24.傲然猴王
取り囲む大型猴の中で、その個体はむしろ小柄に見えた。
だがそのゴウラは強大で、他を圧する威を発している。
間違いない、この個体が群を率いる王だ。
その立ち姿も、スラリと背筋を伸ばし直立する様子はとても猴のものとは思えず、まるで人間のようだ。
違和感はそれだけではない。正体を確かめようと相手のゴウラに意識を向けると、紛れもない人間の匂いが感じられたのだ。
(まさかこいつ、人魔か!)
人魔とは、人間がゴウラを闇に染めたあげく崩魔という現象を経て、魔族へと変貌してしまったものだ。
人間界では人ならざる者として魔族の一種と認識されているが、こちら側から見ればとても同族とは思えない。
単に邪悪な人間そのものであり、森の種族にしてみれば忌避すべき存在であることに変わりはないのだ。
だとすれば、そのような者に黒猴族が従うはずがない。ではやはり種族の者に違いないのか。
「何の目的でこの森へ来た」
「決まっているでしょう、喰らうためですよ。なにしろ一万もの同胞を養わなければなりませんからね。
この森は良い、まさか畑まであるとは思いませんでした。久しぶりに美味いものを堪能させていただきましたよ」
「そうか、ならばもう満足だろう。すぐに出て行ってくれ」
「ククク……、そうはいきません。この森は豊かだ、美味いものを食い尽くすまで留まることに決めました」
「迷惑だな。ならば叩き出す」
「あなたに、それがやれますか?」
怒れる神龍を前に、猴の王は不敵に笑った。
「まずはご挨拶」
黒猴の王の周囲に黒いゴウラが数個、渦を巻いたかと思うと、それぞれが大槍に変化する。
続いて、一斉に襲いかかってきた。
(ヤーゴートを射抜いたのは、これか)
片腕の一薙ぎで、黒槍は粉々になる。
こんなものかと気を抜きかけた瞬間、その破片が全身にまとわりついてきた。
「くそっ」
硬質の欠片は煤泥のように粘りつくそれへと変化し、視界をさえぎる。と同時に、意識の中に侵入してくるのを感じた。
(精神攻撃か!)
掴みどころのない違和感と不快な感触が、全身を犯し始める。
視覚だけでなく、聴覚、触覚も次第に不鮮明になり、上下の感覚すら失われていく。
違和感が精神をまさぐり、さらに支配しようと奥底へ触手を伸ばしかけたその時、ヴィーラグアはゴウラの光を解き放ち、黒い異物を痕跡も残さず焼灼した。
「ククク……、さすがですね。そこの雌とは器が違うようだ」
「この程度のものが、俺に通じるとでも思っているのか」
「さてさて、どうでしょう」
不敵な余裕を見せる猴王に対し、ヤーゴートを抱えているヴィーラグアは身動きが取れない。
他の大猴たちに動きはなく、二体の対決を見守っている様子だが、かといってここに彼女を放置したら、たちまち餌食にされてしまうだろう。
ここはいったん引くか。と、立ち上がりながら後方に意識を向けようとした瞬間。
「ぐあっ!」
前触れもなく、黒槍が胸を貫いていた。
油断? いや、わずかに意識は逸らしかけたものの、警戒はしていたはずだ。
「クク……」
「きさま!」
含み笑いに視線を投げつつ、黒槍を粉砕しようとゴウラを集中しかけた刹那、新たな黒槍が右腕を、左腕を、下肢を貫いた。
痺れるような激痛とともに抗いがたい脱力感が全身を襲い、同時に黒い触手が根を広げるように侵食を開始する。
抵抗しようにも、茨棘のような苦痛が精神を苛み、集中を妨げた。
(くそ……)
「おお、なんと力強いゴウラか。この美味なるゴウラを喰らえば、我はかつてない力を得られることだろう。
すばらしい、これほどのゴウラを我は一つしか知らぬ!」
五体を貫かれ、精神の隅々まで支配されたヴィーラグアは、もはや自我すら砕かれたかのように、ただ立ち尽くしている。
猴王は満面に狂喜を貼り付かせ、歩み寄ろうとする。だがその足は、最初の一歩を踏み出す前に、戻された。
「む……」
ゴウラの槍に亀裂が走り、同時に精神世界を侵していた触手も、炎に灼かれた枯れ枝のように崩れ去る。
猴王が睨みつけると、それまでに倍する数の黒槍がヴィーラグアの全身を貫き、だが一瞬で砕け散った。
さらに無数の黒槍が周囲を取り囲み、烈風となって襲いかかるが、その攻撃も霧のごとく消え去る。
「馬鹿な……」
猴王は衝撃を受けつつも怯むことなく、嵐のような乱撃を浴びせかける。
その全てを一瞬で滅し、取り囲む黒猴の群に襲いかかったのは、大地の裂け目から溢れ立つ溶炎のごときゴウラの灼熱だった。
「ぎゃあっ」
顔面を焼かれた猴王は悲鳴を上げながら逃げ出そうとするが、続けて繰り広げられた信じがたい現象に、思わず脚を止めた。
「ゴオオオオオ!」
雷鳴のごとき咆哮とともにあふれ出したゴウラは、肉体の束縛をも解き放ち、ヴィーラグアを巨大な黒龍へと変化させたのだ。
黒猴の王は、その威容を見上げ驚愕の声をあげた。
「その姿は! まさか、まさか!
そんな、ありえない……。いや、まさか……でも……でも……」
ほとばしる覇気を浴びて、他の猴たちの半数は恐慌に陥って逃げ惑い、残りの半数はその場で意識を失ってしまう。
その中で、猴王ただ一体だけが、全身を震わせながらも確かな声を放った。
「あなたは、あなたは! 我が王なのですか!」
その言葉は、ヴィーラグアの耳にも届いた。
(我が王? そうか、こいつは魔王の配下、あの大戦の生き残りだったのか。
なるほど、この姿を見ればそう思うのも無理はない)
「あああ、王よ! 王よ! ふたたび見えることが叶おうとは、夢にも……!」
感涙にむせび、猴王は地面に膝をつく。
その眼が、ギラリと光った。
「待て、貴様は何者だ」
後ろへ跳び退ると、ふたたびゴウラの黒槍を顕し、撃ち放ってきた。
巨龍の硬い皮膚とゴウラの鎧が難なくそれを弾き返すのを、猴王は憎しみを込めた眼差しで睨みつける。
「その姿こそはまぎれもない我が主、暴嵐の黒龍王のものだ。
だが貴様のゴウラは、断じて王のものではない。それどころか、我らが種族ですらない。
貴様! なぜ人間が、そのような姿をしているのだ!」
そこまで深く読めるのか、とヴィーラグアは素直に驚いた。これは侮れないが、弱みを見せるわけにはいかない。
むしろ、魔王国の生き残りなら少しでも情報を得るべきだと考えた。




