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第Ⅳ章 青き潺湲(せんかん)(7)

 戦の終結から数日後、王都イエンスからカマラン駐在へザイガンの書状が届けられた。それにより正式に駐在軍への従属を解かれたアーツたちは、事後処理を現地の兵に任せて帰路につくことになった。

 今日は皆、世話になった部署にそれぞれ帰還の挨拶回りに出かけている。同じくしてヴェルジ神殿のブロッホに面会した後、アーツは最後にニィルゥを訪ねた。

 老人が天幕の前で掃除をしており、こちらに気がつくと族長へ取り次いでくれた。辺りではまだ小さな子供たちが牧羊犬を追って遊んでおり、その微笑ましい光景にひととき心を和ませると、アーツは燭台の炎が揺れる空間へと足を踏み入れた。

「失礼します」

 そうして目に入ったのは絨毯の上に置かれたクレードの剣と、床に額をこすりつけんばかりに畏まる族長の姿だった。

「どうかお顔を上げてください。族長ともあろう方が、余所者に何を臆することがありましょう」

 アーツが困ったように諭すと、布を巻いた頭がゆっくりと上げられた。向いに腰を下ろしてほっと一息つき、まずは軽く頭を下げる。

「本日を持ちましてカマラン従軍の任務を解かれ、明日王都へ帰還いたします。在任中、あなた方には多大なるご協力を賜りました。御礼を申し上げ、心に刻み置きます」

「なんと勿体無きお言葉。あなたさまは我等をお許しくださるのか」

「許すも何も。ニィルゥの人々は使命に従順であった。その意志は純粋で侵しがたいものです。けれどもそれがいつしか『鎖』に成り代わっていたことは否めない。私はあなたがたを束縛するものを、ほんの少し緩めるきっかけを与えただけに過ぎません。もとより敬虔なる行いを責める資格などないのです」

 すると族長がふと目元に笑みを浮かべた。

「本当によう似ておられる。同じ言葉を5年前にもかけていただきました」

養父ちちがそう言ったのですか」

「ええ。秘密を知るや、クレード殿は我等が真摯な一族であると言うてくださった。実直で、忠実であるがゆえの頑なさ。それに倣うことこそあれ、責める資格などないのだと」

「そうですか」

 呟いた口元に自然笑みが浮く。養父クレードは、彼らの秘密に自分が深く関わっていることを知り、慮ってくれたのだろう。

「『いつの日にかあなたがたが解放されることを祈っている。その時、私の息子もまた本当の意味で解放されるのだろう』あの時クレード殿はそうおっしゃっていた。今にして思えば、あなたさまの素性を知った上で、それでも背負うことを厭わなかった勇気あるお人だったのですな」

「ええ。彼は秘史を抱いた私を迎え入れるだけの懐の広さを持つ人でした。そして先代のアス・ノーマも同じです。まさに聖女にあるべき愛の持ち主だった」

 言葉が途切れる。そこに様々な葛藤を覗いたような気がし、族長はしばらくの間を置いてから問うた。

「<扉>を、ご覧になりましたな?」

「ええ」

「あれの守護とヴィージの隠匿。悪しき輩から偉大なる母国、神々の恩恵を賜った聖なる地を護ることが、我ら祖先に課せられ連綿と受け継がれてきた宿命なのです」

「確かに見させていただきました。ところで、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」

「なんですかな」

「私のことは、いつから?」

 その疑問に、族長がことさらにゆっくりと息を吐く。

「半年ほども前になりますか。光の柱が世界を照らした夜がございましたでしょう」

「ええ」

「それより数日の後、ある人物が我等を訪ねてきましてな。『自分は<扉>をくぐり、さる方をお迎えに上がったのだ』と仰いました。13年前の亡命のことは風の伝いで聞いておりましたから、殿下をお探しなのだとすぐに分かりました」

「それが<使者>」

「はい」

「それから、その人物はなんと?」

「『近年、敵が殿下に追手をかけたらしい。ゆえに我らが先に接触してお守りし、いずれヴィージへお連れせねばならない』と。とはいえ彼らも我らも、具体的な手がかりを持ち合わせておりませなんだ」

「そうでしょうね。時至るまでは双方共いかなる関与も許さぬ、というのが亡命の第一条件でしたし、その夜のうちに養父の監護下に置かれ、野に下りましたから」

「しかしながら、そんな中でも唯一『殿下は漆黒の髪をお持ちである』という情報は伝わっておりました。ですから我等もまた密かに探索を開始せんと動いたのです。しかしながら世は広い。同じ特徴を持つものは数え切れず、案の定我等は行き詰まっておりました」

「そんな中、私がカマランにやってきた」

 族長は静かに頷いた。

「あのクレード殿の息子殿。殿下の件を差し置いても、会わずにはおれぬと思いましてな。まさかそれが真に行き着くとは、あの時ほどガンダルモートの幸運に感謝した覚えはありませぬ」

 そうしてほんの少し笑みを浮かべて運命のめぐり合わせを笑う。がアーツは笑う気にはなれず、軽く口元を引き結んだ。

「立志してより常々覚悟はしていました。戦況如何によらずとも、いずれは国に戻り、父上の援けとなって国の平定に尽力せねばならない。<使者>はその時を告げる者です。彼は居所をあなたがたに言い残して行きませんでしたか」

「いいえ。<使者>とて殿下同様に敵から追われる身。国の命運を背負った彼らは流れ漂いながら、接触の時を窺っているはずです。しかしながら、ただひとつだけ」

「それは?」

「『呼び声をしるべに、辿れ』と」

「呼び声……それは一体」

「一切分かりませぬ。ですが、貴方様の記憶の中にその糸口があるような言い方をしておりましたな」

 意味深な言いように微かに眉を寄せる。

「もうひとつ伺いたいのですが」

「なんでしょう」

「あの神殿は、カマランの各神殿が予算を出し合い整備した宿泊所だと聞かされていました。しかし実際現場には<扉>へ繋がる魔法陣があった」

 腑に落ちない様子のアーツに、族長はゆっくりと顎鬚を撫でて目を細めた。

「あの場所を宿泊所にと提案したのは同じ<愚者>の血を引く者たちでしてな。我らとは見かけが異なるゆえに、街では一定の信用を得ているのです」

 アーツは族長の言葉に目を見張った。それほど多くの者たちがこの世界に身をやつしているのかと、自分の知らない世界のありようを驚く。

「彼らの執り成しを得て、我等はあの神殿を管理する公の口実を手に入れました。そうはいうものの実際には、街場から離れた砂漠のただ中に無防備に泊まる旅人などおりません。しかし……」

「一人の民の死によって、それが揺らいだというわけですか」

 物乞いの惨殺。殺人事件と聞けば警察ヴェルジが黙っているはずもない。

「あの時、殺人の一報をもたらした者がいたはずですが」

「それが皆目分かりませんでの。一族以外の者であることは確かでしょうが」

 不可解極まりない現象に、アーツは顎に手を当てしばし考え込む。そのときふと、脳裏に思い浮かんだ人物がいた。

 自分を探していたと堂々と公言した彼――<扉>の前で対面した森の種族の青年。これですべての点が一本の線で繋がった。それこそが今回の事件の真相、そして自分が対面すべき真実だったのだと理解し、ひとつの結論を見出した。

「私たちの謀はもはや限界にきていたのですね。秘密を護るべく躍起になるあまり、かえって疑いの目と諍いの種を集めてしまった。秘密はいつか露見する、それが世の理というものなのかもしれません」

「ならば貴方様にとってみても、それは同じではありませぬか」

 自分たちの長らくの忠誠を否定されたと思ったのか、ほんのかすかに怒りを含んだ言葉に小さく苦笑する。

「そうですね。私も、同じか」

 今般の一件がもたらした戦の代償。流された多くの血。失われた命。尊いそれらへの贖罪と責任を、自分は真摯に、今生背負わねばならない。そればかりではなく、今ある命への責任もまたより重いものとなるに違いない。

「私は二つの世界を隔てる壁は、もはや意義を失っているのではないかと思う。過去戦によって多くに分裂していたという国々は、いまや見識高い5つの統治国家に集約され、時代は先導者を得て和平への路を模索し始めている。グラディスフィールが安定期に差し掛かっている今こそ、ヴィージはその存在を明らかにしてしかるべきではないだろうか」

 その口調がそれまでとは一変したことに気づくや、族長がすっと背筋を伸ばす。

「秘密はいつか必ず暴かれる。それが世の真理であるならば、機を窺い先んじてその扉を押し開くことも可能なはずだ。ただ運命に流され待つだけではなく、自らの意思によって。私は……もしかしたら、その魁たるべく送られたのかもしれない」

 その瞳に宿る力、紛れもない、国家を担うまなざしに期待が募る。

「ならば、我等をいつか解放してくださいましょうか」

 あの時クレードが口にした言葉。それを信ずるに足る希望を目の前に乞う。

「その時は私も、そしてヴィージも共に解放されましょう。そうしたらまた会いに来ます。養父ちちのことを、また聞かせてください」

 力強い宣誓に、族長は細くうずもれた瞳に涙を湛え、両手をついて深々と頭を下げた。


*******


 養父の剣を携えて天幕を出ると、日は西に傾いていた。世界が赤々と染まる光景を無言のまま眺めていると、天幕の陰からくだんの少年が現れた。

「兄ちゃんたち、いつ帰るの?」

 歩み寄ってきた無邪気な笑顔に、アーツも同じように微笑む。

「明朝にはここを発つよ。色々と世話をかけてすまなかったな」

 頭に手を乗せくしゃくしゃと撫でてやると、こそばゆそうにしながら少年は分かったと答えた。手を離してしばし夕日を見やると、彼もまた同じようにそちらを見つめる。

「……そうだ。最後に君にひとつ訊きたいんだが」

「なに?」

「片翼の刻印、それがヴィージへの贖罪と戒めを宿した<愚者>の証であるというのは分かった。だが君は一方で、あの夜の被害者を『身内』と堂々と公言した。その時点で君はおそらく唯一の関係者、警察ヴェルジは躍起になって事情を聞こうとするだろう。それこそ被害者とニィルゥとの繋がりを覚られかねない。けれどその危険を冒してまでも、君は群集に被害者と自分の関係を誇示した。それはなぜだ」

 少年は口をつぐんでいる。

「さらに言えば、分断されそのうえ焼け焦げた遺体を、君は母と妹だと断言した。成人の性別はともかく、性徴の無い子供の、しかも損傷の激しい遺体をたった一度の目視だけで正確に識別するのは至難のはず。遺留品は離れた場所に集められて管理されていたし、母親と妹が確実に一緒にいたという保証も無い。いくら身内とはいえ、あれほどの確信をもって断定できるだろうか」

 ひといきの間を置いて、アーツは次ぐ。

「君は一体何者だ」

 警戒に威圧の交じり合った声色。少年は見つめてくる視線を正面から受け止め沈黙を保った。しかし直後にふと緑色の瞳が大人びた笑みを覗かせる。

「おいらがどっかの御大尽だとでもいいたいのかい? 兄ちゃんもきつい冗談言うなぁ」

 一転心底おかしそうに笑う彼に、アーツは虚を衝かれて言葉を無くした。さらりと可能性を否定したその態度に油断ない視線を向けるが、しばらくすると諦めたように苦笑して首を振る。

「……すまない。少しばかり、俺の杞憂が過ぎたかな」

 そうは言っても鳶色の瞳は未だ疑念を保ち続けている。少々の居心地の悪さを感じているのか、少年が視線を虚空に彷徨わせた。

「それじゃ、そろそろ行くよ」

「あ、うん」

「元気で」

 差し出された大きな右手をしばし見つめ、それから遠慮がちに掴み返す。

「兄ちゃんも」

「ああ」

 力強く握られた手が離れると同時に青いマントが翻える。去ってゆくその背中を見つめていると、ふと数歩先で振り返った。

「またな!」

 そう言って大きく振られた手に驚く。最後ににこりと笑うと何事も無かったかのように再び歩みを進め、やがてその背中は城壁の向こうに消えていった。

「あの方は、すでにご承知だったのでしょうか」

 背後に近づいてきた気配。静かに歩み寄ってきたニィルゥ族の族長は、少年に仰々しい口調で問いかけた。

「流石、というべきかな。かすかな違和感から見事な洞察をなされている」

「もしや貴方様の素性をも察しておられたのでは」

「いや、そこまでの確証は得られていないみたいだ。さっきの台詞がその証拠。ともかくも、これでひと段落着いた。僕はしばらくお役御免にさせてもらおう」

 言って右手の中指をぱちんと弾く。すると全身が淡い光に包まれ、一瞬の後凝縮してその場に緩やかな魔法の風を起こした。

 そうして現れたまったく別人の如くの姿。黒髪は金色に、浅黒の肌は白に、そして右手の甲に張り付いていた龍の刻印が綺麗に消え、それらの変化に合わせ腰に下げていた根付の宝石が一つ輝きを失った。

「後は兄上に任せることにしよう。僕に負けず劣らず演技派だからね。上手く誘導してくれるといいんだけど」

 何かを思い出したかのようにくすくすと笑う。しかしそれもつかの間、高い空を見上げた。

「求むるものよ、されば天を仰ぎ、女神の光を眼に捉えよ……今はまだその時ではありませんが、いずれひとつに繋がりますよ」

 そう呟いた少年の緑色の瞳は、世界を最後に照らす光を捉え、次の夜明けへの期待に輝いているように見えた。

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