#6 タガタメ (8)
バタン。扉が閉まってから、しばらくの間、変な沈黙が流れる。オレたち三人と…香居ちゃん…鞘根虹香と、ゼロプロの加藤。…変な、組み合わせ。
「…虹香、八時から事務所で打ち合わせあるけど…。」
かなり長い間の沈黙を破ったのは、加藤のなんとなく興ざめなそんな台詞だった。香居ちゃんはその瞬間に鞘根虹香に戻って、短く頷いた。
加藤の顔を見ると、なんか無性に腹が立ってきた。真咲と湯浅さんが去ってしまった以上、この件に関しての腹立たしさ、憤りの矛先は、加藤に向かってしまっても仕方がない。
「…加藤、さん。あんたは何で…女の子たちに…あんな犯罪まがいのことさせて…。全部、真咲の命令だったっていうのか? 大人として…考えれば止める方法くらい、いくらでもあったんじゃねぇのか?」
一応“さん”付けで問いかけ始めたけど…語尾はかなり、とげとげしくなっていた。
オレがにらみつけるように加藤を見ていると、加藤は軽く笑う。
「俺もあの女子高生達と同じだよ。小遣い稼ぎってヤツ? 小林の坊ちゃんが何を考えてそんなことすんのかは俺には知ったこっちゃない。雇い主に言いつけられて仕事をして金を貰う…それが世の中の常識なんだよ? 社会は金で動いている。今回のことで、それがよくわかったんじゃない?」
加藤はまるで小さい子に言い聞かせるような口ぶりで言う。…世の中、金が全て…? そうじゃないだろ? そう思うのは青二才の考えだっていうのか?
♪Powerじゃない Moneyじゃない…♪ って、Diana To Moonの曲が脳裏に鳴り響く…。それをかき消すように、加藤が駄目押しの言葉を付け加える。
「大人はみんな、そうやって生きてんだよ。そういう世の中なの。」
…ぶん殴ってやろうかと思った。それを思いとどまらせたのは、香居ちゃんの声。
「ごめんなさい!!!」
彼女は叫ぶようにそう言って、オレたちに深々と頭を下げる。
「…本当に…ごめんなさい! あたしが悪いんです。なんて、お詫びをしたらいいか…。ごめんなさい!!!」
ごめんなさい、と、何度も何度もそう言って、頭を上げようとしない。思わずオレは、そんな彼女の肩に優しく触れていた。…加藤に対する怒りは、どこかに飛んでいってしまっていた。
「…香居ちゃん、が、謝ることじゃないよ。」
オレがそう言うと、律がオレが触れているのと反対側の香居ちゃんの肩に同じように手を置いて、続ける。
「そうそう。頭、上げて。」
香居ちゃんはゆっくりと顔を上げる。…涙で、くしゃくしゃになっている。こんな鞘根虹香、なかなか見れないよなぁ…。
なんてコトを思っていると、今まで黙っていた智史が、急に香居ちゃんに尋ねる。
「虹香ちゃんて、どうして歌手になったの?」
…はい? 思わず律と二人して智史の顔をまじまじと見る。何で今その質問なの? 泣き顔の香居ちゃんも、予想外の質問に涙ながらにキョトンとしてしまっている。
「…いや、今のやりとり聞いてて…、小林家から離れたかったんなら、歌手なんて目立ちすぎるものにならないよなぁ…って思って。だって、テレビとかポスターとか、街中に顔出るし、見つけてくださいって言ってるようなもんじゃない。…それからDiana To Moonの“光の束”思い出して…。浜田さん…CHISAが歌手になりたかったのは、ただ歌いたかっただけだから、って言ってた。」
智史もあの曲を思い出していたんだ。「オレも思い出してた、その曲。」と律がつぶやくように言った。なんだ、みんな同じこと思ってたんだな。
それはともかく、確かに…小林家が嫌で飛び出したんなら…本気で失踪したいのなら…見つからないようにひっそりと生きていくのが普通だよな。でも香居ちゃんはそうしなかった。前の事務所のことはあまりよく知らないから、ゼロプロに入る前はたいして売れてなかったのかもしれないけど…それでもどこかに顔くらい出るだろう。いくら芸名で名前を伏せて、プロフィールも一切公開しなかったとしても…。
涙を拭って香居ちゃんがポツリと答える。
「…同じです。」
しゅん、と鼻のなる音。こんな時になんだけど、そんな表情も可愛い。
「…昔から、歌手になりたかった。歌いたかった。八坂さん…前の事務所の社長が、小林家から守ってくれるって…約束してくれたから…。ゼロプロに所属してからは…しばらくびくびくしてたけど…連れ戻されそうな様子がなかったし…。なにより…歌えるだけで、幸せだったから…。」
歌えるだけで、幸せ。
その思いは、虹香ちゃんの歌声を聞いていればわかる。
そんな思い…お金じゃ買えない。やっぱり、世の中は金だけじゃない。
「だったら、真咲が、小林家が何をしてこようが、何を言ってこようが、関係ないよ。今の虹香ちゃんの位置に、小林家の力とか、ゼロプロの力とか、それはあったかもしれない。でもそんなの、どうでもいいと思うよ。虹香ちゃんは虹香ちゃんのやりたいことをやればいい。歌えるだけで幸せって、すごいことだよ。」
智史のヤツ…いいこと言うなぁ…。ちょっと悔しい。
「それと。虹香ちゃんの歌は、虹香ちゃん自身の為だけじゃなくて、それを聞いた人の為にもなってるってこと。そうじゃなきゃ鞘根虹香がこんなにも支持されてるなんて嘘だよ。みんな虹香ちゃんに癒されてる。昔オレが香居ちゃんの歌声を聞いて、癒されたように、ね。」
今度は律だ。ちくしょうみんないいこと言いやがって。こうなったらシメはオレか?
「だ・か・ら。真咲のことは気にせずに、今までどおり歌ってよ。オレたちはみんな、鞘根虹香の歌を待ってる。癒してくれるのを、待ってる。…それでもどうしても香居ちゃん自身が癒されないなぁって感じたら、ここに連絡して。」
オレはそう言ってポケットから紙切れを出す。いつも女の子たちに配っている、オレの携帯番号とメアドの書いた紙。それについでに律の携帯番号とメアドも付け加えて、香居ちゃんに手渡す。
「こっちがオレので、こっち側がコイツのね。どっちも二十四時間受付だから。」
この辺は手馴れたもんで、ためらいがちな香居ちゃんの手の中に、ぎゅっとその紙切れを握らせて、ウインクしてみせる。
「…出たよ営業スマイル…。」
律がしらじらとそう言うが気にしない。それもいつものことってコトで。
「虹香、そろそろ時間。」
また加藤が興ざめなことを言う。でもほんとにタイムリミットらしく、香居ちゃんは虹香ちゃんに戻ってうん、と頷く。そうして、オレの手渡した紙をもう一度ぎゅっと握り締めて、この部屋を後にしようとする。
出て行こうとして、香居ちゃんは振り返る。
「…あたしも…、先日歌番組の収録で、Diana To Moonさんと一緒で…。あの曲を初めて聴いて…気付いたの。あたしが真咲に頼んだことは、間違ってるって。そのあと真咲に止めるように電話したんだけど…間に合わなかった。本当に、ごめんなさい。」
そう言って、もう一度深々と頭を下げる香居ちゃんの顔は、完全に鞘根虹香の顔だった。
♪Powerじゃない Moneyじゃない そんなんじゃ 手に入らない 君の愛…♪
オレの頭の中に、再びその旋律が鳴り響く。きっと律の頭の中にも智史の頭の中にも、同じ旋律が流れていたことだろう。
「…コレにて一件落着、ってか?」
すっかり夜になってしまった空を見上げて大きく伸びをして、オレは言う。
「…さっきから携帯のバイブ鳴りまくり…うわ、栄子と由と志信ちゃんから連続で三十四件???」
律が携帯の画面を見てうんざり顔。
「逸の携帯なんてもっとすごいことになってると思うけど?」
智史が言う。え? でも全然ブルってなかったけど…?
オレはポケットから携帯を取り出して画面を見る。
「あ。」
「えらいことになってる?」
律がおもしろそうにオレの携帯を覗き込む。
「…充電切れてた…。」
ははは、とカラ笑い。すると律と智史が呆れ返る。
「いつからだよ! そんで繋がらなかったのかよ!!!」
「…あーもう、なんか拍子抜け。」
笑って誤魔化すしかないので笑っとく。
「…とりあえずその三人にオレからメール送っとくわ。テキトーに誤魔化して送っときゃいいだろ? こーいう時の嘘八百、ってね。」
「あ、由と志信ちゃんにはテキトーでいいけど、第一発見者は栄子だから、ちゃんと説明してやんなきゃ。また後で文句言われんのもやだし。オレから送っとくわ。」
そんな会話をしながら、ビルの階段を下りていく。…ボロい部屋だとは思っていたけど、ビルごとアンティークだったんだな…。
その日以来、真咲は新藤家には戻らなかった。由によると、その日の夜七時頃、親父からいきなり小林家のゴタゴタが片付いたので真咲は帰ることになったと連絡があったらしい。さすがというかなんというか、行動が早いもんだ。
次の日は終業式。終わって家に帰ったら、真咲の荷物は全てなくなっていた。
それより。
夏休みを前にして、ギリギリ女の子たちの変な噂というか誤解も解けて、予定通りの夏の予定を立てることが出来てよかったよぅ。明日からまたデート三昧で忙しい。嬉しいことだ。夏休みはこうでなくっちゃね。
…そのあと。
ワイドショーで虹香ちゃんが突然ニューヨークに留学するというニュースを知ったのは、夏が終わる頃だった…。