ペルセウス座流星群
この一年で政府との追いかけっこは無くなった、と言っていいほどまでに規制が緩くなっていた。
最初の頃はダンジョンへ強制突破を敢行していた好だったが、ここ直近五箇所のダンジョンでは警備が見て見ぬフリをしてくるようになっていたのだ。
警備が気が付いても軽く頭を下げるだですんなりと通れたり、「頑張ってください! 応援しています!」なんて声を掛けられたこともあったくらいだ。
これは少なからず、好のやっていることが一部の人間には肯定されていることを示していた。
実際には、世界で好の行動を咎める者はもうほとんどいなくなっていた。
結果が雄弁に物語っている。
実はこのように規制が緩くなったのも、約数ヶ月かけてようやく決まった日本政府の方針である。
ダンジョンが発生した頃は、どの議員も「鏑木好」という人間を捕まえて何としても情報を聞き、囲い込もうと躍起になっていた。
しかし、どんなに手を尽くそうと鏑木好は、まるで未来でも予知しているかのように包囲網を潜り抜ける。そして、次々と悩みの種であるダンジョンを封鎖し、駆け回っているのだ。
気が付けば、その貢献度は世界を見渡しても唯一無二、計り知れないほどの物であった。
確かにこの一年で、日本以外にもダンジョンは四か所攻略されている。
そのうち二つは、アメリカの国軍が国力を上げて結成した精鋭部隊による攻略。要するに、大国からの分厚い援助があってようやく成し遂げられた偉業であったのだ。
もちろん他の国……ロシアや中国、インドなど様々な国でも同じ試みが行われたこともあった。しかし、どの国も未だに偉業と呼べるほどの結果が伴っていなかった。
とあるダンジョンでは、国軍の精鋭部隊が全滅したという報道まで出回るほど、どの国も二の足を踏んでいる状態だった。
そんな背景もあり、再び脚光を浴び始めたのは日本の『修羅』という異名で世界から注目を集める「鏑木好」という若干十七歳の高校生だった。
彼が『修羅』と呼ばれ始めたのは、三つ目のダンジョンを攻略した後のことだった。
日本の政府が敷く包囲網を軽々と潜り抜け、勢いを緩めることなくダンジョンを次々と攻略する姿。世間に公開された彼の常人離れした身体能力と嘲笑うかのように笑う口元が映ったとある動画から、彼は一部の記者にそう呼ばれ始めたのだ。
いつの間にか、その高校生は世界中でヒーローとして比喩されるほどの、日本政府が無視できない存在にまで成り上がっていた。
加えて、彼の運営する――α部隊の日常――という動画配信チャンネルの登録者数は五億人を優に超えていた。
その影響力はすでに計り知れないものになっていたのだ。
そして、そんなヒーローは現在――。
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「好、次はどこ行く?」
彼らの私有地に止められたキャンピングカーの生活空間。
その壁に張られた無数の地図と考察メモ。それを二人で眺めながら、祐奈が好に聞いた。
祐奈の発案。
睡眠人とダンジョンの位置には関係性があるのでは?
という発想から、好が自力で法則性を探し続け、今なおその検証と考察を行っていたのだ。
そして、壁に無数に張られた資料がその全てである。
長考の後、好は日本地図のとある場所にピンを打つ。
「そうだな……ここにしようか」
「ふむふむ、北海道ですか。でも、何で富良野にしたの?」
好が示した場所は、一見なんの法則性も感じられない土地だったのだ。
今まで検証した法則性は、睡眠人の出身地、最後にいた地域の近く、ゆかりのある土地……など誰にでも考えられそうな可能性から、無数の可能性が考えられる暗号めいた法則性の検証まで多岐にわたっていた。
しかし、今回の富良野という選択は、これまで一緒に共にしてきた祐奈ですら見当が付いていなかったのだ。
どんな法則を好は見出したのか。
気になった祐奈は、すぐに好に聞き返した。
「北緯43度20分31秒」
好の答えは至ってシンプルだった。
しかし、そんなこと言われても祐奈には何も分からなかった。明らかに疑問符を頭上に浮かべるような表情をしている。
それを見た好は「確かに説明不足だった」と思い、ふっと微笑んだ。
「えー、何で笑ったのさ! そんな「当たり前でしょ!」みたいな返答されても、私は困るんですけど」
「いや、すまん。確かに説明不足だったな」
分かっているなら良し!
そう言わんばかりの表情で鼻息を鳴らす祐奈。
「で、何なの法則なの?」
「法則というほどの法則でもない。ただの俺と夜空の通算戦績だ」
その言葉は、まるで本物の好なのかと疑うような薄っぺらな発言だったように思えた。
そのせいもあって、祐奈の時が少し止まった。
今まで好はどんな状況だろうと、深い考えと分析を持ってして行動していた。
それなのに突然、小学生でも考え付きそうな考えを示したのだ。
好を手の届かない存在と位置づけしていた祐奈にとっては、時が止まって見えてしまうほどの衝撃発言だったのだ。
「え? それだけ?」
「もちろん」
「嘘だよね?」
「嘘じゃない」
「……ちなみにどっちが、どっちの戦績なの?」
「俺視点で43勝31負20引き分けだな」
なんと返せばいいのか分からなくなった祐奈は「ふ~ん」と誤魔化すように返事をしたのだった。
まあ、好が言うならいいか。そう考えた祐奈は、首を縦に振ったのだった。
その後、二人は素早く行動を始めた。
祐奈は原付バイクで必要な物資の調達に山を降り、街の方へと向かった。
好は体の調整も兼ねて、一度外で軽く運動をする。その後、キャンピングカーの外で常に透明化し隠れている「シカナラ」の体を念入りに洗い始めるのであった。
シカナラは基本的におとなしい。
鳴くこともないし、餌を要求することもない。甘えることもないし、どちらかと言うと一人で考えに深ける時間の方が好きなのだ。
ただ、唯一。好に体を洗われることが好きだった。
それは人間でいうマッサージのようなもの、凝った体を解きほぐすようなもの。
「……ッ」
「ん? 背中をもっと強く磨けって?」
「……ッ!」
「分かったよ」
鳩尾に頭突きしながら訴えかけてきたシカナラに、好はやれやれと世話をする。
好にとって、今やシカナラはいなくてはならない存在へとなっていた。
それは透明化の能力さることながら、移動の手段として、そして戦闘要員としても優れているからだ。
そして、何と言ってもシカナラの世話をする時間が、好にとってこの一年間で唯一の息抜きの時間となっていたからである。
起きているほとんどの時間は、武器の調整や居場所の考察、ハッキングによるダンジョン付近のカメラ映像の監視などに時間を当てていた。
好はこう思っていた。
――仲間のためなら、と。
だが、しかし。
少しずつではあるが、好の体には疲労がたまり、ストレスが蓄積し、目の下に隈を作るほどの睡眠不足へと変わっていた。
それもそのはずだ。
一年近くも、自分の体を顧みることがなかったのだから。
そんな好を間近で見続けていた祐奈は、できるならば彼を止めたかった。
何度か、そうしようと試みたこともあった。
しかし、悲しいことに好は祐奈の言葉には響かない。
だったら、祐奈は自分にできることを最大限するまでだと割り切り、好に尽くそうと努力していた。
地上にいる間は可能な限り栄養バランスを考え、好が寝ている間はできるだけ物音を出さないように外へと出て、必要な物はあらかじめ準備しておくなど、彼女なりの配慮を尽くしていた。
そんな祐奈の努力は、もちろん好は知らない。
というか、視野が狭くなっており、気が付くことができていないのだ。
シカナラの背中を力強くブラシで磨きながら、好が呟く。
「そういえばもう終わりだったよな、一年」
馬の耳に念仏……ではなく、シカナラには言語を理解できる特性がある。
しかし、そんなことを言ったところで一年契約知らないシカナラには、やはり馬の耳に念仏なのであった。
それを知りながら、好はシカナラに語り掛けるように呟いた。
「ただいまー」
「おう」
ちょうどタイミングよく、祐奈が帰ってきた。
少し驚きながらも、好は振り返りつつ返答する。
「ねえねえ、新作の抹茶チョコ売ってたから買ってきちゃった」
恐らく一年という期間に気が付いていないであろう祐奈が、いつも通りの可愛らしい笑みで好に何気なく話し始めた。
好の中では約束は約束。
一年という期限が過ぎれば、祐奈をちゃんと世間に解放するつもりであった。
彼女は元々、国民に元気を与えることのできる選ばれた人間だ。これ以上、好は我儘は言えない。
できるなら、好はまだ彼女の力が欲しかった。
有名になり過ぎた今ではどうしても好たった一人では、滞ってしまう部分が出てしまうのだ。
恐らく小さな町に買い物に出るだけで四苦八苦するだろう。
一人だと話す相手もいなくなってしまう。
料理だって自分で作らなくてはいけなくなってしまう。
ダンジョンでの仮眠だって、交代制での対応が出来なくなってしまう。だけど、眠気イコール死の世界であるダンジョンで寝ないわけにもいかない。
……正直、考え始めればキリがないほどに。
そんなことを考えながら、好は目の前で同意を求めてくる祐奈に笑いかけた。
「一個くれ」
「うん!」
無邪気とも捉えられる満面の笑みで、一粒のチョコレートを渡してくる。
そして、好は決めた。
浅良木祐奈とのダンジョン生活はここまでだ。
明日、契約終了を告げよう。
「ん~、この新作は侮れませんな。恐るべし、抹茶チョコの破壊力ですよ、これ」
「ああ、確かに美味いな」
二人で同じチョコを口の中で溶かしながら、ふふふと笑いあった。
「あっ!」
すると、突然祐奈が何かを思い出したように大きな声を出したのだ。
「どうした?」
「ペルセウス座流星群!!」
「は?」
「今日の夜!」
「あ、ああ、そういうこと」
そこでなぜか耳を赤くし、頬を朱色に染めた祐奈。
そして、気持ちを決めたような「よし」を言い、顔をこちらに向けてくる。
「好、今日の夜、一緒に観よう! ペルセウス座流星群を!」
何を急に。
別に観たいなら、勝手に観ればいい。
最初はそう思ったが、好はその考えをすぐに捨てた。
絶好の機会をあちらからくれたんだ。
今日の夜、告げよう。
「たまにはそういう息抜きも悪くないな」
「で、でしょ!? じゃ、じゃあ、早速、原付飛ばして天体望遠鏡買ってくるよ!」
再びなぜか顔を赤く染め、好から逸らすように原付バイクに跨ろうとする祐奈。
それを好はすぐに引き留める。
「いや、天体望遠鏡なら別荘にあるぞ?」
「え?」
未だに赤く染まっている顔を、ふいに振り向かせる祐奈。
「それに何かを通してみるよりも、肉眼で見る方が何倍も記憶に残るぞ。この辺りは灯りも少ないから、最高の環境になるはずだ」
「そっか! じゃあ、あとは天気次第だね」
「そうだな」
いつもの笑みを取り戻した祐奈に、好も笑い返したのだった。
恐ら彼女との他愛もない会話はこれで最後になるだろう。
好はそう考えながら、どう言い出すべきなのかを考え始めるのであった。
夜はあっという間に訪れた。
その日の夜空は、雲一つない最高の星観日和となっていた。




