#1 タソガレ (1)
“それ”は試験も終わってあとは夏休みがやって来るのを待つばかりの、楽しみでじっとしてなんかいられない夕刻に突然やって来た。
「逸くーん、今帰り?」
授業も終わって、今日はさっさと帰って家でRPGの続きをしようと、半ば小走りに正門を出ようとしたら、声掛けられた。相手が男だったら立ち止まらず挨拶だけで去るところだが、女の子相手ではそういうわけにはいかない。
オレは声のしたほうを振り返る。と、正門の脇に我が私立稜星学園一の美少女と謳われる沢見栄子嬢の笑顔があった。栄子ちゃんは正門の横の、ポプラの木の陰に立っている。肩までのウエーブした栗色の髪が時折そよぐ風になびいて、なんとも絵になる姿だ。
「あれ、栄子ちゃん。こんなとこで何してんの? あぁ、彼氏待ちぃ?」
すると栄子ちゃんは花のような微笑みを苦笑いに変える。
「んー、まぁね。一人で帰るのちょっと怖くって。」
「え、何で?」
きょとんとした顔で聞き返す。すると栄子ちゃんから逆に聞き返された。
「あれ、律から聞いてない?」
「? 何を?」
律というのはオレの双子の片割れのことだ。栄子ちゃんと奴は小等部の時から現在までずっと同じクラスで仲が良い。ってことはとりあえずおいといて、え、別に何も聞いてないけど。
オレが疑問顔してると栄子ちゃんが言いにくそうに話し出す。
「うーん…、あのね、実はね…、あたし、最近ストーカーされてるの。だから一人で帰りたくなくて。」
「ストーカー…」
「ほんとは律に家まで付き合ってもらおーと思ってたんだけど、用があるって言うから仕方なく彼氏呼んじゃった。」
栄子ちゃんの彼氏、確か他校のひとつ年上だったっけ。一緒にいるとこ、何回か見たことある。
オレはとりあえず栄子ちゃんの隣で一緒に待つことにした。あぁ、日陰は多少涼しいな。蝉の声がちょっとうるさいけど。
で、え? 律が、用事があるから先帰ったって?
「用事ぃ? 何じゃそりゃ…っ!」
言ってて気がついた。ちくしょうやられた!
「…あんのやろぉ…」
「え、何かあった?」
栄子ちゃんが不思議そうにオレの顔を覗き込む。うーん、きれーな顔…。って見とれてる場合じゃなくて。
「何でもない。くだらんこと。」
うん、ほんとくだらんこと。でもくやしいーっ。RPG、先越されたっ。
…まぁ、それは家に帰ってから律に文句を言うってことで、とりあえずは栄子ちゃんの聞き捨てならない発言に話題を変える。
「ストーカー…って…?」
「うん、ここ一週間くらいかなぁ。朝と帰りと、家から駅までの間だけで、学校近辺では感じたことないんだけど、何か誰かにつけられてて…。」
栄子ちゃんは眉間にしわを寄せて本当に気味悪そうな顔をする。正門を出て行く生徒たち、みんなオレと栄子ちゃんを見て通り過ぎる。オレに屈託のない笑顔で挨拶していく女の子たちに軽く手を振って、視線を栄子ちゃんに戻す。
「家の近くの奴なんだ…。」
言うと、栄子ちゃんはうん、と不安そうに頷く。いつもの明るい栄子ちゃんの表情じゃない。
…その辺の女の子たちにだったら自意識過剰なんじゃないのぉって笑い飛ばしてあげられるけど…栄子ちゃんじゃぁなぁ…。さっきも言ったように、栄子ちゃんは我が校の華だから。変な男に気に入られて、つけまわされてもおかしくない。
「うー…ん、しっかしストーカーなんて陰湿だよなぁ。こんな季節に暑苦しいし…。栄子ちゃんに気があるなら正々堂々と真っ向勝負しろってんだ。ねぇ?」
腕組して怒った表情でそう言って、栄子ちゃんの顔を覗き込む。栄子ちゃんが、やっと笑ってくれた。…うん、やっぱり栄子ちゃんは笑顔がいい。
その時向こうから栄子ちゃんを呼ぶ声。あ、栄子ちゃんの彼氏だ。その百八十センチはゆうにあるだろう背の高さと、服を着ていても明らかにわかる鍛えられた身体は、遠目でも格別に目立つ。男のオレから見ても、いい男だ。…ま、オレとは比べられないけどね。“いい男”の種類が違うから。
「ありがと逸くん、付き合ってくれて。でも、逸くんも気をつけてね。」
栄子ちゃんは彼に駆け寄りながらオレにそう言った。え?
きょとんとしてると、栄子ちゃんが手を振りながら笑う。
「逸くんと律は稜星で一、二を争うアイドルなんだから、あたしより狙われる可能性は高いはずよ。ストーカー、されちゃうかもよ。」
「栄子ちゃん冗談きつい。オレは律と稜星で一、二を争ってなんかないよ。」
オレはいだずらっぽく笑って栄子ちゃんに返す。
「ナンバー1はオレだもん。」