#6 タガタメ (7)
絡まってた糸がだんだんほぐれてくる。あまりの衝撃に…怒りすら、吹っ飛んでる。オレのファンの子たちやバイトと称して犯罪まがいのことをさせられていた子たちのことを考えたら…怒らずにいられるかよっっって状況なのに。なんか、頭がパンクしそうだ。
「…あれは…女の子たちを狙ったのは…まさか真咲が考えた…のか?」
オレが途切れ途切れにやっとそう尋ねると、真咲は満足そうに頷く。
「ああいう子たちって、噂話大好きだし、芸能プロダクションとかも好きでしょ? それにお金はもっと好き。いい案だと思ったんだ。佐々西さんと森さんのネットワークからもヒントを得たし…。いろいろ勉強になりましたよ。」
…本当に、これが真咲なのか? オレも律も智史も、信じられないという表情しか出てこない。
しばらく沈黙が流れた後、再び口を開いたのは、やっぱり智史だった。
「…でも…どうして虹香ちゃんが逸のことを知ってたの? 逸、虹香ちゃんと知り合いじゃないって言ったよな?」
オレが返事をする前に律が割って入る。
「当たり前だ。もし知り合いだったら自慢しまくりでうるさいぞ。」
…その通りだけど腹立つなぁ…。
すると香居ちゃんがオレを真っ直ぐに見つめる。さ、鞘根虹香がオレを見てる…。思わずドキドキしてしまう。
「母が亡くなったすぐ後だったので…よく覚えています。五年前…一度お会いしましたよね? あの時…あたし、あなたに救われたんです。あなたはあたしの初恋の人なんです…。そして偶然二ヵ月ほど前にあなたの姿を電車の中で見かけて…その時もいろいろ精神的につらい時だったので…また救ってくれるんじゃないか、なんて勝手に思って…真咲に捜して欲しいって、頼んでしまったんです。たった一度だけしか会ったこともないし、名前すらわからなかったのに…。」
香居ちゃんがオレに向かってそう言っている。…五年前に会った? オレに…救われた?? 二ヵ月前に…電車で??? おかしいな、てんで記憶がない…。こんな可愛い子に会ったんなら、絶対覚えてるだろうし…鞘根虹香が電車に乗ってたら、間違いなくサインもらうと思うんだけど…。
「…それって、ほんとにオレ?」
首をかしげて尋ねてみる。香居ちゃんは大きく頷く。
「間違いないです。五年前の夏…満月の夜に…小林家の近くの丘で、泣きながら歌っていたの…覚えてないですか? あたしに…『この世にいらないものなんて、ないんだよ、きっと。』って…そう言って、くれましたよね?」
記憶を一生懸命たどってみる。…うぅ…ん、やっぱり、思い出せない。五年前…小林家の近くで夏っていうと…多分智史んちの別荘に行った時、なんだろうけど…。頭の中の引き出しを必死に引っ張り出しては見てみる。でもそれらしき記憶は見当たらない。
…あかん、頭痛がぶり返してきた。眉をしかめた、その時。
「…それってもしかして…オレだったりして…。」
オレと全く同じ顔で、眉をしかめて律が呟くように言う。
「え?」
この部屋にいる一同、みんな唖然として律に注目する。う〜ん…と記憶の糸をたどる律。
「…なんとなく…思い出してきた。そうだ、あの歌…なんか、英語の曲…。♪ムーン…リバー…ちゃ〜らららら〜♪…?」
律があいまいな歌詞を歌ってみる。と、香居ちゃんは大きく首を上下に振る。
「そうです! 『ムーンリバー』!!!」
すると律はその時のことを鮮明に思い出したようで、あー…と苦笑いをした。多分、律にとってはあまりいい思い出ではないみたい。照れが大幅に入った…そんな表情。
「なになに、なにがあったの?」
律の表情があまりにも意味深なので、茶化して聞いてみる。律は明らかに嫌そうな顔をオレだけに向けて、ちょっと長めの溜息をついてから、話し始める。
「…あの頃さ、…ちょっとオレも、いろいろ悩んでて…。なんか、一人になりたくて、夜中に智史んちの別荘から抜け出したことがあったんだ。月がめちゃくちゃ綺麗でさ。ああいう月を、ほんとに“つきのかがみ”って、いうんだろうな。“せいなるひかりに じょうかされてく”って…まさにそんな感じ? 月を見てたら、自分が悩んでることがすごくくだらないことに思えた。そんな時に、綺麗な歌声が聞こえたんだ。月と同じで、澄んだ透明な歌声…でも、ところどころ途切れてて…気になって、声のするほうまで行ってみた。そしたら虹香ちゃん…ううん香居ちゃんが、泣きながら歌ってた。」
「…歌い終わったら、ひとことだけ、言ってくれましたよね。今でもはっきりと覚えています。その台詞で…あたし、命拾いしたんです。ほんとはあの時、死のうと思ってた。あたしなんかこの世に必要ないって…そう思ってたから…。」
香居ちゃんがさっきまでオレに向けていた眼差しを律に向けて、語る。律は照れ笑いをしながら首を振る。
「言ったこと…覚えてないからアレだけど…でも、多分…オレも君の歌を聞いて、余計自分が悩んでることが小さいことなんだって思ったから、そう言ったんだと思うよ。オレも、助けられたんだよ。」
律と香居ちゃんのやりとりを見ていると…なんでだろう。おもしろくない。てゆーか、腹立たしいって…なんで? …香居ちゃんが会いたがってた人がオレじゃなくて、律だったから?
…ううん、そうじゃない。今の話の律のこと…律が悩んでた時期のこと…なんでオレは知らないんだ? 生まれてきた時から今までずっと一緒で…ずっと隣りにいた律のことでオレが知らないことがあったなんて…。信じられない。子供っぽい独占欲だとは思うけど…自分でも、わからないくらい悔しい。
当然だけど、そんなオレの心境は無視されたまま話は続く。律と香居ちゃんのやりとりを聞いていた真咲が、突然大笑いし始める。ただ見ていたオレも智史も、もちろん律も香居ちゃんも、その声に驚いて真咲に視線を集中させる。
「なぁんだ、香居、はじめっから勘違いだらけだったんじゃん。たまたま律さんが逸さんを探してここまでたどりついてくれたからよかったものの…逸さんじゃなくて律さんだったなんて!」
あはははは、とさらに大声で笑う真咲。ただおもしろくて笑ってるというより、苦笑…というか、否定的な笑い。
「…はじめから…勘違い?」
智史がまた冷静に問う。智史はいつも端的にオレたちの知りたいことを代表して聞いてくれるのですごいと思う。便利なヤツだ。
すると智史の問いに真咲が笑うのをやめて答える。
「だって、最初は僕、香居が欲しがっているモノは、智史さん、あなただと思ってましたから。」
「…え?」
智史をはじめ、オレと律も、疑問顔。
「香居の手がかり、少なすぎて…。小林家の近くに別荘があって、少なくとも五年前の夏、そこに来ていた中学生くらいの男の子で、二ヵ月前に**線のE駅からS駅まで、女の子連れで乗車していた、稜星学園の制服の男の人…それだけの情報で捜してたものですから。」
…確かに…智史んちの別荘は真咲んちの近くだし、もちろん智史は稜星の生徒だし…。それだけの情報なら、智史にたどり着く?
「そこでとりあえず稜星にもぐりこめれば、智史さんに近づけると思って。…いろんな人脈を調べていたら、たまたまウチの弁護士の宮武に、同期の弁護士の子供が稜星に通っているって話を聞いたんで…。」
それがオレんち…新藤家だった、って?
「智史さんのことは予想外にすぐ見つかったんですけど…写真を撮って香居に送ったら、違うって言うじゃない。智史さんじゃなくて…たまたまその隣りに映っていた、逸さんだって。…びっくりしましたよ。」
…真咲はまたおもしろそうに笑う。…ちょっと待て。最初は…智史だと思っていた?
「まさか…あのストーカーは…」
智史が言いかけた言葉。あまりに信じられなくて、智史は途中で言いかけてやめたけど…オレも同じコトを考えていた。オレと律が目を合わせる。律も、同じコトを考えている。
オレたち三人の様子を上から目線で眺めている真咲。にんやりと、嫌な微笑を浮かべてその言いかけた言葉の続きを答える。
「そうですよ。智史さんのストーカーも、僕が指示したことです。あのストーキング、あまりにもわけもなくあっさり退いたでしょう? そしてすぐに逸さんのファンの子たちが狙われ始めた。僕が、智史さんから逸さんにターゲットを変えたからですよ。」
…信じられないことだらけで、絶句してしまう。確かに…智史のストーカー事件も、ウチに真咲が来てからだった。でも…。
「…真咲…走っている智史に憧れて、捜してたってのは…。」
嘘だったんだ。残りの言葉は、出なかった。出せなかった。その代わりに、真っ直ぐに真咲の目を見る。真咲は目を細めている。
「智史さんが最近小林家の近くの競技場に遠征に来てたこととか、調べればわかることじゃないですか。自分が香居だったらどうやって智史さんに近付くか考えたら、憧れて、ってピッタリだなって。…でも、捜してたのが智史さんじゃなくて逸さんだったって知った時にはちょっと慌てましたけど…作戦も大幅に変更しなきゃいけなかったし。逸さんの身辺、智史さんよりはるかに派手ですから。」
律と智史、頷いてる…っておい! そんな納得してる場合かよ!!
「やっと逸さんの周りの女の子排除して香居と引き合わせたら、実際は律さんだったなんて…まだまだ僕も詰めが甘いのかな…ま、こうして律さんは香居の目の前にいる訳だから、終わりよければ、ってことになるのかなぁ。なんにしろ、まだ僕にも足りない部分もあるんだって、今回は勉強になりましたよ。」
真咲はそう言ってひとりで頷いて、窓の外を眺める。もう、とっくに日は落ちて、夕焼けも消えかかっている。宵の空を見上げて、真咲は腕時計で時間を確認した。
「…じゃあ僕はこれで。香居、あとは好きにしていいよ。」
そしてオレたちが呆気にとられているのも気にせず、湯浅さんと共に部屋を出て行こうとする。
「あ、逸さん律さん、お世話になりました。僕の荷物は、明日撤収に行かせますから。」
そう言い残して、真咲は去っていく。真咲の掌を返したような行動が、まだ、信じられなくて…オレも律も智史も…誰も、引き止めることはおろか、声を出すことすらできなかった。