16.不安げに揺れる夜
なんだか、今日はお城が騒がしい。私が目を覚ました時から、すれ違いゆく吸血鬼が皆、切羽詰まった様子で城の中を走り回っている。今日、血をあげる予定だったB班リーダーのハーゲッデ・リゼですら「そんなことをしている場合じゃない」と、私のすぐ横を急ぎ足で通り過ぎていったくらい。
「何か問題でも起こってるのかしら……?」
なんか、皆が焦ってバタバタしているから、漠然と不安になる。とりあえず出てみよ。
と、部屋から出て歩いていると、他の吸血鬼とは打って変わって、落ち着いたように歩を進めている金髪が見えた。
あの髪色は、彼だ。
「ユーリス!」
A班に所属する吸血鬼の統領、ユーリス・ビディ。天然パーマの金髪に、鮮やかな苺色の瞳を持つ、幼い印象の吸血鬼。そんな彼に、私は声を掛けた。
「お、アナリー!今日もいい夜だね!」
ニッコリと、幼さの残る笑顔が振り返る。あまりにもその様子が爽やかで、私は一瞬、言葉に困った。
「いい夜だね、じゃなくて……。どうしたの?なんか、皆忙しそうだけど。何かあるの?」
何かが起こっているのなら、吸血鬼のボスに聞くのが一番手っ取り早い。彼の返答を待ってみると、笑顔を湛えていたユーリスは、スッと目を逸らした。
「ん-っと……。ちょっとね……。」
早く言わんかい。こっちはアンタたちが心配なのよ。
わざとらしく、訝しげな表情を作ってみる。私の顔に観念したみたいで、ユーリスは自分のマントを体に引き寄せた。
……ん?あれ、マントを引いた左手に違和感が……。
私は首をひねったけれど、ユーリスはそれには気付かなかった。私の顔に自分の顔を近づけ、内緒話をするような声量で、ぼそり。
「あとわずかで、城が襲撃される。」
は?
「襲撃?なんで?」
え、戦争の火種になるようなこと、何かしたんですか?っていうか、此処にしか吸血鬼いないのに、何処と争うって言うの……。
「人間たちが、君を攫いに来たみたいだ。」
ユーリスが放った一言に、微かな納得感と、大きな確信が落ちてきた。
まさか、私を取り返しに来たの……?元居た世界へと?
此処に来るには、あの鏡を通るしか方法はないって、はじめにレイネル・ハルマが言っていた。今はリーピリーの祭りでも何でもない。何でもない日に此処へ来られる人なんて、誰もいない筈なのに……。
ユーリスは、驚いた私を見て悲しそうに微笑むと、私に向かって手を伸ばした。それから、そっと、私のローズレッドの髪を一束、指に絡める。
「アナリー。……申し訳ないけど、まだ君を帰すことはできないよ。俺は、城の奴らを飢えさせるわけにはいかない。」
……そう言っておきながら、どうして、そんなに虚ろな目をするの?
大切なものを壊してしまったような瞳で、ユーリスは私を見つめる。まるで、どろりと落ちる血のような赤黒い瞳で。
私を縛るのが、怖いんだ。私が帰りたいと望んだら、帰したいと思っているんだ。髪に絡めた指の震えが、紛れもないその証拠だよ。
でも、優しい彼だから。私を苦しめたくないと言っても、それで私をマチレ村に返して困るのは皆だと、しっかり分かっている。
私《供物》と皆《吸血鬼》を秤にかけて、心苦しくも皆《仲間》を取った。
「……最適解よ。」
「え?」
意図せず口に出していたらしく、脈絡のない私の言葉にユーリスは戸惑いの色を見せた。それに手を上げて謝ってから、彼を不安にしないよう、笑みを浮かべた。……ちょっとドヤ顔になっちゃったのは、もう仕方ない。
「私は、はじめから覚悟してる。此処に残るわ。どうせ、二年後には返してくれるんでしょう?」
村には、誰一人帰ってきてませんけどね!それを言っちゃあ終わりよ。気にしないでおくれ。
ユーリスは、私の言葉に目を丸くする。それから、安心したように笑みを浮かべる……と、思った。思ったのに。
目の前の彼の顔は、何故か真っ青だった。
「え、何よ、ユーリス。一体どうし……。」
「っか、覚悟!?」
辺りをつんざく悲鳴にすら近いそれが、耳に通った。
どうした、ユーリス。何があった。此処に来てから一週間が経ったあの日、二人で話したはずじゃないの。
「私、前に貴方に言ったでしょう?此処には、喰われるつもりで来たのだと。何をそんなに驚くこと……。」
その声に、顔を青くしていたユーリスはハッと何かに気付いたらしい。私から一歩仰け反り、申し訳なさそうに目を逸らした。
「あ、ああ……。そうだったね、ごめん。……ありがと。」
「ええ。」
戸惑いを隠しきれていないながらも、私が此処に残ると言ったことには安堵したらしい。
さて、先程から、何度もチラつく左手の違和感。そして、今さっきの態度。更に、どろりと赤黒い彼の瞳。
……私の、即興の予感が正しければ。
「ねえ、もう一つ、聞きたいことがあるんだけど。」
「ん?なーに?」
ほら、やっぱり違和感。言葉の端々にすら、私は引っ掛かる。
じっと、目の前の彼の目を見る。鮮やかな苺色とは明らかに違うそれに、私はわざと低い声で尋ねた。
「……貴方、|ユーリスじゃないでしょう《・・・・・・・・・・・・》。」