第三話 〜マズイっすか?〜
三話目の投稿です。
読んで頂ければ幸いです。
あれから三十分が過ぎた。彼女は泣くのを止めた。
僕はその間、彼女の側を離れず、頭を撫でていた。とても柔らかく、ふわふわした髪を撫でながら考える。今日、僕に起こった出来事を考える。ほんの数時間の事だが、頭を整理する必要がありそうだ。
僕は今日、天体観測にこの場所まで来た。
ここまでは良い。
望遠鏡で夜空を眺めた。
ここまでは良い。
すると突然声が聞こえた。
これは良くない。
しかも、声の主は目には見えなかった。
これも良くない。
巨大な流れ星が、これも突然現れた。
これに関しては、観測者としてはとても良い。
しかし、この後声の主の姿が見えるようになった。
この辺りから話についていけない。
しかも、この声の主は元々この場所で死にかけていたリスで、僕が最後を看取り埋葬した事が嬉しくてお礼を言いたかったと言う話だ。
話の流れは概ね把握出来た。しかし僕の常識の範疇では理解できない疑問点がいくつかある。その点を解消しなければ完全には理解できない。
「常識」と言う言葉は全員が知っている共通の認識だと勘違いされる事が多い。僕は自分の常識はこの世界での共通認識ではない事を知っている。僕の知らない事が沢山ある事、僕は無知である事を知っている。
「常識」と言う言葉について、もう少し補足をしておく。良く使われる言葉に「社会の常識」などと言う
最も下らない言葉がある。なんと不安定で浮ついた言葉だろう。企業では、この言葉を殺し文句のように使う奴が結構いる。「社会」とはなんだ? その中での「常識」とは何だ? この手の言葉を吐く人間の思考として、社会とは世界全てを指す。その中での共通認識だと言う。
僕からしてみればそれは、最も恥ずべき行為であり、自分の無知をこれ見よがしに披露するだけの、低レベルな発言だろう。「社会の常識」それを口にして良いのは、世界の全てを知っている事を前提とし、その全てを比較した人間だけだ。それ以外の人間は「我が社の常識」「僕の、私の常識」等と確定している情報を限定して口に出さなければならない。
僕は「自分の常識」が如何に乏しいかを理解している。僕の常識として一番揺るがなかった「死ぬとこの世からいなくなる」と言う事も、まだ目の前で鼻をすすっている彼女と出会った事で一気に揺らいだ。僕の知らない事はまだまだ有り、それが人間一人ひとりに起こるとすれば、世界の把握など不可能だろう。詰まる所、
「社会の常識」なんてものは存在しない。
「はぁ〜……ありがとうっす。ちょっと落ち着いたっす」
彼女は最後に鼻をすすり、顔を上げて僕を見た。目は真っ赤に充血し、まぶたは少し腫れている。
「申し訳無かったっす。こんなに涙が出るとは思わなかったっす。自分でもびっくりしたっす」
彼女は、恥ずかしそうににっこりと笑った。
「でも、ずっと頭を撫でててくれて、本当に優しい人っすね」
「……泣いている女の子を一人には出来ない」
僕は淡々と言った。
「で、その話をするのが君の目的なら、今ので達成できただろう。これからどうなるんだ? 消えるのか?」
彼女は首を傾げて答えた。
「さぁ? 私にもわかんないっす。お礼を言いたい事しか考えて無かったっすから、その後の事は今の今まで考えて無かったっす」
「そうか。その思いが強くて、その思いが未練となり、この世界に再び現れたとしたなら、君が思いを伝えた事で成仏出来ると思うのだが」
それも僕の「常識」の範疇なので、確かでは無いが。
「思いを伝えるって、なんだか告白したみたいじゃないっすか」
「いや、しただろう」
「『好きです』なんて一言も言ってないっす」
「相手に愛を告げる事だけが告白では無いと思うが」
すると彼女は、何故か頬を膨らませた。
「ところで、他に用事が無いなら、僕はこれで失礼するが?」
彼女は膨れた顔を元に戻し、目を見開いて立とうとした僕の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って欲しいっす‼︎」
「何だ? まだ何か用事でもあるのか?」
僕はもう一度その場に座り、彼女へ問いかけた。彼女は僕が座ったのを確認し、ホッとしたのか、大きくため息を吐いた。
「何だ? 何かあるなら言ってくれ。こうなったらとことん付き合ってやる」
彼女は少し俯き、やや暗い声でこう言った。
「私はこれからどうすれば良いっすか?」
「それは僕にはわからない。君が決める事だろう?」
間髪入れずに僕は答えた。
「そんなぁ〜……」
「一度死んだのだろう? なら迎えが来て天国とかなんかに行けるとか?」
「さぁ? 全くわかんないっす……」
おいおい。本当に後先考えなしか。まぁ、先の事を考えるよりも、僕に対してお礼が言いたいと言う事が大事だったのだろう。
そこで僕はある疑問が浮かんだ。その疑問を彼女に投げかける。
「君ってさ……」
「はい? 何っすか?」
「リスなんだよな?」
彼女は首を傾げ、何を今更と言った。今更も何も、僕達は初対面からまだ数時間しか経過していない。
「今の姿を見ていると、どこから見ても人間にしか見えないのだが」
「あぁ、それは私が死ぬ前に願ったからっす」
そう言えば、埋葬した日に流れ星が流れたな。それも見た事が無いような大きな流れ星が。
「流れ星に願えば願いは叶う……か」
「そうっす」
「具体的には何を願った?」
「えぇっと。確か、『お礼を言いたい、ありがとうって言いたい』っすかね。それで気づいたらこんなに可愛い姿になっていたっす」
可愛いかどうかは別として、それだけで人間の姿形になれるのか? しかし、始めは声しか聞こえなかった。次の流れ星で姿が見えるようになったが、それも本当に流れ星が叶えているのだろうか。お礼を言いたいと願い、今の姿を得たのなら、その願いが叶った今、彼女の存在が無くなるのでは?
そう考えていると彼女が唐突に叫んだ。
「あっ‼︎ また流れ星っす‼︎」
最近はやたらと多いな。そう思いながら、僕は夜空を見上げた。見上げた先には、前に二回見た時よりも
大きな流れ星が流れてきた。
「おい……あれってこっちに向かってきていないか?」
「あぁ〜、そうっすね……そう見えるっす……これって、マズイっすか?」
「あぁ、大いにマズイな」
通常、流れ星は天頂から地平線にかけて流れる物だ。その尾を引く姿が美しくもあり、儚くもあるなだが、
この流れ星は、僕と彼女が見ている流れ星は、尾を引かず、地平線にも流れず、眩い明かりがなお眩く光り、徐々に大きくなっていった。
「やばいっす⁉︎ 全力で逃げるっす‼︎」
慌てる彼女を横目に、僕は悟った。
「これは逃げられない。どこに逃げても同じだ」
「あうぅ〜……じゃあ、どうするっすか……?」
今にも泣き出しそうに目を潤ませて彼女は言った。彼女は一度死んでいる。一度死んだからと言って、二度と死なない保証はどこにも無かったが、僕がその事を伝えると少し安心したようだった。しかし、安心の表情からまた一転、慌てた顔になり彼女は大声で言った。
「じゃあ‼︎ あなたはどうするっすか⁉︎」
どうしようもない。ただただ黙って受け入れるだけだ。
「さあな。自分で考えるさ」
僕は流れ星から彼女の顔へと視線を向けた。恐らく、いや、確実に最後の言葉になるだろう。ろくでもない人生だったが、振り返ってみると、なかなか悪くない人生でもあった。最後の最後、訳がわからない事になったが、これはこれで良いのだろう。
僕は彼女の目を真っ直ぐに見て、笑った。「何呑気に笑ってんっすか⁉︎」と彼女は叫んでいたが、もうどうでも良い。こんなに笑ったのは久し振りだ。こんなに楽しいのも久し振りだ。
笑いが治った所で、僕は彼女に笑顔を向けて、言った。たった一言。
「さようなら」
そう言った。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
続きもどんどんアップしていきますので、
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