ヒーローの鉄則
電車とバスの博物館を出てから、私は駅に戻ってきていた。
たぶん、線路に沿って歩いて行くのが、渋谷までの最短経路になるだろうから。
また自動改札を抜けて、駅のホームに上がっていく。
この駅はちょうど丘の頂上にあって、そこから次の丘に向かって線路が架けられているようだ。
ホームドアを乗り越えて、線路に降りる。
もう慣れっこだな、罪悪感もほとんどない。
「ふふふん、ふふん……」
鼻歌をうたいながら、線路を進む。
いま歩いている高架橋は、けっこう高い。
高架下のマンションを見てみると、七階か八階ぐらいの高さが私の目線と同じぐらいだ。
「ん?」
視界の端に、動くものが見えた気がした。
マンションが建ち並ぶ通りの先、薄暗いもやの中から、なにかが私の方に向かってくる。
「あらら……」
私の立つ高架と交差するように通っている道路を、女の子が必死に走っている。
まっすぐ走り続ければ、そのうち私の下を通り抜けていくだろう。
しかし、女の子の後ろ。
同じぐらいの速度で、巨大なモンスターが女の子を追っていた。
まだ距離があるから正確ではないが、女の子が標準的な女の子だとしたら、あのモンスターは5メートルぐらいの高さがありそうだ。
「あれが、ナムンか」
フラジール・オンラインでは、たまにモンスターに遭遇するらしい。
正体はわからないが、未来人類なのではないかという噂がされている。
「人類のわりには、でかいし、きもいけどね」
ゴリラから体毛を除去して、脚を増やしたような見た目だ。
頭部は皮膚が変化したのか仮面を着けているのか、禍々しくてゴツいなにかで覆われている。
「……よし」
悩むこと数秒、私は、女の子を助けることに決めた。
ナムンを倒すことができるか確かめたい、というのが一番の理由だ。
基本的には遭遇しないようにするのだが、倒せるならばそれに越したことはない。
私はゲームを始めて間もないから、いま死んでもそんなに痛くないのも理由のひとつだ。
「あと、あの女の子が可愛い」
どのくらい逃げ続けているのだろうか、女の子は苦しそうな表情を浮かべているが、それでも可愛い。
もし逃げているのがムキムキマッチョの男の人だったら、助けようと思わなかっただろう。
差別とかではない。自然の摂理だ。
「っ!」
女の子の足がもつれて、勢いよく転ぶのが見えた。
危うく声を上げそうになったが、なんとか堪える。
ナムンは耳が良いらしいので、私が上にいることに気付かれてしまうと思ったのだ。
女の子は急いで起き上がり再び走り出したが、ナムンとの距離は縮まっていた。
追いつかれてしまうのは、時間の問題かもしれない。
私の立っている高架橋の下に、女の子が差し掛かる。
そして、その後ろのナムン。
私は、サバイバルナイフを両手で挟み込むように握った。
タイミングが、大事。
失敗したら、ただ橋から飛び降りたドジっ娘だ。
もし逃げている女の子がゲーム配信とかをしていたら、かなり恥ずかしい事態に発展してしまう。
女の子が、ちょうど私の真下に来た瞬間、私は高架の柵を乗り越えて、空中に身を投げた。
ふわっと浮き上がる感覚に包まれたのも束の間。
一瞬で地面が、女の子が、ナムンが近くなる。
「ッグウアァァァッ!」
「ぅぐっ!」
私が握っていたナイフは、しっかりとナムンの頭部に突き刺さっていた。
代わりに、私は足を滑らせて、ナムンの頭にお腹を強かに打ちつける。
現実だったら、お昼ご飯とかその他を口から吐き出していたかもしれない。
「ぅえっ!?」
ナイフをナムンの頭に残して、私はナムンの大きな手に振り払われる。
頭にナイフが刺さっているのに、まだ倒せていないようだ。
私の小さな身体は弧を描いて、道路のコンクリートに叩きつけられた。
「痛い……」
起き上がって、体勢を整える。
ナムンは、両手をめちゃくちゃに振り回して暴れていた。
私も女の子も、ナムンから距離を取っているから、その攻撃には当たらない。
あまり知性があるわけではないのだろうか。
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【名前】マリア
【レベル】3
【HP】12
【ステータス】
最大HP:34
筋力:7
敏捷:7
幸運:7
【持ち物】アニマルハグリュック(パンダ)
HP回復薬《10》×2
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ステータスを確認してみると、HPが10以上減っている。
これが多いのか少ないのかはわからないが、さすがはゲーム。
あんなに高いところから飛び降りて、まだ動けるだけで御の字だろう。
逃げるよ。
女の子に駆け寄っていき、声を出さずに告げた。
ナイフも失ってしまったから、ナムンを倒すのは諦めよう。
女の子は私の意を汲んでくれたのか、何度か頷く。
二人で、暴れるナムンに気付かれないようにこっそりと、その場を離れた。