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悠久の少女 After Story  作者: 小鈴 莉子
一章 蜜月
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麗しのマダム

 アレスに連れられるがまま足を踏み入れた建物は、事前に何も聞かされていなければ、オフィスビルだと勘違いしていただろうと思うほど、洗練された造りだった。

 リヒャルトは、ここをアジトだと明言していたが、もしかしたら表向きはオフィスビルとして使っているのかもしれない。現に、従業員らしき人間を何人も見かけた。


「こっちだ」


 レナータがきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたら、アレスに軽く手を引かれた。そのまま、アレスに大人しくついていくと、やがてリフレッシュルームと思しき開けた空間が、レナータたちを歓迎した。

 そこで、窓辺の席に座っている一人の中年女性に、ふと気づく。


(ミナーヴァ……さん?)


 レナータの視線の先にいる女性には、確かにかつてのミナーヴァの面影がはっきりと残っていた。


 以前は長く伸ばし、シニヨンにしてまとめていたダークブラウンの髪は、ベリーショートに様変わりしていた。

 昔は、かなり豊満な身体つきをしていたが、年齢を重ねたせいか、今は痩せたように見える。でも、不健康な痩せ方ではなく、余分な肉を削ぎ落した結果に違いないと思えるくらい、全身が綺麗に引き締まっている。

 おかげで、白いブラウスの襟から覗いている鎖骨は非常に美しく見えるし、マットブラウンのサッシュベルトが巻かれている腰の見事な曲線も、眺めているだけで感嘆の吐息が零れてしまいそうだ。足にぴったりとフィットしているジーンズを穿いていても、格好よく決まっている。

 そして何より、気品漂う美貌が、微塵も損なわれていない。


(ミナーヴァさんは、確か今年で五十二歳のはずなんだけど……)


 それなのに、髪は艶やか、肌は滑らかなままとは、どういうことだ。今度、髪と肌の手入れの方法を教えて欲しい。

 驚愕に目を見開くレナータに構わず、アレスは遠慮なく母へと近づいていく。


「――ただいま、母さん」

「あら、おかえりなさい。アレス」


 窓際でコーヒーを飲んでいたミナーヴァは、手にしていたコーヒーカップを一旦ソーサーの上に置くと、息子に穏やかに微笑みかけた。


 アレスは、レナータが幽閉されていた塔に単身乗り込み、楽園から奪還してくるという荒業をやってのけて、ここまで戻ってきたというの に、母への言葉はあまりにもあっさりとしていた。アレスに対するミナーヴァもミナーヴァで、まるで買い物から帰ってきた息子を出迎えるかのような態度だ。この親にしてこの子あり、といったところだろうか。


 この様子から察するに、既に再会を果たしていたのだろうかと考えていたら、アレスを見上げていた琥珀の瞳が、不意にレナータへと向けられた。それから、椅子から腰を上げたかと思えば、レナータに向かって頭を下げた。


「――お久しぶりですね、レナータ。元気にしていたかしら?」

「え、えっと、お久しぶりです! はい、おかげさまで」


 人間に生まれ変わってからも、レナータたちの協力者だったミナーヴァとは、何度か顔を合わせていた。ただ、楽園の人間に家を襲撃されてからは、結局連絡を取り合えていなかったから、十年近くの空白が互いに存在してしまっていたのだ。


 アレスから一度手を放し、レナータも慌てて頭を下げて挨拶をすると、微笑ましいと言わんばかりに、ミナーヴァの厚みのある唇が弧を描いていく。


「あらあら、私相手に、そんなにかしこまらなくてもいいのに」

「一応、義理の母親になる相手を前にしたら、そりゃあ緊張するだろ」


 しれっと爆弾を投下したアレスに目を剥くレナータとは対照的に、ミナーヴァは何故か嬉しそうに目を輝かせた。


「やだ、アレス……もう、そこまで進んだのですか?」

「色々あったけど、まあ、何とか」

「私、レナータみたいな可愛い娘が、ずっと欲しいって思っていたんですよ。息子も可愛いですけど、やっぱり一人くらいは女の子が欲しい ですよね」


 確かに、世の親たちは、息子しかいない場合は「女の子も欲しかった」と言い、娘しかいない場合は「男の子も欲しかった」と言う人たちが多い気がする。要は、ないものねだりなのだろうか。


「アレス、よくやりましたね。さすがは、私の息子です」

「どうも」


 実に和やかに交わされている目の前の会話に、茫然としつつも耳を傾けていたら、再びミナーヴァの視線がレナータを捉えた。


「レナータ。 これから、どうぞよろしくお願いしますね」

「い、いえ! こちらこそ、不束者ですが、末永くよろしくお願いします」


 再度頭を下げた未来の義母に対し、先刻よりも深々と頭を垂れる。


(それにしても……)


 ヴォルフ親子の会話を先程から聞いていて思ったのだが、アレスはとっくに思春期が終わっているからなのか、母親との関係は良好らしい。レナータのことも、当たり前のように紹介してみせたし、その前後のやり取りを見ていても、母親を鬱陶しく思っているような素振りは見受けられなかった。口調は素っ気ないものの、それは元からだ。

 そんなことを考えながら顔を上げた直後、アレスに軽く肩を叩かれた。


「レナータ、疲れているんだろ。 そろそろ座ったらどうだ」

「あ、うん。それじゃあ、お言葉に甘えて」


 近くにあった椅子を引こうとした寸前、レナータよりも先にアレスが動いていた。椅子を引いてくれたアレスが、視線だけで座るように促してきたから、その厚意に甘えて腰を下ろすと、レナータの斜め前の席に改めて腰かけたミナーヴァが、くすりと笑みを零した。


「あら。アレスはレナータに対しては、随分と優しいのですね?」

「惚れた女に優しくするのは、当然だろ」


 どこか面白がるような口振りの母に動じることなく、アレスはさらりとそう切り返していたが、レナータとしては羞恥に耐えられず、縮こまることしかできない。


(ほ……惚れた女……)


 実の母親に向かってそう言い切ってしまうアレスは、間違いなく大物だ。何だか、とんでもない人を生涯のパートナーに選んでしまったのだと、これ以上ないくらいに思い知らされた心地だ。


 だが、恥じらうレナータに反し、アレスが涼しい顔を崩す気配は欠片もない。いつも通りの仏頂面のまま、レナータの隣に座ったアレスを、つい横目で睨んでしまう。

 それから、こっそりとミナーヴァの様子を窺うと、その琥珀の眼差しは微笑ましそうにレナータとアレスを交互に眺めていた。そんな目で見られたら、余計に居たたまれなくなるではないかと、できることならば抗議したかったが、今のレナータにそんなことをする勇気はなかった。


 だから、せめてこの空気を変えるべく、おずおずと口を開く。


「……そういえば、アレス。ここって、どこなの? リックたちのアジトだとは聞かされたけど、地理的にどの辺なのかまでは、教えてもらってない……」

「ああ、そういえば説明していなかったな。――ここは、第一エリアだ」


 予想以上に楽園から近い場所にいることが判明し、思わず息を呑む。

 第一エリアとは、ビル群が特徴的な、オフィス街みたいな雰囲気のエリアの名称だ。実際に、多くの経営者がこのエリアに集まっている。そして同時に、楽園と昔から強い繋がりを持つエリアでもある。

 そんなエリアに身を置いておいて大丈夫なのかと、にわかに不安が込み上げてくる。


「え……もっと遠くに行かなくて、大丈夫なの……?」

「――安心してください。今の楽園は、貴女が人類の守り神として名を馳せていた頃からは考えられないくらい、弱体化していますから」


 レナータの問いに対する答えは、アレスではなく、ミナーヴァから返ってきた。そちらへと振り向けば、ミナーヴァはまた穏やかに微笑んでいた。

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