#3 ヒトカゲ (5)
それから二・三日経った土曜日。律は栄子ちゃんちに遊びに行ってるし、由も友達とショッピングに行くとかで外出中。たまたまオレと真咲しか家にいない午後。
「真咲ぃ、オレコンビニ行ってくるけどなんか欲しいもんあるか?」
さすがにRPGにも飽きてきて、気分転換に散歩がてら冷たいもんでも買いに行こうかなぁと思って真咲に声をかける。ソファでお行儀良く読書中だった真咲が本を閉じる。
「あ、一緒に行ってもいいですか?」
そういうわけで二人してコンビニに行こう、と家を出ようとした時だった。
「逸!」
玄関に鍵をかけてると、後ろから聞き慣れた声がした。智史だ。
「智史さん、どうかなさったんですか?」
あんまりいつになく血相変えた声だったので、真咲もオレもちょっとビックリ。あれ以来続いているストーカー被害(?)に、新展開でもあったか?
乱れた息のまま、智史が切れ切れに話し始める。
「さっき…、いきなり紫さんから電話があって…、浜田さん宛てのファンレターに…、変な脅迫文が、入ってたって…。」
「…浜田さん? あぁ、CHISAちゃんの本名、浜田千紗ちゃんだったっけ。」
誰のことかと思ったよ。CHISAちゃんならCHISAちゃんって、言ってくれればいいのに。
そんなことより。
「…CHISAちゃん宛てのファンレター? …で、なんで智史が血相変えてうち来んの?」
智史の行動が珍しく読めず、暑いのも手伝ってちょっとイラつき始める。息もだいぶ整った智史が、そんなオレに気付き、“変な脅迫文”の補足をする。
「…『大石智史さんに、近づかないで』って…ベタだけど、剃刀まで入ってたって。自分の恋愛のトラブルこっちに持ってくんなって、紫さんに怒鳴られた。…おれと浜田さんは別に何もないのに…ってかなんでおれに近づくななんて浜田さんのとこに手紙行くわけ? 封筒薄いピンク色だったっていうし…しかも事務所の郵便受けに直接入れてあったみたいだし…これもやっぱ例のストーカーの仕業?」
間髪いれずに一気に話し切る智史に、思わずあっけにとられてしまう。智史のキャラじゃないから、すぐに返事ができなかった。
「…オレに聞くなよ。でも、同一犯の可能性は高いよな。」
「あ!」
今まで黙ってオレと智史の会話を聞いていた真咲が、いきなり大声をあげた。大きな目を、ますます大きく見開いて、オレに言う。
「逸さんこないだ一緒に駅に向かってる時に智史さんとDiana To MoonのCHISAの関係について話してくれたじゃないですか。ひょっとしてあの話を例のストーカーが聞いてたんじゃ…。」
「…真咲に話したの? 浜田さんのこと。」
「えへ、話しちゃった。」
ぺろっ、と舌を出して笑って誤魔化す。智史の顔がちょっと怒ってる? いいじゃん別に真咲に話すくらい…。
「…おれの後つけたり手紙くれたりするだけならまだ我慢もできるけど…他の人に迷惑かけるなんてことは…やっぱり許せないよ。特に浜田さんは芸能人なんだし…そもそも何でもないんだし…。今回のこの件については、逸、お前のせいだ。」
えぇっ、オレのせい? そんなこと言われてもっ…。
「で、でも逸さんに尋ねたのは僕ですから…僕のせいです。ごめんなさい。」
智史に抗議しようとしたらその前に真咲が謝ってた。深々と、頭を下げて。さすがに智史も怒る気にはならなかったらしく、真咲の頭を優しくポンポン、と軽くたたく。そしてオレにもすまなそうな顔をする。
「…おれのほうこそ、ゴメン。逸のせいでも、真咲のせいでもないよ。悪い、ちょっと気が立って
た。」
ふぅ、と智史は溜息をつく。
…あの智史がこんな風に冷静さに欠けてるとこなんて、ほとんど見たことがない。これはちょっと…由々しき事態? でもどうしようってアイディアもないし…。
しばらく三人沈黙。一分くらい続いたかな。そして智史がいつもの調子に戻ったようにオレたちに話し掛けて、その沈黙は終了した。
「…あ、ゴメン。どこか行く途中だったんじゃないのか?」
「あぁそうだった。コンビニまで。」
「オレも行くよ。お詫びに、アイスでもおごる。」
「やったぁ! ハーゲンダッツ!!!」
今までの空気を吹き飛ばすように、明るく喜んでみる。真咲もやっとホッとした表情を取り戻す。
そしてさぁ三人でコンビニまで行きますかぁ、と歩き出した時だった。
不意に智史の足が止まる。
「どした…?」
「シッ…後ろに、人の気配がする。」
そう言うや否や、智史はくるりと踵を返してダッシュした。さすがは稜星の名スプリンター、速い速い。
…なんて感心してる場合じゃない。オレも真咲も、慌てて智史の後を追う。…例のストーカーの彼女か…? 智史に追われて、捕まらないわけがない。智史より足の速い女の子なんて…普通いないぞ。
智史を追いかけて角を曲がる。と、智史が逃げた奴を捕まえたところだった。
…え、男?
智史が腕を掴んでいるのは、女の子なんかじゃなかった。このクソ暑いのにスーツ姿の、三十代半ばのサラリーマン風の男。智史も捕まえてはみたものの…と困惑している様子。
そこにやっとオレたちに追いついた真咲が息を切らせながらやってきて、息を切らせながら驚きの声を発する。
「…湯浅さん!」
呼ばれた男は真咲を見て、息を整えながら会釈をした。…湯浅さん、て…真咲の後見人の?
智史が湯浅さんの腕を離す。すみません、と謝ると、湯浅さんはハンカチで汗をぬぐいながら苦笑いをする。
「…連絡せずに訪れてすみません。真咲様がお世話になっている新藤様にご挨拶をと思い、お伺いしたのですが、家を出られるところだったようで…」
なるほど、湯浅さんは手になにやらお土産らしき紙袋を持っている。やったぁお土産っ!
…ではなくて。
「そんな、ご挨拶なんて…。てか今両親とも仕事で家にいませんし。」
「そうですか、そうですよね。やはり事務所にお伺いしたほうがよかったですね。」
湯浅さんは優しそうに目を細める。いい人そうな…感じの人。真咲の後見人だもんなぁ…なんとなく、納得。
「湯浅さん、何か進展でも? 僕に話があったから、こっちに寄ったんじゃないんですか?」
真咲が尋ねる。と、湯浅さんは頷く。
「…じゃあ真咲、湯浅さんとウチで話しなよ。オレたちは邪魔にならないようにコンビニ行ってくっから。」
遺産関係の難しい話なんだろうと思った。あんまり人に聞かれたくない話に違いない。オレはそう言って、真咲に家の鍵を渡して、智史を促す。
「あ、真咲なに買ってきて欲しい?」
「…すみません逸さん、気を遣っていただいて…。じゃ、アロエヨーグルト、お願いしてもいいですか?」
「おっけい」
そしてオレと智史はコンビニへ、真咲と湯浅さんはウチへ向かう。
…真咲と湯浅さんが何を話したのか、もちろんオレは知るわけがない。