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悠久の少女 After Story  作者: 小鈴 莉子
三章 幻影に、さよならを
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アレスの成長

「とりあえず、この資料は持ち帰って吟味してみようと思う。さすがに、この場ですぐに決めるのは、ちょっとな」

「あ、ああ……それは、もちろん構わない。お前たちの生活に深く関わることだからな。ゆっくり決めていくといい。むしろ、この場で即断 即決されたら、お前たちの将来が不安になる」

「それで? 今日の用件は、これだけか?」

「いや、個人情報の修正にあたって、お前たちに記入と確認してもらいたい事項があってな。このタブレットを見てくれ」


 リヒャルトはタブレット端末を二人分取り出すと、レナータとアレス、それぞれの前に置いた。

 リヒャルトから渡されたタブレット端末の画面に視線を落とし、そこに綴られている言葉を読みながら、必要事項を記入していく。


 しばらくの間、タブレット端末から流れてくる合成音声以外聞こえない、静寂に包まれる。やがて、タブレット端末を操作する音が隣から聞こえなくなると、より一層静けさが深まっていく。

 レナータも、記入事項は全て埋めたため、タブレット端末から手を放すと、自然と溜息が唇から零れ落ちてきた。


「……疲れてしまったかな?」


 どこか悪戯っぽい響きを帯びた低く甘い声が鼓膜を揺さぶった瞬間、慌てて声の主へと視線を向ければ、リヒャルトがにこやかにこちらを見つめていた。


「今日、君たちに伝えたいことは伝えたし、やって欲しいことも、これで終わりだ。リフレッシュスペースにでも寄って、何か飲み物を買って休憩していくといい」

「あ、ありがとう……。それじゃあ、そうさせてもらうね」


 こういう洗練された雰囲気のオフィスに、慣れていないせいだろうか。たかだか、物件探しや転職活動に役立つ情報が掲載されている資料をもらい、個人情報の修正に必要不可欠な質問に画面上で答えただけだというのに、何故か妙に疲れてしまった。

 せっかくだから、甘い飲み物を買って心を癒そう。少し頭を冷やすためにも、冷たい飲み物もいいかもしれない。


 レナータが椅子から腰を上げると、アレスもそれに続いた。でも、レナータたちの行動を遮るかのごとく、リヒャルトが声を上げた。


「すまない、アレスは残ってくれないか」

「あ?」


 リヒャルトがそう口にした刹那、アレスの薄く形のよい唇から、あからさまに不機嫌そうな声が零れ落ちてきた。


「そんなに時間を取らせるつもりはない、少し訊きたいことがあるだけだ」

「……レナータがいる場でできねえ話とか、嫌な予感しかしねえな」

「アレス」


 眉間に深い皺を刻み、リヒャルトを睨み据えるアレスの名を咎めるように呼ぶ。すると、不服そうな琥珀の瞳がレナータを捉えた。


「私のことは、気にしないで。……二人は、ずっと会っていなかったんだもの。積もる話があっても、不思議じゃないよ」


 正直、リヒャルトが弟と二人きりで何を話したいのかなど、全くもって見当がつかない。

 だが、二人は曲がりなりにも血の繋がった兄弟なのだ。兄弟水入らずの時間を少しくらい作ったって、罰は当たらない。


「私は、リックがさっき言っていた、リフレッシュスペースで何か飲み物を買って、待っているから。だから、ね?」


 少しは疎遠になっていた兄との交流を持てと、言外に訴えれば、アレスはきつく眉根を寄せたまま、深々と溜息を吐いた。


「……分かった。その代わり、俺が戻ってくるまで、そこを動くなよ。約束できるか?」

「うん、約束する」

「よし、いい子だ」


 レナータが約束できると即答すると、ようやくアレスの眉間の皺が和らぎ、頭をそっと撫でられた。今日は、アレスの手によっていつもよりも綺麗に髪がセットされているからか、レナータの頭を撫でていく手は、一際優しい。


「じゃあね、アレス。待っているから」


 大きな手のひらが離れていくのとほぼ同時に、軽く手を振りつつそう告げれば、アレスも片手を上げて応えてくれた。



 ***



「――で? 訊きてえことって、何だ」


 レナータが会議室から退室するなり、兄へと振り返って疑問を投げかければ、リヒャルトは微かに苦笑いを浮かべた。


「……そう急かさなくてもいいだろう」

「あんまり、レナータを一人にしたくねえんだよ」


 スラム街在住時の名残でもあるが、それ以上に外出中にレナータを一人にしておくと、高確率でどこぞの馬の骨とも知れない野郎に言い寄られるため、こうして離れていると、どうも落ち着かないのだ。

 レナータは可愛らしい雰囲気の美人だから、どうしても人目を惹く。しかも、押しに弱そうに見えるため、声をかけやすそうだと判断されてしまうのだろう。


(まあ、今は左手の薬指に指輪をつけているから、そうそう声をかけられねえとは思うが……)


 昨日も今日も、外出の際にアレスがプロポーズの言葉と共に贈ったエンゲージリングを左手の薬指に嵌めておけと、しっかりと言いつけておいた。そうしたら、どうしてかレナータが嬉しそうに大きく頷いていたのは未だに疑問だが、喜んで虫除けをしてくれるのならば、それでいい。

 憮然とそう返せば、リヒャルトはくつくつと喉の奥で笑った。


「随分と過保護な上に、器が小さいんだな」

「どうとでも言え」


 そのくらい、アレスとて自覚しているのだから、他人からいちいち指摘されたくない。


「それで? さっさと話す気がねえなら、俺ももう行くぞ」

「ああ、すまない。それじゃあ、単刀直入に訊かせてもらおう」


 溜息交じりに会話を打ち切ろうとしたら、兄は素早く表情を引き締めた。そして、低く甘い声が言葉を繋ぐ。


「今日、レナータが左手の薬指に指輪を嵌めていたが……お前たち、結婚するつもりなのか?」

「ああ、近々その予定だ」


 とりあえず、身辺が落ち着いてから、入籍するつもりだ。式やハネムーンなど、結婚に纏わるイベントをどうするのかについては、まだはっきりと決めていないが、少しずつレナータと二人で話し合って決めていこうと思っている。


「そう……か」


 それがどうかしたのかと、内心首を捻る。

 まさか、この期に及んでまだレナータに懸想しており、横恋慕するつもりなのだろうか。

 幼少期の兄はアレス同様、レナータに淡い恋心を抱いているように見受けられた。だからこそ、アレスは散々リヒャルトからレナータを引き離してきたのだ。

 もし、そのつもりならば、一切容赦はしないと密かに身構えていたら、今度はやや躊躇う素振りを見せたものの、兄が再び問いを投げかけてきた。

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