第二夜『夜に欺かれた少年たち』
(夜は嫌いだ。)
「光、行くぞ。」
ぶっきらぼうに光を呼ぶのは、唯一の肉親である父だ。
「早くしろ。」
「はいはい。」
(あぁ、これがラーメンでも食べに行くのなら、どんなに良かったことやら……。)
光は軽トラックの荷台に身を縮めて乗り、今日もまた『仕事』に向かう。
「早くしろ!」
父親は光に段ボールを渡す。
「重っ!? 今日は【ミカン】の売り行きいいね。」
戯けた調子で軽口叩く光を、鋭く睨み付ける父親。光は中身が蜜柑じゃないことを知ってる。
「ぐずぐずしてねぇで、ちゃっちゃと運べ!!」
父親が焦るのも無理はない。光らが【ミカン】と呼んでいる物の正体は麻薬だ。
表向きは街のビルの一角に製薬会社として構えているが、本質は麻薬の製造から販売まで手掛けている。そんな『栗鮴』という会社で、光の父親は運送をしている。
「親父、帰りにラーメンでも食ってかない?」
「バカヤロウ!! 【夜に舞う天使】を知らねぇのか。」
(あー、たしか都市伝説だっけ?)
「同業者が何人も狩られてるんだ。用心に越した事はねぇ。」
(ふ~ん。でも他県の事件だろ?)
「最近じゃ浜松でも目撃情報があるんだ。全く、物騒な世の中だぜ。」
「それを親父が言うなよ……。」
『だったら真っ当な仕事をしろよ』という言葉を光は飲み込んだ。父親とケンカしたところで時間の無駄だし、好き好んでやってる訳ではないが、自分も密売に荷担している。
それに、栗鮴の表向きの製薬会社としての年収も十分あり、二百人の社員全員が一般より幾分裕福な暮らしをしている。
中学生の時から手伝いをしている光の月のお小遣いは五万とそれだけでも一目瞭然だ。
(最初は、純粋に親父の手伝いがしたかっただけなのにな。)
「おらっ、もう帰るぞ。早く乗れ!」
「うぃーす。」
そう言ってトラックの助手席に座る光は、ふと奇妙な視線を感じて外を見た。
「親父……、早く出せ!!!」
「あぁ?」
「早く!! いる! いるって!! 【夜に舞う天使】が!!!」
光の指差す方には、瞳から不気味な赤い光を放つ少女が微笑んでいた。トラックからの距離は、およそ五メートル。
「や、ヤベェ!!!」
ギギッと音を立て、トラックは地面を乱暴に踏みならして爆走した。
◇
(もうじき高校生になる。けど、実感なんて沸かないな。)
そんな思いで、のらりくらり過ごしている春休みの早朝。まだ時刻は午前五時を少し過ぎたところ。何故か目覚めてしまった正宗はおもむろにスマホを開いた。
「はっ!?」
そこには、一番の親友を自称する光からの着信履歴、メール、ライン、その他のゲーム内チャットに至るまで、通知数はカンストしていた。
「朝っぱらから、クソ迷惑な野郎だ。」
そう呟きながらも、スマホタップして光に電話を掛ける。ワンコールで光は出た。
『正宗!? よかったー、やっと繋がった。』
「何の用だ? てか、今何時だと思って……、」
『ヤバイんだよ!!! とにかく、俺んち来て。じゃ待ってるから。』
「お、おい……。」
正宗は悪態付きながら、スマホをベットに叩き付けた。そして深く溜め息を吐く。
先週、同じような事があって駆けつけたら、『野良猫が死んでる。犯人捜しをするぞー!』と正宗にとってはどうでもいいことだった。
更にその前は『バンドを始めよう』と家に押し掛けられ、下手くそなリサイタルを聞かされた時もあった。それは高校入試一週間前のこと。
光はその場の感情で衝動的に暴走する。折角の爽やか美少年の容姿を台無しにするほどに。
そんな事を考えながら、正宗は着替えを終えた。
「あんた、どこ行くのよ。」
正宗の母親が寝ぼけ眼で立っていた。
「光だよ。」
「あっそう。朝御飯、光の分も用意するから連れて来なさい。」
そう言いながら母親は自室に戻って行った。正宗の母親は、光も息子の様に思っている。それは光が片親だからとかのエゴじゃない。
(だから、光が母さんを殺すなんて…………。)
まだ六時前と薄暗くも明るい空の元、正宗は自転車を怠そうに漕ぐ。
光の住むオレンジ色の三階建てのマンション、ヴィラスカイまでは自転車で十分も掛からない。
慣れた道、慣れた駐輪場、そして慣れた階段を出来るだけ静かに駆け上がり、光の住む三○五号室のチャイムを鳴らす。
「正宗!! よかったー、やっと来てくれた。これで俺は安心して眠れるよ。お休み……、」
「オイ!! ざけんな!!!」
「どうした正宗? 寝起きで期限悪いの? 低血圧だっけ? あ、それかカルシウム不足? 牛乳飲む? あ、今丁度切らしてたわー。代わりにカルピスでも飲む? 俺のカルピス。……あ、深い意味はないよ。うん、ただ白濁とした原液を濃く使用して深い味わいが……」
「黙れェェェーーー!!!」
正宗の怒号は、けたたましい号哭を上げる鶏を凌駕するものだった。
「ひーかーるーゥゥゥ!!! いい加減にしねぇと、ブッ殺すぞォォ!?」
鬼の形相の正宗を前に、依然として光は笑みを混ぜたアホ面のまま。
「かぁー、正宗は朝から元気だね。昨日はさぞかし、よく眠れたんだろうね!!」
ふてくされた様に口を尖らせる光に、正宗はどうにか怒りを沈め冷静になる。
「母さんがお前の分の朝飯も用意してくれてる。要件を言わねぇなら、先に食いに行くぞ。」
宥めるような口調で正宗が言葉吐いたと同時に、向かいの三○六号室の扉が開いた。正宗たちと同世代と思われる少女が恐る恐るといった様子で現れた。
長い黒髪を一つ纏め、黒渕メガネが才女らしい知的かつ、真面目なオーラを放っている。
「わーお、可愛い子。俺、藤吉 光。もうじき菖蒲工業高校に通う予定の、イケメン十五才。彼女無し、彼氏無し、お金も無いけど、情熱だけは人一倍熱い、ピュアボーイです。キミ、彼氏いる? いないなら、今から俺とワンナイトラブ楽しまない?」
「バカ野郎! 初対面のやつに暴走するなよ。」
正宗はやれやれと首を振る。
少女は完璧にドン引きと思われたが、以外にもテンション高い系の笑い声を上げていた。
「ワンナイトラブってなんか古いし、まだ朝だし。ふっ、あはは……」
ワンナイトラブが余程ツボに填まったのか、ケラケラと笑い続ける少女。『女の感性は変わっている』と正宗は心中でため息を一つ吐いた。
「隣に引っ越して来た、月成 美音です。四月から花雅女学園に通います。昨日、部屋の片付けしてたら夜になっちゃって……。夜、出掛けてたみたいだから、挨拶が遅くなってごめんね。」
一頻り笑ったあと、少女は名乗り微笑んだ。
夜と聞いた瞬間、光のさっきまでのテンションが消えた。……のもつかの間。
「えっ、花女なの!? スゴーイ、楽園じゃん。俺も行きたいなー。よし、これからもお隣さんとして仲良くして、是非とも女の子を紹介よろしく。あ、これから時間ある? 親密な関係を築くためにご飯でも食べに行かない? ……正宗家に。」
「オイ、馬鹿!! 暴走を止めろ。つーか、家はファミレスじゃねぇぞ。」
「あはは、やめとくよ。今から二度寝するし。」
(そういえば、まだ六時前だったな。)
「そっかー、残念。じゃあ、今度デートしよ! メアド教えて! ラインやってる? あと、住所と……ぎょふっ!!」
正宗の拳が、みぞおちに入り悶絶する光。
「朝っぱらから悪かったな。」
そう一言述べて、正宗は光を引っ張って行く。
「これからも仲良くしようね。光くん。正宗くん。」
美音は、そう言い残して自分の部屋に戻っていった。
光を無理矢理下まで引っ張っていくと、『自転車の鍵を忘れた』と取りに行く始末。その後も、何かと違うものに注目し、光は本題を話さない。
「美音ちゃん、可愛かったなー。」
「おい。」
「あの真面目な見た目とのギャップがいいよな。」
「おいって!」
「それに、控えめ過ぎず主張過ぎずの胸、俺の理想の彼女像にジャッストミーツッ!」
「なぁ光、結局何の用だったんだ?」
「まぁ、それより……、美音ちゃん可愛かったなー。」
「それはさっきも聞いた。そろそろ家に着く、本当の事を話せ。」
自転車のペダルを踏むのを止め、光は立ち止まる。そして苦い表情を浮かべる。
(本当に何があった?)
一変、苦渋の表情はキラキラした笑顔に変わった。
「【夜に舞う天使】を捕まえようぜ。」
「…………はぁっ?」
都市伝説【夜に舞う天使】は正宗も知ってはいた。ただ霊の類いを一切信じていない正宗にとっては、光が遂にイッたかと思うだけだった。
「何だよ、その哀れむような目は! 本当に居るんだからなー!! 昨日見たんだからな!!!」
ふてくされる光と肩を竦める正宗。
「はぁー、信じるから騒ぐのを止めろ。いい加減通報される。」
「信じるって言ったな? よーしっ、じゃあ【夜に舞う天使】を捕まえに行こう!!」
「……はぁー。」
そして、その日の夜二人は街に出掛けた。
◇
まだ三月と肌寒い季節に、男は大粒の汗を流して走っていた。ある恐怖から逃げる為に。
「アハッ、鬼ごっこ? なんで逃げるの?」
肉食獣の笑みを浮かべ、男の後を追うのは、漆黒のセーラー服の少女。都市伝説の【夜に舞う天使】だ。
「自分が悪い事をした自覚はあるんでしょ?」
少女の声は男にまとわり付く。まるで毒蜘蛛が身体を這うみたいに。
耐えきれず男は声を放つ。
「息子との生活の為だ! 生きるためには金がいるんだ。」
「その為なら、他人の人生を潰してもいいの?」
男は立ち止まる。既に行き止まりでもあったが。
「頼む、助けてくれ! 俺は運んだだけだ。普通の運送屋と何も変わらない。」
「ふ~ん、普通のねぇ~? この動画を見た運送屋はなんて思うのかなぁ? コメントが楽しみだなー。」
【夜に舞う天使】は、動画撮影中のスマホを男の顔に近付ける。
「よし、もうオーケー。そろそろ、バイバイの時間だよ~♡」
【夜に舞う天使】はいつの間にか身の丈の倍、死神を連想する大鎌を手にしていた。軽く凪ぎ払うとストンとキュウリを切るように、あっさりと男の首は体から切り離された。
「悪いことはしちゃダメだよ。まぁ人間だからしょうがないよね。その為に天使が見守らなきゃね♪」
撮影を終えたスマホで、動画をチェックしながら少女は呟く。
「それにしても、悪い人が多いなぁ。まぁで~も~、忙しい方が楽しいよね。あ、これって社畜の考え? やだ~、まだ若いのに~。」
少女は赤い瞳をギラつかせ辺りを見回す。そして小さな微笑みを浮かべる。
「ま、いっか! それにしてもネットだとジェノって呼ばれてるんだ。なんか可愛い! これから使おうっと♡」
スマホの操作を終えたジェノは、首の取れた死体を踏んづけて、夜の街に消えていった。
「ま、ましゃむねぇ…………。」
光は虚ろな目で、正宗の名前を口にする。正宗は掛ける言葉が見つからない。『目の前で父親が殺されたのだから。』
◇
(親父が殺された。)
その事で、麻薬の事がバレて自分が捕まらないか心配してしまったことに腹がたった。
(いくら犯罪者でも、親父は親父だ。)
虚ろな表情でマンション、ヴィラスカイの階段を登る。自室の鍵が開いている事に、光は疑問に思えなかった。
「……あれ? カレーの匂い?」
自室の奥から漂う食欲を誘う香りに、光はすっとんきょうな声を漏らす。
「あらお帰りなさい。夕食出来ているわよ」
突然現れた女性に流されるまま、いつもの席に着く。その間に謎の女性はテキパキと行動し、光の目の前に夕食の準備が施される。
「……えっと、あの、その…………。」
いつもは口達者な光も、唐突過ぎて頭が回らない。
(誰この人? 親父の女……にしては、若いし綺麗過ぎるよな。)
光の言う通り、女は純粋な日本人とは違い、パーツの一つ一つが派手な顔をしている。それに染めて作った色とは違う、純粋なレモン色の髪をしている。
「私の名前はシャムハザ。株式会社【栗鮴】の社長を勤めているわ。」
(栗鮴の社長!?)
「ほら、食べなさい。冷めるわよ。話は食べながらするから。」
シャムハザと名乗った女は、光にカレーを進める。不信に思った光は、カレーを掬ったスプーンを中々口に運べない。
「……用心深いのね。」
シャムハザは光からスプーンを奪うと、おもむろに自身の口にする。そして再度カレーを掬うと『あーん』と甘い声と共に差し出した。
「じ、自分で食べるからい、いいよ!」
シャムハザからスプーンを奪うと一気に食べ始める。食欲をそそる香辛料の中、仄かに甘味がありカレーはとても美味しかった。
(親父のは苦いんだよな。)
以前、父親が作ったカレーは灰汁を殆ど取らなく、具材の大きさもバラバラでちゃんと煮えてないのもあった。
(クソ不味いけど、もう一度食べたいな……。)
自然と光の目に涙が浮かんだ。
「もう知っているのね……。」
そう前置きしてからシャムハザは話しを始めた。
「今の貴方には酷な話しだけど、この家の家賃や家具の殆どは会社で提供しているの。会社がどういう所か知っている?」
光は静かに頷いた。
「既にここにあった、足がつきそうな物は処分したわ。これから出荷予定の【ミカン】とかね。」
(そう言えば、心なしか部屋が広く感じる。)
「で、貴方には二つ頼みがあるの。一つは【栗鮴】の事は他言無用ね。これから色んな事聞かれると思うけど、けして話しちゃダメよ。」
再び光は静かに頷いた。
「いい子ね。もう一つは貴方の今後に関わることよ。」
(今後?)
「これからどうやって生活していくの? 中卒の坊や一人で生活できる程社会は甘くないわ。」
(え~と、親戚とか……。)
「先に謝るわ。一通りのことは調べさせて貰ったの。頼れる大人はいないみたいねぇ……。」
(でも正宗のところなら……、いや、普段から迷惑掛けているんだ。頼る訳にはいかない。)
「それで、お願いと言うより提案があるんだけど。」
シャムハザは不敵に微笑んだ。それは冷たい無機物のような作られたものだった。
「弊社で新しいクスリを開発したの。それを試して欲しいの。勿論タダでとは言わないわ。高校卒業までの面倒は弊社でみるわ。」
シャムハザの提案に光は飛び付きそうになったが、思いとどまった。
「それって、俺に死ねと言ってるのと同じっすよね?」
「フフ、違うわよ。弊社は確かに危険な薬品も扱うけど、試して貰いたいのはビタミン剤みたいなモノよ。」
(信用できない。)
「さて、私は失礼するわ。口座を用意しておくわね。」
「ちょっと待ってください!! 俺、了承してないっすよね!?」
おもむろにカレーを指差すシャムハザ。
「カレー美味しかった? 隠し味に【リンゴ】を使ったのよ。」
(確かに、少し甘味を感じたけど……?)
「フフ、弊社の新薬【リンゴ】をね。」
「謀ったなー!」
毒を盛られた事実を聞かされ、急に目眩を感じる光。
(何がビタミン剤だよ!! クソッ! 親父もクソッだし、天使も…………?)
「…………天使?」
「あら、どうしたの?」
光は優しい微笑みを浮かべ無邪気に聞く。
「天使様は何処ですか?」
「……フフ、貴方は天使様に助けて貰ったの?」
「はい! クソみたいな親父を殺していただきました。」
シャムハザは静かに笑う。それは作られた笑みではなく本心から。ただその笑みは、作られた笑みよりも冷たく、人間を欺いて笑う悪魔の様だった。
「私の名前はシャムハザ。天使の一人よ。」
「……シャムハザ? ……天使!」
「貴方の父親を殺した天使とは別の天使よ。」
光は理解したような、してないような曖昧な笑み浮かべる。
そこに、シャムハザは悪魔の一言を囁く。
「天使の役に立ちたい?」
満面の笑みで深く頷く光。
しかしシャムハザは一つ誤算をしていた。隣の部屋で聞き耳を立てている人物に気付かなかった。
◇
(あの日から光は変わった。)
光の父親が殺された日、二人は暫く無言で眺めていた。たまたま通り掛かったサラリーマン風の男が通報し、その数分後にパトカーがやってきて野次馬が集まった。そして、二人はバス停に向かった。
本来なら光は父親の遺体の件で、警察に付き添うべきだが、正宗は強要しなかった。
(あの日から妙に笑うようになった。)
光は父親の葬式の時も笑っていた。
「親父は悪い事をしてたんだ。天使様に殺されて当然だぜ。」
そう言い放っていた。やけに天使を崇めていた。
(親父がヤクブツの運び屋だって知っていたのか?)
正宗には聞く事が出来なかった。正宗自体、光の父親とは面識があったが、普通の父親という印象しかない。
光と仲の良かった正宗一家は、警察から色々聞かれた。本来なら、血縁者に聞かれる質問の殆どをされたと思う。
(そういえば、葬式のとき金髪の女が寄り添っていたな。)
正宗は後で知った。その女性が光の金銭面の面倒をみてくれていると。
ただし、それ以上の事は知るよしもなかった。
その後、春休みは呆気なく終わり、二人は菖蒲工業高校の機械科に入学した。
しかし、光の不振な点が現れ始めた。
クラスの殆どは男子だが、二人だけ女子がいた。どちらかといったら可愛い部類に入る二人なのに、光はナンパしなかった。中学までの光だったらあり得ないことだ。
(回りの男子に怖じ気ついたのか?)
また、中学の時の光は場を盛り上げ、クラスでも中心人物と名が上げられるものだった。しかし、今の光は「天使様……」と譫言ばかり延べ、クラスでも『イケメンヲタク』と微妙な約付けをされていた。
「父親が死んでから変わった。」
同中の奴はそう言っている。正宗の中にある不安が芽生えた。
(まさか、光も薬物を?)
気になった正宗はストレートに聞いた。
「光、お前、薬物なんかに手を出してないよな?」
すると光は笑って答えた。
「当たり前だろ。天使様に嫌われるようなことするわけないだろ?」
(また天使か……。)
「それより正宗、頼みがある。俺も天使様みたいに悪人を裁きたいんだ。お前家、工場だろ? なんか武器とか作れない?」
(何を言ってるんだ?)
「悪いが、もう行く。部活があるからな。」
背の高い正宗は、バスケ部から熱烈なスカウトを受け入部していた。一方で光は籍は読書部となっているが、ろくに参加はしていなかった。
「そっか……。部活頑張れよ。」
二人は、次第にすれ違い始めた。
この時、正宗は変な宗教にでも入ってしまったのかと思った。以前にも似たような事があったからだ。
(時間と共に解決するだろう。)
そんな楽観視が最悪の事態を招いた。正宗が光の異常に気付いたときには、事件が起こってしまった。
◇
「……あれ?」
気が付いたら学校に行っていた。気が付いたら自宅にいた。そんな不可解な記憶の異常が頻繁に垣間見れた。
(まるで夢をみてるみたいだ。)
心臓の鼓動のように復唱される「天使様」と崇める声。
(この声は俺の物なのか?)
一人になっても、ヴィラスカイで今まで通りの生活を続けている。今までと違うことは、部屋が広くなった事だけ。
「あ、おはよー♪」
隣に住む美音とは、普通に挨拶を交わす。
「おはよう……。」
今までだったら、挨拶の後にマシンガントークが炸裂していたはずなのに言葉は出てこない。
始まったばかりの新クラスでは、今まで感じた事のない高い壁を感じる。
「光、お前、薬物なんかに手を出してないよな?」
正宗からそんな事を聞かれた。
(なんのジョークだ? 親父の事をネタにしてるのか?)
勿論、正宗の表情は真剣の二文字に限る。冗談を言ってる色は見えない。
「当たり前だろ。天使様に嫌われるようなことするわけないだろ?」
自分の言葉に表情を変わらずとも、ひどく驚かされた。
(俺の言ってる【天使様】って誰なんだ?)
そう思案に耽ると、色の無い世界で髪の長い女が冷たい笑顔を浮かべる情景が浮かんだ。唯一色があったのは、女の赤い瞳だけ……。
「ねぇ光くん、【夜に舞う天使】って知ってる?」
美音に聞かれた。
「天使……様?」
天使という言葉だけで心が満たされた。近所のスーパーで、裸のまま熱唱して駆け回れるような、異常な昂りさえ感じた。
「ネット上で何度か騒がれてる都市伝説って、美音、友達から聞いたんだけど?」
「……ごめん、わっかんねー。聞いた事あるはずだけど……。」
(誰から聞いたんだ? 何を聞いたんだ?)
「そっか~。光くん、よく天使様って言ってるから知ってるかと思った。」
分からない。天使ってなんの事だ?
解らない。自分は普段何をしてるのか。
判らない。鏡に映る男は、なんで笑っているのか。
「……光?」
名前を呼ばれて振り替えると、正宗の母親が不思議そうな顔をしていた。
「こんちわー。」
いつもと変わらないはずの挨拶をして、思った。
(なんで俺は学校近くの百均にいるんだ?)
そして、手には無数の包丁が握られていた。
「そんな物買ってどうするの?」
正宗母のもっともな質問。
「えっと……、料理?」
光の解答に、益々表情が険しくなる正宗の母親。
「あんたの事だから、またバカやるつもりだろうけどねぇ……、誤ちは犯さないで!」
後半は特に力が込められていた。
(たぶん、親父のせい……? 親父はなんで死んだっけ?)
「分かってるって! 天使様の役に立ちたいだけだよ……?」
(自分で言葉の意味がわからなかった。)
「あんた……、バカが酷くなったんじゃない?」
正宗の母親の呆れた笑みは、どこか無理があった。
「……あれ?」
気が付いたら夜の街にいた。遠くからパッパラパッパッとラッパ囃子が聴こえる。たくさんの人と派手々しい提灯の灯りに包まれた神輿が蠢いている。
(えっ、浜松まつり!?)
今の自分の格好を確認する。お気に入りの桜色のワイシャツに裾の短い白のパンツにリュック。髪に触れるとワックスのベタつきもあった。
「デートでもしてたのかー? ……ってな訳あるかーい!」
自問自答からの自嘲。そんな筈があるわけない。
「なんでキミがいるんだ?」
闇の深い方から驚きの声がした。祭りのノリとは違うフォーマルな服装の男が、光を鋭い眼光で見詰めている。
(この人……どっかで――――?)
「――――んっ?」
左手に焼く前のハンバーグのような感触。しかしそれには生暖かさがあった。力強く握るとネチャッと潰れ、腐ったリンゴ色の液体が滴る。
鉄分の生臭い香りが鼻に抜ける。
「あんたっ!! 誤ちは犯さないでって言ったでしょ!?」
正宗の母親の激怒と畏怖の混ざった声。
そして理解した。左手にあるモノは、先程の男の一部だと。
「天使様は悪人を殺す。僕はそれを手伝いたい。」
他人の独り言のように聴こえる自分の声。
「何言ってんの!? あんたは……んぐっごふぇ!!」
正宗の母親が何を言いたかったのは分からない。
分かるのは、右手にあった包丁を正宗の母親の口の中に押し込んだ事実。そして、リュックから新しい包丁を取り出して、腹を裂いたり指を切り落としたりしている自分の奇行。
(わからない。……いや、わかれない。)
正宗の母親の次は、法被を着た若いカップルを襲った。彼氏の目を潰し彼女の耳を削ぐ。二人の上げる悲鳴が心地良く、もっと聴きたいと願い、抉る。
旋律に飽きたら、違う人を襲う。すると新たなメロディに心が潤った。
「楽しい! 嬉しい! 快! 快!! 快!!!」
口から溢れる笑みと、達成感に奮える胸。人を殺すのは天使様のため。
「天使様! テンシ様!! テんシサまァ~!!」
崩壊する自我と言語。散らかる肉花の香りで高揚は絶頂を迎える。
「光、バカなことは止めろ!!」
祭り囃子を掻き消すほどの絶叫を上げる正宗。
「正宗……? どうしたんだよ。」
澄んだ心の光は、自然な笑みで正宗を見詰める。
「どうしたんだよ、じゃねぇよォ!!? お前……、何やってるんだよ……?」
(正宗は僕の成果を観てくれてる……?)
「光、お前じゃねぇよな!? 違うよな!!!」
(そう絶賛するなよ。)
「僕はヤったよ、天使様の為に。僕は天使様の使いだ。悪い人間を浄化してあげたんだ。」
正宗の後ろから、赤い瞳が覗いている。
「あ、天使様だ。見てください、僕ヤりましたよ。」
包丁を近くの遺体に刺し、両手を降って天使様と呼ぶ人物を迎える。正宗は天使様をギロリと音がしそうなほど睨み付ける。
「正宗く~ん、大丈夫ー?」
「ふざけるなァァ!! テメェが光に殺らせたんだろ、ジェノ!!!」
(あれ? ……僕の天使サマはジェノだっけ?)
『ジェノ。ジェノ? ジェノ……!?』
正宗の咆哮には耳を貸さず、光を見詰めてジェノはいつもの軽い口調で言った。
「光くん、キミはジェノの中で悪になっちゃった♡」
(あ、そうだ…………。)
光は全てを思いだし絶望した。弁解の余地もなく、光の首はジェノの鎌の餌食となった。血飛沫はジェノの顔を濡らし、調度赤い涙を流したかのように滴る。
「――――!!」
声にならない叫びを上げ、膝から崩れ落ちる正宗。ジェノは踵を返し、まつりで賑わう人波の方に消えていった。
全てを観ていたシャムハザは「【リンゴ】は改良が必要ね。」と呟いた。
「まぁ目的は達成されたからいいわ」
そして素知らぬ顔をして、深淵へと姿を消した。