日常記念日
どうやら、今日は特別な日らしい。
「ねえねえ、達也! 今日は何の日は覚えている?」
茜のかん高い声が、耳元でブレイクダンスする。
思わず俺は両耳を押さえて、さっと少し距離をとった。朝一番からこのテンションを至近距離で相手するのは辛い。
「……茜、頼むからもう少し声のトーンを抑えろ」
「え? 何? 達也の声が小さすぎて聞こえないよ!」
「……お前の声がでかいんだっての」
俺は改めてまじまじと、長い付き合いとなる幼馴染を見やった。
手にはいつものバイオリンケースに、着崩した学校のブレザー。体つきは日に日に女らしくなってきているものの、中身のほうは小さい頃から全く変わっていない。落ち着きのない子供のままだ。高二にもなって、こいつはこれで大丈夫だろうかと心配になってくるこの頃である。
「とにかく、騒いでないでさっさと行くぞ。このままじゃ学校に遅刻する」
「あ、ちょっと待ってよ!」
大声を出す茜のせいで、周囲の通行人の視線が痛い。
いつまでもノロノロしているのは愚策だ。俺は早足で一人さっさとペース上げた。後ろからはうるさい足音が追いかけてくる。
「てい!」
「ぐっ!」
無防備な背中にタックルされたような衝撃が広がる。
一瞬、呼吸ができなくなり。前のめりにつんのめりそうになるのを、たたらを踏んで何とか持ちこたえる。助走をつけた茜が、後ろから思い切り圧し掛かってきたのだ。
「……お前、なんつーことを」
「達也! さっきの質問の答えは?」
「……あん?」
「だから、今日は何の日でしょう!」
今の俺は、ほとんど茜をおんぶしているのと変わらない状態である。
つまり豊かな双丘の膨らみを否が応でも感じてしまう態勢なわけで、何というかその困る。こいつ発育は本当良いのな。
だが、ニコニコと無邪気に笑う幼馴染にそういった雑念を悟らせるのは沽券にかかわる。色々と誤魔化すためにわざと咳払いなどをして、仕方なく俺は話に乗ってやることにした。
「何の日って……別に誰の誕生日でもないし、何かの祝日でもないし、ごくごく普通の平日だろうが」
明敏な俺の解答に、しかし茜は大きく頬を膨らませた。
「達也、覚えてないの? せっかくの二人の記念日なのに!」
「記念日? 何かあったか?」
「今日は初めて手をつないで帰った日だよ!」
「……ああ、そう」
想像以上にくだらない話だった。多分何年も前の出来事である。
正直、だから何だと言いたくなる。
「それでね、一緒に遊園地に行った日でもあるし、イタズラして二人で怒られた日でもあるし、達也が頭を撫でてくれた日でもあるし、それから、そらから~」
指折り、何やら嬉しそうに数えていく茜。
両の指ではあっさり足りなくなるところに、ある種の脅威を感じる。こいつ勉強は全くできないくせに、なんでこんなどうでも良いことは覚えているんだろうか。
「……記念日、いっぱいあり過ぎじゃないか?」
「うん、まだまだあるよっ。毎日が達也との特別な日だよ!」
うわー。
全く恥ずかし気もなく言い切りやがった。
「……よく覚えていることで」
「えへへ、達也に褒められちゃった。照れちゃうな~」
「……違う。呆れているんだよ」
「ほへ?」
頬を染める茜に、俺は深々と溜め息をついてみせる。
ここはビシリと言ってやらねばなるまい。
「記念日だの何だの、俺達は付き合って一周年の男女か?」
「正真正銘、付き合って一周年のカップルだよ!」
……ああ、そう言えばそうだった。
去年のこの日、茜から告白されて俺達はなんとなく付き合っているんだったな。度々その事実を忘れそうになるのだが。
「回りくどい奴だな、結局そのことが言いたかったのか」
「そうだよっ。他にも色々思い出はあるけど、何と言っても今日は私達がお付き合いを始めた大切な日だよ!」
「分かった、分かった……わー、おめでたいなー」
「超棒読みだし!」
ぽかぽかと。
おぶさりながらも、茜は俺の背中を叩く。
どうやら、大変ご立腹のご様子だ。こいつ力がないから、全く痛くはないけれど。
「とにかく、そろそろ俺の背から降りろ」
「やだ!」
「お前は、子供か?」
「子供で良いもん! 罰として、達也は私をおぶるの!」
「何の罰だか」
こいつとの整合性のとれない会話はいつものことだ。
この流れだと、絶対に譲りそうにない。衆人環視のなかで、高校生の男女がおんぶして、街中を登校する……考えただけでも気が遠くなりそうだ。とんだ公開処刑である。つくづく、こんな面倒臭い女と一緒にいる自分が自分で分からなくなってくる。
「まったく。ちゃんと、つかまっとけよ」
「うん! 出発進行!」
まあ、今日は特別な日らしいからな。
覚悟を決める。
俺は背中の茜としっかりと担ぎ直して、なるべく揺らさないように気を配りながら進んだ。
今日は初めて彼女をおぶって登校した。
そんな、取るに足らない。
特別で平凡な記念日の一つになるのかな、と思いながら。




