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34.燻製と葛藤


 ヴィーラグアは知らぬ振りで肉を降ろし、狩猟小屋の隣に建つ、より小さな小屋へ向かった。


「これは?」

「燻製小屋だ」


 扉を開くと、中は煤で黒一色に染め上げられていた。

 広さは数人が立って入れるくらい。窓はなく、床は全体が石組の炉になっていて、灰が深く積もっている。

 ヴィーラグアは、天井から下がっている数本の鉤の一つに鹿の骸を吊るし、灰をすくって全体にまぶした。


「それも、旨い料理にするためか?」

「うーん、どちらかというとこのやり方は味が落ちるな。備蓄の中に塩が見当たらなかったので、代用だ」

「そうなのか」


 がっかりしたような声色に、思わず振り向いた。


「おまえ、もしかして料理を楽しみにしていたのか?」

「ち、ちがう! 何やら手の込んだことをやっているから、少しだけ興味が湧いただけだ!」

「あはは、そうか。これは自分たちの食糧じゃなく、人間への手土産にするために保存処理をしておこうと思っただけなんだが。

 そうだな、味見くらいしてもいいだろう。じゃあ本格的にやるから、手伝え」


 横を向いたままのヤーゴートにクスリと笑みを浮かべながら、鹿肉の四肢を切り分けそれぞれを吊るす。

 それから、狩猟小屋の裏手にある薪積みへと向かった。


「えーと。これと、これと、これもか」


 薪積みの中から探るように薪を選び、後ろに立つヤーゴートに手渡していく。


「これは桃桜(ペルヴィーシニャ)の木だ。香り付けには一番いいんだ」

「どれも同じに見えるが」

「そんな事はない。(サースナ)(イエリ)など油が多い木は、臭みが付いて味が落ちる。燃料としては優秀なんだが。

 燻製に向く木は、このままでも良い匂いがするんだ。ほら」


 ヤーゴートが両手に抱えている薪の一本を取り、鼻先に近づける。彼女は二・三度鼻をひつかせてから、顔をしかめた。


「全然わからん」

「そうか? 良い香りじゃないか」


 薪棒を嬉しそうに嗅ぎながら燻製小屋へと向かうヴィーラグアの背中を、ヤーゴートの不信に満ちた視線が追った。


(この雄は、どうしてこんなに人間の慣習に詳しい。それどころか、この場所も初めから知っていたみたいだ。

 母から聞いた? とてもそんな浅い内容ではないだろう。まるでここで暮らしたことがあるみたいじゃないか……。

 いやまさか、そんなことがあるはずはない。こいつは生まれてからまだ数年の赤子のようなものだし、ずっと炎の河の畔で暮らしていたと言っていた。

 だいいち、ヴィーラグアは人間を嫌っている。

 それどころか、もしかすると憎んでいるかもしれない)


 もちろん、ヴィーラグアがそれを口にしたことはない。だが彼が人間を語るとき、怒りに似た何かを、あるいは動揺をこらえているようなゴウラの揺らぎを、確かに感じるのだ。

 そんなヤーゴートの疑念をよそに、ヴィーラグアは嬉々として作業を続けている。

 薪棒を燻製小屋の床に積み上げ、その上から爪刃を使って、薪の削りかすを降らせていた。


「それは、何をしているのだ?」

「こうした方が煙が立ちやすいんだ。さて、これくらいでいいかな」


 山盛りになった木くずをそのままに、今度は森へ向かう。

 小屋のすぐ近くにそびえる大木の前に立つと、太い幹を斜めに斬りつけた。

 倒すのかと思ったら、表面を裂いただけだ。そしてなぜか、その斬り口をじっと見つめている。

 ヤーゴートはその様子を黙ってみていたが、とうとう痺れを切らし、背中から声をかけた。


「おい」


 彼女の声に応えるかのように、ヴィーラグアは幹の表面を指先で拭い、差し出してきた。


「ほら、舐めてみろ」


 笑いを含んだ眼で見つめられ、仕方なく唇を寄せる。ペロリと一舐めして、思わず見つめ返した。


「甘いな」

「そうだろう? これは蜜楓(ミョークリョ)の木だ。とても甘い樹液を出す」

「こんな木は初めてだ。この辺りにたくさん生えているのか?」

「ああ、たくさんというほどではないが、葉の形が独特だから探すのは難しくない」

「へえ」


 蜂蜜ほど濃厚ではないものの、サラリとした甘さが舌に心地よい。


「もっとくれ」

「待て待て、これは料理に使うんだ」


 傍らに立つ別の木の皮を大きく剥ぎ、皿のようにして蜜楓の傷口に添える。滴り落ちる樹液が零れそうなほどに溜まると、そっと離した。


「よし、これあれば十分だろう。あとは好きなだけ舐めていいぞ」


 そう言い残して立ち去ろうとするヴィーラグアと蜜楓を見較べ、ヤーゴートはペロリと幹を一舐めしてから、慌てて後を追った。


「なんだ、もういいのか?」

「うるさい」


 疑念と好奇心と、言葉にならない不可解な感情で、ヤーゴートの(ゴウラ)は風に揺らぐ小枝のように乱れる。

 そんな葛藤を知ってか知らずか、ヴィーラグアは燻製小屋に戻ると、彼女に背を向けたまま肉塊に樹液を塗り込め始めた。

 続いて、床に敷き詰めた木くずにゴウラの電撃を飛ばし、着火する。煙が立ち上り始めるのを確認して、扉を閉めた。


「さて、このまま一晩だ」

「えっ、そんなに待つのか?」

「本当なら二・三日は掛けたいところだ。これでも手抜きなんだが、すぐに食べるならこの方が味は良い」


 すでに夕暮れ時。一眠りすれば朝などすぐだが、御馳走を期待していた胃袋には、その時間が長すぎる。


「何か獲ってくる。その辺を探れば兎くらい見つかるだろう」

「じゃあ一緒に行こう」

「いい。ひとりで行ってくる」

「ん? そうか、迷子になるなよ」

「うう、うるさい!」


 何をそんなに拗ねているのか。訝しんでいるのはヴィーラグアだけでなく、ヤーゴート自身もだった。

 自分で自分の心が、理解できない。

 意味不明なもどかしさと苛立ち。相手が何を考えているか、自分のことをどう思っているのか。


(自分がどう思われているかだって? 私は、そんなことを気にしているのか!)


 もはや、まともに顔を見ることもできない。

 ここにいたくない、その衝動のままに走り出した。

 その後を追うでもなく、森の中に消えて行く後姿を見送りながら、ヴィーラグアは呟いた。


「やっぱりあいつ、可愛いな」



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