第Ⅳ章 青き潺湲(せんかん)(2)
少年の背を追って、アーツとシリアは街を南に下った。
その間会話は一切ない。シリアはアーツの隣を歩きながら、幾度となく話しかける機会を探したが結局叶わなかった。彼の何かを恐れているような雰囲気、普段なら絶対に悟らせないだろう内の陰りが窺えたからだ。もとより抱いていた漠然とした不安がそれらに助長され、今なお心をちりちりと焦がし続けていた。
三人は南の城門を抜け、草原に足を踏み出した。先に戦闘があった場所から道を少し西へ逸れると、やがて大小さまざまな天幕の一群が見えてくる。
「あそこだよ」
そうして案内したひときわ大きな天幕の前に、老人が一人静かに控えているのが見えた。
「あなたは」
「過日はお世話になりました」
近づいてきたシリアに頭を下げたのは、先日の戦闘の際シリュエスタ神殿で言葉を交わしたニィルゥ族の老人だった。初対面のアーツに経過をざっと説明する。
「そうでしたか。おかげんはいかがですか」
「はい、おかげさまで皆ようなりました。今日は我等が族長が礼をしたいと申しましてな。壁の内側では我らはつまはじき者、何が起こるか分からぬゆえお運びいただいた次第ですじゃ。どうか無礼をお許しくだされ」
侘びを述べ、老人はするりと天幕の中へと入っていく。案内してきた少年が二人の後ろにつき、「入ってよ」と促した。
帆布の内側は思いのほかひんやりとしていた。薄い布が何枚も天井から下げられ、それを一枚一枚捲り上げて進むと、最奥に広い空間があった。独特の模様が織りこまれた絨毯が敷かれ、四隅に配された燭台の炎がゆらゆらと揺れるその中央に、老翁が一人ゆったりした衣装を身に付けて座している。
「族長、アーツ・ラクティノース殿とシリア・アス・ノーマ嬢をお連れいたしました」
案内の老人が地べたに額をこすりつけんばかりに平伏すると、禿頭に真っ白な髭を膝の上まで垂らした彼は鷹揚に頷いた。
「よう参られた。さ、おすわりなされ」
おそらく齢七十は越えているだろう外見からは想像もつかない張りのある声。それに素直に従ってまずはシリアが腰を下ろし、アーツもほんの少し警戒を解いて続く。場が落ち着くと案内してきた老人は退席し、少年は族長の後ろに控えた。
「あなたはよう似ておられる。あの方……クレード殿にの」
静かに切り出された言葉に驚く。
「父を、ご存知なのですか」
シリアの問いに「いかにも」と答え白眉の下に笑みを灯した彼に、アーツは厳しい視線を向けたままで続けた。
「あなたにお聞きしたいことがあります」
「なにかな」
「先日殺害された母娘。彼女らはニィルゥの一族だったのですね」
疑問ではない、それは確認だった。
「早々に本題に入ろうとは、士団長殿は虚を衝きなさるの」
途端族長の目がすぅと細まり、そこに温和さはかけらもなくなった。滲み出る敵愾心に、駐在が訪れたときも同じだったのだろうと、アーツは居住まいを正し気を引き締める。
「あの夜、彼は事情聴取した捜査官に『自分たちは流しの物乞いだ』と語っていました。にも関わらず、先ほどは『自分はニィルゥ族だ』と名乗り私達をここへ連れてきた。なぜ巧言を弄したのですか。警察の正式な聴取で虚偽を申せばどうなるか、あなた方とてお分かりでしょう」
言って控えている少年に視線を移す。かすかにそちらを窺う気配をみせ、族長は長い息を吐いて目を閉じた。
「確かにあの母娘は我等ニィルゥ族の者じゃった。しかし元は同族であれど追放された身、後の生活については我等の関与するところではない。ゆえにこの子が『偽証』したとは言えぬよ」
「ならば、起こりの殺人についても同様ではなかったのですか」
族長はかすかな怒りを灯した鳶色の瞳に静かに答えた。
「そのとおりじゃ」
「これまで殺害された人々もまた、あなた方とのつながりがあったということですか」
「いかにも。彼奴らはみなニィルゥの一族だった者じゃ。すべてここを脱した者達よ」
それはつまり被害者の共通点を示す。ヴェルジが、駐在が追い求めた事件解決への重要な足掛かりだ。思いのほかさらりと口にされた言葉に、アーツは湧き上がる憤りをなんとか押しとどめて彼を見据えた。
「ならばどうしてその事実を隠したのです。ヴェルジも駐在もここに足を運んだはずでしょう。その時彼等との接点を明かしていたなら、これほどまでに多くの犠牲を出さすに済んだでしょうに」
「明かすわけにはゆかなかったのじゃよ。余計な詮索はされとうないのでな」
満身の拒絶に、ぐっと奥歯をかみ締め膝の上で拳を握る。
「我等は一族を脱した者を決して許さぬ。干渉せず情に流されずが我らの掟。ここを出た時点で兄弟ではなくなったのだ、その後どうなろうと、何があろうと我らの知ったことではない。先ほどそう申したはずでしょう」
「昨日まで同じ天幕で暮らした者を、あなた方は簡単に見放すことができるというのですか。掟の遵守ゆえに、接点がありながらそれをひた隠し、予測されうる次の悲劇を未然に防ごうと奔走する者への協力を拒むというのですか。あなた方がそこまでしなければならない理由とは、ニィルゥが護ろうとしているものは一体なんなんです」
「ほぅ、我等の根底にあるものをわざわざ知りたいと申されるのか。それを知ってあなたはどうなさる? 保身に走る、人にあらざる蛮族よと非難するおつもりか? ならばここにやってきた神殿や駐在の者となんら変わらぬな」
自分たちの平穏のために、他の犠牲を見てみぬ振りをする身勝手さ。養父はそこまで知った上で彼等を容認し説得せしめたのだろうか。先般から抱いていたある可能性への不安と相まって、アーツの心はちぢに乱れた。
「私はあなた方を糾弾しようとここへ来たのではない。心の奥にあるもの、それを知ることで共に手を携え生きてゆける道を探りたいだけなのです」
真摯に訴えるその横顔には必死さが滲んでいる。彼等の返事一つでカマランでの戦闘の行方が決まるといっていい現状で、その身にすべての責を負ったのだ。下手な小細工や虚勢などは通じない相手。彼等を屈服させるのではなく和解に導くにはどうすればよいのか……じりじりとした焦燥に苛まれるアーツの隣で、シリアは自分に何ができるのかを考えていた。
今は意志と意志との戦い。揺るがぬそれを保持していられる者がこの場を制する。彼は十八にして士団長を務める逸材だが、その才覚をしても老人の叡智には及ばぬだろう。積み重ねてきた経験では到底敵わない相手に、どうすれば自分たちの思いを伝えることができるのか。砂の大地に立ってより揺れている彼の心を、どうすれば支えることができるのだろうか。
かあさま、私、どうすればいいの。
そうしてそっと閉じた瞼の裏に、生前の父と母の睦まじい姿が映る。時に諌め、支え、共に生きようと努めるその姿に励まされ、シリアは意を決して目を開けると膝の上の拳に手を触れた。
「アーツ、落ち着いて」
はっとしてこちらを向いた顔に微笑みかけ、毅然と族長に対峙する。
「あなた方が心の内に抱いているもの、それを否定しようなどとは露ほども思っていません。私も彼も、誰かを傷つけたいがためにここまできたのではないのです。すべてを知ることは出来ないにしろ、その一部を聞いて、もしもそこに私たちに対する友愛の情があるのなら、そこから共に生きるための手段を探りたいと願っているだけなのです。ですからどうか信じてください。私を、そして彼を」
たおやかであり、力強く、そして清清しい言葉であった。同じ主旨であるのに、まるで女神がそのまま口にしたかのように胸を打った響きに、アーツは波立つ心を救われたような気がしていた。
「信じる、か。それのなんと難いことよ」
自嘲と共に、族長の瞳に元の穏やかさが戻り始めていた。
「我等は他を信用などせぬ。砂の大地で信ずるに値するものは己のみ。そうすることで一族を守り、秘密を守ってきた。……けれどもこれで二度目じゃな。頑なでいることが、もっとも辛く、孤独で不幸であると思い知らされたのは」
「二度目?」
「うむ。強い決意は何物にも揺るがぬ。それが鉄壁となり己を支えるのだと我等は肝に命じてきた。しかしそれがすべてではないと教えてくれた方がおった。人を信じきる心の広さと深さこそが、本当の強さであるのだと」
顔を上げ、族長はシリアをことのほか感慨深げに見つめた。
「5年前、法と正義によって我等を説こうと決意した若者がおった。対して、秘密を守らんと決意した我々がいた。固き意志がぶつかる中、疲弊した我等を柔らかく包み込んでくれた乙女がおった。その優しさに触れるうち、我等は思いを戦わせながらもいつしか互いの内を慮るようになり、やがて人として純粋なる友愛の情を持って、かの者は信ずるに値するとそう思い始めたのじゃ」
これへ持てと促された少年は、一度幕の後ろ側へ引きやがて何かを手にして戻ってきた。紫の布に包まれた長物を二者の間に置いて再び控える。族長はひとときの間の後、小さな琥珀の飾り物を外すと、静かに布の端を持ち上げ、中に包まれていたものの姿をあらわにしていった。
「これは」
現れたのは一振りの剣であった。鞘口に施された装飾、そしてつるばみと真紅の二本の紐で結わえ付けられた鷲の尾羽。それは紛う事なき亡き養父――クレード・ラスターシュが佩いていた剣であった。
「覚えがあろう?」
「覚えどころか忘れようはずがありません。一体これを何処から」
アーツは射るような視線を向けた。クレードの剣は、先の事件の折いずこへともなく失われたと聞かされていた。名の知れた剣士でもあった養父が自らの右腕と用いていた業物。それがさもしい人の欲望に玩弄されたのだとしたら、息子としてそれを許すわけにはいかない。
「落ち着きなされ。我等はこれを不義な経路を辿って手に入れたわけではない。これは5年前、クレード殿より『証』として譲り受けたものなのじゃ」
鞘の部分にそっと触れ、彼はゆっくりと語りだした。
当時のカマランは魔物の侵攻を食い止めるだけの軍事力も統率力もなく、いがみ合う砂漠の民たちが足を引っ張り合うような状況が続いていた。
そこへ現われたのが、王都から一軍を率いたクレード・ラスターシュとレティシア・アス・ノーマである。二人は同じ地に暮らしながら区区な人心をまとめ上げるのが先決だとして、自ら部族の間を走り回った。やがてその熱意に人々が応え始め、カマラン共闘協定の制定に向け残る問題はニィルゥの背反のみとなった。
「最後まで頑なな我らの元にお二人が訪ねてこられたのは、協定頒布のほんのひと巡りほど前のことじゃった。『あなた方が賛同してくだされば、カマランはきっと救われる。そしてあなた方自身も』、そう熱心に説くクレード殿に、我等はひとつの要求をした。それは部族のみの問題ではなく、リシリタという国の、いやこの地上の行く末を左右するもの。真の『友』ならば応えんやとする我らに、クレード殿は自らの身命に足るものとしてこの剣を置いてゆかれたのじゃ」
「身命に……」
アーツの呟きに、老翁は右腕を視線の高さまで掲げると、手首に巻いていた布をするりと外した。
「友たらん証は『秘密の共有』にこそ。これをみなされ」
筋肉の削げた腕に隙間なく施された刺青。血潮の如き真紅で細やかに彫られたそれは、腕から手首を一周し脈に牙を剥いた一頭の翼竜の姿をしていた。
「同じだわ」
シリアの脳裏に殺人の夜がひらめき思わず呟く。殺害現場で目にした女性の手、目の前にある竜はその甲に描かれていたものと酷似していた。
「これは贖いきれぬ罪の刻印。我らが<片翼の愚者>たる証」
「愚者?」
「我等は太古、ある国を追われたものの末裔。犯した罪を忘れ得ぬよう証しを身体に施し、使命を負ったのじゃ」
彼はそう言ってじっと見つめてくる。その瞳に宿る複雑な色に戸惑い、隣のアーツを窺ったシリアはぎくりと身体を強張らせた。
今までに見たことがないほどに硬く、そして哀しげな横顔。見ているこちらが胸を締め付けられるようなそれに、思わず瞳が涙で濡れる。
「養父はあなた方の秘密を知り、それをたった一人で共有したのですね」
蝋燭の揺らぎに消え入りそうな問いに、頷きが返る。
「クレード殿は『たとえ私が志半ばで倒れようとも、あの子がそれを継いでくれるに違いない。希望は途絶えぬ』とおっしゃっていた。今あなたを前にして思う。次ぐ光とはすなわち、ラクティノース殿、あなただということが」
彼は剣を手にするとアーツの目の前にそれを掲げた。
「抜いてみなされ」
言われるまま剣の柄に手をかけ、ほんの少し剣身を鞘から抜いてみる。すらりと踊り出た刃は、天幕の内に灯された明かりを照りかえして鮮やかに輝いた。5年を経た今にしてなお一点の曇りもないそれに、アーツは養父の期待の大きさを感じた。
「この剣は我等とクレード殿との友情の証。しかしあの方の死によって我等は再びの孤独に落とされたのじゃ、自衛に走るのもどうかご理解頂きたい。それでもなおあの時と同じ要求をせんとするならば、再来たらんあなたに証しだてていただく他はありますまい」
果たして自分は彼等を納得させうる答えを示せるだろうか。養父母の偉業に見合うだけのものを彼らに示し、再びの友と成し、状況を打開することができるだろうか。己への疑問を抱きつつ、しかしながら同じように揺らいでいる彼らの姿に一筋の光明を見て、アーツは居住まいを正した。
「教えてください、この『友』に」
「クレード殿にかけた期待と同じだけのものを、貴方が受け止めてくださると信じてよろしいのですな。ならば協定に従いましょう」
その言葉は駐在が切望したものに他ならない。しかしアーツの心は暗澹としたままだった。
「では信頼の先としてあなたに『証』を示して頂きましょう。クレード殿は己が秘密足りうるものを持ち合わせておらぬ代わりにと、右腕となる剣を置いてゆかれた。さて、あなたはなにをお示しくださる?」
「俺の、秘密」
試すかのような族長の言葉。アーツは目を閉じると、右手をそっと上げて首元を押さえた。そうして左手に触れるあたたかなぬくもりを確かめる。乱れた心にじんわりと広がってゆく勇気。傍らの女神の姿と己の中の兄に最後に問いかけ、ゆっくりと目を開いた。
「ニィルゥの抱く秘密。それが私の憶測と合致するものならば、これから口にする名が何を意味するか、あなた方にはお分かりのはず」
老翁のいぶかしげな瞳を受け止め、一呼吸おいて放つ。
「ティーノ・アース。これが俺の秘密、身命たるもののすべてです」
それを耳にした途端、皺の奥に埋もれた瞳が大きく見開かれ輝きを増す。
「ようゆうてくだされた。あなたの身命、しっかりと証だてていただきました。我らはその友情によってすべてをお見せし、共闘いたしましょう」
感慨に咽ぶ声色で老人と少年が同時に頭を深く下げる。これで目的は達せられたことになるだろうが、シリアは場に流れる空気に妙な違和感を感じていた。アーツが口にしたのは人名のような響きの言葉だが、それが彼の秘密だというのはどういうことなのだろう。強く握り返された右手に触れる熱さに、言いようもない不安が湧きあがる。
「何人も手出しのかなわぬ聖地、そこは我らが秘密の眠る場所。貴方にも共有していただくことが、我々が協定に従う条件じゃ。よろしいな」
再度の確認にひとつだけ頷いて応える。
抱いていた懐疑を晴らす確証が得られた。来るべき時はもう間近に迫っている。そのとき自分は選ばねばならない――いや、選択肢などとうにないのだ。ただひとつの定められた道をひたすらに歩むのみ。
そんな茨の鎖に繋がれたさまは、まるで彼らと同じではないかとアーツは思った。




