。落ち着いたことを自覚したとき、やっと彼女の首を見て、絶句した。
一つ二つじゃない。数え切れないほどの傷が、アナリーの白い首筋に咲いていた。無意識に抉ったのか、皮膚を削り取ったような傷もあって、途端に手が冷える。
「ぁ……アナリー……。ごめ、ごめん……。ごめんなさ……。」
あの日に誓った。決めたのに。
俺は絶対に、傷つけたりしないって。欲に打ち勝って、溺れたりなんかしない、って。
「ごめん……。本当にごめん、俺……。」
薄気味悪い。気持ち悪い。自分が、此処まで欲に抗えないんだと、初めて知った。
アナリーの体調は?傷を治さないといけない。早く最適な行動を、早く、はやく……。
「キラ。」
アナリーが、俺の顎を、細い指でクイッと上げて、自分と目線を合わせた。それから、俺の顔を見ると、安心したように柔く笑った。
「……顔色、少し良くなってるわ。よかった。」
死ぬかもしれなかったのは、俺じゃなくてキミの方だよ。もし俺が止められずに、このまま吸い続けていたら、俺は明らかにキミを殺していたんだから。
「ごめん、アナリー……。」
俺がまたそう呟いたとき、耐えきれなくなったのか、涙が音なく頬を伝って落ちていった。




