22.元奴隷少女は出発する。
「本当に長い間お世話になりました」
マリーナの屋敷の前で、私は小さいリュックを背負いながら、マリーナとソフィアに向かってお辞儀した。
「全然構わないし、もっとここに居てくれてもいいんだよ?」
青色の首飾りを取り戻すと決めたあの日から数日が経過していた。 そして今日、私はゼヘクに旅立つため、マリーナとソフィアに別れの挨拶をしているところだった。
道中まで見送るとマリーナには言われていたのだけど、私は別れが辛くなるからと言って、それを断った。
「ありがとうございます。 でも私にもやる事が“出来ましたので”」
今もまだナインシュからコア地方に逃げて来る人々が大勢いると、マリーナが前に教えてくれた。 つまり先日の魔王城襲撃による騒動は、今もまだ収まっていないんだ。
それならナインシュに居た魔族達……当然アイツも、まだナインシュで与えられた仕事をこなしているはずだ。
私はやりたい事を遂行するためにも、この騒動が収束する前に行動する必要があった。 この騒動が収まってしまうと、アイツの居場所がわからなくなってしまうからだ。
「そうか。 そうだったね。 エステルは立派だね。 きっと天国にいるご家族も喜んでいるだろうよ」
「は、はい。 そうだといいんですけど……」
マリーナは以前私が言った“家族のお墓を作りたい” というのが私のやりたい事だと思っているようだった。 私は申し訳無く思いつつも、その嘘を否定せずに話を続けた。
「それと……旅の準備までしてくれて、本当にありがとうございます」
私が今背負っている小さなリュックはマリーナから貰った物だ。 この中には数日分の食料に回復アイテムと少額のお金が入っていた。 マリーナが私のために前日から用意しておいてくれたのだ。
「いいんだよ、そんなの気にしなくてさ。 あと……ほら! これも持っていきな」
「こ、これは?」
マリーナは小さなカード状の物を私に手渡した。
「これはエステルの身分証みたいなもんだよ。 用途は色々とあるけど、まぁ今のエステルには門番の検問がスムーズになるっていうのが一番の恩恵かもね、はは」
「そ、そうなんですか!? あ、ありがとうございます」
「その身分証、保証人の部分は私の名前にしてるから、悪い事はしちゃ駄目だよ。 まぁ大丈夫だとは思うけどね」
「はい、本当にありがとうございます!」
そう言って私はマリーナから自分の身分証を受け取った。
「あとは……そうそう! ゼヘクに着いたら冒険者組合っていう大きな建物があるんだけどさ。 もし何か困った事があったら、そこに働いている“クリス”って奴を頼りなよ。 私の方からクリスには手紙で伝えてあるから」
「はい、わかりました」
本当に何から何までマリーナにはお世話になりっぱなしになっていた。 私はもう一度感謝を込めて深々と頭を下げた。
「本当に何から何までありがとうございます。 マリーナさんにはお世話になりっぱなしで……」
「そんなのいいんだよ。 それにこれは“あげる”んじゃなくて“貸し”だからね。 だから必ず……また元気な姿でヤマウスに帰っておいで。 それで全部チャラにしてあげるからさ」
そう言いながらマリーナは私の頭を優しく撫でてくれた。 その時ふと、私は自分の母の事を思い出した。 もしも私の母が生きていたら、きっとこんな感じだったのかなと思った。
「……はい、わかりました。 必ずまた帰ってきます!」
「うん、それなら良いよ。 いっておいで」
「はい!」
マリーナは最後まで本当に優しい女性だった。 そんなマリーナとの約束を果たすためにも、またここに帰っくることを心に決めた。
「エステル……」
マリーナとの会話が終わると、今度はマリーナの隣にいたソフィアが寂しそうな顔をしながら私の名前を呼んだ。
「向こうに着いたらちゃんと手紙を書くからさ。 だからそんな顔をしないでよ」
「うん……」
「それに大丈夫だよ。 マリーナさんにも言ったけど、ちゃんとまた……必ず帰ってくるからさ!」
「約束だよ……」
「うん、約束。 それじゃあ、行ってきます!」
「あ……う、うん」
そうして私はソフィアとマリーナに別れを告げて、ヤマウスの出入口へと向かっていった。
(大丈夫だよ。 またすぐに帰ってくるからさ)
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ヤマウスの入出門は、南側にある正門と、北側にある裏門の二つが存在している。 ナインシュ側に近いのが正門で、ゼヘクとラトクリス側に近いのが裏門だ。
今現在も、南側の正門にはナインシュから逃げ延びた人々が多く押し寄せているので、マリーナには北門から旅立つ事を勧められていた。 なので私は北門を目指して歩いていた。
北門に到着すると、そこでも正門と同じく門番による検問が行われていた。 私はマリーナから貰った身分証をその門番に見せると、それで特に問題は無く検問はすぐに終わった。
(マリーナさんには本当に感謝してもしきれないな)
北門からはゼヘクに行く定期便の馬車がある事もマリーナに教えて貰っていた。 それを利用すれば、私は魔法都市ゼヘクへと簡単に辿り着ける事が出来る。 でも私はまだゼヘクには行かない。 行くのはもちろん……
「よし、行こう……ナインシュへ」
行くのはもちろんナインシュだ。 ヤマウスからナインシュまでは街道が続いているから、それに沿って歩いていけばナインシュには辿り着ける。
(でも……流石にあの街道は使えないよね……)
私みたいな子供が1人でナインシュに向かうのは不自然でしかないからだ。 しかも今は皆ナインシュからコア地方に逃げている最中なのに、私だけ街道を逆走していたら明らかにおかしいだろう。
それに、マリーナやソフィアに私がナインシュに向かった事がバレたら、もしかしたら迷惑がかかるかもしれないので、私は人目につかないようにナインシュの内部に入る事にした。
「まさか……また同じ道をまた辿る事になるとはね」
私は街道を使わないでナインシュに入れる方法を一つだけ知っていた。
それは数日前に、私とソフィアがナインシュから脱出するために使用したルートだ。 コア地方に流れている川沿いをひたすらと南に歩いて森の中に入って行けば、いずれはナインシュに繋がる。
しかもこのルートを知っている人は極僅かしかいないので、人目につく事は絶対に無い。 今の私にとっては一番最適なルートなのであった。
「よし、行こう!」
私はコア地方に流れているその川の所へと歩き始めた。
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時刻はわからないけど、日は沈みかけているのでおそらく夕方くらいだと思う。
「はぁ……はぁ……ようやく着いた……」
コア地方に流れている川沿いからずっと南に進んで行き、今ようやくナインシュの森の中に辿り着く事が出来た。 いや、辿り着いたというよりも、正確には戻ってきたと言った方が正しい気もするけど。
「何だか懐かしいな……」
数日前に来たばかりなのに私はそんな事を呟いた。 少し遠くからは滝の流れてる音も聞こえるし、ここからさらに南に進んでいけば精霊の湖に辿り着けるだろう。 でも今回の目的は別だ。
私は五感を研ぎ澄ませて、辺りの気配を探ってみた。 森の中にモンスターがいるような気配はしなかった。 今も魔族達はナインシュ側の街道に集結しているのだと思う。 私には好都合な状況だった。
「アイテム、オン」
すぐにアイテムボックスを開き、私は背負っていたリュックを仕舞い込んだ。 そして次に、血に染まったローブの切れ端をアイテムボックスから取り出した。
これはつい先日、怪我をしたソフィアの足に巻きつけていたローブの切れ端だった。 このローブの切れ端は、ソフィアの血で真っ赤に染まっていた。
「よし、血で濡れたままだ」
昔、私が魔王城の牢屋に閉じ込められていた時に、このアイテムボックスの仕様を調べた事があった。 その時に判明したのは、このアイテムボックスに入れた物は、再びアイテムボックスから取り出すまで、入れた時の状態を保ってくれるんだ。
だからこのローブの切れ端に付着しているソフィアの血液は、今も乾かずに濡れたままの状態を保っていてくれていた。
「これならアイツも気付くはずだ」
アイツは私達にこう言っていた。 “自分の嗅覚は凄い”と。 そして“ソフィアの血の匂いを覚えた”とも言っていた。
「それにアイツはソフィアが死んだと思っている」
それなのに、殺した人間の血の匂いが唐突に発生したらアイツも気になるはず……いや、相当な加虐的思考の持ち主だから、殺したと思った人間が生きていると知ればかなり苛つくはずだ。
「だから……アイツは絶対に来る……!」
私はそう確信していた。 必ず殺すと宣言した人間が生きているなんて、アイツには許せないに決まっている。 アイツがそういう性格だという事を、私はソードファンタジアで十分知っているから。
私はソフィアの血液が付着しているローブの切れ端を腕に巻きつけて、アイツが来るのをひたすら待った。
待って、待って、待ち続けて……そして今、ようやく、森の茂みからガサゴソを草をかき分ける音が聞こえてきた。
こちらに来ている気配は……1体だけのようだ。
「……あらあら、何で君がここにいるのかなぁ?」
(……来た……!)
森の茂みから現れたのは派手な赤い髪と赤い鱗の尻尾、そしてニヤっと邪悪そうな笑みを浮かべているあの顔。
それはまさしく……“石の蛇姫”アイシャであった。




