13.厭忌・懊悩
「……ってことがあった。」
C班所属の吸血鬼、コルリ・メッセは、私の向かいの机について、オーバーサイズのシャツから覗く左手で頬杖をつき、寝惚けているかのような半眼で、小さく溜息を吐いた。
「それは……。」
「心配、ですね……。」
そのコルリの後ろでは、二人の吸血鬼が同時に、困惑したような声を上げた。
……そして私は、そんな吸血鬼三人に囲まれながら、調理・食事室で温かいスープを飲んでいる。
今話題に上がっているのは、先程終えたばかりの、農作業のあとの出来事について。一緒に作業をしていた、D班所属の紳士的な吸血鬼ゴウ・タイルが、作業の終了後に別の仕事の手伝いに行くと言い出したことだった。
「コルリ、何故そんなに不安がるの?ゴウ本人が、手伝いに行こうと思っただけなんじゃ……。」
「アナリー。」
俯いていたコルリが、少し顔を顰めた半眼で私を見遣る。ホリゾンブルーの虹彩に驚いて、私はそっと、口に持っていきかけていたスプーンを置いた。
「ゴウはただ、他の吸血鬼に、良いように使われているだけ。ずっと見てきたから、間違いない。」
穏やかで、けれど有無を言わせぬその声に、口を噤むほかなかった。
私が此処へ来て、まだ日は浅い。けれど、ここにいる吸血鬼は、全員知っているはず。
だからこそ、想像がつかない。それに何より、コルリが『ゴウが良いように使われている』事実を、淡々と口にしていることに、心の陰りを憶えた。
「良いように使われてるって、なんで受け身なのよ……。」
「実際にゴウが受け身になっているからだ。しかも加害側には高等吸血鬼に脅された者やこれが加害だと気づいていない者もいる。質の悪いことだ。」
無力感混じりの私の疑問に、早口の、コルリではない声が応えた。頬を膨らませたままその声を見上げると、ヤマアラシのように逆立ったポピーレッドの髪と、ラベンダーカラーの目を持つ厳つい印象の吸血鬼が、砂猫と蝙蝠のアップリケが縫われた可愛らしいレースのエプロンを身に纏って、調理スペースの、湯気の上がる鍋の前に立っていた。
厳つい顔・筋骨隆々の体とはかなりアンバランスのファンシーなエプロンを纏うこの彼は、B班に所属する吸血鬼、ドークロー・ヨイノ。武闘派っぽい見た目からだと意外性が出るけれど、料理やお裁縫が得意な、家庭的な吸血鬼。
「C班にも、同じようなのがいる。……そいつは自覚して、自責に駆られて、本人に頭を下げたことはあるけど、それまで。終わってはいない。」
コルリの声が、落とすように呟く。伏せられた目が、どうにもできない現状を噛んでいた。
「なんで、そんなことになってるのよ……。」
「それは、ゴウ・タイルを白マントにするためですよ。」
コルリより優しく機械的な声が、重ねた私の疑問に答えた。
目の前の、外はねの白髪を持つ男。スレートグレイとコバルトブルーのオッドアイを、笑った糸目で隠して、“排斥される吸血鬼の証”・白マントを身に纏った吸血鬼。
「レイネル……。」
湯気が立ち上る、羊肉の香草焼きのお皿を手に持ったまま、レイネル・ハルマは調理スペースから私の方へ歩いてきた。
「私と同じように、排斥するためでしょうね。」
「どうして人をそのように区分したがるのかわからん。」
ドークローは早口のまま、エプロンを丁寧に畳んだ。奥で、コルリが固く手を握りしめたのが分かった。
……そもそも白マントって何なのよ。ドークローも言ったけど、どうして、わざわざ分ける必要があるの。
この世界のシステムに、段々と不信感が芽生える。こんなドールハウスみたいな、生きづらい世界。
なんの為に存在しているんだろう……?
色々、腑に落ちない。
「ご飯は美味しいけど……。」
もくもくとご飯を食べていた私の方を、ドークローが目を丸くして見てきた。楕円に切られたバゲットを飲み込み、私もドークローを見つめ返す。
「なに?」
「あ、ああ、いや……。」
歯切れが悪い。「、」を付けてドークローが喋るのは初めてかもしれない。
返答の続きを待ってみるけれど、ドークローは何故か、横に目を逸らしてしまって、私の方を見もしない。さっきまでは凝視してきたのに。
「ドークロー?」
「……。」
返事しなさいよ。
別にそこまで興味はないけれど、明白にそっぽを向かれると気になるのよ。
すると、笑顔のレイネルが軽やかに立ち上がると、白いマントをふわりと揺らしながらドークローの肩に飛びつき、私の方へと向かせた。
「恥ずかしいんですよ。褒められるの、初めてですから。」
……??
見ると、ドークローの、顔は、彼の髪色にも引けを取らないほど真っ赤になっていた。コルリも、微笑ましいものを見たと言うように一笑した。
「……なかったの?」
「……なかった。」
紅緋の頬のまま、ぼそりと呟く。なんか、可愛いな、この人。
「料理を作ってもどんな言葉をかけても怖がられるばかりで真面に会話をすることが出来なかった。味の感想など聞けた試しがない。だから驚いた。」
あ……そうか。
『へぇ、此処に来ても泣かない奴は久々だな。』
出会った時の、A班の仲間を過剰に信頼する吸血鬼・エリエのあの一言を思い出す。私を揶揄するような響きだったけれど、その言葉は本物の驚愕から来たものだ。
……私は、そう確信できる理由を知ってる。持っている。
単純な照れに見える、ドークローの喜び。私は、それを『それだけの物』として捉えるべく、思考を辞めた。
「まあ、ゴウが本格的に白マントにされるとすれば、私達がどうすればよいか、という話ですが……。」
「そんなこと、させない。……それに、レイネルが白マントなのも、俺は納得してない。」
食器を片付けながら、レイネルとコルリがそんな会話をしていた。その横で、ドークローもしっかりと頷いている。
「こんなことをして何の意味があるのか分からん。」
私も片づけをしながら、ちらりと、レイネルの表情を窺ってみる。少し申し訳なさそうな、けれどもひどく嬉しそうな表情を浮かべて、レイネルは「ありがとうございます」と口元を動かした。
「きっと、B班のガドロブも同じことを思ってる。」
「ああアイツも言っていたな。「そんなことを誰が赦せるか」と。」
コルリとドークローが、普段から人の良い笑みを浮かべている、世話焼きな吸血鬼を思い浮かべて頷き合った。
ドークローは、微かな心苦しさと広がった欣幸を表情に露わにしたレイネルに目線を投げると、フッと笑った。
「俺は差別を好かん。お前の敵に回ることは絶対にしないから安心しろ。」
レイネルは、今までの、何処か機械的な表情づくりを完全にやめた。熱に浮かされたような顔をして、親に叱られてすぐに謝る子どものように何度も頷いた。
「……ありがとうございます。」
私がそれについて言及することはできない。けれど、白いマント、白いズボン、そして、何処の班の色でもない躑躅色の石飾りの彼は、落ち着いた色合いのオッドアイを、綺麗な涙で潤ませていた。