27.赤猴族の森へ
肩をすくめるドノドンを横目に、ヤーゴートが言い放った。
「ならば、私がその役をやってやる」
「え?」
「この神龍族の私が、領域全土に黒龍王の復活を宣言する。それだけでどれほどの重みが加わるか判るだろう」
「そりゃ判る、というよりやり過ぎじゃないのか?」
「うん、それは有り難いがちょっと困るな」
「何を困ることがある」
「神龍族が前面に出たら、さすがに大騒ぎになるだろう。人間界にも噂が広まるかも知れない。
まだ人間には知られたくないんだ。いずれ知られることにはなるだろうが、こちらの体制が整う前に、また戦にでもなったら面倒だ」
「なんだ、そんなことか。心配しなくても、人間たちにも戦を起こす余裕などない。痛手を負ったのはあちらも同じだ」
「そうなのか」
ヤーゴートの言う通り、あの戦争に参加した諸国は、人的にも物的にも国が傾くほどの負担を強いられたはずだ。
再び戦を仕掛ける余力など残っているはずがないというのも、うなずける。
だがそんな理屈とは無関係に、自分を顧みず戦いに全てをかける者も、たしかにいるのだ。
「ふっ。ヴィーラグアともあろう者が、そんなに人間が怖いのか」
「ああ、人間という種族の恐ろしさはよく知っているつもりだ。出来れば、一生関わりたくないくらいだ」
小馬鹿にしたつもりのヤーゴートは、予想外に真剣な表情を見せるヴィーラグアにとまどった。
「そ……そうか。ならばどうする」
「そうだな。慌てる必要はないのだし、やはり地道に行くとするか。まずは、西へ向かいながらあちこちの種族と接触しよう」
「西か。どこを目指す」
「大地の裂け目が尽きるその先。ツンドゥールカ山脈だ」
「ツンドゥールカ?」
「ああすまん、黒龍王の居城があった山脈だ。あそこは何という名前なんだ?」
ついロスコア語で呼んでしまったヴィーラグアに、ヤーゴートとドノドンは顔を見合わせる。
「名前など、とくにないが」
「西の方の山脈……かな」
「そうか、ならこれからはツンドゥールカと呼ぶことにしよう。どこかで聞いたあの土地の名だ」
人間の言葉を使うことに多少の抵抗はあるが、便利なものは気にせず使っていくべきだ。
種族と人間の一番の差は、こういった文化に如実に顕れる。人間社会の緻密さと較べれば、種族には文化や社会制度と呼べるものがほとんどないのが現状だ。
建築や工業などは皆無に等しく、辛うじて一部の種族が農耕らしきものを営んではいるものの、本格的な畑作や酪農には程遠い。
種族全体の発展を想えば、少なくとも農業の振興は必須だろう。
そこまで考えて、ヴィーラグアはふと我に返った。
(俺は、いったい何を目指すつもりなんだ。
これは、政治だ。戦いしか知らぬこの俺に、そんなことができるのか)
種族社会に、人間界並みの文明と秩序をもたらす。
だが森には多くの種族が生息し、多種多様な暮らしを営んでいる。それは弱肉強食の世界ではあるが、それなりの秩序と価値観を共有し共存を果たしているのだ。
これ以上の秩序が、はたして本当に必要なのだろうか。
―――※―――※―――
新たなる旅立ちは、翌日の朝。
ヴィーラグアたち一行は、まず近隣の集落である赤猴族の縄張りを目指した。
赤猴族は、黒猴族の近縁種であるが、性質はかなり違う。
体格は小型の黒猴より一回り大きい程度で、さほどの差異はない。だが大きく異なるのは、高度な知性を備え性格が温厚であること。
仲間にするなら、第一に候補としてあげたい種族だ。
「山を一つ越えれば、赤猴族の森だ。
黒猴どもはあっちから来たから、相当荒らされたはずだ。食いもんを持って行ってやれば喜ぶだろう」
先頭を進むドノドンの隣には、カエチャという名の雌熊が寄り添っている。
二体は言わば、許嫁といった間柄だそうだ。いずれ時が来たら番になるそうだが、その”時”というのが色々と複雑な事情があるらしい。
こういったしきたりめいたものは、文化と呼んで差し支えないだろう。
と、種族の発展を願うヴィーラグアは考える。
続いて、彼とヤーゴート。仲睦まじい一角熊たちと違って、こちらの二体の関係はかなり面倒だ。
その後ろには、山向こうから逃げてきた大勢の獣たち。彼らは、ドノドンの指示で分け与えられた大量の食糧を担いでいる。
山はさほど険しいものではなく、丸一日ほど歩いて峠に立つと、地平まで続く広大な森が一望できた。
「さてと。んで、どうすんだ? まさか、いきなり乗り込んで行って『俺が王さまだー!』なんて喚くつもりじゃないだろ?」
「さすがにそこまで馬鹿じゃない。まずは赤猴たちに先に降りてもらって、群の長に俺たちのことを話しておいてもらうことにしよう」
「ああ、ええだよ。
あんたらには随分と世話になった。手助けになるなら、なんでもやってやるさよ」
ヴィーラグアの言葉に、同行する赤猴の老雌が応じる。名はグゥパという。
「なにしろ、あん畜生どもにさんざんやられた後だからな。
そのすぐ後にこんな恐ろしげな龍が二体も降りてったら、話を始める前にみんな逃げ出しちまうだろう。ケッケッケッ」
「ま、そういうことだな」
ドノドンも頷く。
「気がかりなのはよ、長のギィボが死んじまってねえかってことだがよ。ま、あの爺のことだ、真っ先に逃げてんだろ」
「その気になれば、赤猴の方が身体は大きいんだし、黒猴なんかやっつけられるんじゃないのか?」
「その気になんねえんだから、しゃあなかんべよ。まあ黒どもだって、デカブツがいるからまとまってるだけで、チビだけなら儂ら以上に気のちっちぇえ連中だけどよ」
「まとまると言えば、あの黒の王はいったい何者なんだろう? 知っていることがあったら教えて欲しいのだが」
「王って? そんなに変な奴だったのか?」
直接会っていないドノドンには想像もつかないほどに、あの黒猴の王は異常だった。
勇者アーリィの記憶にもない、これまで戦った敵の中でも最強に位置する魔獣。いや、魔族と呼んで差し支えない存在だ。
「オラも会ったことはねえだどもよ。黒猴の長は頭がおかしいって、みんな言ってるだよな。
なんでも人間を喰らうのが大好きで、さんざん喰らったあげくに自分が人間みてえになっちまったって話だがよ」
「人間なんて、この森にそんなにいないだろ」
「だから、こないだの大戦だよ。あん時に、大好物の人間が群でやってきたって大喜びで喰らいまくって、喰らいすぎて狂っちまったんだとよ」
「へえー」
黒の王が好きなのは人間の肉ではなく、ゴウラだ。他者のゴウラを取り込むことで己のゴウラをより高めようというのはヴィーラグアにも理解できるが、あの者はその嗜好に溺れたことが原因で、人間で言うところの崩魔、人間が魔に堕ちる現象に似た状態に陥ってしまったのだろうか。
いったいどれほどの人間を喰らったのか、その中には魔道兵も数多くいたことだろう。彼らの強力なゴウラを存分に取り込んで、不死の身体と神龍をも犯す精神力を得たのだ。
あれが人間社会と接触した時、どれほどの混乱をもたらすことになるのか。
(まあ勝手にやってくれ)
と、ヴィーラグアは無責任に投げ出すのみだ。




