一年契約
「……んー……ん」
眠り姫が目を覚ますと、そこは夕日になりかけの淡い光が差し込む見慣れない高い天井だった。そして、彼女の体を支える高級ふかふかなソファに、うっとり溶け込みそうな肌触りの毛布。
「ようやく起きたか……水でいいか?」
突然、聞こえてくる聞きなれない男性の声。
それは鏑木好の優しい声だった。
好は徐に椅子から立ち上がり、冷蔵庫へと向かった。中から水の入った500ミリリットルのペットボトルを取り出し、その眠り姫の目の前にあるローテーブルに置く。
そのとき、眠り姫こと浅良木祐奈は完全に脳の処理限界を超えていた。
見慣れない場所、見知らぬ年の近い男の子の優しい接し方、アイドル衣裳を着たままの服装……そして、途中から途切れた自分の記憶。
「あ……あの……」
祐奈が口を開いた、その瞬間だった。
グゥ~、と可愛らしいお腹の音が二人の空間に鳴り響いた。
「何だ、腹減ってるのか? 昼のあまりものでいいか?」
「あ、その……」
「いい、混乱しているだろう。作ってくるからその間は好きにしていろ」
好は有無を言わせない、といった口調で言い放った。そして、昼に作ったチキンライスをレンジで温め始めた。
冷蔵庫から卵を三つ取り出し、簡単に溶いていく。
その間に、フライパンに大量のバターを投入し、フライパンを最高の状態にする。
ジューッ、と卵を流し入れたとき。
グゥ~、と再び可愛らしいお腹の虫が鳴いた。
「もう少し待ってろ」
「あっ、はい……すいません」
祐奈は大人しく、毛布を畳み、ソファに座り直してから、身だしなみを整え、家の中を見渡していた。一つ一つの高級家具に、高い天井、隅々まで掃除された綺麗な床、三メートル近くもある高い窓が壁の一面を占めていた。
それは混乱している彼女でもすぐに分かった、凄く裕福な家だ、と。
彼女はそれを羨むように思い、ふとキッチンで料理をしているその青年に目を向けた。
そして、一口。彼がくれた水を口に含み、渇きを満たす。
そうして、その青年を眺めているとき、ふと目が合った。
……しかし、その青年は特に何も言うことなく、恥ずかしがる様子でもなく、興味なさげに目をフライパンへと向け直した。
その時、彼女はこう思っていた。
――えっ……一応、私有名人なんですけど。あれぐらいの年齢の男の子なら目が合っただけで、惚れられるくらいには可愛いんですけど。
少し悔しかったのだ。
金持ち、料理ができ、見た目も悪くないむしろ好みな部類、そして優しい。そんな全く見向きもされていないような彼の態度に。
すると、好が白い皿に載ったチキンライスを包む黄色い食べ物――オムライス――片手に、祐奈の向かいのソファに腰を下ろし、机に置いた。
「とりあえず食ってエネルギー補給しとけ、話はそれからだ」
「……はい」
祐奈はその有無を言わせないという目線が少しだけ怖かった。
だから、言われるがままにオムライスを一口頬張る。
「……美味しい」
「そうか、良かった」
祐奈は思ったよりもお腹が空いていた。一口食べたら手が止まらなくなり、ペロリとオムライスを完食したのだった。
少しがっつきすぎたかも、と思いつつ、小さな声で「ごちそうさまでした」と言った。
「もう、頭は働いているか?」
「はい、ありがとうございます」
「いい。それよりも、今から俺の知る限りの情報を話す。それを聞いて自分で全て判断しろ」
「わ、わかりました」
すると、好はタブレット端末のカレンダーを開き、約三か月前の4月のページを祐奈に向けて見せた。
「まず、今は2089年8月2日だ。あんたの最後の記憶はいつで止まっている?」
その言葉に、祐奈は目を見開くように驚きを表した。
「えっ……八月?」
「ああ、そうだ。で、どうなんだ?」
「えっと、確か……4月初めごろの歌収録の日だから……4月5日頃だったような気がします」
その返答に、好はタブレットを自分の方に引き寄せ、何かを入力し始めた。
そして、納得いくように一つ頷く。
「そうか、そんな前から。まあ、いい。とりあえずこれを見てくれ」
そう言って、好は再びカレンダーを祐奈に見せる。
「はい」
「始まりは……約三か月前、2089年4月20日。世界は変わったんだ――――」
好は一方的に今まで起きた全ての物事を話していった。
ダンジョンとモンスターが出現した日。
彼らがダンジョンに潜った日。
初めてボスを倒した日。
地上のモンスターが自衛隊により殲滅された日。
国民が各々の家に帰った日。
彼らがダンジョンのラスボスを倒した日。
四人がいなくなったこと。
謎のアナウンス「ツバキ」との会話。
そして――。
「あんたが俺たちの攻略したダンジョンの睡眠人だったんだ。それで……あんたは今この家にその恰好でいる。これが俺の知っている事実だ」
「…………」
祐奈は言葉一つ発せなくなっていた。
ありえない話と思いたいが、彼にその都度突き付けられるニュースや写真に数々の情報、それがその話を真実だと告げていたのだ。
祐奈は完全にこの世界の変化に取り残された人。
一人、置いて行かれていた。
そして、浅良木祐奈というアイドルが行方不明扱いになっていることも知らされた。
「と、まあここまでがお前のための話だ」
「え?」
「俺には別にお前にここまでする必要がないことは分かるよな?」
「……はい、なんとなく」
「浅良木祐奈」
「は、はい」
突然、真面目に自分の名前を呼ばれた祐奈は少し赤面した。
「俺と一年契約を結ばないか?」
「……は?」
「俺は全てのダンジョンを攻略する必要があるのは分かってるよな? 仲間の菜津、柚、夜空、かずっちを取り戻すために」
「はい、そこは理解しました」
「だが、俺一人では限界があるんだ。俺はあと二日で国や様々な組織から追われる立場になるだろう」
「……それなぜ?」
「最終階層にあったコンソールに『情報開示まで残り:71時間42分』と表示されていた。恐らく世界のどこかに俺が攻略したことが公開されるんだろう」
好はそこで自分の端末であらかじめ撮っておいたコンソールの画面の写真を提示した。
「本当ですね」
「俺はそのとき『α部隊』と入力した」
好が何ということもなく、自分の情報をサラッと言った時だった。
「嘘っ!?」
祐奈は急に立ち上がり、さらに顔を赤面させ、好の顔をジッと見つめ始めた。
そう、実は彼女。
まごうことなき『α部隊』の大ファンだったのだ。
それもにわかファンとはまるで違う、本物の大ファン。
彼女はアイドルという日々の多忙に、日々の誹謗中傷から現実逃避する方法を――α部隊の日常――という動画チャンネルに頼っていた。
彼らの動画を見ていると不思議にも自分がこの『α部隊』の一員になれる気がした、強くなれる気がした、そんな単純な理由から見始めた彼らの動画に、いつの間にか祐奈はドップリとハマっていたのだった。
そして、祐奈にとっての憧れでもある『α部隊』のリーダー好が目の前にいるという事実。彼のご飯を食べたという事実。こんなにもカッコいいとは思っていなかったという事実。
それら全てが彼女を立ち上がらせた。
「な、何だ急に立ち上がって。びっくりするじゃないか」
「ほ、ほ、ほ、本当ですか!? 嘘じゃないんですか!?」
「なんだ俺たちのこと知っているのか? ほれ、これが証拠だ」
そう言って好が祐奈に見せたのは、AR拡張端末のソーシャルネットワーキング画面。もちろん、そこには『α部隊』のリーダーであるキャラ名――サン――の名前と公式マークが。
この時代、SNSのアカウントは一人一つまでしか作成できない。
何十年前の、何代前の首相の時にできた法律だったか……この時代の青少年に覚えている者は少ない。
「うわぁっ!? あ、握手してください!! だいだいだいファンです!!」
突然の要求に、好は呆気にとられながらも苦笑いしつつ対応した。
同時にその柔らかい手を握れた好も少しだけ嬉しく思っていた。可愛い有名人と握手できたということも含め。
「と、とりあえず一旦落ち着いて座ってくれ。俺の話はまだ終わっていない」
「あっ、はい、すいません。ちょっと興奮しちゃって……」
好はやれやれといった感じで、事前に持ってきていたエナドリをプシュッと開け、一口飲み込んだ。
祐奈もその言葉に急に冷静にこの状況を考え、やはりといえばいいのか……再び赤面して座った。
「さて、契約の話だが……浅良木祐奈には俺の右腕として、一年間だけ働いて欲しいんだ。このままあんたが行方不明扱いのままで、だ。それが俺にとっては一番都合がいい」
好は右腕、と言った。
しかし、その実は言葉を選んで話していた。
好が今欲しているのは、要するにパシリのような存在。
地上では自分の手足となって有無を聞かずに動いてくれる人材、ダンジョンで食料などのバッグを持ってくれる人材、それを探していたのだ。
それもそこら辺の人では絶対にダメだ。
祐奈という人間が行方不明扱いだからこそ、好の考えている計画の成功率を格段に上げてくれる要素なのだ。
そして、ほんの少しだけ。
美女が隣にいるとやる気が出るといった、男の子らしい理由も添えながら。
「えっと……私のメリットなくないですか? そ、それはもちろん!! サン様と一緒に行動できるのは嬉しいですけど……私にはお金を稼がなきゃならない理由が」
祐奈は徐々に尻すぼみに声を小さくして言った。
「もちろん報酬は用意する。勝手だとは思ったが、少しだけあんたの身の上を調べさせてもらった」
「えっ……」
祐奈は、好だけには見られたくなかったというような沈む表情を浮かべた。
「すまないとは思っている。だが、この契約を結んだ時点であんたの弟の大学までの教育費用はこちらが全て負担しよう、そして一年後まで俺の右腕となって働いてくれた暁にはこれだけの報酬を約束しよう」
そう言って、好は右手の親指だけを折り曲げ、祐奈に掌を向けた。
しかし、祐奈はただ首を傾げるだけ。
残念ながら彼女は、そう言った交渉術などには非常に疎かったのだ。それは普通の人よりも知らないレベルで、そういったことに今までの人生で関わってこなかった。
それもそのはずだ。
彼女がアイドルになったのは中学一年生の13歳のとき。それから四年間はひたすらアイドルとして日々を多忙に過ごしてきたのだから。
「えっと……4円?」
バカみたいなその返答に、好は思わず頭をポリポリと掻いた。
「違う……4億だ」
「……………………4億?」
「ああ、そうだ。これだけの好条件、世界を見渡してもそうそうないぞ。それに今ここで契約書を結んでもいい、すぐにかずっちが作って……」
好はそう言いかけたところで、何かにハッと気が付くように言葉を止めた。
かずっちは、ここにはいない。
そのことを理解しているはずなのに、ふとした瞬間に頼ってしまう存在。
「どうしました?」
「いや、すまない。契約書は俺が作ろう、なんだったらお前が作ってもいい」
「で、でも…………私、一応アイドルですし」
「ん? お前、アイドル辞めたいんじゃなかったのか?」
「えっ!? な、な、なんでそれを知っているんですか!? まだそんなに周りに愚痴ったことないのに!!」
「ああ……すまん、今朝のニュースでたまたま見た」
それは好がダンジョンから帰還し、すぐの事だった。
テレビを付けたときの番組が、今目の前にいるアイドルの失踪について取り上げていたのだ。その中に、ひっそりと紛れ込んでいた――とあるA氏による証言によると、常日頃から辞めたいというのが口癖の子だった――と書かれていたのだ。
好はその事実をそのまま祐奈へと告げた。
「……サン様……いえ、好さん! 今すぐ! 今すぐ、私と契約してください!!」
「あ、ああ……いいのか? あんた碌に契約内容すら聞いてないぞ?」
「はい、構いません! てか、何ですかそのニュース! もう私に戻るアイドルの席なんてないも同然じゃないですか! 今頃、私のファンたちは怒り狂ってることでしょうね! 握手会という名の、罵倒会になりますよ!!」
「わかった……とりあえず、速攻で契約書を」
「いいです! 私が一番信じられるのはこの世でサン様だけです! それ以上の信頼はありませんよ! それに弟の大学までの費用を払ってくれるのであれば、文句なんてこれっぽっちもありません! ドンとこいですよ」
その明らかに猫被りを諦めたその祐奈の姿を見て、思わず好は笑った。
そのあとすぐに、好の予備のAR拡張端末を祐奈に貸し出し、今日一日は家の中限定で自由にしておけと指示を出した。
その間、好は計画に向けてこの家で出来る準備を進めていた。
祐奈はその言葉に甘えるように、風呂に入り、柚や菜津の化粧水やら乳液やらをペタペタと顔に塗りたくっていた。
どうやら完全に開き直っているらしい。
同じ屋根の下には、憧れの好という人間がいるにもかかわらず、堂々とした立ち振る舞い。
そう、これが本来の彼女の姿。
アイドルとしての、おしとやかで、上品で、可愛らしい彼女なんてただの空想上の生き物だったのだ。
そして、テレビや端末でひたすら、彼女が眠っていた期間の情報集めに奔走していた。彼女も彼女なりに現実を受け止められてきたのだろう。
だんだんと表情を険しくしながらも、長時間ソファの上で端末と睨めっこし、テレビを聞き流していた。
そんな時、祐奈は突然思い立ったように顔を勢いよく上げて、ドラゴンフルーツのマークが特徴のパソコンを操作していた好に話かけた。
「あっ、そう言えばこれからどうするんですか? サン様は明後日には追われる立場になるんですよね?」
「その『サン様』っての止めてくれない? 好でいいよ、同い年なんだし」
「はい、好!」
「うん、それで。今後の予定は、とりあえず明日から別荘に一時避難する、以上」
「了解であります! わくわくしますね! この私が『α部隊」として活動できるなんて、夢のようですよ」
「あっうん、それでいいよ」
いつもの好ならば、他人が『α部隊』を名乗ることをそこまで良しと思わない。だけど、今の状況を考えて、少しでも勘違いして頑張ってくれるならそれでいいや、と思っていた。
こうして鏑木好は、右腕という名の体のいいパシリ女を獲得したのだった。
ただし、国民的可愛さを持つ元アイドル、という枕詞の付く少し特殊な人材。
今日ここで、異色のタッグが結成された。
鏑木好、『α部隊』のリーダーであり齢17の青年。
浅良木祐奈、元アイドル兼『α部隊』のファンである齢17の女性。
――そして、ここから始まる。
『α部隊』再生の物語、そして彼らが英雄になるまでの物語――
第0章『序章――Prologue』完結。
次話より、第1章『1年契約――One-Year』が始まります。




