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第Ⅱ章 風砂の胎動(4)

 神殿は泣き叫ぶ子供の声と、焦りを含んだ神官たちの声に満たされていた。

「包帯が足りないよ! こっちに追加をおくれ」

 太った看護師が声を張り上げるが、辺りの喧騒にかき消され、薬を配っている者には届かない。傍らで青年の傷に薬草を当てていたシリアは、羽織っていた肩掛けを外すと腰に携えた短剣を抜いてそれを裂き始めた。

「これを使ってください」

 細く割いたそれを差し出す。看護師は一瞬驚いた顔を見せたが、ありがとうと短く礼を言いそれを患者に当て始めた。

 シリュエスタ神殿は戦闘で傷を負った人々で溢れかえっていた。多くは急襲を受けた城壁の外に住んでいる遊牧民族の人々のようだったが、先ほどからは重傷を負った戦士風の者たちも運び込まれてきている。本来の施療室は既に重傷患者で満員であるため、礼拝堂や待合室までもが徴用され、そこにいる誰もが痛みに顔を歪ませ呻いていた。

 ここに案内されたあと、シリアは誰に指示されるでもなく患者の手当てに当たっていた。他のシリュエスタ神官たちも同じだ。最低限の規律は遵守しつつ、目の前の傷ついた人々のために必死で働いている。早足で回る薬剤師を呼び止め、消毒用の酒と薬草をすり潰した軟膏を受け取ると、怪我人の海を次から次へと渡り歩いた。

 それは何人目の患者のときだったろう、傍で突然子供の泣き声が響いた。見ると礼拝堂の椅子に横たえられた女性に、少女がすがり付いて泣いていた。

「おかぁさん! おかぁさん起きてよ!」

 褐色の肌に濃い色の髪。独特の紋様が織られた衣服を身につけ、胸に複雑な形をした首飾りを下げた彼女は、二度と目を覚まさぬ母親の胸にすがり付いて必死に揺さぶっている。その姿に在りし日の自分が重なり、シリアは胸を強く締め付けられるような思いに駆られた。

「畜生、なんだってこんなことになっちまったんだ」

 ふと背後でいらだった声がする。頭に包帯を巻かれた白い肌の青年が発したものだ。

「俺達が何したって言うんだ。だからさっさと片付けろって言ったのに」

 そう呟いて泣いている少女を、その傍に集まっていた人々をぎろりと睨む。

「本当なら先手打って魔物を片付けてるところだったのによ、お前らが邪魔してくれたおかげでこの有様だ!」

 怒りに任せて青年が立ち上がると、その周囲にいた人々が賛同し始めた。

「我等の所為だというのか!」

 我慢できないと言った風に責められる側――褐色の肌の男が一人立ち上がる。

「どうせ魔物に怖気づいたんだろ。前の時だってそうだったんだ。また臆病風に吹かれたんだろうよ」

「なんだと!」

 侮蔑に怒り相手の胸倉を掴んだ褐色の顔に唾が吐きかけられる。

「貴様ァ!」

 頬に掛かったものを拭いざま拳を振り上げる。胸倉を掴んでいた手を荒々しく弾き飛ばし、両者は激しいもみ合いを始めた。

「やめてください!」

 凛と制止する声に皆が同時に動きを止める。手当てを終えたシリアはすっくと立ち上がり、自分を見つめてざわつく人々を見回した。

「その拳は、ここで振り上げるべきものではないでしょう。今は生と死の狭間にいる人々に激励を、それを乗り越え生を勝ち取った人々に賛辞を与えるべきときではありませんか。失われた命への哀悼と、それを悲しむ人への慰め。今この場に必要なのはそれらでしょう? 無益な争いをけしかけて、目の前に横たわる死者を冒涜することではないはずです」

 言うと少女の傍らに膝を落とし、背中に手を触れてそっと撫でてやる。シリアを振り向いた彼女は、大粒の涙を流して胸に抱きついてきた。

 清冽に響いた気迫、そしてわんわんと響く泣き声に、人々は皆怒気をそがれて振り上げた拳を収める。やるかたないその表情に、シリアはそっと問うてみた。

「ごめんなさい。失礼を承知であなたがたのお話を伺っていましたが、魔物について何かご存知だったのですか?」

 落ち着いたらしい当事者の二人は顔を見合わせ、先に仕掛けた方が答えた。

「俺たちは過去にも何度か魔物の襲撃を受けていたんだが、ここのところやたらにヤツらがうろつくんで動きを探ってたんだ。そしたら街の南東にある廃墟に集まってるらしいってことがわかって……だから皆で力を合わせて一掃した方が後々のためだろって、ひと月前呼びかけをしたんだ。そしたら……」

 先ほどたしなめられた手前、彼はそれ以上言葉を継ぐのをやめた。隣の褐色の肌の男に視線を向け、盛大に溜息をつくと向こうへ行ってしまう。

「廃墟というのは、宿泊所と呼ばれていた場所のことですか?」

 今度は残った彼に聞く。

「ええ」

「では、あなた方は彼等の申し入れを拒否したのですか」

 いつの間にか自分の周りに集まっていた同じ様相の人々。不安げな、そしてすがるような視線にシリアは返答を促した。

「あの場所は我等ニィルゥ族にとっては聖域なんですじゃ。昔あすこにはシリュエスタ様の像が祀られておっての、近くの水場も頼りゆえ、街を好かぬ我等はあの場所を先祖代々護ってきたのじゃよ」

 自らを『ニィルゥ族』と名乗った白髭の老人が静かに話し出す。

「わしらとて魔物は好かぬ。けれども女神の御許で戦など……聖地を穢すことなどできぬ。それに下手にこちらから手出しをして返り討ちに遭う危険も拭えぬ。火に油を注ぐような事態になれば、それこそ一番近くに住んでおるわしらがいの一番に狙われるのは目に見えておる。危ない橋は渡りたくなくても当然じゃろう?」

 同意を求めてくるその表情に、シリアはかすかに首をかしげた。自らの身の安全を最優先に呈すばかりに、消極的とも言える決断をした彼らではあるが、それは『聖地を護る』ことに固執する理由に被せるべく、後から取ってつけたようにも聞こえる。

 逆に積極的に動いて白黒をつけてしまおうという選択肢を呈した人々の心には、永らくの生活で培われた矜持があったようだ。その熱意を削ぎ立ち止まったがための今回の惨事であれば、彼等の言い分も、やり場のない怒りも正当なものだと言えるだろう。

 双方の心中を噛み砕いて整理し、シリアは顔を上げると、集まっていたニィルゥ族の人々に言った。

「私はその決断の場にはいませんでしたし、なによりカマランの民ではありません。所詮は他所者の私に、あなた方のどちらが正しかったと断言することはできません。だからこそ私は、今できることをしなければならない。過去に遡って決断を変えることはできない以上、今私にできるのは、傷ついた人々の看護と戦場で剣を振るい続けている人々への加護を祈ることだけ。あなた方もいくばくかの責任を感じているのなら、どうか祈ってください。命を賭して街を守ろうと奮戦する彼等の無事を」

 どうやら魔物の襲撃の裏には根深いものがあるらしい。部族間の対立というその奥に封じられた何か。闇に埋もれている事象が今回の任務と繋がるのかは分からないが、少なくとも今は自分にできることをするほかないと、シリアは胸の前で印を切り、光の女神に祈りをささげた。

 丁度そのとき、南の方角から戦の収束を知らせる戦士たちの雄叫びが聞こえてきた。途端神殿に集まっていた人々の中に、命の危険が去ったことへの安堵が広がる、そうして緊張の緩みと共に襲ってきた死者への想いを、流れ落ちる涙に滲ませ啜り泣きを始めた。

 複雑に絡み合った心中。それらをすべて許すかのように、シリュエスタの像はただ静かに佇み見守るだけであった。

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