クリーム・ソーダ事始め
※コロン様主催『クリームソーダ祭り』参加作品です。
コロン様主催の突発的自主企画『クリームソーダ祭り』が始まりました。
新作でジャンル不問、作中にクリーム・ソーダが入っていればOKという、かなり条件の緩い企画です。
ただ、主催者様が活動報告の中で、こんなコメントを書いておられたのです。
『歴史ジャンルの参加だけは難しいかと思いますが…(笑)まさか乗り越える強者がいますかね?笑』
むむっ、それはもしや、歴史もの書きの自分への挑戦状なんでしょうか?
──というわけで、まずはクリーム・ソーダの歴史について調べてみました。
1.ソーダ水の歴史
天然の炭酸水を飲用とするのは、古代ローマ時代からあったそうで、当時は薬のような位置づけだったようです。日本でも『日本書紀』に、炭酸水とおぼしき水を飲んで病気が治ったという記述があります。
人工的に炭酸水が作られるようになったのは18世紀。1750年に果汁入りの水に重曹を入れる方法が発見され、そこからヨーロッパで人工炭酸水の製造研究が盛んになり、1776年にスウェーデンで商業生産が開始されました。
19世紀になってアメリカにも炭酸水の製造法が伝わり、1807年にフィラデルフィアの薬剤師が果汁と砂糖で味付けした炭酸飲料を開発し、健康にいい飲み物として自身のドラッグ・ストアで売り出します。やがて他のドラッグ・ストアも真似をして、大人気に。
1832年には、炭酸水を作る専用機械『ソーダ・ファウンテン』を製造販売する会社が登場。1876年の独立100年記念祭で数々の豪華なソーダ・ファウンテンが展示されて評判となり、全米のドラッグ・ストアがこぞって店内に設置するようになりました。
ソーダ水の歴史は、ドラッグ・ストアとともにあったのですね。
2.アイスクリームの歴史
天然の氷を削って果汁や蜜を掛ける原始的な氷菓は、古代ギリシャやローマ時代からありました。
煮詰めた牛乳を雪などで凍らせるシャーベット状のアイス・ミルクも古代中国で発生しています。
現在のアイスクリームの起源に近いのは、1720年にパリで作られた『グラス・ア・ラ・シャンティ(ホイップクリームを凍らせたもの)』でしょうか。
その頃から『アイスクリーム』という言葉が文献に現れ始めます。
やがて1846年にアメリカの主婦が手回しアイスクリーマーを発明し、1851年にはボルチモアに初のアイスクリーム工場が作られることになります。
ちなみに、アイスクリームを作るには原料を氷点下に冷やしながら攪拌し続けなければいけないんですが、氷に塩(または硝石)を混ぜて氷点下にする技術自体は、なんと16世紀(一説には14世紀)には発見されていたそうです。
3.クリーム・ソーダの誕生
アメリカでクリーム・ソーダが生まれたのは、1874年とされています。フィラデルフィアの祭りで炭酸飲料を売っていた店が、氷を使い果たしてしまって、急場しのぎに隣の店のアイスクリームで代用したのが始まりだとか(諸説あり)。
なお、アメリカでクリーム・ソーダと言えば、主にコーラやルート・ビアにアイスクリームを浮かべた物になります。
ルート・ビアとは、『Beer』とは付いていますがノン・アルコールで、ハーブや木の根、スパイスなどで味付けした炭酸飲料です。
コーラの原型とも言われ、アメリカではそれなりにメジャーな飲み物なんですが、日本では『サ〇ンパスの香りがする』なんて酷評する人も……。
4.日本のクリーム・ソーダ
日本でクリーム・ソーダを販売し始めたのは、何とあの『資生堂』です。
資生堂といえば化粧品メーカーの印象が強いですが、もともとは日本初の洋風調剤薬局だったのです。
1900年、資生堂創業者の福原有信はパリ万博の視察に行き、その帰りにアメリカのドラッグ・ストア事情を視察してきました。
そこで、当時大流行していたソーダ・ファウンテン事業と出会うわけです。
これを日本でやってみようとさっそく機械や食器類などを輸入し、1902年に銀座の資生堂薬局の片隅で日本初のソーダ・ファウンテンとして、炭酸飲料とアイスクリームの製造販売を始めます。
これが後に飲食事業として独立し、今日の『資生堂パーラー』になったのです。
そこでクリーム・ソーダがいつから提供されるようになったのかは、はっきりしていません。1922年のメニューに記載があることは確認されていて、当初から14種類のフレーバーがあったそうです。
なお、当時は1杯25銭。同じく銀座の新名物だった餡パンが一個1銭だったことを考えると、相当に高級でハイカラなものだったことは間違いありません。
そんなハイカラな代物ですから、当時の文豪たちもずいぶんと注目していたようです。太宰治や森鴎外の作品中にも、資生堂のアイスクリームやクリーム・ソーダへの熱い思いがしたためられているそうです。
そんなクリーム・ソーダが広く一般にも楽しめるようになったのは、戦後の高度成長期から。
どうして数あるフレーバーの中からメロン味が主流になったのかはわかりませんが、高級品であるメロンへの憧憬もあったんでしょうね。
皆さんも、クリーム・ソーダで涼を味わいながら、その歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
──と、ここで終わったのではただのエッセイになってしまいますね。
小説に出来ないかと考えていた短いネタを、寸劇風に書いてみました。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あ、今日もご来店だ。
店内に入ってきたのは、パリッとした和装に身を包んだ中年紳士。
私が営むこの『資生堂薬局』では、アメリカ流に倣って店内にソーダ水とアイスクリームを売る一角を設けている。
斬新な味わいだと好評で、お客様はみな笑顔で楽しんでくださるのだが、この男性客はいつもむっつりとした顔で黙々と喫食されるので、よく印象に残っているのだ。
「店主、ちと物をたずねるのだがな──」
おや、いつもはぶっきらぼうに注文だけを口にするのだが、珍しいことだ。
「はい、何でございますか?」
「わしは常々疑問に思っていたのだが──クリーム・ソーダに本当に氷は必要なのか?」
「はぁ?」
いきなり何を言い出すのだこの方は。
「冷えたソーダ水にアイスクリームを入れれば、それで十分冷たくなるだろう。氷など必要あるまい。
それに氷が溶ければソーダ水の味わいも薄くなる。どこに入れる必要があるのだ。
おおかた、水増ししてやろうという魂胆なのだろうが──わしは氷などいらん。氷抜きで持ってこい」
ああ、面倒くさい。この手のお客さんはたまに来るのだが、言葉で言っても納得してくれないのだ。
──結末はわかりきっているのだけど。
「わかりました。ご注文通りお出ししますが、お代は先に頂戴しますよ。あと、文句は受け付けませんので」
「いいから早く持ってこい」
うるさそうに手を振って、お客様が25銭をカウンターに置く。
私はこっそりため息をつきながらグラスを手に取って、まずはソーダ水の機械に向かった。
「ああ、氷をなくした分もソーダ水を入れるように。ケチるなよ」
「はいはい、承知しました」
そう言って、私はカウンターにまずトレイを敷いてから、ソーダ水で満たされたグラスを置く。
その上からそうっとアイスクリームを載せると──案の定、アイスクリームはたちどころに沈み、同時に大量の泡が沸き起こってグラスの上からびちゃびちゃとあふれ出したのだ。
「な、何だこれは──!?」
「あのですね、お客様。氷の浮力がないと、アイスクリームなんて浮きゃあしないんです。
おまけにソーダ水と直接触れる面積が大きいと、一気に大量の泡が出てしまう。
氷にはそれを少し防ぐ役割もあるんですよ」
しばらく唖然と、トレイにこぼれ続ける泡を見ていたお客様は、先ほどまでの居丈高な感じはどこへやら、しょげ返ったように頭を下げてきた。
「──素人考えの浅はかさだったのだな。すまぬことをした」
「いえ、わかっていただければよろしいのです。今、作り直しますね」
「あ、もちろん、その分もちゃんと払わせていただく。無駄にさせてしまって申し訳ない」
また袂から25銭を出してこられた。不愛想なだけで悪い方ではないのだな。
ことの成り行きを見守っていた他のお客様たちもほっとしたのか、また賑やかな会話が聞こえだした。
私がまたクリーム・ソーダ作りを再開すると、いきなり店の入り口の方から大きな声が聞こえてきた。
「ああっ、先生、やっぱりここだったんですね!
今日こそは原稿を仕上げていただかないと困るんですよ!」
「い、いや、待ってくれ。これを食べたらすぐに──」
「いいえ、待てません!」
まくしたてるスーツ姿の若い男が、あのお客様の腕を掴んでずんずんと歩き出す。
「待ってくれ! せめて、せめて一口だけでも──!」
「ダメです、先生! さあ、仕事場に戻っていただきますよ!」
お客様が後ろ髪をひかれるように悲しい顔でこちらを振り返るが、まあ、部外者が口をはさむことでもあるまい。
25銭は余計に貰ってしまっているので、次回はタダで出して差し上げようか。
しかし『先生』ということは、もしかしてあの方は有名な作家さんなのだろうか。
うちの店のことを良く書いてくれれば嬉しいのだけれど。
もうお一方、ガチでクリームソーダそのものの歴史調べにチャレンジした方がいらっしゃいました。
投稿ジャンルは『エッセイ』なんですが、勝手にコロン様が言うところの『強者』に認定しちゃいますw
瑞月風花様作『道案内はクリームソーダちゃんでした』(https://ncode.syosetu.com/n4283jl/)
姪っ子ちゃんが作った『クリームソーダちゃん』の写真も必見です。こちらも併せてどうぞ(^^)/