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#6 タガタメ (6)


 わけがわからないピークの状態で、それでもホンモノの鞘根虹香に見惚れていた矢先、彼女が立っている背後のドアの向こうで、大きな声がした。


 この声…律?


「…逸さんの携帯って…GPSとかで律さんと繋がってます?」


 真咲が呆れたような表情でオレに問う。そんなもん繋がってるわけないだろ! 小さい子供と親じゃあるまいし…。


「加藤、いいから開けて。」


 真咲がドアの横に立っていた男にそう言う。オレはその時初めて鞘根虹香の隣りに人が立っていたことに気づく。この男の顔…加藤って…!


 繋がった。名刺の男! ゼロプロの、加藤達弘! 鞘根虹香のお付きの人!


「いらっしゃい律さん。あぁ、智史さんも一緒なんですね。」


「真咲…と、えぇっ?!!」


「鞘根…虹香?!!」


 部屋に入るなり律と智史が叫ぶ。でもこいつらなんでここに…? もう、わからないことだらけだ。ピークなんかとっくに越えてるっての。


「真咲…これ、どういうこと? 説明してくれよ。」


 とうとうオレは真咲にそう言っていた。手繰り寄せた糸は予想外のところで繋がったけど…なんでここで繋がってるんだ? 絡むはずのない真咲がなんで、絡んでるんだ?


「いいですよ。」


 真咲が微笑む。いつもの柔らかい微笑み方じゃない。権力者のように、勝ち誇ったような、優越の笑み。これが…真咲? 間違いなく真咲の顔なんだけど…別人。いつもの真咲が水なら、この真咲は火。陰と陽…両極にある双子の兄弟のようだ…。


「何から話そうかな。あ、香居、もう少し中に入ったら? 律さんと智史さんが入れない。」


 真咲に“香居”と呼ばれた鞘根虹香が、おずおずと真咲の近くに歩み寄る。律と智史が、オレの近くに寄ってくる。オレは体を起こして座り直す。


「あぁ、まずはじめに紹介します。彼女は鞘根虹香…はご存知ですね。本名を小林香居といって、僕の、今現在唯一血の繋がった肉親…たった一人の姉です。」


 律と智史が声も出せないほど驚いている。オレもそうだ。まさか、まさか真咲のお姉さんが鞘根虹香だなんて…想像すらしてなかった。確かに、似てるよねって話はしたけど…まさか姉弟だなんて…。


「僕の家、今遺産相続で揉めているって話、ご存知ですよね。」


 真咲が話し始める。それは、知っている。ウチに真咲が暮らすことになったそもそもの理由はそれだった。


「亡くなった祖父の遺産は、僕と姉、この二人しか相続人がいないんです。なのに祖父は、全ての遺産を僕にという遺言状を残して逝ってしまった。…香居にも相続権があるのに。法律上では、遺言状にたとえそう書かれていても、遺留分っていって、割合は減るんだけど、香居には遺産を受け取る権利がある。だから香居にその遺産を受け取るように言ったのに…香居は相続を放棄してしまったんです。」


 真咲がそこまで言い終えると、虹香ちゃん…香居ちゃん、というべきなのか? 彼女が真咲を睨みつけて、言う。その瞳には憎しみすら感じられる。…姉弟なのに…? …こんな鞘根虹香の表情…テレビでは見たことがない。いつも清楚で可憐なイメージの歌姫・鞘根虹香…。でも今は、違うんだ。鞘根虹香じゃなくて、真咲の姉、小林香居の表情。


「…いらないわよ、お祖父さまの遺産なんか。どうせ血生臭い手段で築き上げた汚れたお金…。それに…あたし、知ってるんだから。お祖父さまが真咲にだけ遺産を残したい本当の理由。…湯浅さんは、知っているんでしょう?」


 香居ちゃん、は、意味ありげに湯浅さんにそのままの目線を向ける。湯浅さんは相変わらずの柔和な微笑で首をかしげる。…今になって思う。この人…温和で優しい人なんかじゃない。柔らかいのは、表情だけだ。内面は違う。


 香居ちゃんは再び真咲に視線を戻し、吐き捨てるように言う。


「あの男は…小林真鉦(まさかね)は、あたしにとっては祖父だけど、真咲、あなたにとっては祖父なんかじゃない! 戸籍上は祖父になっているけど…本当は父親よ!」


 …は? ちょっと、待って。それは、どういうこと?


 意味がわからないまま、話が進んでいく。


「…なんだ、香居、知ってたの。」


 真咲が短く溜息をつく。そして香居ちゃんに、冷たく微笑みながら尋ねる。


「…いつから知ってた?」


 香居ちゃんは唇を噛み締めて、少しの間黙っていた。そうして、大きく嘆息して、答える。


「お母さまが亡くなって二年くらい経った頃…お母さまの部屋で、鍵つきの古い日記を見つけたの。すぐに思い出したわ。お母さまが亡くなる直前に、誰にも内緒で、ってあたしに鍵型のネックレスをくれたこと…。それがその日記の鍵だったのよ。…読み始めて、愕然としたわ。お祖父さまは…あの男は、…自分の息子の妻を…。考えただけで吐き気がするわ。もともとあたしは、お祖父さまのこと、苦手だった。真咲はよくなついてたし、お祖父さまもものすごく可愛がっていたけど…あたしは気に入られてなかったし、あたしもお祖父さまのこと、好きじゃなかった。その理由が、はっきりわかった。気がついたらその日記とお財布だけ持って、家を飛び出してた。」


 だんだん、なんとなく、わかってきた。昼ドラにあるようなことって…ほんとにあるんだ…。


「お父さま…真咲、あなたにとってはお兄さま、ね。小林真俊(まさとし)が事故で亡くなったのも…本当に事故だったのかどうか、疑問だわね。」


 ニヒルに笑ってみせる香居ちゃん。こんな表情も…初めて見る。決して、鞘根虹香のときには見せない顔…これが、ほんとの、素顔、なんだろう…。


「…あの男は、自分が欲しいものはなんだって、どんな汚い手を使ったって手に入れてきた。そんな風にして培った遺産なんて、あたしはいらない! 真咲、あなたの本心はわかってる。あなたはあの男と同じ。お金や地位や名誉、それだけあれば世界は動くと思ってる。」


「だってその通りじゃない。さっきも言ったでしょ、香居。香居はそんな“小林”を嫌って家を出たけど、結局は“小林”から逃れられていない。香居が所属した最初の事務所…この場所、この部屋に在った今はなき八坂プロを、ゼロプロが吸収合併したから今の鞘根虹香があるわけでしょ? ゼロプロに八坂を吸収するよう手を引いたの、“小林”だよ。」


「…嘘…。」


 香居ちゃんが絶句する。真咲は続ける。


「香居が行方不明になってから、僕一生懸命探したんだよ。八坂の社長さん、お父さまとお母さまの古い友人らしいね。どうやって香居がそこにたどり着いたのか、今までわからなかったけど…そうか、お母さまの日記、だったんだ。そこに八坂のアドレスが乗ってたんだね。」


「社長は…生前お母さまからあたしの歌のことを聞いてたらしくて…あたしのこと、ほんとの娘のように可愛がってくれた…。それなのに、ゼロプロに吸収合併されて…行方がわからない…まさか社長も、お父さまみたいに…。」


 大粒の涙が、香居ちゃんの瞳に今にも落ちそうに溜まっている。


「八坂さんは多分どこかで生きてるよ。探そうか? でも結果的にはゼロプロに吸収されてよかったじゃない。香居は一躍有名になって、今じゃ日本を代表する歌姫…。八坂じゃここまでの伸びはありえないよ。こんな小さな事務所じゃ無理無理。ま、ゼロプロにいるってだけでも、鞘根虹香はここまでにはなってないかな。やっぱり“小林”のバックアップがあったからね。マネージャーの清水も、そこにいる加藤も、香居の周りの人間は、みぃんな“小林”の息がかかってる。」


 くすくすくす…真咲がおもしろそうに笑う。そして香居ちゃんに追い討ちをかける。


「ね、お金・地位・名誉。それがなきゃ、香居、今の香居…鞘根虹香はいないんだよ。香居が嫌悪したものが全て。それで世の中は動いている。」


 …とうとう香居ちゃんの目から涙が流れ落ちた。


「ほんとに…真咲、あなたはあの男と同じなのね…。お金・地位・名誉…そんなものですぐ人の心を動かそうとする…。だから相続放棄したあたしにだって、何でも欲しいものをあげるとか、そういうことを平気で言うのよ! “お礼”だなんて言って、要するにホントはあたしに対する“見返り”なんじゃない!!」


 血を吐くような香居ちゃんの声が、何もないこの部屋に響きわたる。…つかの間の静寂。


「…だけど香居。香居だって、僕のその提案に、乗ったじゃない。」


 くすり。真咲が冷たく言い放つ。


「…ひょっとして…」


 ずっと腕組しながら二人の話を聞いていた智史が、静かに口を挟む。


「虹香ちゃんの欲しいものって…逸?」


 えぇ?! オレはびっくりして智史を見る。同じ表情で、律も智史を見ていた。


「…さすが智史さん。その通りです。」


 にっこり、真咲がいつもの可愛らしい表情で智史に笑いかける。


 確かに…今の真咲と香居ちゃんの話が、なんでオレに関わってくるんだろうって、わけわかんなかった。つまり…香居ちゃんが相続を放棄した代償として、真咲はオレを香居ちゃんにプレゼントしようとした…そういうこと、か?


「…だからあの子…逸の周りの女の子たちを狙った子が、鞘根虹香のサブマネージャーの名刺を持ってたんだ…。」


 律がそこにいるゼロプロの加藤達弘を横目で見る。


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