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悠久の少女 After Story  作者: 小鈴 莉子
一章 蜜月
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最愛の人

「あら、おかえりなさい。リック」

「ただいま、母さん。パンと飲み物を買ってきたから、そろそろ朝食にしよう」


 本当に、これはクーデターの主犯とその母親の会話なのだろうか。アレスとのやり取りを目の当たりにした際もそうだったが、思わずその感性を疑ってしまいそうだ。


「レナータ、君の味の好みを知らなかったからね。色々な種類のパンを買ってきたから、好きなものを選んでくれ」


 リヒャルトががさごそと音を立ててパンを取り出していく紙袋のロゴを目にした途端、気づけば小さな歓声を上げていた。


「そのパン屋さんのパン、私、大好き……!」


 以前、職場の先輩に勧められ、試しに買ってみたことがあるのだが、その時からレナータもアレスもここのパンを気に入っている。ただ、節約生活を送っていたレナータたちにとって、あまり優しくない値段設定だったため、特別な時にしか購入したことがない代物だ。


 食い入るように、次から次へと袋の中から姿を現していくパンを凝視していたら、微かに笑みを零す気配を感じた。

 パンから視線を動かすと、リヒャルトがこれでもかというほどの甘い微笑みを浮かべ、レナータを見つめていた。


「君に喜んでもらえて、よかった。女性に人気の店だと聞いていたから、気に入ってくれるだろうとは思っていたが、そこまで喜んでもらえると、買ってきた甲斐があったよ」

「うん、本当に嬉しい。ありがとうね、リック」


 にこにこと微笑みつつ、リヒャルトに礼を告げた瞬間、テーブルの上に所狭しと並べられているパンから、アレスが素早く二つ掴み上げたかと思えば、唐突にレナータに差し出してきた。


「レナータ、クロワッサンとチョココロネ、好きだろ」


 突然の出来事に呆気に取られたのも束の間、アレスがレナータの好物を真っ先に取り分けてくれたのだと現状を認識するなり、相好を崩す。


「うん、大好き!」

「――おい、リヒャルト。紅茶、買ってきてねえか? もしあったら、レナータに渡してくれ。あ、ミルクと砂糖もつけろよ」


 確かに、レナータは夏以外の季節には、毎朝ミルクティーを飲んでいる。幼い頃からの習慣で、ミルクティーの優しい甘さには癒されるから、今でも飲み続けているのだが、こうして改めてアレスに言葉にされると、少しだけ子供っぽい嗜好のような気がしてきた。


(いや、チョココロネが好きな時点で、子供っぽいかな……)


 ちなみに、クリームパンも好きなのだが、自分が好む味が子供じみていると思えてきた今、手を伸ばすのは躊躇われる。だが、すぐ目の前に置かれているだけに、残酷に感じられるし、ますます欲しくなってしまう。


「ああ、紅茶とコーヒー、両方買ってきてあるぞ。アレス、お前はどっちにする?」

「俺も紅茶。でも、ミルクと砂糖はいらねえ」

「母さんは?」

「私は、コーヒーをいただきます。あ、私も、ミルクもお砂糖も抜きで」


 レナータが内心葛藤している間に、今度は紅茶が入った蓋つきの紙コップとシュガースティック、それからコーヒーフレッシュ、木製のマドラーを、アレスから順番に手渡された。

 受け取ったものを順にテーブルの上に置き、紙コップの蓋を外して砂糖とミルクを投入し、マドラーでくるくると掻き混ぜていたら、アレスがパンを一つ手に取り、またレナータに差し出してきた。


「これ、食いたいんだろ?」


 アレスが手にしているのは、紛れもなくクリームパンだ。

 もしかして、先程まで物欲しそうにクリームパンを見ていることに、気づかれていたのだろうか。それとも、長年一緒に暮らしているから、レナータが好んで食べるものくらい、把握しているだけなのだろうか。


「……うん。 ありがとう、アレス」


 しかし、どちらにせよ、レナータが欲していたものを迷わず当ててみせたアレスを目にしたら、何だか嬉しくなってきてしまった。ふわりと微笑み、アレスが取ってくれたクリームパンをありがたく受け取る。


「はい、アレスもどうぞ」


 お返しとばかりに、今度はレナータがお手拭きでさっと両手を拭いてから、アレスの好物であるクロワッサンやベーグル、デニッシュを選び取っていく。


「ん、ありがとうな」

「どういたしまして」


 にっこりと微笑んでそう答えると、テーブルの上に紙ナプキンを広げ、大好物のクロワッサンを口に含む。

 クロワッサンは菓子パンではないものの、バターをたっぷりと使っているため、思っているよりもカロリーがずっと高い。でも、おいしいものは、やはりおいしい。というよりも、カロリーが高い食べ物の方が、おいしいものが多いように思えるのは、レナータの気のせいだろうか。

 ちらりと隣の様子を窺えば、アレスもレナータ同様、クロワッサンを食べていた。


「おいしいね、アレス」

「ああ、そうだな」


 レナータが笑顔でそう声をかけると、アレスの鋭い眼差しがふわりと和らぐ。その優しい変化が嬉しくて、より一層頬が緩んでいく。


 楽園で囚われの身になっていた時には、どれだけ贅沢な食事をしていてもあまり味を感じられなかった反動からか、心の底から好ましく感じられるものを食べられることが、嬉しくてたまらない。隣にアレスがいて、大好きな琥珀の瞳にレナータを映し出してくれているのであれば、尚更だ。

 だから今だけは、周囲の目を気にせず、大好きな人と食事をする喜びを、大好きなクロワッサンと共に噛み締めた。

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