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第Ⅴ章 ふたつなの英彦(えいげん)(5)

 ここ数日の間、アーツの執務室には所属を問わず、若い隊員たちが真偽を問うために代わる代わる訪れてきていた。

 若輩にもかかわらず、期待と信頼を寄せてくれた同志たち。彼らを招き入れるたび、後ろ髪を引かれる思いに駆られたが、国への忠義と己の信義のために騎士の道を歩んで欲しいと諭すと、彼らもまた激情をとどめ、静かに任務へと戻っていった。

 日中は対人的な対応、夜は稟議書の処理に終始する。そうしてやっとひと息つこうと思う頃には、すでに夜半を過ぎているありさまだ。それから遅い食事を取って身なりを整えれば、あとは数刻の睡眠しか取れない。

 しかし、と執務室続きの部屋にある仮眠用の寝台に横たわって、アーツは天井を見上げ思った。

 この内に抱くものに決着をつけねばならない。すべてを言葉に乗せて伝えねばならない。だからこそ、最も信頼する彼に伝言を頼んだのだ。


 窓の外にはひとかけした月。

 約束は――明日の夜。


*******



 昼間忙しく立ち回り、そうして日暮れを迎えた時分。アーツはリシリタ王国第一王位継承者たる、皇太子サフィール・クルスグルーヴの元を訪れていた。

「そうか、明日発つか」

「はい」

自室の椅子に腰掛けたサフィールが言う。

「退任の話を聞いたときには驚いたが……お前が決断したことだ、熟考の末であろうから今更何も言うまいよ。ところで、父上とザイガンがハイラストへの文を託すそうだな」

 はいと答え、アーツはしばし回想する。

 先日ザイガンに提出した辞職願。それを受理する代わりにと、アーツはひとつの任務を与えられた。

 隣国ハイラスト王国の女王への親書の配送。今回は特にも両国の祝事に関わる通達を兼ねる予定であるため、いち士団長たる自分が、最後の任務としてそれを申し受ける運びとなったのだ。

「この年になっての婚礼とは、なんとも気恥ずかしいものよな。とはいえ婚儀の場で男は所詮添え物、我が婚約者殿の花嫁姿はさぞ美しかろう」

 自ら口にするなり、サフィールは顔をほころばせた。婚約者であるハイラストの王女シーナは、賢淑もさることながら、大陸で5本の指に入ると評判の美姫でもある。

「姫とはよく文を交わしていたが、時々お前のことを話題にさせてもらっていたのだよ。だから是非とも式に参列してもらいたかったのだがな」

 笑みから一転しその表情が曇る。

「ラクティノース」

「はい」

「本当にリシリタを去るのか?」

 その声には戸惑いと寂しさがありありと表れており、アーツは思わず苦笑を返した。

「いけません殿下。これから国を出よう者に、そのように無防備にお心をさらけ出しては」

「なんだ、この期に及んでまだ説教をするのか。まったくお前たち師弟ときたら、揃いも揃って私をいつまでも若輩扱いするのだな」

「殿下はリシリタを背負うべきお方です。それに副う行いを常に意識していただかなくては」

「そういう口うるさいところまでそっくりだ」

 軽い笑いが起こる。しばしそれを共有し、やがて収まると、アーツは真剣な面持ちで口を開いた。

「サフィール様、私は」

「知っているよ。お前がリシリタを離れる本当の理由も、そして素性も何もかも、な」

 その言に心底驚く。真実を予め知るものはごく限られていたはずだ。国王セロルースに王妃ミネニス、シリュエスタ大司教ルセウス、総団長ザイガン、そして養父母。彼ら以外にも知る者がいようとは思わなかった。

「騎士団の入団式で初めてお前を見たときには、正直子供まで登用するザイガンの意向に反感を覚えたが……後に分かったよ。お前は確かに、他の者たちとは違っていた。ザイガンに引き合わされ『話相手』となってより、なおのことそう感じるようになった」

「当時はまだ騎士団に入りたてで右も左も分からず、ましてや殿下のお立場なども察せず……総団長に『殿下の話し相手になってくれ』と言われ、ただただお部屋に伺うことしかできなかったのですが」

 するとサフィールが思わずといった苦笑を浮かべた。

「まったく醜態極まりない話だ。あの頃の私は相当荒んでいたからね。弟に悪意を吹き込む者たちを恨み、私を祀り上げようとする者たちを蔑み……あてつけるようにお前に雑言を吐きかけたな。けれど肯定も否定もせず、ただじっと私を見つめ話を聞くお前に、正直私は救われた。年は十も離れているが、お前といるときだけは本心をさらけ出してもいいのかもしれないと、時間を共にするほどにそう思うようになっていった。そうして同時に疑念を持ったのだ」

「疑念?」

 ああ、とサフィールは続ける。

「お前と私は似ている、いや、通ずると感じたのだよ。だから私は父上とザイガンに真相を問いただした。お前が何者か、なぜ突然私にあてがえたのかと。すると父上がおっしゃった。『彼は<地図に載らぬ国>から来たのだ』と」

 困ったようにひとつ息をつくと、天井を仰ぐ。

「最初は酷く笑えない冗談だと思ったよ。けれども経緯を聞くにつれ、驚きと幾ばくかの安堵が私を満たした。やはりお前は私と同じだったのだ。国は違えど同じものを背負って生まれてきた人間だったのだと」

 言葉を切ると、アーツが視線をゆっくりと上げた。その表情、瞳に宿る光を再認して、サフィールもまた気を引き締める。

「ラクティノース」

「はい」

「実は我が王家には、代々伝えられてきたまことの名があるのだよ」

「真の名?」

「そうだ。この国の主となした我が王家の継承者のみに伝えられている名。今は父上がその名を負っているが……私はそれを、すべてを知ったあの日に教わった。本来ならば、王の今わの際まで秘匿されるものだ」

 状況を察しアーツが慌てて静止しようとするが、片手のみで制される。

「お前には聞かせてしかるべきだと思うのだよ。何よりも我等の永劫の友好のために」

 含みを持たせた言いようと強い希望。珍しく気圧されたアーツは、居住まいを正し続く言葉を待ち構えた。

「それでいい」

 にこりと笑みをうかべ、サフィールはゆっくりと立ち上がる。正面から対峙すると、口を開いた。

「我が名はサフィール・エ・リュシオーヌ・クレストグリューヴ。闇の侵攻を打破せん、英雄エリシオンのしんの名を継ぐ者」

 かの大戦を謳った英雄譚サーガで語られるゆうが一人。<獅子を従えし火色ひいろの勇者>騎士エリシオンの名を、リシリタ王家が継いでいるという事実。語られたそれを受けて、アーツは長らく抱いていた疑問がすっかり晴れたような気がしていた。密かに続いていた二国のよしみ、その根底に英雄たちの友情があると分かれば、リシリタが秘密裏に、しかも王の独断ともいえる形で自分の亡命を受け入れたことにも頷ける。

「エリシオンは子孫に伝えた。『我が真名まことなを継ぎ、いつの日かともがらがこの地に到る時を待て。その時新たな光が世界に宿ろう』と。父上はそれに従いお前を受け入れ、数百の年月を経て誼はまた繋がった。このことが新たな歴史を拓くいしずえとなるのだと私は信じている」

 力強い言いように、アーツはただひとつ頷く。

「そして我等だけではない。時代はここに到って役者を揃え始めた」

 リシリタに集ったもう一人の英雄の血。

 アス・ノーマ。聖女たる血筋の娘。

「これが何を意味するのか今はまだわからないが、けれども何かが動き出していることだけは確かなように思えるのだよ。私もお前も、そして彼女もその一部。行く末に何が待つのか、それまでに何を課せられるのか。すべては未知だが、けれどもその先にあるものを、私はこの目で見てみたいと思うのだ」

 そうして改めての微笑みを浮かべると、アーツに向かって右手を差し出した。

「見せてくれるなラクレイン。私も、そなたとの友誼ある限り力を尽くすと約束する。だから、いつか必ず戻ってきてくれ」

「ありがとうございます」

 その手を強く握り返し、アーツは感謝と純粋な友愛を抱いて、向かい合うエリシオンの姿に深く頭を垂れた。


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