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15.悪魔の手を取った青年


 青々とした山脈を背に、今日も伸びをする。肺を染める豊かな空気は、彼女が……アナリーが消えた日から、幾分か冷たくなったように感じる。

 隣のメルテ家は、アナリーが消えた日から、すっかり生気を失っていた。彼女の両親も弟妹も、もういない彼女を(こいねが)って涙を流している。マチレの華と呼ばれたアナリーの母・クララさんも、娘を失った悲しみに、影を落としていた。

 自分は、そんな彼女たちを元気づけられはしないかと、何度も何度もメルテ家に顔を出した。

 アナリーの父・ボリスさんは、そんな自分を見て「アナリーを愛してくれていた君こそが一番辛いだろうに」と繰り返し言ってくれたが、悲しみは比べようがないから、と返した。

 それに、「愛していた」のではなく「愛している」のだとも伝えた。

 彼女がどこへ行っても、アナリーを愛することには変わりない。それを伝えると、娘は死んだものだと思っているボリスさんはいつも、優しい笑顔で泣いた。


「……やあ、メイナードくん。」

「おはようございます、ロードさん。」

 今日も、いつものようにメルテ家に顔を出すと、綺麗に手入れされた庭で、ぼろぼろになった木刀を握っていたメイナードくんに会った。

 彼はアナリーの弟だが、彼女や他の兄弟たちとは、見た目が違う。メルテ家の子どもたちは、エメラルドグリーンの瞳とローズレッドの髪が特徴的だが、彼はライムグリーンの瞳に、一部だけが黒に染まったサファイアブルーの髪を持っている。

 __そう。彼は、アナリーや他の弟妹……言い方を変えればメルテ夫妻と、血が繋がっていないのだ。

 一昔前、この国を治めていた国王が、交易の規制を緩めて物流を良くしようと考えたらしい。しかし、そこで揚げ足を取られ、違法売買が盛んになってしまった。

 その一つにあったのが、人身売買。メイナードくんは、生まれた土地で奴隷としてこき使われた後、人身売買でたらい回しにされていたのだ。

 アナリーが、心身ともにボロボロになった彼を見つけ、メルテ夫妻に「連れ帰っていいか」と頼み込んだのだ。

 アナリーに心を開いて以降、メイナードはアナリーの側を離れなくなった。姉が自分を助けてくれたから、今度は自分が守る番だと、固く信じていた。

 その意志は、今も潰えてはいないらしい。アナリーが消えたことで目の光を失ったが、まだ鍛錬を辞めていない。

「クララさんに、果物を渡してきたよ。良かったら食べてね。」

「ありがとうございます、いつも。今度は、こちらがお礼をします。」

「自分の家には農場があるし、メルテ家にはいつもナイフやら鍋やらを作ってもらってるから、これくらい大したことないよ。」

 金物加工店の娘と、農場の息子。アナリーと自分の関係性は、そんなものだった。“ただ”の幼馴染。メイナードも、自分たちの関係性についてはわかっていたはずだ。

 でも。だからこそ、彼の顔はいつも穏やかではなかった。その顔は、『弟』がするべき顔では無いだろうと、何度も思った。

「あの、ロードさん。」

 メイナードが、愛想笑いにも近い顔で笑った自分を怪訝に見つめて、声を発した。

「なに?」

 愛想笑いは崩さず、声にも感情を込めずに返す。自分のその様子に、彼は益々不信感を抱いたようだけど、それを振り払うように溜息を吐いてから、彼は持っていた木刀を肩に乗せた。

「……今日は、義姉ねえさんのところへ行くんですか?」

 その質問に何も返せず、愛想笑いも無意識に崩れた。自分のその態度を確信の材料と取ったようで、メイナードは、自分の方へと一歩詰め寄ってきた。

「ロードさん、正直に答えてください。……義姉ねえさんは、まだ、生きているんですね?」

 冷ややかな中に宿る、怖がりな光。……血は繋がっていないのに、その目はアナリーに少し似ていた。

 __ああ、彼女も。あの子も、冷静さの中に微かな怯えを宿して、それでも凛と立っていた。

 メイナードの瞳から目を逸らす。けれども、彼の視線は一向に外れる気配がなかった。

 仕方がないと、メイナードに再度目を合わせる。

「……確証は、無いよ。でも、生きている可能性は限りなく高い。」

 そりゃ、生きていると、そう思うだろう。想いを寄せていた女を失った男が、その女の家に平気な顔で幾度も訪れていたら、不信感の一つや二つ、抱くはずだ。

「その剣は、吸血鬼を倒すために使うものですか?物理攻撃は、効かないんじゃありませんでしたっけ?」

「そんなこと言ったっけ。……まあ、殺せる可能性は低いかな。」

 メイナードの目は、今まで見たことのない色に染まっている。簡単に想像が出来ることではあったが、彼は自分に向かって一つ、言い放った。

「……ロードさん。義姉ねえさんの元へ行くなら、俺も連れて行ってください。俺が、あの人を連れ戻す。俺がやらなきゃいけないんです。」

「ダメだよ。何言ってるの?」

 予想がついた単純な願いを、自分は即座に否定した。メイナードの目は、驚いたように見開かれている。

「どうしてですか?頭数が多いほうが有利でしょう?」

 ……冷静で優秀な義姉とは違い、この男はいささか阿呆に育ったようだ。シスター・コンプレックスを拗らせ始めているこの男にどう言うべきか悩んだ末に、俺はメイナードに微笑みかける。

「じゃあ聞くけど……、君は、アナリーを守れるほど強くなれたの?」

「!!」

 メイナードが、ぎゅうっと木刀を握りしめる。憤慨と羞恥で、顔を赤く染めていた。

 彼にとっての強さは、『武力』のみだ。彼の力量を図る手段は、それ以外に残されていない。

 体力は自分の方が明らかに弱い。けれど、自分にはその欠点を補う別の『強さ』がある。

 けれども、彼にはそれがない。だからこそ、彼を連れていくことはできない。

「……まあ、仮に君が本当に強くても、連れていけないんだけどね。言ってしまえば、君は部外者だから。」

 追い打ちをかけるようにそう言うと、メイナードはようやく諦めたように目を伏せる。しかし、また次の瞬間には、鋭い目つきになっていた。

「じゃあ……、きっと義姉ねえさんを連れて帰ってきてくださいよ。それが出来なければ、次の機会には無理やりにでも、乗り込みますから。」

 メイナードは、自分に向かって軽く頭を下げると、顎を伝った汗を拭いながら、家に入っていった。

 幼い子供のような彼。その後ろ姿が完全に見えなくなってから、自分も一度、家に帰った。


○○○○○○○○○○○○


「エリエ、セトが鳴いているぞ。」

「ああ、分かってるよ。」

 長い髪を鬱陶しそうに払うディロップに返事を返しながら、キィキィと泣き喚く伝書蝙蝠(オレが飼ってる)から、足で掴んでいた手紙を引っ手繰る。

「……。」

 その手紙を見て何も喋らなくなったオレに疑問を抱いたらしく、ベッドに身を預けていたディロップがのそりと起き上がった。均整の取れた上裸のこいつは、また増えた体の傷を摩りながら、オレの手の中の手紙を覗き込む。

『“悪魔の身体”を貰い受ける。それに伴い、アナリー・メルテも返してもらう』

 殴り書きされた文面は、近頃よく見る人間の文字の形だった。

「……トリエミアの奴らか。」

「ああ、だろうな。あいつ等は悪魔の言いなりなんだから。」

 オレもディロップも、無意識に顔を顰める。役目を終えた伝書蝙蝠は、危険に晒されるであろうオレたちを心配するように、一つ鳴いた。

「……全員に伝えておけ。」

「おう。」

 オレとディロップは、二人同時に動き始めた。

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