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31.望郷の勇者


 翌日、ヴィーラグアたちは赤猴の森を後にし、西へと出発した。

 森は果てしなく続くが、見かけるのはほとんどが小規模な群ばかりで、最初に出会ったドノドンや赤猴たちのような大集団に会うことは滅多になかった。

 どうやら彼らがこの地方の二大勢力だったらしく、その存在が礎となって、周辺の秩序が保たれているようだった。

 それでも何度かは大きな群と遭遇したが、どの群れも概ね友好的で、多少警戒されることはあっても揉め事にまで発展することはない。

 先行する灰色狼と赤猴たちが広めてくれている、西の森の一角熊の王ドノドンが二体の神龍を従え黒猴の群を撃退したという武勇伝のおかげだ。

 そうして西進を続け数十日、人間の暦で一月半ほどが過ぎた。

 道程にして約五百カマールという長い旅路の末に、一行は、これまでにない大河の畔へと達していた。


「おー、ずいぶん大きな河だな。向こう岸があんなに遠いぞ」


 初めて眼にするのだろう、感嘆の声を漏らすドノドンの隣で、ヴィーラグアはこの河の名を思い浮かべていた。

 リーナ(リカ・リーナ)。ロスコア西部地域を北へと走り、その後進路を変えて西の大海へと注ぐ、大陸有数の長流だ。

 前世の知識は、当然のことながら地理や渡航の技術にも及んでおり、星を読むことで現在の位置もおおよそながら掴んでいる。

 いま立っているこの場所は、大陸のほぼ中央、ロスコアの領土的には西の辺境域の入り口だ。

 もっとも、人間の支配は森の深部には及んではおらず、真にロスコアの領土と言えるのは、ここから北へ二百カマールも離れた原野地帯に限られるが。


 深い森に閉ざされた地平の彼方。木々の連なりが途切れた、草原の畔。

 そこには、スノルウィーグの村があるはずだ。

 人間としての意識は持たないはずのヴィーラグアであったが、その村の名だけは、胸の奥に深く刻まれている。

 地を進めば一月を要する距離も、空を渡ればほんの一飛びだ。

 人間でなくなった自分には、もはや何の関係もないのだ。と自らに言い聞かせても、湧き上がる衝動と胸の疼きを抑え切ることは出来なかった。


「くそ……」


 食いしばった口元から、つぶやきが漏れる。

 スノルウィーグは、先の戦争で戦場となり壊滅したと聞いている。もしかすると生き延びた者がいるかもしれないが、そのまま生活を続けることは困難だろう。

 おそらく、廃墟と化している。

 行っても無駄なことだ。


(でも、それを確認するだけでも、気持ちの区切りをつけるには十分かも知れない。ならば)


「ドノドン」

「ん? なんだ?」

「悪いが、数日の間だけ別行動を取らせてくれ。ちょっと寄り道したい所がある」

「寄り道? 別に急ぐ旅じゃないし、遠回りくらい付き合うぜ」

「いや、ひとりで行きたいんだ」

「なんで?」

「うん……」


 言い淀んだが、何もかも隠しておくという訳にはいかない。


「この川の下流の、森が切れたあたりに人間の村があったはずなんだ。たぶんもう誰もいないと思うが。

 二・三日で戻って来るから、先に進んでくれ。すぐに追いつく」

「人間の村? そんなとこに行ってどうするんだ? 人間には関わりたくないんじゃなかったのか?」

「うん……、まあ戦場の跡地を確認するだけだ。人間の領域との境界点だからな」

「ふうん、まあいいけど。往復で二・三日って、片道なら一日か。人間の村がそんな近くにあるとは知らなかった。こりゃ気を付けないとな」

「いや、近くはない。空を飛んで一日だ」

「ああ、なるほど。それじゃあ一緒に連れていけとは言えないな」

「では、私がついて行こう」


 ヤーゴートだ。


「え? なんでヤーゴが?」

「私が一緒では嫌なのか!」

「いちいち怒るなよ。まあいいか、じゃあ一緒に行こう」

「最初からそう言えばいいのに」


 拗ねたように文句を言うヤーゴートを、ドノドンは冷めた眼で見つめる。


(この紅龍の娘。出会った頃とはだいぶ雰囲気が変わってきたけど、もしかするとこっちの方が本性なのかもな。

 ま、余計なことは言わない方が吉だから、黙ってるけど)



      ―――※―――※―――



 空を渡って約半日。

 その日の夕刻には、地平近くに森の果てが見えてきた。

 そこからさらに十カマールほど進むと、リーナ川の支流となる小さな川が流れている。その畔に、スノルウィーグの村があったはずだ。

 だが近づくにつれて、予想とは違った光景が現れるのを眼にして、ヴィーラグアはヤーゴートに声をかけた。


「まずい、下に降りて身を隠そう」

「急にどうした?」

「煙が上がっている。人間がいるということだ」

「別に、人間など気にしなくていいだろう。向かってくるなら蹴散らすだけだ」

「そうはいかない。生活があるならむやみに乱したくはないんだ」


 寒空のもと、数本の細い煙がたなびいている。まぎれもない平穏な暮らしの形に、胸が締め付けられる思いがした。


(そうか、村はあの戦禍を乗り越えたのか。ならば、俺が見届ける必要はもうない)


 必要はないが、この眼で確かめたいという想いは、さらに強くなる。

 それに可能性は薄いとはいえ、もしも家族が生き残っているとしたら。


(父よ、母よ。弟や妹たちよ)


 旅立ちの日の朝、腰にしがみついて「行っちゃやだ」と涙ぐんだ、大きな瞳の末の妹。


(シーニャ……)


 家族の顔を思い浮かべながら森の中に降り立ち、どうやって村に入ろうかと思案する。


(夜を待ってから、忍び込むか。でもそれでは、満足のいく観察などとても無理だろう。やはり明るい場所で、しっかりと見届けたい)


 村人と話が出来れば、家族の消息を聞くことも……。

 そんなことが出来るはずもないことくらい、判っている。判っているのだが。


(いっそ、人間の姿に戻れたら……。いや、待てよ。戻れるのか)


 身体を変化する術なら知っている。己の内にあるゴウラを沸き立たせて、肉体として顕現させるのだ。

 これまで喰らった獲物は、ひととおり顕現できる。そして自分の中には、紛れもない人間のゴウラが眠っているのだ。


 思い立ったと同時に、ヴィーラグアの身体が閃光に包まれる。

 白金の光の中で、肉体が人間の形状に変化しようとする。かつての自分である、アーリィ・ヴァルロシャークの姿に。


「んっ……?」


 だが、上手くいかない。

 アーリィの姿形は、自分のゴウラに刻み込まれているはずなのに。

 背丈を二回りほど小さく、漆黒の剛皮を白い柔肌に。白金にきらめく髪。筋骨は鍛え抜かれた戦士の鎧。

 のはずが、なぜか不格好で浅黒い蜥蜴人のようにしか変化できなかったのだ。

 変化の途中で違和感に気付き、焦りすぎたかといったん術を解いて始めからやり直してみたが、やはり思い通りにならない。

 元々の龍人の形態から、わずかな変化しか得ることが出来ず、体型は辛うじて人間に似ているものの、肌や顔つきは蜥蜴のような無様な姿になってしまうのだ。

 それから数度繰り返してみたが、ことごとく失敗してしまった。




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