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私はまだ足りないんだ

 


「ご、ごめん! つ、つい嬉しくなちゃって……」


 突然聞こえたツバキの声で我に返った祐奈は、飛び退くように好から離れた。

 そして、多少顔を赤くしながらも、周りをキョロキョロと見渡す。


「よう、久しぶりだな、ツバキ」


 余裕の表情で、ボス部屋奥にある黒い大理石製の壁に話しかける好。

 それを見て、祐奈も好と同じ方向を見ることにした。


『ひっさしぶりで~す。名前覚えててくれたんだね! さっすが好ちゃん』


 それに対し、陽気な返事をする雇われのツバキ。


「このダンジョンもお前の管理下なのか?」


『ん~、ちょっと違うんですけど……言っていいのかなぁ……ダメかなぁ…………あっ、オーケーサインでたので言っちゃいますね! 何とぉ!?』


 そうはぐらかすツバキに、好は言い放った。

 しかし。


「お前が俺の担当になったとかか?」


『……当てるのはなしですよぉ。私の良いところなしじゃないですか』


「なんだ図星か、案外分かりやすいのな」


『まあ、いいです。それよりも好ちゃん、おめでとう! ダンジョン攻略は世界で二例目、そしてその二つとも好ちゃんが攻略しちゃいましたぁ! パチパチパチ』


「そっか、まだ他のダンジョンは攻略されていないのか」


『そうなんですよぉ。好ちゃんが地上であんなに頑張って、みんなのお尻を蹴飛ばしてあげたというのに……案外、1st(ファースト)世界の人類って臆病なんですね、ちょっと残念』


「1st世界?」


『…………私、そんなこと言いました?』


 彼女は確かに言った。

 このツバキってやつはその口で「1st世界」と言ったのだ。


「言ったな、はっきりと。な?」


 好は同意を求めるように、祐奈へと聞いた。


「あっ、うん、聞いたよ」


「だってさ、ツバキ」


『うっそ~ん……減給……減給ないよね?』


「知らないわ。それよりさっさと聞かせろ、ここの睡眠人は誰だ?」


 静寂の時が十秒ほど続き、


『なんで掘り返そうとしないの? ……白馬の王子様? 好ちゃんは白馬の王子様ですか?』


「今のは明らかにお前の失言だろ? だったら、問いただしても意味ないことは分かる。それなら一秒でも早く、俺の聞きたいことを聞き出すだけだ。で、誰なんだ? ここの睡眠人は」


『……イケメン過ぎるぞ! 好ちゃん!』


「いいから、さっさと話せ」


『も~う、意地っ張りなんだからぁ』


「は・な・せ!」


『はいはい、分かりましたよ~だ。おっほん……このDungeon No.98に眠るは――風間(かざま)(ゆい)――、覚醒フェーズを実行致します。残り360秒で覚醒完了しますよ。その間、世間話でもする?』


 風間唯。


 その名に好は覚えがなかった。

 しかし、その隣にいる祐奈には聞き覚えのある名前だったのだ。


「唯ちゃん!? えっ!? 今、風間唯って言ったよね!?」


 驚くように、好の両肩を揺らす祐奈。


「ああ……そうだな、そう言ってたな」


 好はその名前を聞いて明らかにテンションを下げていた。

 それを見た祐奈は「やっちゃった」と言わんばかりに、申し訳なさそうな顔を浮かべる。


「ご、ごめん……つい……」


「気にするな、多少期待してただけだ。まあ、お前の知り合いなら、それはそれで良かっただろう。いい結果だ」


 そう言った好の顔は、沈んでいた。

 言葉とは真逆の表情を浮かべていたのだった。


 さすがの祐奈にも分かっていた。

 これは好の見栄なんだ、と。


 それに気が付いた祐奈は、好の手を握って言った。


「私は『α部隊』じゃない。けど、この二か月一緒にいて、好のことは何となく分かってる。私じゃ物足りないかもしれないけど…………泣きたい時は、泣いてもいいと思うよ」


「何を言ってる」


「少なくとも、今の好は『泣きたい』って顔してる。だから……」


 そう言って、祐奈は自分の胸に好の頭を引き寄せた。


「……痛い」


「泣いていいんだよ? 私の胸の中で」


「……まな板」


「今は何を言っても許してあげる」


「……うるさい、うるさい、うるさい!」


「うん、ごめんね、私で」


 静まるこの空間。

 その数秒後、好は泣いていた。


 声は出さなくとも。

 滴る雫で、反論しなくなった静かさで。

 祐奈はさらにグッと自分の胸に彼を引き寄せた。


 彼が世界中で誰よりも頑張っていたことは自分が良く知っていた。

 間近で見続けていた自分が一番知っているつもりだ。

 この二か月だけは、他の『α部隊』のメンバーにも負けないくらい、彼女は好のことを見ていた。


 睡眠を犠牲にして、名声を犠牲にして、大好きなゲームを犠牲にして、みんなで暮らした家を犠牲にして…………何もかもを犠牲にして、好はこの二か月できる限りの力を尽くしていた。


 好は「確率はずっと低いだろうな」と言っていたけど、ここにいるって信じて全力で突き進んできたことは、他の誰よりも祐奈だけが知っていた。


 そして、彼女だけが知っていた。


 好の悲しさも、虚無感も。

 その思いを。


 だから、祐奈は感情を抑え込んでいた好を自分の胸に引き寄せた。

 自分では力不足なことも、好の心を全て開かせることもできないことは分かっている。

 それでも、少しでも力になりたい。

 報酬とか、お金とか、そういうのに目が眩んでいるわけではない。


 祐奈という普通の人間は、好という人間に引かれて、『α部隊』の力に少しでも力になりたくて、今ここに立っている。


 自分にできる全てのことはやるつもりなのだ。


 そして――。

 今は好に感情を吐かせることが、自分の役目だと思ったのだ。


 ――ああ、私にはまだ足りないんだな。


 胸の中で声を出さずに泣いている好を見て、祐奈はそう思っていた。


 ――好は誰よりも頑張ってることは、私が知ってるよ。


 そう言ってあげたい。

 だけど、今の私にはまだ足りない。


 祐奈は自分の無力さを嘆いていた。


 じっとただひたすらに、祐奈は待ち続けた。




 そのまま時がゆっくりと、確実に進んで行く。

 好が泣き止むまで、先ほどまで陽気だったツバキは一言も声を発しなかった。

 案外、空気を読むタイプなのかもしれない。


 それでも、この静寂の空間は終わりを迎える。


 五分後のことだった。


『覚醒フェーズ完了です。これより――風間唯――の覚醒を行います。それではまた次のダンジョンでお会いしましょう』


 その言葉を最後に、ツバキの気配は完全に消滅したのだった。


 再び二人だけの空間になり、異様な静けさが二人の間を包み込んでいた。


「……すまん」


「う、うん、大丈夫! 気にしないで」


「ありがとな」


「ど、どういたしまして」


 その会話の後、二人はお互いに背を向け合うように顔を逸らしていた。


 好は服の袖でゴシゴシと雫を拭い取る。

 祐奈は火照った顔の熱を少しでも取り除こうと、自分の少し冷たい手を頬に当てている。


 この時、二人の心の距離は確かな一歩を歩んでいたのだった。

 それも二人はまだ知らないこと。




 ******************************




「……ッ」


 二人がお互いまだ振り返れずにいたのを見かねた者が一体。

 ここの元ラスボスであった「シカナラ」が、未だにぐーすかと眠っている睡眠人の後ろ襟を口で咥え、主である好の下へと持ってきたのである。


「おお、すまんな、ありがとう」


 好はそう言って、睡眠人を地面に降ろしたシカナラの額を優しく撫でてあげる。

 それを見ていた祐奈は意を決して後ろに振り向き、その知り合いである睡眠人『風間唯』の寝姿を覗き込んだ。


「本当に唯ちゃんだ、可愛いなぁ」


「可愛いのは認めるが、こいつは誰なんだ?」


「唯ちゃんは私と同じアイドルだよ。別のグループだけど、何度か番組やフェスとかで一緒になったことがあるんだよね」


「そういうことか。にしても、またアイドルか」


「有名人を人質にした方がダンジョンに挑む人が多くなるからじゃない? 唯ちゃんもそのアイドルグループではセンター張ってたくらい、有名で可愛い子だし」


「そういえばだが、どこかで見たことあるような気がするな。何となくだけど、頭の片隅に」


「そりゃあね、有名な子だし。まあ、私よりは……だけどね」


「唐突に自慢か?」


「…………無言を通します」


「まあ、好きにしろ。それよりも、だ」


 好はそう言って、寝ている風間唯から視線を逸らし、近くで四本足を組み縮こまっていたシカナラに視線を向けた。


「言葉は分かるか?」


 その問いかけに、頭を小さく縦に振るシカナラ。


「そうか、それはいい。懐いてくれたのはありがたいけど、お前は一緒に外に出られるのか?」


 その言葉に答えるように、シカナラは立ち上がり「乗れ」と言わんばかりに二人の前に立ちはだかった。


「なるほどな、分かったよ。でも、その前に色々やっておきたいことがあるんだ、少しの間そこで待っていてくれ」


 好はそう言って、シカナラの体を数度撫でた。

 そして、シカナラも満更でもなさそうに、目を細め、風間唯のすぐ隣に再び座り込んだのだった。


「やりたいことって?」


 祐奈がすぐに聞き返してきた。


「ああ、ステータス確認だ」


「そういえばそんなのもあったね、忘れてた」


「忘れるな、この世界において最も重要な情報源だぞ」


 そう言いながら、好は地面で寝ている風間唯をお姫様のように抱きかかえ、黒い大理石の壁の近くにあるコンソールへと近づいて行く。

 慌てるように、祐奈もその後に近づいて行くが、どうにも彼女はその光景をみてモヤモヤしていた。


 しかし、彼女は特に何も言わずにそのまま後をついて行く。


 そのコンソールは壁の大理石と同じ材質のようで、形は竹を斜めに切って割ったような奇妙な形をしていた。

 そこの断面に、好がゆっくりと手を触れると、青白く光る文字がそこから浮かび上がった。


 そこに表示されていた文字は――。


「あの女も気が利くじゃないか」


「本当だね、ツバキさんだっけ? 好が泣いてた時も大人しかったし。案外、あの元気な口調とは似合わない性格の人なのかもね」


 そこにこう書かれていたのだ。


『Dungeon No.98 CLEAR Strategy Name:α部隊』


 と。


 しかし、好はビクッと祐奈の言葉に反応した。


「……泣いてない」


「ふ~ん」


 いつも通り、祐奈は知らん風に受け流してあげた。

 それでも好は少し恥ずかしくなっていたのだった。改めて「泣いていた」と指摘されると、それはそれで好にとって心にくるものがあったのだ。


「次だ、次」


 話を強制的に切り替えるように、好が『Status Display』という文字を指で押した。

 まあ、祐奈にとってはその強引すぎる感じも可愛く見えていたのだが。


 そして、そこに表示された好のステータスは――。



【Status】

 Name:鏑木 好

 Level:3

 Number’s:No.78eyes/No.98monster『シカナラ』



「あっ、レベル一個上がってるね。それに……この子『シカナラ』って名前なんだね。可愛い名前」


「ああ、そうだな……『シカナラ』か。いい名前だ」


 すると、好の肩の上にシカナラの顎が乗ってきたのだ。

 重さはない。

 恐らく愛情表現の一種なのだろう、と好は考えていた。


 優しくその顎を撫で返してあげた。


「次は私やってもいい?」


「もちろんだ」


「それじゃあ、早速!」


 祐奈はそう言って、同じようにステータスを表示した。



【Status】

 Name:浅良木 祐奈

 Level:2



「おおっ!?」


「おっ、マジかよ」


 二人して驚きの声を上げたのだった。


 祐奈は喜びの感情を込めた驚き。

 好は「こいつ一度も戦闘していないのにな」という素での驚き。


「ちょっと試してみてもいい??」


 そう言って、祐奈はその場でジャンプを試みる。


 すると――。


「うわぁっ!? 凄っ、これ!」


「おお、確かに端から見れば凄いな。それじゃあ、俺も」


 次に、好が女の子を抱えながらその場で飛び上がった。

 それは明らかに祐奈の1.5倍は高く飛んでいた。


 そして、この時。

 好は確信していた。


 ダンジョンを一つ踏破するごとに、レベルが一つ上がる。

 身体の力は微量であれば、道中でも上がる。しかし、ダンジョンを攻略したときが一番上昇率高いのだ、と。


「おお~、好の方が全然高いね。これが一レベル分の差かな?」


「まあ、おおよそ正解だな。道中での戦闘でも、多少は身体能力は向上しているから、その分を差し引けばおおよそ正解だな。あんたにしてはよく気が付いた」


「へへ~ん……って、それ褒めてないよね?」


「めちゃくちゃ褒めてる」


「……本当は?」


「貶してる」


 好の顔を覗き込んだ祐奈に負け、あっさりと白状してしまった。

 しかし、それを聞いた後でも彼女の顔は笑顔のままだった。


「じゃあ、最後に唯ちゃんのステータス確認だね」


「ああ、そうするか」


 そうして、祐奈は寝ている風間唯の手を勝手に操作し、ステータス表示の画面に触れさせた。



【Status】

 Name:風間 唯

 Level:1



「まあ、予想通りだな」


「そうだね、なんか拍子抜けって感じ」


「そう言うな、この世界に現れたダンジョン自体そう難しい構造をしているとは到底俺には思えない」


 その言葉の意味を、この時はまだ祐奈は理解できていなかった。

 しかし、彼女はいつも通り分からないことはそのまま聞き流してしまったのだ。


「ふ~ん、それより他にやることは?」


「そうだな。あとは――」


 再び、好の企みが始まる。


 好の考え至った未来の一つ。

 ダンジョンの外はすでに厳重態勢での見張りが行われているだろう。

 たったの一か月。

 そう、まだダンジョンに入ってから一か月しか経っていないのだ。それならば国が軍を動かし、警察を動かし、鏑木好という情報の塊をやすやすと見逃すはずがない。


 こんな近くにいて、居場所が判明しているのだから。


 それに好が武力行使したように、あちら側も武力を押し通さないとは限らない。


 だから、好は――。


「このシカナラで脱走するぞ」


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