水の重さは1L=1kg
「ボス戦の前に、一度息を整えるか。その間、改めて作戦を確認するぞ」
「おっけー、ボス!」
祐奈のその返答の言葉は少しのおふざけが入っていた。しかし、瞳の奥に映る炎は確かに闘志を燃やしているのが、好には分かっていた。
そして、なぜか彼女は戦闘前に限り、好のことを「ボス」と呼ぶようになっていた。
これも好に従う、という彼女なりのアピールの一つなのだろう。
二人はボス部屋の扉から離れるように近くの壁に腰をかけ、祐奈の取り出したスポーツドリンクを最低限飲み込む。
このダンジョンに置いて水分は一番貴重な物だ。
食べ物は軽いものを選んで持ち込むことはできるが、水分は別だ。どれだけ頑張ろうとも水の重さは変わらない。
だから、水分だけは取り過ぎないように適度に補給していく。
「う~、肩凝る~」
祐奈はバッグを地面に降ろし、背伸びをしてから肩をグルングルンと回す。その後、軽く両肩を揉み続けた。
「それじゃあ、確認始めるぞ」
「うん」
「以前のダンジョンでは、ボス部屋の外で待機していたやつらはボスが死んだとしても、なぜか先へは進めなかった。それを考えると、あんたも俺が戦っている間はボス部屋の中にいなくてはいけない。覚悟は出来てるか?」
「もちろんだよ、私だって……私だもん!」
「いや、意味わからん」
祐奈は「もちろん」の後に言葉を続けようと思ったが、それ以上に思いつかなかったため、とりあえず適当なことを口にしただけだった。
もちろん会話にもなってない言葉は好には届かない。
「私も何言ってるかわかんなかった」
「そうか……休憩は長めに取っとくか」
「いやいや、それは大丈夫!」
「本当か? ここで見栄張っても意味ないぞ? むしろ自分の体調はちゃんと俺に伝えてもらわないと困る」
「うん! 本当に大丈夫だから!」
「分かった、信じよう。それでだ。これまでの道中と同じイノシシ型であるのならば、ヘイトを俺に集めれば、あんたには危害は与えないはずだ。直進にしか進まないから、あんたは俺とボスの直線状から離れていれば問題ないわけだ。簡単だろ?」
祐奈は腕をまっすぐ前へと伸ばし、拳を好へと突き出して言った。
「楽勝!」
「それだけあんたは押さえておけば十分だ。変則的なことがあれば随時指示を出す。とりあえず、転ぶな! 以上」
「了解であります、ボス!」
こうして、二人の最終確認は終えたのだった。
…………盛大なフラグを立てて。
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「よいしょーっ」
ボス部屋の中。
好の指示を受けながら走り続けていた祐奈が、地面の凹凸に足をとられ盛大にコケたのだった。それはもう華麗になるエビ反りになり、顔面からというお約束を守って。
ついでに変な掛け声を添えて。
「ちょっ……お前ってやつは!!」
それを視界の端で見ていた好は、思わず変なツッコミをしてしまった。
さっきまでヘイトは確かに好一人に集まっていた。ボスは祐奈に目もくれずにいたはずだった。
しかし、その声に反応したのか、ボスはその瞳に祐奈をロックオンしたのだ。
突然、標的を変えられた好は、慌てて祐奈の下へと走り出す。
(ここからならボスに近づくより、あいつの下に言った方が速い!)
ただひたすら全速力で走る好。
なぜかいまだに起き上がらない祐奈。
好とほぼ同じ速度で祐奈に突進しようとするボス。
「おらぁっ!! 間に合えー!」
イノシシと祐奈の衝突の寸前、好は力の限りの突進をボスの側面へと当てた。
そのまま勢いあまって、両者あらぬ方向へと転がっていく。
ボスは壁に大きな穴を開け、抜け出そうともがき始める。
好はゴロゴロと転がり、壁に背中から激突した。
「ぐはっ!?」
肺の空気が一瞬で押し出された感覚が襲ってきた。でも、血は出てない。まだまだ大丈夫だと、好はすぐに悟った。
そこでたまたま目に入った、祐奈が起き上がり、女の子座りで周りをキョロキョロと見渡す姿。色々とツッコみたかったが、ここは堪えすぐにボスへと神経を研ぎ澄ませた。
好が立ち上がった時同じく、ボスも壁から這い出るように立ち上がった。
両者の目線が、合った。
「モヒンヌッ!!」
「……ふぅ」
ボスは雄叫びを、好は集中の息を、それぞれ吐き出す。
そして、同時に駆けだした。
「モヒモフモヒンヌ~!」
その瞬間、途切れていた好のゾーンが再び戻ってきた。
すぅーっと、思考と視界が開け、次の起こすべき行動が導き出されていく。
好は突然、ボスとの距離があと少しという場所でブレーキをかけ、ボスから逃げるように後ろへと逃げ走ったのだ。
ニヤリと、ボスの口角が上がる。
後姿を見せた獲物は逃がさない、そんな鋭い感情。
すぐに好は壁に阻まれた。
逃げ場はない、あとは衝突をどう避けるか、どこに避ければいいのか。
普通の人ならこう考えるはずだ。
「ぶっ刺されっ!!」
好は一本の剣を壁に、突き立てるように投げ刺したのだ。
そして、そのまま壁に向かって勢い止めることなく走り続ける。
ボスとの距離、50センチ。
遠くから見ていた祐奈はもう駄目かと思った。
「好っ!?」
焦りの声がボス部屋に響いた。
それと同時に、好は壁に向かってジャンプしたのだ。そして、先ほど刺した剣の柄の部分を踏み台に、後方斜め上へとアクロバティックに飛び跳ねた。
突然の方向転換。
それに対応できなかったボスは、そのまま壁へと自ら衝突することになった。
壁を使い、華麗な宙返りを見せた好の目の前には、無防備なボスのお尻。
「ははっ、なんて様だよ、全く。可愛いやつだな、モヒンヌ!」
ボスの名前を叫び、好は残酷にもお尻側から剣を突き刺したのだ。
もちろんどこと言うまでもないだろう。お尻には突き刺すのに、最高な弱点がある。
「モヒッ!? モ、モ、モ、モヒンヌ~ッ…………ヌッ」
最初は激痛の叫び。
そして、徐々に息絶え絶えな鳴き声に変わっていく。
そんな時だった。
好の肩にポンと可愛らしいアイドルの手が置かれた。
「大丈夫、私はサン様がどんな性癖を持っていようと……ファンであることは辞めないよ。ふっ」
そう言った祐奈の目は、明らかに笑っていた。目尻で笑っているのではなく、瞳の奥から笑っていたのだ。
内心では「違う!」と思いつつも、好はベクトルを変えた返答をした。
「大丈夫、俺はアイドルが顔面に擦り傷を大量に作っても……ふふっ。ごめん、やっぱ無理。ふふふっ、ふふっ」
先ほどの顔面ダイブで、顔に大量の擦り傷を作った祐奈。
好はそれを見て笑いが止まらなくなっていたのだ。
(てか、さっきの「よいしょーっ」って転び方なんだよ、ふふっ。やばい……笑いが止まらない)
慌てて、端末の鏡機能で自分の顔を確認し始める祐奈。
徐々に顔を青ざめていったのは言うまでもないだろう。それを間近で見て、笑い転げた好も。
「うわぁー!? わ、わ、私の顔に傷がぁ!! ちょっ、笑いすぎだよ、好!」
明らかに動揺する祐奈。
そんな中、ボスの体がいつも通り溶けていき、一つのドロップ品が現れていた。
それを見つけた好は、笑うのを頑張って抑え、自分の剣の回収も兼ねてボスの死体痕へとゆっくり進んで行く。
「ああ、久しぶりにこんな笑ったわ。って、何だこれ? 水筒?」
そこに現れたのは、どこにでもあるような水筒だった。
好は思わず、首を傾げ、色々な角度からそれを確認し始めた。
そう、好にとってこのような経験は初めてだったのだ。
今までは、ダンジョンっぽいと言えばいいのか、ゲームっぽいと言えばいいのか、ファンタジーチックなアイテムしか落ちることはなかった。
しかし、今回落ちたのは水筒。
地上を探せばどこにでもあるような、ごく普通の物だ。
「ねえ、好! 消毒液持ってきてなかったっけ!? やばい、どうしよう、顔に傷跡だけは残したくない! 絶対に嫌だ!」
後で慌てふためき、バッグをごそごそと焦っていた祐奈。
好は後ろに振り返る。
「中の小さなポケットに入ってなかったか? 簡易治療キット」
「あー、あった! ありがと! ねえ、やって! 自分じゃ痛くて無理、怖い!」
「はいはい」
呆れるように、好は座り込む祐奈の下へと歩み寄り、顔を近づけるようにしゃがんみ状態を確認し始める。
「うわぁ、痛そう。ほら、消毒液貸して」
「はい、これ! 早く、的確にね!」
「はいはい」
消毒液とガーゼで顔にできた傷を消毒していき、乾いたところから絆創膏を張っていく。絆創膏と言っても、この時代の絆創膏は傷の治りを早める薬が普通塗られている医療品である。
ついでに、膝の擦りむいた場所なども治療していく。
そして、治療が終わった頃には、祐奈は絆創膏だらけの田舎のガキ大将みたいな風貌になっていたのだった。
「それよりも、それってもしかしてドロップアイテム!?」
治療が終わり、心が落ち着いたのか、祐奈が俺の近くに置いていた水筒を指さして聞いてきた。
再び、好はそれを手に取り、訝し気に眺め始めた。
「ああ、そうなんだが、少し変なんだよな」
「そういえば、動画にはこんな普通のアイテムはなかったね。ちょっと貸して」
「おう、ほら雑に扱うなよ、貴重な物かもしれないんだから」
「分かってるって!」
そう言って、祐奈は躊躇せずに水筒の蓋を開けたのだった。
そして、そこには――。
「あっ、内側に説明書っぽいの見つけた。えっと、どれどれ……」
これまた躊躇せずに水筒の中に手を突っ込み、小さな一枚の紙を取り出した祐奈に好は呆れ、驚いていた。
その行動力は、まさにガキ大将そのものだったからである。
「なんて書いてあるんだ?」
「読めない……ねえ、これショー様が動画で解読してなかった?」
そう言った祐奈は突然、好の肩にピッタリと自分の肩を当て、一緒に見ようよという態勢になったのだ。
いきなり近づいてきた祐奈に、内心で驚いた好。しかし、なんとか耐えたのだった。
「えっと、確かこれは……『無限水筒』って書いてあるな。説明文には、補充不要、有効期限三年、と書いてあるな」
これが確かなのであれば……。
「もう……あの重い荷物を持たなくていいの?」
「なぜお前はそうすぐに瞳をうるうるさせるんだ」
「だって、だって……あの荷物、本当に重かったんだもん。キツかったんだもん」
やっぱり、普通の女子の気持ちはよく分からない。
柚と菜津の気持ちなら手に取るように分かるんだけどな。
そう思っていた、鏑木好であった。




