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第Ⅰ章 さだましもの、煽つ風(1)

 やわらかな風が吹いている。

 太陽の光が穏やかに降り注ぎ、緑が芽吹き始める季節。ディスリトと呼ばれる大陸の北東に位置するリシリタ王国は、今静かな春を迎えていた。

 大陸に覇を唱える五大国の中でも、有数の多人口都市として名を馳せている王都イエンス。その市街地を南北に貫く『大陸街道』を、長身の黒髪の青年――アーツ・ラクティノースは王城へ向って馬を北進させていた。

 道の両側に並ぶ活気にあふれた市、集いはしゃぎまわる子供たち。鞍上から望むそれらに己の任務の醍醐味を感じながら走ると、やがて視線の先に石畳の広場が見えてくる。街道が西へ向って曲がる角にできたそこには、見張り台を兼ねた城門が設置されており、近づくにつれ、鎧を着た兵士が槍を手にいかめしい顔で立っているのがわかった。

「任務ご苦労。ザイガン様はお見えになられているだろうか?」

 手前で馬から下り、手綱を引きつつ声をかけると、すぐさま敬礼が返ってきた。

「お疲れさまです士団長。総団長はすでに入られております」

 今年十八になる自分より年上だろう彼らに「ありがとう」と残し、アーツは馬を引き渡すと城門をくぐった。

 リシリタの王城知恵の館ウィズダム・キャッスルは、今から700年ほど前、王都の北を流れる大河(ディスリト)の吐息の中州に建てられた。当時の学者や技術者たちの粋を集めたこの城には、河岸から伸びる幅10メイズ(m)の石橋を通じて入る。御用商の荷車とすれ違いながら渡りきると、今度は正門前の警備兵が敬礼を向けてきた。

 アーツが身に着けている略式の胸当てには、鷲の羽根を持った獅子が焼印されている。その上に羽織る青に染め抜かれたマントを留めるのは、銀の地金に青玉サファイアのはめ込まれた装飾品。そして鞘口に鷲の尾羽根が結いつけられた両刃の剣。そのいでたちは王国騎士団第一士団、通称(あかつき)の士団のそれであった。

 一巡りに一度の休息日に、わざわざ支度を整え城に上がった理由――中庭の短く刈りそろえられた芝生の上を歩きながら、アーツは今朝方届いた伝言を頭の中でもう一度繰り返した。

『伝えたきことありて王城にて待つ ――ザイガン』

 金髪の郵便配達員(フォルメール)が届けてきた伝言はこれですべてで推測の余地はない。城に足を踏み入れると、中には人影がほとんどなかった。自分の靴音だけが反響する中、玄関ホールから謁見の間に続く正面階段を上り、廊下を数度折れて城の北側へと向かう。やがて別棟へと到り黒檀扉のある部屋の前にたどり着くと、厳命されているとおり、据え付けられた魔法の鉄輪に手をかけ二度打ち鳴らした。

「アーツ・ラクティノース参りました」

 名を告げると中から「入れ」と声がかかる。重い扉を押し開くと、薫風がかすかに汗の浮いた頬を撫でていった。

 ひととおりの応接と書棚が設置してある室内。開け放たれた東の窓際に据えられた執務机に、騎士団総団長ザイガン・アルファットの姿があった。四十半ばを過ぎた彼は、剣術において大陸にその人ありと謳われた剣士であり、アーツとは師弟の仲である。

「おはようございます総団長」

 剣の柄尻に手を添え深く頭を下げると、書類に目を通していた彼は顔を上げ羽根製の筆記具を墨壷に戻した。

「おう。今日はお前も非番だったそうだな。朝早くからすまん」

「いいえ。こういう状況には慣れていますから」

 第一士団は別名先陣部隊とも呼ばれる。有事の際最前線に立つ部隊なだけに、その言いようは体に染み付いたそのものなのだろうが、ザイガンは苦笑を浮かべた。

「あまり生真面目に答えられてもな。たまには皮肉の一つでも披露してみたらどうだ」

 肩をごりごりと回しながら応接椅子に歩み寄り、どっかりと腰を下ろして手招きする。

「まさか。総団長に面と向かって皮肉を言える団員なんて居ませんよ」

「それも寂しいものだぞ。権力を持つがゆえに対等に語れる相手を無くすというのは。もっともお前の養父は立場なんぞお構いなし、遠慮なしだったがな」

 促され向かいに腰を下ろしたアーツはその言葉にひととき口をつぐみ、養父であり元騎士団副総団長であったクレード・ラスターシュに想いを馳せた。

「ところで、用件とは?」

 声をかけると、同じくして浸っていたのだろうか、おおそうだ、とザイガンが我に返る。

「お前を呼んだのは他でもない、とり急ぎ伝えたいことがあったんでな」

 そういう顔に一瞬差した(かげ)に、アーツはいわれようのない不安が胸に湧き上がるのを感じた。

「何事かありましたか」

「そうではない。お前、羊の肉は好きか?」

「は?」

 突拍子もない質問に思わず呆けた声を出すと、腹の底からの笑いを浴びせかけられた。

「いやいや、今のは軽い冗談だ。近々お前に特命が下る予定なのだが、それを事前に話しておこうと思ってな」

「特命、ですか」

 出張や遠征ならば何度か経験がある。だがザイガンははっきり『特命』といった。少なくとも一士団長である自分が赴かねばならない理由があるのならと表情を引き締める。

「用務は一体なんです」

「宿泊所という供用施設を知っているか」

「ええ。大陸をまわる各宗派の巡礼者達に解放されている無賃宿ですね。そこが何か?」

「ひと月ほど前になるが、カマラン城壁の外にある宿泊所で、物乞いの男が殺されたそうだ」

 カマランというのは、リシリタ王国西部に広がる乾燥地帯のほぼ中央に位置するオアシス都市である。大陸北部における東西交流の要所として重要視されている街だ。

「元は神殿だったものを転用したらしいがな。乾燥した気象に晒されて風化が激しいうえに街場から遠いこともあって、宿とは名ばかりの廃墟だったようだ。一般人はもとより、5年前の事件以降は近隣の民たちでさえ近寄ることはなかったそうなのだが」

 石の床に散らばる人の腕や足にそれを取り巻く血溜り。ほうほうのていで警察(ヴェルジ)に駆け込んだ男は半狂乱でそう証言したという。直後数名が現状の確認に向かったそうだが、その彼らも全身ばらばらにされ転がっているところを発見されたのだとザイガンは続けた。

「その後も警察は再三再四捜索隊を送ったそうだがな、ことごとく同じ目に遭い、さらには現場近くの岩場に住みついた魔物に阻まれ、現況確認は最後まで叶わなかったらしい」

「魔物」

 かすかに眉間に皺を寄せ、アーツが嘯く。

「ああ。先の事件の折一旦は駆逐したはずだったのだが、最近また現れるようになったらしくてな。警察と騎士団駐在が警戒を強める中、殺人はついに城壁の内側でも起こり始めた。このひと月あまりの間に、似たような手口で市民十数人が犠牲になっている。そのおかげでルイナスの連中が近づきたがらなくてな」

 ルイナスとは大陸の西、険しい峰峰が南北に走る高原に興った多民族国家であり、その隊商たちは大陸街道をカマラン経由でリシリタへ入る。雪解けを迎えた今の時期に道を塞がれてしまっては、両国にとって貿易上の損失は計り知れないと言いたいのだろう。

「街道の管理者としてもさることながら、市民の、国の安全を確保するのが我々騎士団の責務だ。ゆえに不安材料……徘徊する殺人鬼どもを一刻も早くなんとかせねばならん」

「それがルイナス皇国(こうこく)に対するこちらの誠意の表れにもなる、と」

 にやりと笑うザイガンに、それで『羊の肉』かと苦笑する。カマランの民の中には、オアシス周辺の草場で羊の放牧をしている者もおり、羊毛とその肉は彼らの貴重な収入源となっているのだ。

 しかしそれだけだろうか、という直感が脳裏を掠める。

「それで魔物の捕り物に私を?」

 生まれた疑念をかすかに含ませて問うと、ザイガンはひくりと片眉を動かした。

「何だ、不満か?」

「いえ、そういうわけではありません。ただ……」

 腑に落ちないところがある。『特命』扱いにしてまで一士団長たる自分を送り込み、魔物退治をさせるいわれはまったくない。現地には副総団長同等のカマラン駐帥率いる一軍がおり、5年前の事件以降体勢は強化されている。仮に殺しが魔物とは別の第三者によるものだったとしても、犯罪者を捕らえるのは警察の領域だ。

「一体、私に何を見せようと言うのです?」

 試しに思うままをに口にしてみる。すると部屋の空気が一変し並々ならぬ緊張感が室内に満ちた。それは明らかに動揺の裏返しであり、かつ回答を求めるこちらの意思を絶対的に拒絶する姿勢に他ならなかった。

「行けば、解る」

 それでもかすかな糸口を示してくれる。今はそれが精一杯の誠意なのだろうと察し、アーツはとにかく身の緊張を解いた。ザイガンはそれに安堵したのか、背もたれに身体を預けると白い歯を見せる。

「またお前の悪い癖が出とるな。そう深く考えなくとも、要は一隊を統率する頭としてお前を推薦しただけにすぎん。表向きには『特別領区視察及び現況調査』として整えるつもりでいるからな。既に陛下と騎士団三役の承認は得ておるが、正式な受命は一巡りほど後のことになろう。とりあえず心構えだけでもと考えての呼び出しだ。そんなに気に病んでくれるな」

 語るに落ちているとアーツは思った。要職にある者が遠出する場合、国王への事前報告が義務付けられているが、今回は『承認』を求めたのだという事実が、通常任務とは一線を画すものであることを物語っている。

「了解しました。ところで隊の編成は?」

「まぁ魔物退治ごとき神殿に人を出せとは言えんしな。騎士団と術師団、それに予備隊から数名を招集することになるだろう。どうせ身内だ、人員に希望があればそれを優先するがどうだ? この二年王都に篭りきりだったのだ、気分転換をするにはお前も気心知れた面子の方がよかろう」

「いえ、お任せします。私がどうこう言わずとも、既に総団長の頭の中では最良の隊編が出来上がっているのでしょうから」

 ザイガンは分かったと返すと、立ち上がって南向きの窓際へと歩み寄った。背後で座ったままのアーツが何事かを思案している気配を窺いながら続ける。

「人選は追って伝えるゆえ、最低限の出立の用意をしておいてくれ。正式に辞令が交付されればすぐに王都を発ってもらうことになるだろうからな。その前にいろいろと気を回しておかねばならんこともあるだろう」

 最後の台詞にからかうような声色を混じりこませ、ゆっくりと肩越しに振り返る。

「ま、あの子にもよろしく伝えておいてくれ。そのうちまた年寄りが夕飯をたかりに行くかもしれんとな」

 はっと顔を上げ苦笑したアーツは、直後部下の顔へと戻って立ち上がった。

「それでは私はこれで」

 一礼する彼に左手をひらひらと振って応え、ザイガンは再び窓の外を見つめる。靴音が徐々に遠ざかり蝶番が軋む音がしたそのとき、

「総団長」

 声と共に立ち止まった気配に「何だ」と返す。

「いくら私でも、初めて赴く土地で複数の役どころをこなすのは骨が折れます」

「あん?」

「カマランの各神殿、それから王国騎士団と術師団の駐在にも根回しをしておいていただけるのでしょうね? 現状の把握と情報収集のみならず、有事の際には背を護る仲間としての根回しを」

 言って頭を下げた後で出て行く。しんと静まり返った執務室に一人、ザイガンは苦笑を浮かべ「ヤツめ」と唇の端をかすかに持ち上げたがすぐに引き結んだ。相手が魔物とは限らないという含みに彼は気付いたらしく、逆に探りを入れる真似までしてみせた。弟子ながら、昔からその勘のよさには眼を見張るものがある。

 確かにもたらされた情報を反芻した直後、自分もある疑念を抱いた。だがそれが闇の女神(ルネイブス)を崇める獣達の動きと確実に繋がるか、連動しているものかどうかを判別する術はない。しかしながら戦人(いくさびと)としての直感は、彼をなんとしてでも現地に向わせるべきだと叫んでいた。

「お前は、俺を非難するかもしれんな」

 誰ともなくつぶやいた台詞にしばし回顧する。

 5年前、今と似通った状況で砂漠に向った親友とその妻。灼熱の大地、魔物に侵されかかったあの場所で、二人が命を賭しても護りたかったもの――その死の真実を手にできるか、そしてどのように受け止めるかは彼次第だ。

 子を千尋の谷に落とすにしては、いささか度が過ぎるのではないか?

 無意識にそう自問した自分にはっとする。営利に拠らず純粋に人をいとおしく思う感情。酷く傷つくかもしれないと危惧する心情。どうやっても羽ばたいて飛び去ってしまう小鳥を、一瞬なりとも手の内に収めてしまったがために知ったそれら。

「俺も、そろそろ子離れせんといかんか」

 ふっと自嘲に表情が緩んだそのとき、唇からほどけ出た言葉にさらに驚く。未だ棄てきれずにいるのかと、為政者として矮小とも思える己を蔑み、ザイガンは窓の外へと視線を移した。

「くだらんな、俺は」

 窓から吹き込んでくる春の風は、彼を慰めるかのように優しく頬をなでていき、その小さな呟きを澄んだ空へと運び去っていった。

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